桜は今日も息をする

凪司工房

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 皮膚に一枚、桜の花びらが付着していることに気づいた。だからそれを剥がそうとしたのだけれど、まるでタトゥーでも刻んだのかと思うくらいぴったりと皮膚と一体になっていて剥がれない。無理矢理に取ると皮が破れて血が滲んだ。
 それが桜病に気づいた一番最初の変化だった。
 次の日にはお腹の右側にうっすらと樹皮模様が現れるようになり、ほどなくして歩けなくなった。
 
 ベッドの上で一日の大半を過ごすようになり、ご飯から体の清拭、着替えにトイレの世話まで、全てをトワさんに頼るようになってしまった。彼女はまるで経験があるかのように、特に文句も何も言わず、スムーズにそれらをこなしていたが、ミスギの方はどうにも申し訳ないやら恥ずかしいやらで、なかなか素直に彼女の世話にはなれなかった。
 ある時から、彼女は毎晩寝る前に綺麗な水でミスギの全身を拭うようになった。もう体の半分に樹皮模様が現れ、桜に変わってしまうまでそう長くないだろうという頃だ。
 けれどミスギの桜病の進行は姉のそれに比べると随分遅く、それどころかある日、ぽろりと鱗状うろこじょうになって皮膚を覆っていた桜の花びらが落ちたのだ。
 それから日に日に回復していき、やがて体中に浮き出ていた樹皮状の模様もほとんど消えてしまった。
 しかしそれと入れ替わるようにして、今度はトワさんに桜病が発症した。
 
 ミスギは彼女が自分にしたように綺麗な水で体を清め続ければ治るのだと思って、毎晩恥ずかしいのを我慢しながらその細い体を拭い続けた。でも、何も変化は訪れない。それどころか、彼女の病状の進行は驚くべき早さで、体に樹皮状の模様が浮かび上がってからおよそ一ヶ月で、ほぼ全身が桜化してしまった。
 
 もういずれ喋ることすら出来なくなる。そんな状態の彼女は、ある晩、ミスギに「頼みがある」と、まるで遺言のような話を始めた。
 それは彼女の母、そして祖母についてのある秘密だった。
 
 世界で一番初めに桜病に罹患したのはトワの祖母だった。ある日、突如としてその右手の小指に桜の花が開いたのだ。それからほどなく全身が桜へと変わっていき、やがて人の形をした桜そのものになった。
 その珍しい現象に世界各国から学者や研究員、あるいは企業の開発担当が訪れた。調査してみると人間としては認められないが、生物、つまり桜としてはちゃんと生きていて、光合成をし、呼吸もしていることが分かった。それで学者の端くれだったトワの母親は、祖母の桜を実家の裏山で一番見晴らしの良い丘の上に植えたのだ。
 その日以降、世界各地で桜病になったという人間が見つかった。多くの学者たちが治療法や原因について調べたが、何も分からないまま、元人間の桜だけが増えていった。
 やがて誰もが不治の病として諦め、それでも焼却処分をされたくないという一部の人たちがこの桜の森へとやってきて、ここに植えて下さいと依頼するようになった。
 最初はわずか数本の、無限桜だったが、徐々に噂は広まり、桜だけの森が完成した。
 その一番奥、コンクリートの壁で覆われたところに、最初の無限桜が植わっている。それはトワさんの祖母、そして母親の桜だと言う。その桜に、自分を接ぎ木してくれないかというのが、彼女の最期の願いだった。
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