上 下
23 / 134
第3章 家光の元服 編

第22話 竹千代の迷い

しおりを挟む
天秀が柏屋に間もなく到着するという手前で、三人の侍に道を塞がれた。
怪訝に思うが、悪意のようなものは、一切、感じられない。
一体、何事だろうかと、戸惑っているところ、若い侍が声をかけてきた。

「驚かせて、済まない。そなたが天秀であろうか?」
「はい。そうですけど・・・どちらさまでしょうか?」
「うむ。一言で申せば、・・・そなたの叔父じゃ」

自分とさして年齢が変わらない、この侍に突然、『叔父』と言われても、腹落ちする訳がない。
天秀は、ますます、理解に苦しむのだった。
首を傾げる天秀に、もう一人の侍が助け舟を出す。

「若さま、一言過ぎて、わかりづらいですよ」と、軽く窘めた後、天秀に向き直った。
「この方は、千姫さまの弟君で、竹千代さまです」
「えーっ」

柏屋の前の往来に天秀の声が響く。
本日、二度目の柏屋からの叫び声に、付近の者は何事かと思ったことだろう。

しかし、天秀が驚くのも無理もなかった。
竹千代といえば、征夷大将軍・秀忠の息子にして、次の世継ぎと家康から指名された人物である。

そんな人物が、目の前にいることを簡単に受け入れろという方が、無茶なのだ。
また、自分に会いに来たという理由も、さっぱり、見当がつかない。

「おい、こんなところで若さまと、立ち話をするつもりか?」
三人の内、今まで黙っていた侍が、天秀を咎めた。

確かに、白昼、次代の征夷大将軍と道端で話を続けるというわけにはいかない。
状況の整理は、まだ追いつかないが、とりあえず天秀は柏屋へと、案内するのだった。

柏屋の暖簾をくぐる前、他の二人の紹介も簡単に受ける。
最初に竹千代を紹介してくれた侍が松平信綱。多少、言い方がきつい方が稲葉正勝だった。

天秀が、頭の中で名前を反芻はんすうしながら、柏屋の中に入ると、お多江の姿に唖然とする。
何といつもの着物ではなく、白装束を身に纏っているのだ。その横で、甲斐姫がゲラゲラと笑っている。

「ど、どうしたんですか、その格好?」
お多江には天秀の姿は目に入らず、竹千代を見つけると、即座に土間に降りて、その場で土下座をした。

「先ほどのご無礼、申し訳ございません。どうか、私の命一つで、東慶寺には、責が及ばぬようお願いいたします」
この盛大な謝罪に、お多江は、何をしたのだろうと天秀は、却って興味が湧く。

竹千代の方は、狼狽して対処に困惑しているようだ。
すると、信綱がお多江に声をかける。

「女将、竹千代さまは、本日、お忍びで参っております。多少のことは、無礼講。お気に召さるな」
その言葉を聞いて、安心したのかへなへなと力が抜けた様子。
天秀は、佐与にお多江のために、お水を用意するよう指示した。

そして、奥の座敷に三人を案内する。
「妾もついて行くぞえ」
こうして、甲斐姫を入れて、五人で面談することになった。

当然、上座に竹千代を座らせると、天秀は用意したお茶を台の上に置く。
こういった場合、毒見が必要なのかと、一瞬、天秀は躊躇った。ところが、よほど喉が渇いていたのか、竹千代は気にせず、すぐに手をつける。
正勝も信綱も、思わず苦笑いを浮かべた。

「お代わりをお持ちしましょうか?」
「いや、構わぬ。不調法を許せ」

竹千代が、そう言うので、天秀は対面の畳の上に正座し、指をつく。

「本日、どのような事で、私をお訪ねでしょうか?」
「うむ。実は、この度、私は元服することになった」

天秀と何の関係があるのか分からないが、竹千代は、そう切り出した。
竹千代は、今年で十七歳となる。本来は、もっと前に元服すべきだったのだが、家康が亡くなったことにより、元服の儀式が延期されていたのだった。

「それは、おめでとうございます」

天秀としては、それ以外に言いようがない。竹千代も天秀の当惑は、理解できるが、なかなか言い出せないのだ。
本音や相談、自分の心に近い部分を話す時、内向的な性格が邪魔をして、上手く切り出せないのである。

そこで、代わって、信綱が来訪目的を告げた。
「天秀殿は、あの大権現さまに対して、堂々と自分の意見を申されたと聞いております。若いながら、どのようにすれば、そのような立派な態度を取れるのか、竹千代さまはお知りになりたいのです」

どうやら、信綱は、天秀が以前、東慶寺の寺法を断絶せぬよう家康にお願いした時のことを言っているようである。
随分と大昔の話だが、何故、そのような事を竹千代が知りたがるのか、不思議でならなかった。

その時、天秀は千姫から、彼女の家族の話を聞いたことがあることを思い出す。
確か、血を分けた弟が二人。どちらも可愛いのだが、一人は内気でやや病弱。もう一人は活発な子だと聞いていた。

もしや、その内気な弟というのが、竹千代のことではあるまいか。
目の前の若き徳川の正嫡を見て、そう感じた。

「あの時は私が幼く無知だったこともありますが、東慶寺の寺法がなくなると困る人が大勢いるのではないか。その想い一つで、お話させていただいたと記憶しております」
「では、天秀の原動力は、自分のためではなく、人のためだと申すのか?」

竹千代が天秀の話に食いつく。これから、元服に当たり、彼の中で何か迷いのようなものがあるようだ。
天下を握る人間によって、世の中の人々の生活は左右される。
天秀は、父秀頼から教わった言葉を竹千代に伝えることにした。

「天下人とは、万民の上に立つだけではございません。万民を慈しまねばならぬと亡き父から教わりました」
「僭越であるぞ。お前も秀頼も天下人ではない」

黙って聞いていた正勝が怒鳴り声を上げる。立ち上がろうとしたのを寸前で、信綱が止めた。竹千代も、「落ち着け」と、乳兄弟をなだめる。

「太閤秀吉公は、間違いなく天下人であった。その血が言わせるのであれば、金言である」
竹千代の中に、『万民のため』という言葉が、入り込んだ。

幼い頃より、何かと弟の国千代くにちよと比較され続けてきたため、自然と竹千代の視線は弟に向けられてきたのである。
だが、自分が向くべき相手は違うのではないか。

天秀の言葉に、そう気づかされたのである。
竹千代の中で、何かが変わろうとしているのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

東洲斎写楽の懊悩

橋本洋一
歴史・時代
時は寛政五年。長崎奉行に呼ばれ出島までやってきた江戸の版元、蔦屋重三郎は囚われの身の異国人、シャーロック・カーライルと出会う。奉行からシャーロックを江戸で世話をするように脅されて、渋々従う重三郎。その道中、シャーロックは非凡な絵の才能を明らかにしていく。そして江戸の手前、箱根の関所で詮議を受けることになった彼ら。シャーロックの名を訊ねられ、咄嗟に出たのは『写楽』という名だった――江戸を熱狂した写楽の絵。描かれた理由とは? そして金髪碧眼の写楽が江戸にやってきた目的とは?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...