NTRと云ふもの

凪司工房

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 それから一週間ほどは試験期間だったということもあり、特にNTRの話題を出すこともなく私たちは学業に集中した。ただあの日感じた奇妙な痺れは私の中のどこかにずっと残っているようで、ふと思い出しては喉が乾いたかのようにあれを求めた。
 事件が起こったのは試験期間を終えた、始めの月曜日だった。
 授業開始前の生徒確認もこの学院では機械判定によって行われる。それが通例だったのに、何故かこの日は黒いスーツ姿の事務員が立ち会いをした。
 チェックが終わると「少しお時間をいただきます」と断り、それからこう切り出した。

「残念なのですが、この教室の中に泥棒をした犯罪者がいます」

 女の口から出た“泥棒”という言葉に心臓が妙な動きをする。

「みなさんもご存知でしょうが、旧校舎部分の立ち入りは厳しく禁じられています。それは建物が古いこともありますが、それに加えて収蔵されている多くの品があなたたち生徒が触れてはならないものばかりだからです。理事会の方針で歴史的価値があり、それを維持、管理する方向で現在調整が行われている最中なのですが、移築するにしても場所と費用面で折り合いがつかず、現状、そのままになっていたのですが、昨晩、その施設への侵入者がいたことが発覚しました」
「あの」

 挙手をしたのはクラス長を務める大柴さんだ。

「質問は受け付けません」
「え……」

 その強い口調に彼女は驚きを隠せず「ですが」と抵抗を見せたが、事務員は無視して続ける。

「ただ、この学院では生徒の自主性を重んじるという校風があり、我々で協議した結果、盗んだものを返し、謝罪をすれば不問にするということに決定しました。猶予は本日いっぱいです。返却の意思がないと分かった場合、今日の二十四時を超えた時点で一斉にあなたたちの端末に氏名が公表され、即刻退学処分となります。以上。質問は受け付けません」

 女は表情一つ変えずにそこまでを話し、軽く頭を下げてから教室を出ていった。
 すぐにモニタが切り替わり、一時間目の数学の需要が始まったが、私を含め、どの生徒も動揺が隠せず、ざわついたまま時間だけが経過していった。

 放課後まで待ち、私たち三人は古典文学研究会の部室へと移動する。三人とも神妙な顔つきだ。誰も口にしないものの、何が盗まれたかについては心当たりを持っていたし、おそらくアレ以外にない。
 部屋のドアを閉め、三人それぞれの顔が見えるよう、会議机に対して私の右側にミキティ、その対面に宏海が腰を下ろした。ただ座ってからしばらく、誰も口を開かない。まるで互いを牽制し合うように視線だけが動いていて、それでも誰か発言しないとこの場が動かないと思った私は、小さく息を吸い込んでからぽつりと言った。

「バレたね」
「犯人はこの三人の中の誰かしか該当しないですな」

 宏海は黙っている。けれどミキティと同じ意見だろう。

「私は、別の可能性も考えているけど、本当に私たちの犯行がバレたと思ってる?」
「だってそれ以外に」

 二人の顔を見たミキティに意見をしたのは宏海だった。

「それではアユミさんか好美さんが、あそこから本を持ち帰ったのですか?」
「わしは手をつけてなぞ……」
「じゃあアユミさん?」
「私だって……それこそ宏海はどうなの?」

 彼女も首を横に振っただけだ。

「この三人の中にいないのだとしたら、私たちの知らない四人目がいるということになるけど、ねえミキティ。あの監視装置のクラッキングのアプリ、誰かに売ったりした?」
「あ、アユミ殿はわしを疑うのか?」
「可能性の問題よ。だってそうでもしないと、あのクラスにそんなことが出来る人、他にいないでしょう?」

 数学の問題を解くのとは訳が違う。コンピュータプログラムに習熟して尚且つ学校で導入しているシステムのことを調べていないといけない。そんな暇人はどう考えても美樹本好美以外にはいないのだ。

「事務員たちが偽の情報を生徒に流した可能性は?」

 宏海の指摘は私も考えた。けど、それをしたところで期限の二十四時を過ぎるまでに名乗り出なかったらどうするつもりなのか、考えが読めない。

「わしはその可能性よりはやはり、三人の中に犯人がいると考えるのが正規のルートだと思う」
「確かにミキティの言う通り、それが一番可能性が高いわ。けど、みんな盗んでいないと言い張るのよ? このまま二十四時を待つの? それは三人のうちで誰かが明日、この学校から消えるって意味よ?」

 たぶん私が言わなくても、みんなそれは分かっている。分かっていて、言い出せないのだ。

「ね。そろそろ、正直になろう? 私、実は一冊だけね、部屋に持ち帰ったの」
「わしも」
「わたしも……」

 三人とも、犯人だった。

「NTRが何かは分からないものの、我々の胸を熱くするものがあそこにはありましたものな」
「結局NTRって何なの?」
「寝取られだよ」

 耳慣れない言葉は、宏海の声ではなかった。

「君たち三人が、あれを見たんだね?」

 黒スーツの事務員だった。

「寝取られとは、基本的には自分の愛する人、大切な人が他の人と関係を持つようになることに対して興奮を覚える性的嗜好せいてきしこうのことだ。男性が消えた現在、そういったことを知らないで育つよう、君たちからは遠ざけられている。知らなければそういう考えを持つことはない、という考えでね」

 NTRは英語の頭文字でも何でもなく、ただ用語の頭を並べただけのものだったのだ。

「じゃあ、私たちのこの感情って」
「NTRに興奮したのだよ。そして、そうなるよう仕向けたのは畑毛宏海。君だね?」

 宏海は何も言わない。ただ黙って私たちの顔を見ていた。

「君が一人で第二図書室に行ったのは三人で入った後じゃない。それよりもずっと以前のことだ。監視カメラに記録があるよ」
「だけどその記録は」
「確かに美樹本さんアプリによって撮影した映像が削除されるよう仕組まれていたが、その改竄かいざんしたという記録もあれは残るんだ。つまり美樹本さんのアプリは不完全だった」
「でも何故? 宏海が?」
「NTRを共有したかったのです。それにはまっていくアユミさんを見たかった。絶対気に入ると思いましたから」

 そう告白した彼女の表情は、今まで私の知らない畑毛宏海の、何とも恍惚こうこつとした笑みに染まっていた。(了)
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