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第六章 「恋におちて」

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「お姉ちゃん、全部最初から知ってたの?」
「ちゃんと言ったわよ。原田君のことは知っていると」
「けど結城貴司ゆうきたかしの半分だなんて、全然言ってくれなかったじゃない? センセの指示だと思ってたのに、あれって全部お姉ちゃんからのものだったってことでしょ?」

 原田がやってくれていたと思っていた恋愛教室。その指示すら、彼の意見は微塵みじんも存在せず、最初から最後まで姉の思い通りになるようにと、計画されたものだった。原田から後半の部分の指示書も見せてもらったけれど、そこには最終的に原田に一方的に振られることまでが盛り込まれていた。

「なんであんなことしたのよ」
「いい加減にあなたに気づいてもらいたいのよ。恋愛に振り回されるような女は、くだらない人種なんだと」
「恋愛のどこがくだらないのよ? お姉ちゃんだって一応恋愛小説家なんでしょ? 自分が書いているものもくだらないって言う訳?」
「そうよ」

 躊躇ちゅうちょの全くない即答だった。

「くだらないものだから売れるのよ。人々が口にしているもの、目にしている事柄の多くについて、よく考えてご覧なさい。本当に大切なものはそう簡単に口にしないし、見せない。確かに生死が懸かったような恋愛をしている人間だっていないとは言えないけれど、大半の人間は失恋したところで死ぬことなんてない」

 それは愛里に向けた言葉にしか思えなかった。

「恋は人間にとって必要ないものなの。娯楽なのよ。だから簡単に捨てられるし、取り替えられる。一晩泣き続けたら、明日には新しい相手を探せるのが人間なのよ。それこそ、ジェットコースターに乗っている間に感じられる偽物の恐怖と同じで、紛い物の夢心地なの」

 愛里の目に、見る間に涙が蓄えられていく。けれどそれが落ちるのを待ち切れずに腕で目元をぬぐうと、前に歩み出た。

「それで、何をしに来たの? くだらない恋愛教室の最後を書き換えろとか、そういうお願い?」
「違う。お姉ちゃんが考えてるようなことなんかじゃ、全然ないよ」

 部屋に差し込んでいた陽が、少しだけ陰る。
 優里は目を細めて愛里を見ているが、彼女が何か言う前にじれて言ってしまう。

「何なのよ。どうせいつもみたく、お姉ちゃん分からないから教えてって泣きつくんでしょ? それこそ原田君に本気になってて、何とかして付き合いたいんだけどどうすればいいとか、その程度の相談でしょ?」

 愛里は首を横に振る。

「だから何? 早く言いなさい。やっと全てに片が付きそうで気分が良かったところなの」
「センセの……原田さんの、女性アレルギィを治したい。お姉ちゃんなら、何か考えてくれると思ってる」
「そんなこと? あれは精神的なものだから原田君が原田君のままなら一生治らない。そういうものよ」

 優里は大きく吐息を出すと、ベッドに座り、愛里に背を向けて続ける。

「原田君が愛里に何か言ったの? 自分の過去について話す以外にも」
「全部分かってるお姉ちゃんなら、いちいちアタシが言わなくても分かるんじゃないの?」

 小さな舌打ちが聴こえた。

「センセは何も言わなかった。お姉ちゃんの指示に従って何とか最後の原稿を書こうと苦しんでる。そもそもセンセのこと、お姉ちゃん何も分かってないじゃん。アタシに何か頼んで、お姉ちゃんに伝えるような、そんな卑怯な真似する人じゃない!」
「そういう男だから、恋愛小説が書けないのよ」

 どうして原田はこんな女性を好きになったのだろう。
 それとも彼の目にはもっと素敵な女性に映っているのだろうか。
 けれど今この場にいたら必ず幻滅するだろう。自分を見下し、恋愛を軽視し、恋愛小説をくだらないと言い切ってしまう、そんな姉に対して。

「それで愛里。原田君とは……もうネたの?」
「何よ突然」
「それが一番意外だったのよ。今までの愛里なら相手がたとえ女性アレルギィだとしても、必ず一緒に寝てた。セックスするところまでいくかは分からないけど、でもそういう性的な魅力は姉の私が言うのも何だけど、かなり男性ウケするものがあると思う。それは原田君みたいな真面目な男性だったとしても、抗いがたい。でもね、あなたは今回何故か我慢している。何故?」

 質問の意味が分からなかった。

「アタシだって、分別くらいある。相手が困るようなことはしないよ」
「今まではそうじゃなかったじゃない?」

 優里は振り返り、細めた目を向けた。

「自分を愛して欲しくて、自分の欲望を相手に押し付けて、何とか自分に束縛しておこうとした。馬鹿な男ばかりだったからその欲望の波に呑まれてしまっていたけれど、相手に都合の良い女だと思わせておいて、本当は自分を相手の一番近くに置いておかせるように仕向けてきた。今回だって、原田君と同棲までできている。それは愛里。あなたが望んだことでしょ」

 確かにその通りだ。
 考えてそう行動した訳じゃないけれど、結果として、自分が一番望むものを手に入れてきたのかも知れない。だからいつかは相手がそれに付き合いきれなくなって、別れが訪れる。

「ならもっと欲張ればいいじゃない? キスしたいでしょ? セックスしたいでしょ? 愛していると言われたいでしょ? 相手が死んでしまったっていいじゃない。それがあなたの本当の望みなんだから」

 その言葉を聞いて、愛里は自然と右手を振り上げていた。

「何? 叩かないの?」
「お姉ちゃんの思い通りにはならない」

 けれど挙げた手を収め、愛里は頭を下げる。

「お願いします。原田さんを、助けてあげて下さい」

 一分以上、愛里はそのまま床を見ていた。リノリウムのクリーム色のてらてらとした光りの上を、何度か影が横切る。

「彼の担当医に聞きなさい。高正先生よ。とても素敵な人だから、きっと力になってくれる」
「ありがとう」

 そう言った愛里に対して、優里は何も言わずに一度だけ目を閉じるのを見せると、毛布を被って横になってしまった。

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