9 / 13
9
しおりを挟む
今、森ノ宮静華は何を口にしたのだろう。特に何か言われると身構えていた訳ではないが、大悟の抱いていた森ノ宮静華像からはあまりに遠い単語だったので、何度も自分の耳を疑った。
「陰陽師です」
海螺貝が口にするならハンバーガーやオムライスといった、誰が聞いても違和感のないワードだが、これが彼以外の他人、しかもあの森ノ宮静華からとなると話は変わってくる。
「あの、陰陽師ですか」
「あの、というのがどの陰陽師か分かりかねますが」
「ああいうオカルト的なものです」
「オカルト――」
そこで彼女は声を低くして、言葉を区切った。
「えっと、何かまずいことでも言ったかな」
「はい」
彼女のはっきりとした「はい」を聞き、大悟は今すぐ頭を抱えたくなる。けれども彼女に左腕を掴まれた状態ではそれも叶わない。
「オカルトという用語はあまり好きではありません。この世には理解できない不可解な現象や事件が沢山あります。科学では解明できないものも。そういったものに対してどこか揶揄するような向きでオカルトと呼ぶのは間違っています。自分が理解できないもの、理解しようとしないものだからと馬鹿にしてはいけない。そうは思いませんか?」
その饒舌な、流れるような言葉の羅列は、今までに大悟が抱いていた彼女の印象とはまるでそぐわないものだったにもかかわらず、何故か彼は嬉しくなってしまった。内容もちゃんとは理解していないし、彼女が何故そこまで憤っているのかも分からなかったけれど、それでも大悟は彼女の主張に対して大きく頷く。
「ああ、うん。それはよく分かる」
「でしょう? 確かに小説や漫画、映画になった陰陽師というのは何やらすごい能力を持っていたり、式神と呼ばれる家来を操ったりして、それは格好良く描かれていますが、歴史を紐解けば陰陽師というのは朝廷に仕える職業の一つだった訳です。それは現在でいえば文科省や厚労省、国交省や気象庁のようなもので、決してファンタジーの世界の架空のものではなかったのです」
同じような話は姉、もっといえばあの無口な父親からも聞かされたことがある。古い慣習を引きずっている家庭ではその家の家柄の基礎となる由緒や歴史、家系図といったものは滅法に大切なものだそうだ。ただ子どもの頃にそういった話を聞かされ過ぎた所為で、大悟は反面教師的にそういったものに対して世間で言うオカルト的な評価をしてしまいがちだった。
「彼らが正しく存在した時代、まだ平安と呼ばれていたような時代のことですが、そこには鬼と呼ばれる存在がいました」
だから鬼とか幽霊、お化けに妖怪といったものについても眉唾ものだと、姉という具体例がいるにもかかわらず思っている節がある。
「ビジュアルにすれば角が生えた、大きかったり、体の色が著しく人間のそれと異なっていたり、あるいは目が一つだったり逆に増えて三つ以上だったりします。けれどそれは鬼の本質ではなく、自分たちとは異なるもの、あるいは怪異と呼ばれたよく分からない現象のことを、全て鬼と呼び、この言葉へと封じ込めてしまったのです」
「それじゃあ本当は鬼と一口に言っても、色々なもの、種類というか種族と呼ぶべきかは分からないが、そういうものたちがいた、と?」
「ええ、そうです。時代が進む毎に言葉というものは変異してしまいます。例えばかつては好きとか愛しているとか、そんな言葉はこの国には存在しませんでした。大悟さんは何か好きなもの、あるいは人が、いらっしゃるでしょう?」
鬼の話をしていたのに急にそんな話題を振られ、大悟は軽く噎せた。「あ、えっと」
「そういう対象に対して今なら好きだ愛していると言えるでしょう。でもその言葉がなかった時代。ずっと古く、まだこの野山に沢山の異形が存在していた頃です。人々はその気持ち、思いを歌に託して詠みました。現代まで遺る多くの歌に恋や大切な人を思ってのものが多いのは、言葉以上に歌というものが人の気持ちを代弁する手段だったからでしょうね」
「そうだな」
「この世に言葉というものが生まれてからずっと、人間はその言葉によって何かを伝え、言葉によって何かを知り、言葉によって互いを分かり合おうとしました。けれど言葉というのは小さな箱です。その箱に入り切らないものの方がこの世界にはずっと多い。けれどそれを無理やりに詰め込んでしまえば、かつてそこに存在していたものは消えてしまうんです。それが――」
