桜は今日も息をする

凪司工房

文字の大きさ
上 下
3 / 5

3

しおりを挟む
「姉さんを助けて下さい」

 屋根の半分がブルーシートで覆われているそのボロ小屋の扉を思い切って開け、まだ学生だったミスギは開口一番にそう声を張り上げた。
 
 ――桜病の専門家が住んでいる森がある。
 
 それもこの東洋の小さな国で、自分の足で行ける範囲にある、と聞き、もう体の半分が樹皮状態になっていた姉を毛布でくるみ、台車に載せて運んできたのだ。お金も人脈もない。ただ姉を助けたい思いだけは誰よりも強く、自分の命と引き換えになってもいいという覚悟でここまでやってきた。
 なのに出迎えたのは何とも気の抜けた声で「はあ」と答えた丸顔の女性だった。

「ここ、桜病のお医者様がいるんですよね? あなたがそうなんですか?」
「いえ。ここにはお医者様はいらっしゃいません。わたしも専門家とは言えませんし」
「でも、ここがあの桜の森なんですよね?」

 森、と呼ぶには随分と木が少ないが、それでも小屋の外を見れば数本の桜の樹が見える。

「あなたのお気持ちは分かります。ここを訪ねてくる人は誰もが同じ願いを持っている。けど、残念ですが、ここには桜病を治療する設備も技術も何もありません」
「じゃあ、ここは一体何なんですか?」
「ここは……霊園、でしょうか」

 桜病になった患者が最期に訪れる場所。だから霊園と呼ばれているのだと、彼女は言った。その言葉を耳にした時にミスギは全身の力が抜け、そのまま床に倒れて気を失ってしまった。気力に加えて体力までも失われていたところに絶望が叩きつけられたからだ。
 
 その女性はトワと名乗った。永遠と書いてそう呼ぶそうだ。トワさんは少し目が悪く、いつも閉じたような細い目で優しく微笑む。
 でもその笑顔がミスギは苦手だった。
 
 桜病の末期となっていた姉は彼がここを訪れて間もなくして、息を引き取った。いや、死んだ訳ではないけれど、それでもミスギにとっての姉はいなくなってしまった。
 全身が桜の樹皮になり、そこから伸びた細い枝の先に数輪、桜の花が開いているのを目にした時に、もう完全に姉ではなくなってしまったのだと彼には思えて、ただただ涙が落ちた。
 その桜になってしまった姉をトワさんは「助ける」と言った。最初は桜になってしまった人間を元に戻す方法が何かあるのだと思っていたのだけれど、彼女はミスギに布で巻いた姉を背負わせ、ある場所へと連れ出した。
 
 それは桜の森の一画、少し高くなった丘だった。森といっても本当に木がない。見渡す限り、ぽつりぽつりと疎らに桜が生えているだけだ。しかもその桜は全て元人間だという。見ているだけでも気持ち悪くなり、何度か吐いた。
 そんなミスギにトワさんはスコップで穴を掘らせた。意味も分からず、姉がなくなった苛立ちもあり、がむしゃらになって土を上げた。その穴を見てトワさんは「ちょっと大きすぎるわね」と言ったものだから彼は流石にへそを曲げ、不機嫌さを叩きつけるように手にしたスコップを思い切り地面に投げつけた。
 けれどトワさんは怒ったりはしない。そもそも彼女は声を荒らげない。まるで彼女の周囲だけ穏やかに時間が流れているかのようで、それに付き合っているといつの間にか棘々としたミスギの感情の波も収まってしまう。

「それで?」
「ここに、植えてあげようと思います」
「植える? 姉さんは人間だよ? 植える、の?」
「はい。もう人ではありません。彼女は桜になったのです」

 姉を覆っている布を剥がすと、そこに現れたのは桜だ。人の形に似ているけれど、もう声を出して笑うこともない。叱ったりもしてくれない。大好きなハンバーグを作ることも出来ない。ただの桜だ。
 そんなことは分かっていた。そのはずなのに、いざ他人の口で言葉にされると、どうしようもない現実として伸し掛かってしまう。
 その元姉を、ミスギは自分の手で植えた。土を掛け、しっかりと地面に立つようにすると、トワさんはその根本にジョウロで水を優しく掛けた。するとへたりとなっていた五輪の桜はすっと伸び、彼に向かって微笑んでいるかのように花を開いて見せた。
 それを目にした時にトワさんが言っている意味が分かった気がした。確かに、姉は生きている。まだ、ここにミスギの姉は生きていた。
 
