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第4章 茶器と美しい姉妹 編

第42話 目利きの代償

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『風』から策を授かった翌日、早速、権兵衛は柏屋へと向かった。
その朝、紫乃にも喜びの声を伝えたが、激しく罵られて終わる。
それも権兵衛にとっては、痛快なことだった。

柏屋に着くと、すでに紫乃、いや卯花が座って待っている。
見て驚いたのは、台の上に白い木箱が置いてあったことだ。

あの木箱の中身こそ、権兵衛が求めてやまない茶器の一つなのである。

「お待たせしましたかな?」

視線をその木箱に釘付けにしながら、権兵衛は挨拶を済ませた。
卯花の横にはお多江が座っており、関係者が揃ったことで、早速、話合いを始める。

話合いと言っても、卯花が求めているのは権兵衛からの離縁状とその言質。
権兵衛からの返答を待つだけの状態なのである。

暫く、沈黙が続いた後、「もし、離縁に応じて下さるなら、この木箱を差し上げます」
中々返事を渋る権兵衛に業を煮やしたのか、卯花がそんな提案をしてきた。

それはつまり、暗に姉を開放してくれるのならば、茶器を渡すという意味だろうか?
権兵衛は、言葉の意味を深く検証した。

いずれにせよ、くれるというのであれば、断る道理がない。それで目的は達成されるのだ。

『これは、変に騒ぎ立てることなく簡単に済んだな』
苦労したかいもあり、最後は割とあっけく終わったと権兵衛は、ほくそ笑む。

「分かりました。離縁に応じましょう」

権兵衛がそう答えると、お多江は書面を渡した。
離縁状をこの場で書いてほしいとお願いされる。
そんなこと、お安い御用とばかりに権兵衛は、三下り半を書き連ねた。

「これで、離縁成立。二人はこれより、赤の他人となりました」

お多江が宣言すると、約束通り権兵衛は木箱に手をかける。
すると、権兵衛の顔が醜くゆがむのだ。
それは、木箱が軽すぎたことによる。案の定、明けてみると、それは空の箱だった。

「お約束の木箱ですが、何か?」

勝ち誇ったように卯花が笑顔を向けるが、こんな子供だましが通用すると思われては、権兵衛も男が廃る。
何もかもぶちまけてやると息巻いた。

「調子に乗るなよ。お前は紫乃じゃない、卯花だろ。だから、そもそもこの駆け込み自体、不成立だ」

権兵衛が、そう言い放った直後、柏屋の中に変な空気が流れる。
卯花が長い嘆息をした後、権兵衛を睨み返した。

「あなた、三年も連れ添った女房のことを本当にわからないのですね」
「えっ・・・何言ってやがる。お前は妹の卯花だろ?」

ここに来る前、軟禁している紫乃にも会ってきている。
目の前にいる女は卯花以外、あり得ないのだ。

しかし、「私なら、ここにおりますよ」と、物陰から本物の卯花が現れたのである。
それじゃあ、目の前にいるのは・・・

「お前、紫乃か?」
「初めから、そう申しております」

権兵衛は腰から砕け堕ちた。何が起きているのか、さっぱり分からない。

「今朝、お前が会ったのは、俺だぜ」

そこにもう一人の女性が現れた。見た目から声まで、紫乃そのものでありながら、男言葉を使っているため、違和感だらけである。

「だ、誰だ、お前は?」
すると、このニセ紫乃はニヤリと笑って、男の声色に戻す。

「俺だよ、『風』だ」
一瞬間を置いた後、理解が追い付いた権兵衛は、大きな声で激高した。

「お、お前、裏切ったのか」
「まぁ、裏切ったのは俺だけじゃないけどな」

瓢太の話では、女中から丁稚まで、山村屋の家人は全て紫乃の味方で、事情を話すと皆、喜んで協力してくれたという。
直ぐに紫乃の元へ案内をしてくれたらしい。

「あんたバレてないと思ったのかもしれないけど、軟禁されている間、誰が紫乃さんの食事を用意していたと思うんだ?」
「あっ」

言われてみれば、権兵衛は一度も紫乃に食事を与えていなかった。それでいて、日に日にやつれた様子は、確かにない・・・

「くそ。この野郎」
権兵衛が飛びかかろうとするが、寸前で避けると、瓢太は柏屋から姿を消した。

「奥座敷にもらった金だけは返しておいた。それで、勘弁してくれ」と、最後に声だけを残して去って行く。
瓢太を捕まえようとして空振りした権兵衛は、再び、その場に座り込んでしまった。

そこに本物の紫乃が近づいて行く。
「あなたに取られた茶器も返していただきましたから」

その宣告に権兵衛は、泣きそうな顔で紫乃にすがりついた。
「紫乃、助けてくれよ」
「私とあなたは、赤の他人です。なぜ、助ける義理があるのでしょうか?」

紫乃は冷たく袖にすると、妹卯花の横に立った。
権兵衛は、情けない顔で姉妹を見つめるが、二人には同情する気はないようだ。

「権兵衛さん。奥さんの目利きもできないあなたに商人は無理だと思いますよ」

最後に天秀のきつい一言でとどめを刺される。
権兵衛は、うなだれて立つことが出来なくなった。

「もし、監禁されたことを訴えるおつもりがあるなら、承りますよ」

そこに事前に打ち合わせをしていた寺役人の右衛門が、丁度よく、やって来た。
部下の者たちに、権兵衛を連れ出すよう指示すると紫乃に話しかけたのである。

「いえ、私もそこまでは鬼ではありません。その件につきましては、結構です」

最後に温情をかけられるものの、それで権兵衛の元気が戻るわけがなかった。
重たい足取りで、柏屋を出て行く。

これで、一見落着となったが、今回の件で、目利き、特に人を見る目がいかに大切かを天秀は知った。
「思えば、瓢太と権兵衛。同じく悪じゃったが、よく本質を見極めて味方に引き入れた」

最後、瓢太の協力がなければ、この件は権兵衛の思惑通り進んだことだろう。
瓢太を味方につけた天秀の手柄とも言えた。

「そうそう、天秀さまも男を見る目を上げたんじゃないですか?」
「一体、何を言っているの?」

佐与が悪戯っぽく笑っている。こんな表情をしている時は、考えていることは一つだ。

「瓢太さんのことですよ」
「もう、馬鹿なことは言わないでよ」

佐与が言わんとしていることは、何となく分かるが、それを認める天秀ではない。
柏屋の中は、天秀をからかう和やかな雰囲気となるのだが、実は、その時、瓢太が戻って外にいたのだ。
一言、伝え忘れたことがあったのである。

「これじゃあ、入りづらいよ。失業したから、東慶寺で雇ってもらおうと思っていたのに・・・」

今、柏屋に入れば間違いなく女性陣の格好の的だ。
それだけは、何としても避けたい。

「はぁ」

瓢太は長い溜息をつきながら、柏屋の入り口の壁に背中を預けて腰を下ろした。
ただ、そこには溜息とは裏腹に、新しい生き方をみつけた晴れやかな顔をした少年がいる。

『今日のお天道さまは、一段と眩しいな』

瓢太は、空を見上げて、そんな感想を漏らすのだった。
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