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「それより姉さん。本当にあの図書室の悪霊、消えちゃったんだよな?」
その三日後、酷い熱で寝込んだ大悟はまだぼんやりとする頭で登校していた。
「大丈夫なはずよ。あんたの力で完全に消滅したのを確認したから」
「じゃあ、もう図書室にあいつは出ない?」
「さあ、それはどうかしら」
「何でだよ」
「古い場所にはね、よくいるのよ。あの手のモノが。古い場所、古い物、古い言葉。それぞれ年代を経たものというのはね、何かしら魂が宿るの。どうしてそうなるのかはあたしにもよく分からない。けど、昔からよく付喪神といって使い古したものが妖怪とか化け物とか、悪さをするようになったという事例は耳にするわ。多くはね、ちょっとした悪戯程度の怪異なんだけれど、たまにああいう風な強烈な悪霊に成長してしまうものもいて、そうなった時に奴らは人間になろうとするのよ」
「どうして?」
人間なんてものはとても弱く、特別な力もない。そんなものに悪霊がなりたがるとは信じられない。
「それは彼らは人ではないから。たぶんだけど、どこかしら人への憧れがあるんだと思う。物ってね、ただそこにあるだけじゃなくて多くは人に使われる為に存在している訳よ。自分に一番触れてくれていたのが人で、けど彼らは人ではないから何か思っていても、例えば好きとか、ありがとうとか、そういう気持ちを持っていても伝えられないわ。だから人になりたい。気持ちの発端はそこなのよね。でも悪霊にまで成長してしまうと、その願望は歪んでしまう。彼らは人になればもっと強い力を手に入れられて、何でも思い通りになると言うわ。けれど彼らの思い通り、理想ってね、結局人間になることでしかないの。それを彼らは知らないわ。そういう意味では悲しい存在なのよね。また多くの付喪神は徐々に大切にされなくなった物の成れの果てであることが多いと云うし」
悲しい存在。それを生み出した一端が人間にあるとして、でも誰かが退治しないといけない。そういう面倒な役割を担っていたのが陰陽師であり、大悟たちの祖先様なのだ。
その力が、大悟にもある。
あの瞬間、九字を切った時に初めて自分の内側から何かが溢れて出るのを感じた。あれが“力”だとすれば、今後は姉たちのように陰陽師として悪霊退治をすることになるのだろうか。ただ、まだ大悟にその力があることを知る人間は姉以外ではあの森ノ宮静華ただ一人だ。彼女が黙っていれば当面はバレないだろう。
「なあ、姉さん。いや、お姉ちゃん」
「何よ?」
「ありがとうな」
「ばーか」
そう言って照れた姉の顔が一瞬虚空に見えた気がしたが、姉の声はしばらく聞こえなくなってしまった。
――はぁ。
特大のため息を、教室に入る一分ほど前に吐き出したのは、何も三日ぶりの学校だからではない。その教室の一番前の席に座っているであろう、ある女子生徒のことを思い出したからだ。
彼女は大悟の連絡を、おそらくは知らない。調べて知っているかも知れないが、家の電話に掛けてくるようなことはないだろう。その彼女、森ノ宮静華に三日前、大悟はとんでもないことをしてしまった。姉と勘違いし、キスをしろと命じてしまったのだ。夢うつつだったとはいえ決して許されないし、もう二度と彼女に口を利いてもらえないどころか、顔すらまともに見てくれないかも知れない。それは大悟の高校生の終焉と同義だった。
だが教室の入口に立った時、自然とその戸が開き、そこにあの森ノ宮静華が立っていたのだ。彼女はじっと大悟の顔を見つめている。やや頬が赤いのは彼女も風邪を引いていたのだろうか。
「あの」
その呼びかけはどちらが先だったろう。けれど続く言葉は森ノ宮静華の方が早かった。
「土筆屋君。先日はその、お世話になりました。本当にあなたが一緒にいなかったら私、今頃……」
「あ、いや、その……何事もなくて良かったよ、ほんと」
それよりも大悟の頭の中は先日の失礼の方で一杯だ。
「俺の方こそ、あんなことを言って、謝らないといけない。勘違いとはいえ、すまない。森ノ宮さんに恥ずかしい思いをさせようとした訳では決してなく」
「ええ、あれは、その……もういいです」
「あ、はい」
「それよりも、ですね」
森ノ宮静華は何やらもじもじとしている。目線を合わせたり、俯いたり、考え事をするように上を向いたり、時に小さく吐息を吐き出す。
「あの、これ、なんですけど」
それは単語カードだった。その一枚を切り取ったものだ。そこにはアルファベットと数字を組み合わせたものが記載されている。一体何の暗号だろう。
「私のLINEのIDです。その……」
――え?
