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第十乃段
スタジアム
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既にスタジアムは三階のアリーナ席まで満員だった。シンジは警備に立ちながら、異様な空気に包まれているのを感じていた。
今日は最近よくテレビでも取り上げられているらしいバンドのライブツアーの初日で、警備の同僚にもファンがいて羨ましがられたが、シンジはそのバンドのことを全く知らない。
時計を確認するとあと五分で開始時間だ。アナウンスも流れ出す。何度かコンサートの警備に立ったことがあるが、開始前の混雑を上手く整理できればそう混乱もなく終わる。
掛かってきた無線で自分のエリアに問題がないことを伝えると、ちらり、とスポットライトで照らされているステージ上に視線をやった。最前列の観客は既に立ち上がり、腕を挙げて騒いでいる。それをシンジと同じ制服姿の警備員たちが必死に押さえているが、バリケードが倒れそうな勢いだ。
と、その内の一人が警備員を殴りつける。
すぐに周囲が取り押さえるが、それがきっかけとなり一気に観客がなだれ込んだ。
「何やってんだよ!」
それはステージに上がったボーカルのアユの声だった。マイクはハウリングを起こし、会場全体に高周波が広がる。
「お前ら何の為に今日ここに来た? 殴る為か? 違うだろ!」
誰もが呆気に取られていた。
警備員は殴った男を連れ出し、慌ててバリケードを元に戻す。ざわついていた観客も一旦静寂を取り戻した。それでも会場を包む異様な空気は収まらない。いや、寧ろ膨れ上がったようにシンジは感じていた。
「今日私たちは、ここに歌いにきたんじゃない……お前ら、生きてんのか!」
それはこのバンド恒例のライブ開始時の儀式だった。ボーカルのアユが会場に呼びかけ、観客は「生きてるよ!」と返す。
「生きてるか!」
会場を埋める五万人が「生きてる!」と声を上げる。その生の圧力は声が上がる度にシンジの体を震わせた。
「じゃあ……始めるよ」
――生きること。
アユのタイトルコールで曲が始まる。激しいドラムからギターとベースが重なり、それが一瞬やむ。そこに割り込んでくるハスキィな女性ボーカルのシャウトはシンジが同僚からイヤフォンで聴かされたものとは異なり、脳に直接語りかけられているようだった。
いつ終わったのだろう。
シンジはまだ自分の中の熱が冷め切っていないことを感じて、立ち尽くしていた。同僚に声を掛けられ、ゴミ袋を渡される。足元には二つに破り捨てられた遺書が落ちていて、裏返すとそこにはシンジという名前が書かれていた。
今日は最近よくテレビでも取り上げられているらしいバンドのライブツアーの初日で、警備の同僚にもファンがいて羨ましがられたが、シンジはそのバンドのことを全く知らない。
時計を確認するとあと五分で開始時間だ。アナウンスも流れ出す。何度かコンサートの警備に立ったことがあるが、開始前の混雑を上手く整理できればそう混乱もなく終わる。
掛かってきた無線で自分のエリアに問題がないことを伝えると、ちらり、とスポットライトで照らされているステージ上に視線をやった。最前列の観客は既に立ち上がり、腕を挙げて騒いでいる。それをシンジと同じ制服姿の警備員たちが必死に押さえているが、バリケードが倒れそうな勢いだ。
と、その内の一人が警備員を殴りつける。
すぐに周囲が取り押さえるが、それがきっかけとなり一気に観客がなだれ込んだ。
「何やってんだよ!」
それはステージに上がったボーカルのアユの声だった。マイクはハウリングを起こし、会場全体に高周波が広がる。
「お前ら何の為に今日ここに来た? 殴る為か? 違うだろ!」
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「今日私たちは、ここに歌いにきたんじゃない……お前ら、生きてんのか!」
それはこのバンド恒例のライブ開始時の儀式だった。ボーカルのアユが会場に呼びかけ、観客は「生きてるよ!」と返す。
「生きてるか!」
会場を埋める五万人が「生きてる!」と声を上げる。その生の圧力は声が上がる度にシンジの体を震わせた。
「じゃあ……始めるよ」
――生きること。
アユのタイトルコールで曲が始まる。激しいドラムからギターとベースが重なり、それが一瞬やむ。そこに割り込んでくるハスキィな女性ボーカルのシャウトはシンジが同僚からイヤフォンで聴かされたものとは異なり、脳に直接語りかけられているようだった。
いつ終わったのだろう。
シンジはまだ自分の中の熱が冷め切っていないことを感じて、立ち尽くしていた。同僚に声を掛けられ、ゴミ袋を渡される。足元には二つに破り捨てられた遺書が落ちていて、裏返すとそこにはシンジという名前が書かれていた。
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