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その日の放課後だった。大悟は返さなければならない本があるのを思い出し、図書室に立ち寄った。
この学校の校舎は三年前に新築されたばかりなのだけれど、場所の都合上、図書室が入る旧館は築五十年の歳月そのままに、未だに木造のじめっとした建物として残されている。何度も保護者や生徒から新築して欲しいという要望が出されたが、予算の関係なのか、未だに古いまま利用していた。
新館から渡り廊下を伝い、西側の旧館へと移動する。その第一歩から床がリノリウムのそれから板張りに変わり、踏み締める度にギシギシと軋んだ音が響く。こんな場所を夜中にでも歩こうものなら女子だけでなくホラーに弱い一部の男子も悲鳴を上げてしまうことだろう。
大悟はホラー映画は平気な部類だ。そもそも誰かが恐がらせようとして作っているのだから、どうやってびっくりさせてやろうか、背筋をぞくっとさせようか、そういう作る側の意図が見え隠れするのを巧妙に嗅ぎ取ってしまい、何かが訪れる一秒ほど前にはその恐怖の対象に対して身構える体勢が整ってしまう。勘が良いというのも、この手のものを楽しむには向いていないものだ。
いつもそうだが、やはり旧館には人気がない。誰の姿も見ない、というレベルではなく本当に人がいない。存在感がない。用事さえなければ大悟だってこんな場所に足を踏み入れたくはない。教師ですらほとんど近づかないというある意味でこの校内の禁足地とも言えた。
そこに今、大悟は足を踏み入れている。
建付けの悪くなったドアを開け、館内に入った。湿気が多く靴底が板張りの床に張り付くような感覚がある。暑くはないが、梅雨の時期のような空気に満たされていた。その上ややかび臭い。清掃作業は業者にでも入ってもらっているのだろうか。そう思って使われていない教室の窓の桟に指を這わせるとしっかりと埃がこびりついた。
――さっさと用事だけ済ませて戻ろう。
気味が悪いというよりも気分がよくない。空気もカビと埃が混ざっているのだろう。呼吸が幾分苦しい。
その息苦しさの所為だろうか。それとも独特のかび臭いのを嗅いだからか。大悟は自分の家の蔵での出来事を思い出してしまった。
――必要な時以外は開けてはならない。
そう云われていた蔵の扉が開いていた。まだ五歳だった大悟はそんな言付けを素直に守るような子どもではなかったし、そもそも自分で開けたのではなく最初から開いていたのだから何も悪くない。寧ろ勝手に開けた誰かの代わりに自分が閉めようと思ったのだから褒められたっておかしくない。それくらいの気概で中を覗いた。
一度も入ったことのなかった蔵は江戸時代よりも古い年代のものだと聞かされていたが、白壁には苔がはりつき、その上を蔦が這い回り、瓦はひびが入っている。いつ壊れるのだろうと思っていたくらいだ。
窓が閉め切られ、光源は入口から差し込む薄い光だけ。そんな薄暗い中によく恐がらずに足を踏み入れたものだ。一歩進めると床板が軋んだ。思わず悲鳴を上げそうになったが誰かに見られてはまずいと我慢して、その暗闇で目を凝らした。見えてきたのは巻物状になった本や、油紙で包まれたよく分からないもの(おそらくは着物かその類)、綴じ本、青銅や真鍮製の調度品などだ。棚の中に雑に入れられていた。
おそらくはそれなりに価値のあるものばかりなのだろうが、子どもにとっては何とも退屈な物ばかりだった。
――もう出よう。
そう思いながらも、置いてある幾つかの木箱をかき分け、更に奥へと足を踏み入れた時だった。ライトなどないはずなのに、そこだけがぼんやりと光っていた。飾られていたのはひと振りの刀だ。それも鞘はなく、抜き身になっていた。
本物の日本刀など目にしたことのない子どもにとって、それは何とも魅力的だった。触れてみたい。手にして振り回して、可能なら何かを斬りつけてみたい。男の子の夢だろう。
けれどその刀は、大悟が近づくのを待たずにすうっと音もなく立ち上がると、彼の目の前に浮かんだ。意味の分からない大悟はそれを呆然と目にしながら、一体何が起こるのかと見ていただけだった。その光る刀は何も言わず、一度僅かに持ち上がると、そこから一気に大悟の小さな頭目掛けて振り下ろされた。
「危ない!」
姉の声だった。それを聞いていなければ、大悟の体は真っ二つになっていただろう。咄嗟に反応した彼の右肩を僅かに掠め、刀は床板へとその先端が突き刺さった。それで収まったかと思いきや、刀身はわなわなと震え、カタカタと音を慣らして自身をそこから引き抜こうとする。
「大悟!」
そこに駆け込んできた姉は何か唱え、手にしていた布をその刀へと巻き付けた。覆われた刀はまるで網に掛かった獣のようにばたばたと暴れていたが、姉がお札を貼り付けると糸が切れたかのように大人しくなり、その発光もなくなってしまった。
蔵に静寂を取り戻すと、姉は涙を浮かべて無事だった大悟を抱き締めた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
「ううん、いいのよ。大悟は何も悪くないの。お姉ちゃんが悪かっただけだから」
自分が悪い。そう言った姉は、けれどあの刀が何だったのか、何も話してくれないままこの世を去った。幽霊となって大悟に話しかけている今でも、蔵の一件については何も言ってくれない。
