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「結局いつものあれか? 就職とか将来とか、そういう漠然とした不安を抱えた大学三年の青い時代か?」
「なあ、園崎。何故この国では自ら死を選ぶ制度がないんだ?」
「それは安楽死、ということか? でもああいうのは大抵病気か何かで先がもう長くない、そういった人間に与えられる命の選択権みたいなものだろう?」
「安・楽・死。よくそんな理想郷みたいな名前付けたもんだ。死に幻想を抱かせる言葉を作った奴は反省すればいい。少なくとも、死ぬことはそんなに安っぽくないし、楽ちんでもないよ。実はな、中学の頃に一度だけ、本気で死のうとしたことがある」
へえ、という、どう反応したらよいものか、私の曖昧さがそのまま声になったようなものを返したが、彼は特に思うことはなかったようで、そのまま中学の頃の自殺の告白を続けた。
「死に方はネットでも本でもいっぱい転がってるから、好きな死に方を選べた。けど、どれもが確実性という意味では欠けているんだ。どうせ死ぬなら中途半端に生き残ってしまってその後の人生が地獄になるのは嫌だろう? なら絶対に死ねるという方法がないか模索するじゃないか」
「そんな風に考えるのは酒林だけだよ」
「意外と普通の考え方だと思うがな。まあいい。それで確実そうな、つまり精度の高い自殺方法を色々と調べた結果、確実に死ねる高さから飛び降りるくらいしかなかった。それで家の近くで一番高いビル、五階だったかな、その屋上に上って、落ちようとしたんだよ。けど、足が震えて、おまけにちょうど台風が近づいててすごい雨風で、結局飛べなかった」
「それで良かったよ。じゃなきゃ、今頃こうしていられない」
「確かにな。あのさ、よく追い詰められた犯罪者が留置所なんかで首を括って死ぬだろう? あれはかなりの覚悟が必要だと思うけど、あれだって見つかるのが早ければ助かるし、何なら丈夫なもので縛らないと千切れて失敗に終わる。うまくいけば一瞬で意識こそなくなるが、そこから死に至るまでには相当なタイムラグが発生するんだ。毎日知らないところで誰かが何らかの事情で亡くなっている。けど、それは数字にした途端にそこに至るまでの大変さとか苦労とか精神的身体的な問題とか、そんな余分なストーリーを全部綺麗さっぱり削除してしまっているんだ。個々の死には死ぬ前も死んだ後も、その人物の関係者、あるいは事件や事故の関係者の間で何らかの影響を及ぼし続ける。死というのは単なる点みたいな気がするけれど、それは生という線、あるいは社会という面の中に生まれた広がっていくシミみたいなもんだ。無関係な死はあり得ない」
「そこまで言っておいて、そこまで理解しておいて、なお、死を選択するって言うのか、酒林」
「だからだよ」
酒林は立ち上がると、冷蔵庫からお茶のペットボトルを持ってきて、それをコップに注いだ。もう酒は必要ないらしい。
「生きたい、という意思の根底にあるのは何だと思う?」
「何だろうな。そう問われても難しいが、楽しいことがあるとか、やりたいことがあるとか、そういう将来への期待のようなものを捨て切れないからか」
「生きたいのはな、死にたくないからだよ。防衛本能だ。死は絶対恐怖なんだ。その死を逃れる為、いや、死の恐怖を和らげる為に人類は宗教なんてものを開発した。ただこの日本では多くの人は決まった宗教は持たず、ぼんやりとした宗教観で生きていて、じゃあ奴らはどうやって死への恐怖を克服しているんだい? という海外の友人の問いかけに何て返してやればいいか窮するんだが、少なくとも何かしらのコミュニティに属しているってことが大事なんだと分かった。つまり孤独にならないように生きることが日本人にとっての宗教なんだ」
孤独、という言葉に、私はあまり良い思いがない。誰だってそうだろうけれど、私の場合は特別にその言葉に対して胸の奥がどんよりと重くなる、そういう記憶の欠片を持っている。
「じゃあ孤独に対して特に何も思わない、恐怖しない、もっと云えば死ぬことを恐れていないとしたら、逆説的に生きたいとは思わないということになるだろう?」