「鬼?」
はい――と森ノ宮静華は力強く頷いた。
まるでいつも姉の話に付き合っている時のようだ。最近でこそ、こういった話を滔々と語る、なんてことはなくなったが、小さい頃はまるで子守唄のようにして大悟の耳元で囁き続けた。睡眠学習でもさせていたのだろうか。けれどそういった知識は残念ながら大悟の脳みそには定着せず、何度聞いても忘れてしまう。関心のない物事というのは右から左に抜けてしまうのが、人間の悲しい性だろう。
けれどそれが森ノ宮静華によって語られるとすんなりと大悟の頭に入ってくる。当然いつもより話者に対しての関心度が高いというモチベーション的な問題もあるだろうが、彼女の話し方も上手かった。
「この鬼というものの中には、誰もが想像する角のある異形ばかりでなく、渡来人も含まれていました。かつての日本は海外から多くの技術者が入ってきていたのです。技術だけではありません。食べ物や文化も、彼らによって持ち込まれました。その技術者もそれこそ個人ではなく、種族、あるいは民族という集団で移住してきたのです。陰陽師の起源はそういった技術者集団の中から生まれました」
「じゃあ、陰陽師も鬼だった、と?」
「そうとも言えます。けれど実際は鬼という言葉を用いて、彼らを鬼にしたのが陰陽師だったのです」
その言葉を森ノ宮静華が声にした時、窓が閉め切られているはずのこの図書室の中に、一陣の風が抜けていった。
「陰陽師です」
海螺貝が口にするならハンバーガーやオムライスといった、誰が聞いても違和感のないワードだが、これが彼以外の他人、しかもあの森ノ宮静華からとなると話は変わってくる。
「あの、陰陽師ですか」
「あの、というのがどの陰陽師か分かりかねますが」
「ああいうオカルト的なものです」
「オカルト――」
そこで彼女は声を低くして、言葉を区切った。
「えっと、何かまずいことでも言ったかな」
「はい」
彼女のはっきりとした「はい」を聞き、大悟は今すぐ頭を抱えたくなる。けれども彼女に左腕を掴まれた状態ではそれも叶わない。
「オカルトという用語はあまり好きではありません。この世には理解できない不可解な現象や事件が沢山あります。科学では解明できないものも。そういったものに対してどこか揶揄するような向きでオカルトと呼ぶのは間違っています。自分が理解できないもの、理解しようとしないものだからと馬鹿にしてはいけない。そうは思いませんか?」
その饒舌な、流れるような言葉の羅列は、今までに大悟が抱いていた彼女の印象とはまるでそぐわないものだったにもかかわらず、何故か彼は嬉しくなってしまった。内容もちゃんとは理解していないし、彼女が何故そこまで憤っているのかも分からなかったけれど、それでも大悟は彼女の主張に対して大きく頷く。
「ああ、うん。それはよく分かる」
「でしょう? 確かに小説や漫画、映画になった陰陽師というのは何やらすごい能力を持っていたり、式神と呼ばれる家来を操ったりして、それは格好良く描かれていますが、歴史を紐解けば陰陽師というのは朝廷に仕える職業の一つだった訳です。それは現在でいえば文科省や厚労省、国交省や気象庁のようなもので、決してファンタジーの世界の架空のものではなかったのです」
同じような話は姉、もっといえばあの無口な父親からも聞かされたことがある。古い慣習を引きずっている家庭ではその家の家柄の基礎となる由緒や歴史、家系図といったものは滅法に大切なものだそうだ。ただ子どもの頃にそういった話を聞かされ過ぎた所為で、大悟は反面教師的にそういったものに対して世間で言うオカルト的な評価をしてしまいがちだった。
「彼らが正しく存在した時代、まだ平安と呼ばれていたような時代のことですが、そこには鬼と呼ばれる存在がいました」
だから鬼とか幽霊、お化けに妖怪といったものについても眉唾ものだと、姉という具体例がいるにもかかわらず思っている節がある。
「ビジュアルにすれば角が生えた、大きかったり、体の色が著しく人間のそれと異なっていたり、あるいは目が一つだったり逆に増えて三つ以上だったりします。けれどそれは鬼の本質ではなく、自分たちとは異なるもの、あるいは怪異と呼ばれたよく分からない現象のことを、全て鬼と呼び、この言葉へと封じ込めてしまったのです」
