【完結】二つに一つ。 ~豊臣家最後の姫君

おーぷにんぐ☆あうと

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第2章 東慶寺入山 御用宿 編

第11話 お菊の駆け込み

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東慶寺の敷地前を女性が一生懸命に走る姿に、天秀は目を奪われた。

ただ必死に走る。その表情には鬼気迫るものがあった。
天秀は縁切りとは、そこまで人の心を追い込むものだと、初めて知ったのである。

「追手がいるぞ」

誰かが叫んだのを耳にし、後方を確認すると、確かに男の人が追いかけて来ているのが見て取れた。

体力が足りないのか、男の方は息も絶え絶えといった感じだが、それより気になるのが、手を引いている子供の方である。
天秀より、一、二歳小さな女の子も涙ながら、母親を追いかけているのだ。

「おっ母。私を捨てないで」
母親は、その言葉を聞いて足を緩めてしまう。明らかに決意が鈍ったようだった。

「お菊、待ってくれ。酒も博打も、金輪際、手を退く。後生だ」
夫の言葉には表情を変えなかったが、やはり娘の存在は大きいのだろう。
お菊と呼ばれた女性の足は、完全に止まってしまった。

そこで、追ってきた夫に捕まる。
「捕まえたぜ。家に帰るぞ」

もう逃げるのを観念したのかお菊は、娘を抱きしめた。
母子、泣き合っているところ、夫が乱暴にお菊を引っ張って行く。
まさしく引きずられながら、東慶寺から離れて行くのだった。

「あの旦那、太吉っていう職人さんだねぇ」
親子の姿が見えなくなると、柏屋の番頭、利平りへいが天秀に追いかけて来た男の身元を説明してくれる。
どうやら、顔見知りのようだ。

「何の職人さんですか?」
「鳶をやっていたのさ。だけどねぇ・・・」
「やっていた?」

利平の含みある言い方に、問いを重ねる。
他人の不幸に関わる事、利平は口を重たくするが天秀の質問には、答えてくれた。

「天候の悪い日に風に煽られちまって、足場から落ちちまったのさ」
「それで、怪我をされたのですか?」
「まぁ、怪我の方は大したことなかったんだが、こっちがね」

利平は胸を掌で叩く。どうやら、太吉は転落事故をきっかけに高いところが苦手となってしまったようだ。
それは、鳶としては致命的である。

「それからが、まさしく太吉の転落人生さ。仕事はせずに酒、博打の毎日って噂を聞くね」
その話が本当であれば、お菊さんが離縁したがるのも、無理はないと天秀は思った。

だが・・・
一部始終、目撃していた情景と利平の話。
結局、お菊は太吉に捕まって家に戻ることになってしまった。

天秀は、これで良かったのか、自問する。
すると、考え込んでいるところ、甲斐姫に頭を叩かれた。

「駆け込みが成立していなければ、寺は手を出せぬ決まりじゃ。他所の家のことに、口出すわけにもいかぬぞ」
甲斐姫が言うことは、もっともである。

ただ、初めて見た駆け込みがあまりにも生々しかったのと、色んなことを考えさせられる状況だったため、どうしても頭から離れなかったのだ。

お菊は太吉と離縁したがっていた。しかし、それでは、残された子供はどうなるのだろうか?
何が正しいのか、いくら考えても答えは出ない。

「ほら、呆けていると瓊山尼けいざんにが怒って、お山から下りて来るぞえ」
甲斐姫の言葉で、天秀は慌てて現実の世界に戻った。

仏門に帰依し、修行を始めたばかりの自分が、いくら考えても答えなど出る訳がない。
今は人のことよりも、まず自分のことに集中しなければならない身なのだ。

朝から、天秀の長い一日が始まるのである。
在家であるため、本来すべき修行はまだ先で、基本的には五戒を守っていればよい。

・殺さない
・盗みをしない
・性交を行わない
・嘘をつかない
・酒を飲まない

以上が五戒にあたるのだが、天秀にとって苦になることは一つもなかった。聞いた当初は、これだけを守ればいいのかと肩透かしを食らった気分になる。

ところが、実際は午前中、瓊山尼の元で、写経や説法を聞くこと、午後からは甲斐姫の元で武芸の修行と休む間が、まったくないのだった。
これで、本当に本格的な修行ではないのかと、驚くほどである。

へとへとになって御用宿に戻ると、今度は宿の手伝いが待っていた。
疲労困憊となった天秀は、もう、朝起きた駆け込みのことなど、すっかり忘れてしまう。
自分の部屋に戻ると、睡魔に襲われて布団の中に溶け込むのだった。

そして、翌朝、目覚めて、お多江に挨拶を済ませようとすると、一人の女性が半分、呆けながら座っているのに驚く。
しかも、その女性、よく見るとあのお菊だった。

「今朝、門を開けると柱にもたれかかる人影があって、驚いて見てみたら、駆け込みしていたのさ」
利平が天秀に耳打ちする。

駆け込みは、本人の体が東慶寺の門をくぐるだけではなく、履いていた草履を投げて敷地内に飛び込むか、夜など、門が閉まっているときは、かんざしが門に刺さった場合も成立とみなされる。
どうやら、お菊は昨晩、簪を門に刺して、東慶寺の庇護を受けられるようになったようだ。

駆け込み成立にホッとしたせいか、自分の行動を振り返っているのか、お菊は一点を見つめたまま、動かない。
駆け込み成立した時点で、お菊は守るべき対象となった。それは別にいいとして、天秀はどうしても気になることが、一つあった。

昨日、見かけたあの小さい女の子。
あの子は、今後、どうなってしまうのだろうか?
そのことを考えると、胸が痛くなってしまうのだった。
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