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第5章 宇都宮の陰謀 編
第43話 与五郎とお稲
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下野国宇都宮藩の城下町で、若い男女が向き合っていた。
情熱的に抱き合った後、お互い深刻な顔をする。
「与五郎さん。私たちは、この町で一緒になることは、どうしても難しいのかしら?」
その問いに与五郎は目を伏せた。自分は流れ者で、まだ見習い大工。
そして、目の前の女性、お稲は、この町の名士。庄屋、植木藤右衛門の一人娘である。
立場があまりにも違い過ぎるのだ。
せめて与五郎が一人前となり、大工の棟梁にでもなっていれば、胸を張って、「娘さんを下さい」と申し込めるのだが、それは現状、無理な話。
与五郎が一人前になる頃には、親の勧めで縁談話の一つや二つ、持ちあがり、お稲が望まぬ相手とやむなく結婚ということもあり得なくはない。
それを避け、どうしても添い遂げたい二人が出した結論は、駆け落ちしかなかった。
しかし、残念ながら、先立つものがこの二人にはない。
中々、決行を渋る理由がそこにあった。
そこで、何とか円満解決する方法はないかと、お稲は与五郎に聞いたのである。
この町でとなると、打開策が見つからない与五郎だったが、資金を得る方法に関してなら、光明が差す話が転がり込んでいた。
それは、徳川家の大々的な法要に関係する。
今年、家康の七回忌が日光東照宮で執り行われるのだが、将軍家が参拝したおりには、日帰りということはせず、宇都宮城に一泊するというのが常だった。
しかも、今回の年忌法要では、将軍の秀忠ではなく、お世継ぎの家光が参拝することが決まる。
これは、翌年の西暦1623年に秀忠が将軍職を退き、代わって家光が征夷大将軍に任じられることが内々で決まっていることから、その報告を兼ねてということだった。
この件で気合を入れたのは、藩主・本多正純
家光の参拝が決まると、彼のために寝所を含めた宇都宮城の普請申請を幕府に申し出る。
この改修工事のために宇都宮藩では、腕のいい大工を募集することになったのだ。
与五郎は、それに応募すると言うのである。
これはまさに藩を上げての大仕事で、報酬が普段の仕事とは比べ物にならないくらいによかった。
また、ここでの仕事ぶりが評価された場合、お稲の父、藤右衛門に認められる可能性だってあるかもしれない。
まぁ、多くは望まなくても、完成報酬の小判二十両だけでも手に入れることができれば、与五郎としては十分なのだ。
それだけはあれば、お稲との駆け落ち資金としては十分にお釣りも来る。
「お稲さん。俺は宇都宮城の仕事に参加しようと思っている」
与五郎の言葉を聞いたお稲は複雑な表情を示す。その仕事の話は、父からも聞かされていたのだが、その条件の一つが気にかかったのだ。
それは、着工から落成まで、城から出ることも城外の者と連絡を取ることさえも許さないというもの。
将軍が休む寝所だけに、安全のため秘密を保持しようということだろうが、お稲からすると少々、やり過ぎなような気がしてならない。
お稲にはこの報酬の良さが、かえって不気味に感じるのだ。
しかし、二人の将来のために頑張ろうとしている与五郎に、正面切って、応募するのを思い留まるようには言えない。
「しばらく会えなくなるのは、淋しいわ」と、暗にほのめかすのがやっとだった。
ところが、与五郎は、そんなお稲の心情を察することができず、仕事が完了した後の明るい未来の事しか頭になかった。
「それは、俺も同じさ。だけど、この仕事が終わったら、ずっと一緒にいられる。それまで、我慢してくれよ」
「分かったわ。体にだけは、気をつけてね」
ここは、折れるしかないと思ったお稲は、与五郎の体の心配と無事に戻って来ることだけを願うことにする。
普通に考えれば、藩の公式な仕事で、滅多なことが起きるものではない。
「それじゃ、明日も早いから」
「ええ、おやすみなさい」
お稲の家の近くまで、他愛のない会話をしながら歩き、角を曲がれば、お屋敷というところで、二人は別れる。
植木家の家人に見られるのを避けるための措置だ。
これは、二人が逢引きした後、定番の別れ方である。
与五郎がいなくなると、お稲は大きくため息をついた。
本当は、もっと大切な話をしようと、今日、与五郎と会ったのだ。
でも、仕方がない。与五郎は、精一杯、自分のために頑張ってくれている。
そう言い聞かせると、お稲は、そっと自分のお腹に手を当てて慈しむように撫でた。
臨月には、まだ、程遠いが、この中に二人の大切な赤ちゃんがいたのである。
もし、この話をすれば与五郎は宇都宮城の仕事に集中することができなくなるだろう。
大工仕事は危険も伴う。それで、与五郎が怪我をするようなことがあれば、お稲はきっと後悔するはずだ。
幸い、工事は一月ほどで終わるらしい。
その程度であれば・・・
再会する時には、お腹もやや膨れかけ、与五郎にも話しやすくなるのではないかとも考える。
その時の、満面の笑顔となる与五郎の姿を思い浮かべた。
