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第二章 「ナチュラルに恋して」
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「先生!」
その女性は何度も大声で「先生」と口にしながら路上を駆けてくる。目立つ大きな白い提げ鞄が派手に揺れていたが、彼女、村瀬ナツコは気にせずスニーカーでやってきた。
「愛里ちゃんもいた。良かったわ」
「ナツコさん、どうしたんですか?」
ハンカチで目元を拭いながら愛里が尋ねる。既に下の名前で呼び合う仲らしい。
「ほら、昨日約束したじゃないですか。先生が愛里ちゃんに恋愛教室をする代わりに、原稿の締め切りを一月延ばすって。あれ、何とか編集長に土下座して承諾もらいましたよ。ただ」
その「ただ」という文言に、原田は村瀬を睨みつける。
「その、ですね。愛里ちゃんにどういう風に恋愛を教えたとか、相手の人とはどうなったとか、そういう諸々をですね、何とかこうエッセィとか短編小説にしてもらってですね……」
「おい、村瀬さん。それって結局僕の仕事が増えただけじゃないのか?」
「まあ、そうなりますよね」
てへ、と舌を出して右拳を自分の頭の上に載せる。
きっと愛里みたいな女性がしていればそれなりに可愛いと思う男性もいるのだろうが、村瀬ナツコのそれは原田への追い打ちにしか見えない。
「だからさ、今僕はこの子の約束を断ったところなんだ」
その村瀬ナツコを見て、何度も頷くようにして原田は言った。
「それじゃあ先生原稿下さい」
しかし彼女は引き下がる様子はなく、両方の掌を見せて笑いかける。
「約束を守らないなら原稿の締め切りだって延ばせません。そうでしょう? そもそもがですよ、先生これで原稿の締め切り何ヶ月引き延ばしてると思ってるんです?」
ほんの半年だ、と言おうとしたが、冗談が通じるような目をどちらもしていなかった。
原田は諦めて、
「わかった」
と嘆息と共に漏らす。
急に空腹だったことを思い出したが、肝心のパンケーキ屋には流石にもう戻れない。コンビニでいいか、と思い直した原田の背中で、愛里は電話を掛けているところだった。
「はい。ごめんなさい。今日は体調不良で早退します……」
翌朝。
パソコンの前で唸っていた原田は、突然のインタフォンに襲われた。まだ八時にもなっていない。ネットで何か注文していただろうかと思い、応対に立ったが、
「え……」
「愛里だよ。いれて」
スピーカーから聞こえてきたのは沖愛里の声だった。可愛らしい声で「いれて」と連呼する。
「入れてくれなきゃここでセンセが結城貴司だって叫ぶから」
「分かった分かった。今すぐ入れ」
一階玄関の電子ロックを外してやると、それからちょうど一分で表のドアの前に彼女が姿を現した。その手には大きなスポーツバッグを持っていて、「今から旅行に行くのか」と言ってやりたかったが、そんな話ではないことはすぐに分かったので止めておいた。
「今日からお世話になります」
まるでメイド服を意識したような、肩に大きなピンクのフリルが付いたワンピース姿で、愛里は元気にお辞儀をした。
その女性は何度も大声で「先生」と口にしながら路上を駆けてくる。目立つ大きな白い提げ鞄が派手に揺れていたが、彼女、村瀬ナツコは気にせずスニーカーでやってきた。
「愛里ちゃんもいた。良かったわ」
「ナツコさん、どうしたんですか?」
ハンカチで目元を拭いながら愛里が尋ねる。既に下の名前で呼び合う仲らしい。
「ほら、昨日約束したじゃないですか。先生が愛里ちゃんに恋愛教室をする代わりに、原稿の締め切りを一月延ばすって。あれ、何とか編集長に土下座して承諾もらいましたよ。ただ」
その「ただ」という文言に、原田は村瀬を睨みつける。
「その、ですね。愛里ちゃんにどういう風に恋愛を教えたとか、相手の人とはどうなったとか、そういう諸々をですね、何とかこうエッセィとか短編小説にしてもらってですね……」
「おい、村瀬さん。それって結局僕の仕事が増えただけじゃないのか?」
「まあ、そうなりますよね」
てへ、と舌を出して右拳を自分の頭の上に載せる。
きっと愛里みたいな女性がしていればそれなりに可愛いと思う男性もいるのだろうが、村瀬ナツコのそれは原田への追い打ちにしか見えない。
「だからさ、今僕はこの子の約束を断ったところなんだ」
その村瀬ナツコを見て、何度も頷くようにして原田は言った。
「それじゃあ先生原稿下さい」
しかし彼女は引き下がる様子はなく、両方の掌を見せて笑いかける。
「約束を守らないなら原稿の締め切りだって延ばせません。そうでしょう? そもそもがですよ、先生これで原稿の締め切り何ヶ月引き延ばしてると思ってるんです?」
ほんの半年だ、と言おうとしたが、冗談が通じるような目をどちらもしていなかった。
原田は諦めて、
「わかった」
と嘆息と共に漏らす。
急に空腹だったことを思い出したが、肝心のパンケーキ屋には流石にもう戻れない。コンビニでいいか、と思い直した原田の背中で、愛里は電話を掛けているところだった。
「はい。ごめんなさい。今日は体調不良で早退します……」
翌朝。
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「え……」
「愛里だよ。いれて」
スピーカーから聞こえてきたのは沖愛里の声だった。可愛らしい声で「いれて」と連呼する。
「入れてくれなきゃここでセンセが結城貴司だって叫ぶから」
「分かった分かった。今すぐ入れ」
一階玄関の電子ロックを外してやると、それからちょうど一分で表のドアの前に彼女が姿を現した。その手には大きなスポーツバッグを持っていて、「今から旅行に行くのか」と言ってやりたかったが、そんな話ではないことはすぐに分かったので止めておいた。
「今日からお世話になります」
まるでメイド服を意識したような、肩に大きなピンクのフリルが付いたワンピース姿で、愛里は元気にお辞儀をした。
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