千文字小説百物騙

凪司工房

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第九乃段

空は青く、山は緑で

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 青い瓦屋根が大きく道路側にせり出して倒れていた。それを前に力なく座り込み、男は口を開けたままぼんやりとしていた。
 彼の名は久慈誠二くじせいじ。元刑事だった。

「おーい」

 そんな久慈に声を掛けたのは、同じく隣のつぶれた家に暮らしていた青山だ。小学校で教師をやっている。

「あっちで炊き出し始まってますよ」

 だが久慈は力なく首を横に振り、ちんまりと頭を下げただけだ。

「折角買ったのにってね、僕も思いましたよ。けど見てみなさいよ。周りもみーんな、潰れちまった。古いのも新築もみんな。力を落とすのも分かります。でも、まずは大人たちがしっかりしないとね」

 そう言って肩を叩くと、笑顔を見せて青山は行ってしまった。自分は奥さんの行方が分からないというのに、教師だからという使命感でがんばっている。とても真似できないな、と久慈は感じた。

 日が傾いてきて、西日が歪んだ家に差し込む。

「食べないの?」

 その少女は久慈の前で立ち止まり、小首を傾げる。いつの間にか自分の隣に紙皿に置いたラップされたおにぎりがあった。その脇でお茶のペットボトルが倒れている。
 久慈は曖昧にうなずきを返し、満足したらしい少女が立ち去るのを見送った。
 家族を大切にする為と一念発起して警察を辞め、家を購入し、警備会社に再就職した。それなのに地震で家も家族も失い、残ったのは我が身のみ。これなら家庭のことを顧みずにただ仕事に没頭していればよかった。
 久慈は再び横になり、転がって大の字になる。空を見上げても涙は出てこない。
 と、足音がして、目の前に何かを置かれた。柔らかい。
 起き上がってみるとそれはクマのぬいぐるみだ。

「これ。さびしくないから」
「でも君の大切なものだろう?」
「わたしには、いっぱいあるから」
「もういいから。放っておいてくれ。俺には何もない。全部なくなったんだ!」
「まだ、あるよ」

 彼女は自分の後ろを指差した。
 何があるって……。
 太陽が傾き、沈みゆく先に、山がくっきりと稜線を作っていた。その向こうには茜色あかねいろに変化する空が、わずかばかりの雲の陰影を添えて広がっている。

「まだあるって、先生教えてくれたもん!」

 その時やっと久慈は目の前の少女のことを思い出した。自分と同じように家族を失ったアヤメという女の子だ。青山から聞いた。

「まだ、あるか。そうだな」

 久慈はおにぎりを手にし、ラップを解いてそれを一口齧る。米は冷えていたが、空っぽになっていた久慈の体にはこれ以上ない格別の味だった。
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