彼女は大悟と目を合わせると、こう続けた。
「これから宜しくお願いします」
そう言って腰を九十度に折り曲げて思い切り彼女は頭を下げた。
あの森ノ宮静華がそんなことをしたらどうなるか、その行為をした彼女自身以外は想像が容易いだろう。大悟は教室で意味不明に騒ぎ始めた三人娘やその他大勢の男女の声に対し、
「な、何でもないから! ただの連絡先だから!」
そう言って顔を真っ赤にしながら彼女からそのカードを受け取ると、
「こ、こちらこそ、ありがとうございます」
まるで他人行儀な言葉を返し、廊下を走り出す。急いで教室から離れていく。その背中に男子も女子も様々な言葉を投げつけたが知るものか。とにかく真っ赤になった顔が元通りになるまでは教室に戻る訳にはいかなかった。
「全く。せっかくのチャンスだったのに」
「何がチャンスなんだよ」
「そういうとこ、ほんと童貞なんだから」
「やめろって」
姉の笑い声を耳元に受けながらそれでも大悟は小さくガッツポーズをする。その姿を目撃した他のクラスの女子数名からくすくすと笑われてしまったが、今は好きなだけ笑えと心の中で言い返した。(了)
その三日後、酷い熱で寝込んだ大悟はまだぼんやりとする頭で登校していた。
「大丈夫なはずよ。あんたの力で完全に消滅したのを確認したから」
「じゃあ、もう図書室にあいつは出ない?」
「さあ、それはどうかしら」
「何でだよ」
「古い場所にはね、よくいるのよ。あの手のモノが。古い場所、古い物、古い言葉。それぞれ年代を経たものというのはね、何かしら魂が宿るの。どうしてそうなるのかはあたしにもよく分からない。けど、昔からよく付喪神といって使い古したものが妖怪とか化け物とか、悪さをするようになったという事例は耳にするわ。多くはね、ちょっとした悪戯程度の怪異なんだけれど、たまにああいう風な強烈な悪霊に成長してしまうものもいて、そうなった時に奴らは人間になろうとするのよ」
「どうして?」
人間なんてものはとても弱く、特別な力もない。そんなものに悪霊がなりたがるとは信じられない。
「それは彼らは人ではないから。たぶんだけど、どこかしら人への憧れがあるんだと思う。物ってね、ただそこにあるだけじゃなくて多くは人に使われる為に存在している訳よ。自分に一番触れてくれていたのが人で、けど彼らは人ではないから何か思っていても、例えば好きとか、ありがとうとか、そういう気持ちを持っていても伝えられないわ。だから人になりたい。気持ちの発端はそこなのよね。でも悪霊にまで成長してしまうと、その願望は歪んでしまう。彼らは人になればもっと強い力を手に入れられて、何でも思い通りになると言うわ。けれど彼らの思い通り、理想ってね、結局人間になることでしかないの。それを彼らは知らないわ。そういう意味では悲しい存在なのよね。また多くの付喪神は徐々に大切にされなくなった物の成れの果てであることが多いと云うし」
悲しい存在。それを生み出した一端が人間にあるとして、でも誰かが退治しないといけない。そういう面倒な役割を担っていたのが陰陽師であり、大悟たちの祖先様なのだ。
その力が、大悟にもある。
あの瞬間、九字を切った時に初めて自分の内側から何かが溢れて出るのを感じた。あれが“力”だとすれば、今後は姉たちのように陰陽師として悪霊退治をすることになるのだろうか。ただ、まだ大悟にその力があることを知る人間は姉以外ではあの森ノ宮静華ただ一人だ。彼女が黙っていれば当面はバレないだろう。
