世界の終わりに祝杯を

凪司工房

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「どうでしょう? こういうの、似合いませんか?」
「もう少し肉付きが良い方が似合うでしょうが、素敵だと思いますよ」
「園崎さんは、その、こういうの、お嫌いですか?」
「好きか嫌いかでいえば好きです。だから良いと思いますよ」

 その返答で良かったのかどうかは分からない。大垣さんは部屋の明かりを小さくすると、何も言わずに布団に入ってきた。真新しい絹の香りが、私の体にまとわり付く。その彼女の手が、すっと下半身の方をまさぐった。私は小さな声を上げたが彼女は構わずに続ける。

「分からないんで、その、こういうの」
「別に無理にしなくてもいいですよ」
「でもしないと、男の人には必要なんでしょう?」
「いえ。だから、しなくてもいいですよ。大垣さんはしたいですか?」
「最初は、そんなこと考えもしませんでした。でも園崎さんと一緒に暮らすようになって、少しずつわたしの中身が変わっていくのが分かりました。それに伴い、恐いけど触れたい、と思うようになりました。触れたら今度はもっと先を見てみたくなりました。そうやって少しずつを重ねて、わたしの気持ちは園崎さんの心の中を覗きたいと、思うようになりました。いけませんか?」

 おそらく彼女は私に恋愛感情を抱いているのだろう。でもそれはただの安心感で、たぶん彼女の人生に欠落していたものだ。

「私が大垣さんに必要だということは分かりました。基本的に訊かれれば何でも答えているし、心を閉ざしているということもありません」
「それならもっと、その、距離感の近いお喋りには、なりませんか?」
「ああ、そうか。そうですね。いつまでも他人行儀みたいですね。ただ急に言われても、うまく対応できるかどうか」

 ずっと気になっていたのだろう。彼女はくすくすと笑うと、私の左の頬にキスをした。

「構いません。たぶん、あまり急に砕けられるとわたしも付いていけませんから。あ、あと、キスにはキスを返して下さい。何だか一方的なんだと思えてしまいます」

 彼女は私をじっと見て、再びキスをした。今度は唇に。

 ――したかったのだろうか。

 よく分からない。
 死に向けて整理をするはずなのに、頭は考えをまとめられず、彼女の差し込んでくる舌に応えてこちらも舌を絡めた。彼女の息が激しくなり、私の上に乗る。新しいネグリジェが汚れてしまわないか心配になったが、彼女は「構いません。寧ろ、汚して下さい」と笑い、私の着ているシャツを脱がせた。

 ――これが、欲しかったものなのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、私は彼女との行為に勤しんだ。
 その姿を窓際に立つ酒林がしばらく見ていたが、気づくと彼の姿は消えてしまっていた。

 その夜、私は久々に果てた。彼女の中に何度か熱いものを吐き出し、それでも満足せずに彼女は「まだ」と「もっと」を繰り返した。

 この日を境に、彼女は毎晩、求めてくるようになった。
 けれどそれはひょっとすると、死への恐怖を和らげたかったのかも知れない。
 誰だって死が迫れば平常ではいられないだろう。

 私の上で彼女が動きながら、こんなことを思い出していた。人が長く生きられなかった時代。医療も充分でなく、子どもから大人に成長するまでに死んでしまうことも多かった時代。当然戦争もあれば流行り病や不治の病もあった。そんな時代には沢山生まれて沢山死ぬ、というのが当たり前だった。今は日本でも平均寿命は男女ともに八十歳を超え、かつては不治の病だった癌もその部位や発見時期によっては治療ができるという時代になった。だから無理に子どもを沢山生み、育てる必要がなくなった。子育てをしづらいという社会事情もあるだろうが、多くの先進国では出生率が低くなり、将来に不安を抱いている。安楽死が合法化された国が増えつつあるのもそういった事情が関係しているかも知れない。一九四十年代に既に法整備をしたスイスが安楽死の最先端だろう。わざわざ安楽死できる国に渡り、それを選択するという人もいると聞く。

 考えるのは、何故酒林の死の手段にその安楽死が入っていなかったのだろうか、ということだ。死刑ではない合法的な手段での自死を得る為に彼がすべきことは、寧ろ安楽死を選択することだったのではないだろうかと思うのだ。彼はどこか安楽死を憎んでいたようなきらいがある。自分で死ぬのに楽をして死にたいという願望はなかった、というべきか、そうやって自分の死に対するハードルを下げたくないという思いがあったと見るべきか。ともかく、彼の口から安楽死について出ることはほとんどなく、出たとしても良い話にはならなかった。彼はあくまで“死”の価値を高く置いていたのだ。そこが私とは大きく異なる。

 彼女の声が大きくなる。セックスをするようになって分かったことは、彼女は声を出す、それも周囲の部屋の住人が気にするくらい大きな声を上げるということだった。最後の方は彼女自身の死が迫っているかのように、激しく、苦しげで、それでいて恍惚となり、果てる。セックスのどこかの瞬間は死に近い脳波が計測されると聞く。だとすると彼女にとって毎晩の私とのセックスは、死の予行演習なのかも知れなかった。
 徐々に気温が上がり、互いに汗と愛液が混ざり合い、それでもまだ、と求め合う。そんな日々はすぐに浪費され、七月が訪れた。
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