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第三章 「恋心」

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「それで、何の用?」

 少し機嫌が直ったのか、優里はベッドから立ち上がると、そっとカーテンを動かす。窓を少し開け、外気を入れた。一月半ばとはいえ今日は陽気も良く、外は温かい。愛里はマフラーをしてこなかったくらいだ。

「実はさ、その、同棲始めたんだ」

 その愛里の言葉に「また?」と眉をひそめた。

「それで今度はどんな男なのよ」
「それがね、別に彼氏じゃないの。アタシの恋愛のセンセ、っていうか」

 優里は理解し難いといった顔を見せる。

「ほら、前に付き合ってたアルバイト先の社員の人さ、お姉ちゃんは三ヶ月が限度かなって言ってたけど……やっぱり駄目になっちゃったんだ。振られちゃった」

 わざと明るい声にした。

「最初から相手にされてなかっただけでしょ」

 けれど姉は即座に否定する。

「そうかも知れないけど、アタシにとってはちゃんとした恋愛だったもん。そりゃ祐介がどう思ってたか、本心は分かんないけどさ……でも、愛されてる実感はあった」

 彼に抱き締められ、キスをされている時のことを思い起こす。体の奥にしびれるような感覚があって、それは愛なんだと思えた。
 けれど優里はそれを鼻で笑う。

「セックスして繋がっている間だけ得られる実感なんて誤魔化ごまかしでしかないのよ。快感物質が脳内に放出される。それは麻薬を打たれているようなもので、決して自分の意思で愛を感じている訳じゃないの。そうやって誤魔化さないと生物は遺伝子を残せない、というだけ」
「またそんなこと言う。お姉ちゃんも結城貴司ゆうきたかし読んでるんだったら、ちょっとはロマンチックな言葉で言い換えてよ」
「小説はあくまでフィクションであって、それこそ遊園地のジェットコースターみたいなものなのよ。恋愛や恐怖、スリルといった体験を楽しむ為のツールでしかないの」

 めている、という言葉では物足りなかった。いつも姉は愛里の発する言葉の一つ一つをくだらないもの、つまらないものとして笑う。確かに姉の言うことは最もなのかも知れないけれど、悔しい以前にそういう考え方しかできない姉のことが、少しだけ心配になってしまう。

「ともかく、祐介はもういいの。今度の同棲相手はね、本屋で出会ったの。それも作家先生だよ。ただの作家先生じゃないよ。聞いて驚いてね……実は、結城貴司なの!」

 これには流石に優里も驚いたようだ。

「ほんとなの?」

 声をらして愛里に眼差まなざしを向けた。大きな二重の瞳は少しやつれた頬の所為せいか、以前よりも更に大きく見えた。

「うん……たぶん」
「まただまされてるんじゃないの? だって結城貴司って……」
「知ってるよ。でもセンセ、ちゃんと編集の人から結城貴司って言われてたもん。それにおかしいんだけどさ、その人、女性アレルギィなんだって。アタシが触ったら蕁麻疹じんましんが出て、終いには倒れちゃうの。この前も救急車で運ばれて……」

 何やら口元に手をやって優里は考え込んでいた。

「お姉ちゃん?」
「う、うん。ごめん。その人ってさ、名前は?」
「名前? 原田なんとか……何だったかな。いつもセンセってしか呼んでないから……ちょっと待ってね」

 スマートフォンを取り出すと、アドレス帳から原田の名前を探す。

「あった。原田、貴明……だね」

 その名を口に出した途端、優里は口元に笑みを浮かべた。

「そっか。原田君か……いいんじゃない。愛里にしては良い人選だと思う」
「知ってるの?」
「ちょっとね。同じ高校だったから……そっか、原田君と愛里がね」

 珍しく機嫌が良さそうな姉を不思議に思いつつも、姉から「良い人選」と言ってもらえたことが愛里は嬉しかった。
 今まで姉に紹介した男性は誰一人として「良い」なんて言ってもられなかったのだから。
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