「なあ、姉さん。いや、お姉ちゃん」
「何よ?」
「ありがとうな」
「ばーか」
そう言って照れた姉の顔が一瞬虚空に見えた気がしたが、姉の声はしばらく聞こえなくなってしまった。
――はぁ。
特大のため息を、教室に入る一分ほど前に吐き出したのは、何も三日ぶりの学校だからではない。その教室の一番前の席に座っているであろう、ある女子生徒のことを思い出したからだ。
彼女は大悟の連絡を、おそらくは知らない。調べて知っているかも知れないが、家の電話に掛けてくるようなことはないだろう。その彼女、森ノ宮静華に三日前、大悟はとんでもないことをしてしまった。姉と勘違いし、キスをしろと命じてしまったのだ。夢うつつだったとはいえ決して許されないし、もう二度と彼女に口を利いてもらえないどころか、顔すらまともに見てくれないかも知れない。それは大悟の高校生の終焉と同義だった。
だが教室の入口に立った時、自然とその戸が開き、そこにあの森ノ宮静華が立っていたのだ。彼女はじっと大悟の顔を見つめている。やや頬が赤いのは彼女も風邪を引いていたのだろうか。
「あの」
その呼びかけはどちらが先だったろう。けれど続く言葉は森ノ宮静華の方が早かった。
「土筆屋君。先日はその、お世話になりました。本当にあなたが一緒にいなかったら私、今頃……」
「あ、いや、その……何事もなくて良かったよ、ほんと」
それよりも大悟の頭の中は先日の失礼の方で一杯だ。
「俺の方こそ、あんなことを言って、謝らないといけない。勘違いとはいえ、すまない。森ノ宮さんに恥ずかしい思いをさせようとした訳では決してなく」
「ええ、あれは、その……もういいです」
「あ、はい」
「それよりも、ですね」
森ノ宮静華は何やらもじもじとしている。目線を合わせたり、俯いたり、考え事をするように上を向いたり、時に小さく吐息を吐き出す。
「あの、これ、なんですけど」
それは単語カードだった。その一枚を切り取ったものだ。そこにはアルファベットと数字を組み合わせたものが記載されている。一体何の暗号だろう。
「私のLINEのIDです。その……」
――え?
彼女は大悟と目を合わせると、こう続けた。
「これから宜しくお願いします」
そう言って腰を九十度に折り曲げて思い切り彼女は頭を下げた。
あの森ノ宮静華がそんなことをしたらどうなるか、その行為をした彼女自身以外は想像が容易いだろう。大悟は教室で意味不明に騒ぎ始めた三人娘やその他大勢の男女の声に対し、
「な、何でもないから! ただの連絡先だから!」
そう言って顔を真っ赤にしながら彼女からそのカードを受け取ると、
「こ、こちらこそ、ありがとうございます」
まるで他人行儀な言葉を返し、廊下を走り出す。急いで教室から離れていく。その背中に男子も女子も様々な言葉を投げつけたが知るものか。とにかく真っ赤になった顔が元通りになるまでは教室に戻る訳にはいかなかった。
「全く。せっかくのチャンスだったのに」
「何がチャンスなんだよ」
「そういうとこ、ほんと童貞なんだから」
「やめろって」
姉の笑い声を耳元に受けながらそれでも大悟は小さくガッツポーズをする。その姿を目撃した他のクラスの女子数名からくすくすと笑われてしまったが、今は好きなだけ笑えと心の中で言い返した。(了)
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