 姉を植えてしまってからも、ミスギはしばらくトワさんのところでお世話になることにした。というより、心のどこかでまだ姉を人間に戻す方法があるのではないかと思っていた、というのが大きい。しかも学者ではないと言っていたけれど、ボロ小屋の奥の書斎には桜病について書かれた論文や書籍が沢山あり、更に誰のものかは知らない手書きの詳細なメモも見つかった。トワさんは生まれながらに弱視で、そういったものがあっても読めないからと寂しげに笑っていたけれど、その癖は姉もよくやるものだった。
 
 ――悲しい時ほど笑うのよ。
 
 両親を早くに失い、彼の知らないところで沢山苦労もあったのだろう。それでも姉はミスギの親代わりとなって彼を大きくしてくれた。学校に行けたのも姉のお陰だ。
 そんな姉への恩返しではないけれど、トワさんの仕事を手伝いながら、ミスギはここで桜病についての勉強をすることにした。
 
 桜病が最初に見つかったのはやはり、ミスギたちが生まれた国だった。東洋の小さな島国は、その領土に対して驚くほど多くの種類の桜があり、春になれば花をつけて人間を喜ばせていた。けれどその桜を今、好きな人間はこの地球上に存在しない。桜は見るものから恐れるものへと変わってしまったからだ。

「ねえ、トワさんは、桜のこと、どう思っているんですか」
「どう、とは?」
「だから、憎むべき存在だとか、そういうことです」
「確かに桜病というのは恐いかも知れない。けど、その恐いことの正体は分からないということでしょう。分からないなら分かろうとする必要があるのに、みんな逃げてしまう。だからわたしくらいは桜の味方でいてあげたいと、そう思っているけど」

 時折トワさんはこんな風にはっとするようなことを口にした。
 でも大抵はぼんやりとしていて、よく何もない場所で躓くし、砂糖と塩を間違えて塩辛い肉じゃがを作ってしまったりするし、しっかり者だった姉と比べると、どうにも目が離せない。むしろ年下のミスギの方があれこれと世話を焼いてあげないといけない。そんな関係だった。
 けれど、それはミスギが姉をこの森に植えてから半年が過ぎる頃までの話でしかない。
 遂に、彼にもその日が訪れたのだ。
 桜病に、罹患した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

春を売る少年

凪司工房
現代文学
少年は男娼をして生計を立てていた。ある時、彼を買った紳士は少年に服と住処を与え、自分の屋敷に住まわせる。 何故そんなことをしたのか? 一体彼が買った「少年の春」とは何なのか? 疑問を抱いたまま日々を過ごし、やがて彼はある回答に至るのだが。 これは少年たちの春を巡る大人のファンタジー作品。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

憂鬱症

九時木
現代文学
憂鬱な日々

ダンシングマニア

藤和
ファンタジー
平穏な日常を過ごす村で、村人たちが楽しげに踊る。 はじめは賑やかな日常だと思ったその踊りは、村中に感染する。 これは病か、それとも呪いか。 錬金術師はその謎に迫る。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

【完結】雨上がり、後悔を抱く

私雨
ライト文芸
 夏休みの最終週、海外から日本へ帰国した田仲雄己(たなか ゆうき)。彼は雨之島(あまのじま)という離島に住んでいる。  雄己を真っ先に出迎えてくれたのは彼の幼馴染、山口夏海(やまぐち なつみ)だった。彼女が確実におかしくなっていることに、誰も気づいていない。  雨之島では、とある迷信が昔から吹聴されている。それは、雨に濡れたら狂ってしまうということ。  『信じる』彼と『信じない』彼女――  果たして、誰が正しいのだろうか……?  これは、『しなかったこと』を後悔する人たちの切ない物語。

処理中です...