「酒林の定義した通りなら、まあそうだな。けど」
「死は全ての終わりか?」
「死んだらどうなるか誰も知らない現状、終わりと言っていいんじゃないか」
「俺はそれが確かめたい」
「それと死にたいというのと、どう差があるのか、私には分からない」
「差は理解されない。そういう意味で、俺は誰から見てもただの死にたがりだ。けど、それでいい。少なくとも動機を理解されたいとは思っていないからな」
死にたい、と思うことは一度くらいあるだろう。私だってぼんやりと死にたいと口にすることもある。けれどその多くは本当に死にたい訳じゃなく、何か別の、現実逃避としての死にたいであったり、心労からの死にたいであったり、経済苦からの死にたいであったりする訳で、死による解決を望んでいる訳じゃない。ただ今ここからどこか遠くへ行きたい、そういう心理でしかない。
「冗談と本気の間の、どの辺りなんだ?」
「冗談であって欲しいんだろうけど、残念ながら本気だ。二十年を越えたら、あとはそう見たい世界もないことが分かった。やっぱりあの十四歳の夏に、飛び降りておくべきだったんだ」
「殴ってもいいか?」
「暴力じゃあ何も解決しない」
「酔ってるんだろう?」
「酒はいくらか残っているだろうけれど、アルコールに頼って告白するような、そんな柔な考えじゃないよ。本当は一人で墓場まで持っていくはずだったんだが、どうにもこう、園崎には話しておきたくなった」
「それはやっぱり止めて欲しいっていう無意識の心理なんじゃないか?」
アルコールの所為だろうか。脈が早い。
「いや、そういうことじゃないんだ。ほら、死ぬ方法を考えたって言っただろ? あれでさ、一つだけ精度が高いけれど確実性には疑問符の付くものがあってさ、でも最近それが一番良い方法なんじゃないかって思えるようになってきたんだ。それと関係がある」
「何だよ」
酒林は笑みと呼ぶほどではない、薄っすらとした柔和な目元で、こう言った。
「だからさ、死刑になる為に人を殺そうと思うんだよ」
「なあ、園崎。何故この国では自ら死を選ぶ制度がないんだ?」
「それは安楽死、ということか? でもああいうのは大抵病気か何かで先がもう長くない、そういった人間に与えられる命の選択権みたいなものだろう?」
「安・楽・死。よくそんな理想郷みたいな名前付けたもんだ。死に幻想を抱かせる言葉を作った奴は反省すればいい。少なくとも、死ぬことはそんなに安っぽくないし、楽ちんでもないよ。実はな、中学の頃に一度だけ、本気で死のうとしたことがある」
へえ、という、どう反応したらよいものか、私の曖昧さがそのまま声になったようなものを返したが、彼は特に思うことはなかったようで、そのまま中学の頃の自殺の告白を続けた。
「死に方はネットでも本でもいっぱい転がってるから、好きな死に方を選べた。けど、どれもが確実性という意味では欠けているんだ。どうせ死ぬなら中途半端に生き残ってしまってその後の人生が地獄になるのは嫌だろう? なら絶対に死ねるという方法がないか模索するじゃないか」
「そんな風に考えるのは酒林だけだよ」
「意外と普通の考え方だと思うがな。まあいい。それで確実そうな、つまり精度の高い自殺方法を色々と調べた結果、確実に死ねる高さから飛び降りるくらいしかなかった。それで家の近くで一番高いビル、五階だったかな、その屋上に上って、落ちようとしたんだよ。けど、足が震えて、おまけにちょうど台風が近づいててすごい雨風で、結局飛べなかった」
「それで良かったよ。じゃなきゃ、今頃こうしていられない」