お稲は、家に着くまでの僅かの帰路で、暗いことを考えるは止めようと思い直す。
待つのも女の仕事と腹を据えるのだった。
情熱的に抱き合った後、お互い深刻な顔をする。
「与五郎さん。私たちは、この町で一緒になることは、どうしても難しいのかしら?」
その問いに与五郎は目を伏せた。自分は流れ者で、まだ見習い大工。
そして、目の前の女性、お稲は、この町の名士。庄屋、植木藤右衛門の一人娘である。
立場があまりにも違い過ぎるのだ。
せめて与五郎が一人前となり、大工の棟梁にでもなっていれば、胸を張って、「娘さんを下さい」と申し込めるのだが、それは現状、無理な話。
与五郎が一人前になる頃には、親の勧めで縁談話の一つや二つ、持ちあがり、お稲が望まぬ相手とやむなく結婚ということもあり得なくはない。
それを避け、どうしても添い遂げたい二人が出した結論は、駆け落ちしかなかった。
しかし、残念ながら、先立つものがこの二人にはない。
中々、決行を渋る理由がそこにあった。
そこで、何とか円満解決する方法はないかと、お稲は与五郎に聞いたのである。
この町でとなると、打開策が見つからない与五郎だったが、資金を得る方法に関してなら、光明が差す話が転がり込んでいた。
それは、徳川家の大々的な法要に関係する。
今年、家康の七回忌が日光東照宮で執り行われるのだが、将軍家が参拝したおりには、日帰りということはせず、宇都宮城に一泊するというのが常だった。
しかも、今回の年忌法要では、将軍の秀忠ではなく、お世継ぎの家光が参拝することが決まる。
これは、翌年の西暦1623年に秀忠が将軍職を退き、代わって家光が征夷大将軍に任じられることが内々で決まっていることから、その報告を兼ねてということだった。
この件で気合を入れたのは、藩主・本多正純
家光の参拝が決まると、彼のために寝所を含めた宇都宮城の普請申請を幕府に申し出る。
この改修工事のために宇都宮藩では、腕のいい大工を募集することになったのだ。
与五郎は、それに応募すると言うのである。
これはまさに藩を上げての大仕事で、報酬が普段の仕事とは比べ物にならないくらいによかった。
また、ここでの仕事ぶりが評価された場合、お稲の父、藤右衛門に認められる可能性だってあるかもしれない。
まぁ、多くは望まなくても、完成報酬の小判二十両だけでも手に入れることができれば、与五郎としては十分なのだ。
それだけはあれば、お稲との駆け落ち資金としては十分にお釣りも来る。
「お稲さん。俺は宇都宮城の仕事に参加しようと思っている」
与五郎の言葉を聞いたお稲は複雑な表情を示す。その仕事の話は、父からも聞かされていたのだが、その条件の一つが気にかかったのだ。
それは、着工から落成まで、城から出ることも城外の者と連絡を取ることさえも許さないというもの。
将軍が休む寝所だけに、安全のため秘密を保持しようということだろうが、お稲からすると少々、やり過ぎなような気がしてならない。
お稲にはこの報酬の良さが、かえって不気味に感じるのだ。
しかし、二人の将来のために頑張ろうとしている与五郎に、正面切って、応募するのを思い留まるようには言えない。
「しばらく会えなくなるのは、淋しいわ」と、暗にほのめかすのがやっとだった。
ところが、与五郎は、そんなお稲の心情を察することができず、仕事が完了した後の明るい未来の事しか頭になかった。
「それは、俺も同じさ。だけど、この仕事が終わったら、ずっと一緒にいられる。それまで、我慢してくれよ」
「分かったわ。体にだけは、気をつけてね」
ここは、折れるしかないと思ったお稲は、与五郎の体の心配と無事に戻って来ることだけを願うことにする。
普通に考えれば、藩の公式な仕事で、滅多なことが起きるものではない。
「それじゃ、明日も早いから」
「ええ、おやすみなさい」
お稲の家の近くまで、他愛のない会話をしながら歩き、角を曲がれば、お屋敷というところで、二人は別れる。
植木家の家人に見られるのを避けるための措置だ。
これは、二人が逢引きした後、定番の別れ方である。
与五郎がいなくなると、お稲は大きくため息をついた。
本当は、もっと大切な話をしようと、今日、与五郎と会ったのだ。
でも、仕方がない。与五郎は、精一杯、自分のために頑張ってくれている。
そう言い聞かせると、お稲は、そっと自分のお腹に手を当てて慈しむように撫でた。
臨月には、まだ、程遠いが、この中に二人の大切な赤ちゃんがいたのである。
もし、この話をすれば与五郎は宇都宮城の仕事に集中することができなくなるだろう。
大工仕事は危険も伴う。それで、与五郎が怪我をするようなことがあれば、お稲はきっと後悔するはずだ。
幸い、工事は一月ほどで終わるらしい。
その程度であれば・・・
再会する時には、お腹もやや膨れかけ、与五郎にも話しやすくなるのではないかとも考える。
その時の、満面の笑顔となる与五郎の姿を思い浮かべた。
お稲は、家に着くまでの僅かの帰路で、暗いことを考えるは止めようと思い直す。
待つのも女の仕事と腹を据えるのだった。
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