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第2章 東慶寺入山 御用宿 編

第14話 千姫事件

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千姫と本多忠刻の婚約で、駿府の家康の元へ、言祝ことほぎを述べに参上する大名の列が延々と続いた。

この話題は、江戸の庶民の間でもにぎやかし、世の中には二人への祝賀の空気が流れる。
しかし、そんな幸せな雰囲気をぶち壊すような、ある事件が起きるのだった。

その中心にいたのが、大阪夏の陣で千姫を家康の元へ届けた、石見国津和野藩いわみこくつわのはん藩主・坂崎直盛さかざきなおもりである。

直盛は、千姫を届けた功で、一万石を加増されて四万石の大名となっていたが、それだけでは不服と考えていた。
戦前、家康・秀忠の連名で、千姫を救出した者には、特別に褒美を与えると知らされている。

その報奨とは、すなわち千姫を家門に迎え入れることだと、勝手に勘違いしていたことが、そもそもの発端だった。

一万石の加増は、いわゆる手付け。時期をみて、千姫が坂崎家にやって来るのだとばかり思っていたのだが、いつの間にか本多忠刻との婚約の運びとなり、そこで不満をあらわにしたのである。

徳川は、めでたい祝い事の前に、事を大きくするのを嫌った。一人、津和野で騒いでいるだけならば、勝手にしろと放置する。

そもそも徳川としては、直盛が千姫を救出したとは思っていなかったのだ。
千姫、自ら大阪城から脱し、たまたま近くにいた直盛に庇護を求めただけという認識である。

ところが、直盛が千姫の拉致強奪まで計画しているという密告があると、さすがに看過できなくなった。
ただ、昨年、大阪の陣という大きな戦をしたばかり。
兵の派遣は、最小限に留めたいというのが、徳川の本音だった。

そこで、一計を案じたのは、関ヶ原の戦いで敗れて、浪人となっていたところ、本多忠勝の推挙で、徳川に仕官することができた『西の天下無双』立花宗茂たちばなむねしげである。

宗茂は、秀忠の御伽衆おとぎしゅうを経て、陸奥国棚倉藩むつこくたなくらはん、三万石の大名に戻れたのは、本多家のおかげと恩義を感じていた。

その恩に報いるため、自身の人脈を使って、何とか直盛の考えを糾そうとする。

方々手を尽くし、関ヶ原の後、一時、放浪していた際に懇意となった柳生宗矩やぎゅうむねのりと会うことにした。
彼が直盛と剣の道を切磋琢磨しあった仲だと知り、剣術家に相応しい説得の仕方を頼むのである。

「おそらく直盛殿は、振り上げた刀の下ろし場所がなく、後に引けなくなっている。ここは一介の剣士として、幕を下ろさせてやるのが情けだと思う」
「私に直盛と立ち合えというのですか?」

宗矩の問いに宗茂は頷いた。どのみち、坂崎家の末期は避けられない。
あの豊臣家ですら、徳川の前に敗れ去ったのだ。

僅か四万石の大名が、逆らって勝てる道理がない。
直盛の最後を看取ることが出来るのは、剣聖・上泉伊勢守かみいずみいせのかみより新陰流の印可状を受けた柳生家しかいないと、宗茂は説いた。

それに剣士として、直盛の強さを知る宗矩も覚悟を決める。
難敵であることは間違いないが、これも剣をともに磨きあった仲。引導を渡すのは自分しかいないと腹をくくったのだ。

最後、惨めな罪人として打首になる前に、剣士として死なせてやろうと心に誓う。

宗矩が津和野城を単身、訪れた時、直盛はその来訪の目的を悟った。
二人は、城主の間で対面する。

「そこまで、千姫さまに惚れたのか?」
「ふっ。そのようなこと、もう忘れたわ」

それ以上の会話はなく、すぐに城の裏庭へと場所を移した。
お互い、真剣を抜き合い対峙する。

「こうして、お主とやり合うのは久しぶりだな」
「ああ。ついに決着をつけようぞ」

剣の達人同士の闘いは、紙一重の差で宗矩に軍配が上がる。
但し、それは直盛自身が望んでいた結果だった。

「情けない友のために、世話をかけたな」
「いや、剣の道を語り合う仲間が一人、いなくなった。そのことが悲しい」
「・・すまぬ」

直盛が亡くなった後、坂崎家はお取り潰しとなる。亡き友の魂とともに生きると誓った宗矩は、以降、自分の家紋を坂崎家と同じ二蓋笠にかいがさへと変えた。


雨降って地固まる。
今回の騒動で、千姫と忠刻の絆は、より強固なものとなった。

直盛の最後を伝え聞いたとき、二人は、死者の霊に手を合わせるものの、自分たちの幸せに向かっては、止まることなく突き進む。

晴れて婚姻を結び、千姫は桑名城へと移るのだった。
この時、徳川は太っ腹で、化粧料として十万石を本多家に与えるのである。

東慶寺にいた天秀は、義母の慶事を本人からの手紙で知った。
はじめ、秀頼と縁を切ったことを知ると、心の中は切ない気持ちで、いっぱいとなるが、これも千姫が前に進むためだと、割り切ることにする。

ただ、漠然とした不安感だけは、どうしても拭えなかった。
しかし、手紙を読んでいくうちに、そのような気持ちは吹き飛んでいく。
手紙の結びの方には、こう書かれていたのだ。

『私は忠刻さまの妻となりますが、貴方との関係は、これからも一生、変わることはありません。親子の縁は、縁切り寺法でも分かつことができないのは、ご承知でしょう。ですから、私に何か遠慮するようなことがあれば、承知いたしませんよ』

如何にも千姫らしい文章に、手紙を読み終えた天秀の胸は熱くなる。
天秀は伊勢国の方の空を見上げて、千姫の幸せを祈るのだった。
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