「確かにな。あのさ、よく追い詰められた犯罪者が留置所なんかで首を括って死ぬだろう? あれはかなりの覚悟が必要だと思うけど、あれだって見つかるのが早ければ助かるし、何なら丈夫なもので縛らないと千切れて失敗に終わる。うまくいけば一瞬で意識こそなくなるが、そこから死に至るまでには相当なタイムラグが発生するんだ。毎日知らないところで誰かが何らかの事情で亡くなっている。けど、それは数字にした途端にそこに至るまでの大変さとか苦労とか精神的身体的な問題とか、そんな余分なストーリーを全部綺麗さっぱり削除してしまっているんだ。個々の死には死ぬ前も死んだ後も、その人物の関係者、あるいは事件や事故の関係者の間で何らかの影響を及ぼし続ける。死というのは単なる点みたいな気がするけれど、それは生という線、あるいは社会という面の中に生まれた広がっていくシミみたいなもんだ。無関係な死はあり得ない」
「そこまで言っておいて、そこまで理解しておいて、なお、死を選択するって言うのか、酒林」
「だからだよ」
酒林は立ち上がると、冷蔵庫からお茶のペットボトルを持ってきて、それをコップに注いだ。もう酒は必要ないらしい。
「生きたい、という意思の根底にあるのは何だと思う?」
「何だろうな。そう問われても難しいが、楽しいことがあるとか、やりたいことがあるとか、そういう将来への期待のようなものを捨て切れないからか」
「生きたいのはな、死にたくないからだよ。防衛本能だ。死は絶対恐怖なんだ。その死を逃れる為、いや、死の恐怖を和らげる為に人類は宗教なんてものを開発した。ただこの日本では多くの人は決まった宗教は持たず、ぼんやりとした宗教観で生きていて、じゃあ奴らはどうやって死への恐怖を克服しているんだい? という海外の友人の問いかけに何て返してやればいいか窮するんだが、少なくとも何かしらのコミュニティに属しているってことが大事なんだと分かった。つまり孤独にならないように生きることが日本人にとっての宗教なんだ」
孤独、という言葉に、私はあまり良い思いがない。誰だってそうだろうけれど、私の場合は特別にその言葉に対して胸の奥がどんよりと重くなる、そういう記憶の欠片を持っている。
「じゃあ孤独に対して特に何も思わない、恐怖しない、もっと云えば死ぬことを恐れていないとしたら、逆説的に生きたいとは思わないということになるだろう?」
「酒林の定義した通りなら、まあそうだな。けど」
「死は全ての終わりか?」
「死んだらどうなるか誰も知らない現状、終わりと言っていいんじゃないか」
「俺はそれが確かめたい」
「それと死にたいというのと、どう差があるのか、私には分からない」
「差は理解されない。そういう意味で、俺は誰から見てもただの死にたがりだ。けど、それでいい。少なくとも動機を理解されたいとは思っていないからな」
死にたい、と思うことは一度くらいあるだろう。私だってぼんやりと死にたいと口にすることもある。けれどその多くは本当に死にたい訳じゃなく、何か別の、現実逃避としての死にたいであったり、心労からの死にたいであったり、経済苦からの死にたいであったりする訳で、死による解決を望んでいる訳じゃない。ただ今ここからどこか遠くへ行きたい、そういう心理でしかない。
「冗談と本気の間の、どの辺りなんだ?」
「冗談であって欲しいんだろうけど、残念ながら本気だ。二十年を越えたら、あとはそう見たい世界もないことが分かった。やっぱりあの十四歳の夏に、飛び降りておくべきだったんだ」
「殴ってもいいか?」
「暴力じゃあ何も解決しない」
「酔ってるんだろう?」
「酒はいくらか残っているだろうけれど、アルコールに頼って告白するような、そんな柔な考えじゃないよ。本当は一人で墓場まで持っていくはずだったんだが、どうにもこう、園崎には話しておきたくなった」
「それはやっぱり止めて欲しいっていう無意識の心理なんじゃないか?」
アルコールの所為だろうか。脈が早い。
「いや、そういうことじゃないんだ。ほら、死ぬ方法を考えたって言っただろ? あれでさ、一つだけ精度が高いけれど確実性には疑問符の付くものがあってさ、でも最近それが一番良い方法なんじゃないかって思えるようになってきたんだ。それと関係がある」
「何だよ」
酒林は笑みと呼ぶほどではない、薄っすらとした柔和な目元で、こう言った。
「だからさ、死刑になる為に人を殺そうと思うんだよ」
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