ただあの件以降、大悟は古い建造物特有の湿っぽい空気があまり得意じゃなかった。
この学校の校舎は三年前に新築されたばかりなのだけれど、場所の都合上、図書室が入る旧館は築五十年の歳月そのままに、未だに木造のじめっとした建物として残されている。何度も保護者や生徒から新築して欲しいという要望が出されたが、予算の関係なのか、未だに古いまま利用していた。
新館から渡り廊下を伝い、西側の旧館へと移動する。その第一歩から床がリノリウムのそれから板張りに変わり、踏み締める度にギシギシと軋んだ音が響く。こんな場所を夜中にでも歩こうものなら女子だけでなくホラーに弱い一部の男子も悲鳴を上げてしまうことだろう。
大悟はホラー映画は平気な部類だ。そもそも誰かが恐がらせようとして作っているのだから、どうやってびっくりさせてやろうか、背筋をぞくっとさせようか、そういう作る側の意図が見え隠れするのを巧妙に嗅ぎ取ってしまい、何かが訪れる一秒ほど前にはその恐怖の対象に対して身構える体勢が整ってしまう。勘が良いというのも、この手のものを楽しむには向いていないものだ。
いつもそうだが、やはり旧館には人気がない。誰の姿も見ない、というレベルではなく本当に人がいない。存在感がない。用事さえなければ大悟だってこんな場所に足を踏み入れたくはない。教師ですらほとんど近づかないというある意味でこの校内の禁足地とも言えた。
そこに今、大悟は足を踏み入れている。
建付けの悪くなったドアを開け、館内に入った。湿気が多く靴底が板張りの床に張り付くような感覚がある。暑くはないが、梅雨の時期のような空気に満たされていた。その上ややかび臭い。清掃作業は業者にでも入ってもらっているのだろうか。そう思って使われていない教室の窓の桟に指を這わせるとしっかりと埃がこびりついた。
――さっさと用事だけ済ませて戻ろう。
気味が悪いというよりも気分がよくない。空気もカビと埃が混ざっているのだろう。呼吸が幾分苦しい。
その息苦しさの所為だろうか。それとも独特のかび臭いのを嗅いだからか。大悟は自分の家の蔵での出来事を思い出してしまった。
――必要な時以外は開けてはならない。
そう云われていた蔵の扉が開いていた。まだ五歳だった大悟はそんな言付けを素直に守るような子どもではなかったし、そもそも自分で開けたのではなく最初から開いていたのだから何も悪くない。寧ろ勝手に開けた誰かの代わりに自分が閉めようと思ったのだから褒められたっておかしくない。それくらいの気概で中を覗いた。
一度も入ったことのなかった蔵は江戸時代よりも古い年代のものだと聞かされていたが、白壁には苔がはりつき、その上を蔦が這い回り、瓦はひびが入っている。いつ壊れるのだろうと思っていたくらいだ。
窓が閉め切られ、光源は入口から差し込む薄い光だけ。そんな薄暗い中によく恐がらずに足を踏み入れたものだ。一歩進めると床板が軋んだ。思わず悲鳴を上げそうになったが誰かに見られてはまずいと我慢して、その暗闇で目を凝らした。見えてきたのは巻物状になった本や、油紙で包まれたよく分からないもの(おそらくは着物かその類)、綴じ本、青銅や真鍮製の調度品などだ。棚の中に雑に入れられていた。
おそらくはそれなりに価値のあるものばかりなのだろうが、子どもにとっては何とも退屈な物ばかりだった。
――もう出よう。
そう思いながらも、置いてある幾つかの木箱をかき分け、更に奥へと足を踏み入れた時だった。ライトなどないはずなのに、そこだけがぼんやりと光っていた。飾られていたのはひと振りの刀だ。それも鞘はなく、抜き身になっていた。
本物の日本刀など目にしたことのない子どもにとって、それは何とも魅力的だった。触れてみたい。手にして振り回して、可能なら何かを斬りつけてみたい。男の子の夢だろう。
けれどその刀は、大悟が近づくのを待たずにすうっと音もなく立ち上がると、彼の目の前に浮かんだ。意味の分からない大悟はそれを呆然と目にしながら、一体何が起こるのかと見ていただけだった。その光る刀は何も言わず、一度僅かに持ち上がると、そこから一気に大悟の小さな頭目掛けて振り下ろされた。
「危ない!」
姉の声だった。それを聞いていなければ、大悟の体は真っ二つになっていただろう。咄嗟に反応した彼の右肩を僅かに掠め、刀は床板へとその先端が突き刺さった。それで収まったかと思いきや、刀身はわなわなと震え、カタカタと音を慣らして自身をそこから引き抜こうとする。
「大悟!」
そこに駆け込んできた姉は何か唱え、手にしていた布をその刀へと巻き付けた。覆われた刀はまるで網に掛かった獣のようにばたばたと暴れていたが、姉がお札を貼り付けると糸が切れたかのように大人しくなり、その発光もなくなってしまった。
蔵に静寂を取り戻すと、姉は涙を浮かべて無事だった大悟を抱き締めた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
「ううん、いいのよ。大悟は何も悪くないの。お姉ちゃんが悪かっただけだから」
自分が悪い。そう言った姉は、けれどあの刀が何だったのか、何も話してくれないままこの世を去った。幽霊となって大悟に話しかけている今でも、蔵の一件については何も言ってくれない。
ただあの件以降、大悟は古い建造物特有の湿っぽい空気があまり得意じゃなかった。
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