「それじゃあ本当は鬼と一口に言っても、色々なもの、種類というか種族と呼ぶべきかは分からないが、そういうものたちがいた、と?」
「ええ、そうです。時代が進む毎に言葉というものは変異してしまいます。例えばかつては好きとか愛しているとか、そんな言葉はこの国には存在しませんでした。大悟さんは何か好きなもの、あるいは人が、いらっしゃるでしょう?」
鬼の話をしていたのに急にそんな話題を振られ、大悟は軽く噎せた。「あ、えっと」
「そういう対象に対して今なら好きだ愛していると言えるでしょう。でもその言葉がなかった時代。ずっと古く、まだこの野山に沢山の異形が存在していた頃です。人々はその気持ち、思いを歌に託して詠みました。現代まで遺る多くの歌に恋や大切な人を思ってのものが多いのは、言葉以上に歌というものが人の気持ちを代弁する手段だったからでしょうね」
「そうだな」
「この世に言葉というものが生まれてからずっと、人間はその言葉によって何かを伝え、言葉によって何かを知り、言葉によって互いを分かり合おうとしました。けれど言葉というのは小さな箱です。その箱に入り切らないものの方がこの世界にはずっと多い。けれどそれを無理やりに詰め込んでしまえば、かつてそこに存在していたものは消えてしまうんです。それが――」
「鬼?」
はい――と森ノ宮静華は力強く頷いた。
まるでいつも姉の話に付き合っている時のようだ。最近でこそ、こういった話を滔々と語る、なんてことはなくなったが、小さい頃はまるで子守唄のようにして大悟の耳元で囁き続けた。睡眠学習でもさせていたのだろうか。けれどそういった知識は残念ながら大悟の脳みそには定着せず、何度聞いても忘れてしまう。関心のない物事というのは右から左に抜けてしまうのが、人間の悲しい性だろう。
けれどそれが森ノ宮静華によって語られるとすんなりと大悟の頭に入ってくる。当然いつもより話者に対しての関心度が高いというモチベーション的な問題もあるだろうが、彼女の話し方も上手かった。
「この鬼というものの中には、誰もが想像する角のある異形ばかりでなく、渡来人も含まれていました。かつての日本は海外から多くの技術者が入ってきていたのです。技術だけではありません。食べ物や文化も、彼らによって持ち込まれました。その技術者もそれこそ個人ではなく、種族、あるいは民族という集団で移住してきたのです。陰陽師の起源はそういった技術者集団の中から生まれました」
「じゃあ、陰陽師も鬼だった、と?」
「そうとも言えます。けれど実際は鬼という言葉を用いて、彼らを鬼にしたのが陰陽師だったのです」
その言葉を森ノ宮静華が声にした時、窓が閉め切られているはずのこの図書室の中に、一陣の風が抜けていった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
パーフェクトアンドロイド
ことは
キャラ文芸
アンドロイドが通うレアリティ学園。この学園の生徒たちは、インフィニティブレイン社の実験的試みによって開発されたアンドロイドだ。
だが俺、伏木真人(ふしぎまひと)は、この学園のアンドロイドたちとは決定的に違う。
俺はインフィニティブレイン社との契約で、モニターとしてこの学園に入学した。他の生徒たちを観察し、定期的に校長に報告することになっている。
レアリティ学園の新入生は100名。
そのうちアンドロイドは99名。
つまり俺は、生身の人間だ。
▶︎credit
表紙イラスト おーい
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

職業、種付けおじさん
gulu
キャラ文芸
遺伝子治療や改造が当たり前になった世界。
誰もが整った外見となり、病気に少しだけ強く体も丈夫になった。
だがそんな世界の裏側には、遺伝子改造によって誕生した怪物が存在していた。
人権もなく、悪人を法の外から裁く種付けおじさんである。
明日の命すら保障されない彼らは、それでもこの世界で懸命に生きている。
※小説家になろう、カクヨムでも連載中


百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる