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この日は昼休みになっても珍しく姉が喋りかけてこなかった。あればあったで困ったものだが、無ければ無いでそれはそれで調子が狂う。
それでも本来はこんな風に妙な声が聞こえたり、それに頭を悩ませながら授業を受けたり、不意に受け答えしないように気をつけたり、する必要がないのだ。
――たまにはこういう日もいいだろう。
顎を手で支えながらうたた寝を決め込もうとしていた大悟だったが、それでも何となく眠ることが出来ずに、その視線を一番前の廊下側の席へ、それとなく投げた。当然そこには森ノ宮静華がいる。彼女はいつもの取り巻き三人衆「森ノ宮親衛隊」のメンバーに囲まれ、何やらこそこそと雑談をしていた。木村真奈、林田瑞枝、金森美佳の三人は大悟からすると髪型以外で見分けるのが難しい、実に雰囲気のよく似た三人だ。しかも名字に「木」の字を使っているという、偶然にしては出来杉な共通点も持っている。それぞれ木の数に合わせて一号、二号、三号と呼ばれていたが、本人たちはその名称を気に入っていないようだった。まあ当然か。
そのうちの一人、木村真奈の声が突然耳元で響いた。
「ねえ、静華さま、知っていらして? ささやき幽霊の怪のこと」
大悟の耳は良い方だと思うが、流石にこの距離でそれぞれの体で隠すようにして小さな声で話しているそれがこれほど鮮明に聞き取れるほどではない。姉の仕業だ。何が目的か知らないが、大悟は片方の目を瞑り、その話し声に集中した。
「ささやき幽霊ですか。そもそも幽霊の声というものを、私は聞いたことがありませんけれど、ささやくんですね?」
「はい、そうなんです」
「その怪異、というのは?」
取り巻き三人衆の話を聞くだけならこんなに耳に意識を傾けない。だが大悟にはそうすべき必然性があった。森ノ宮静華の声も一緒に聞こえてくるからだ。それも近くに立って盗み聞きしている、というよりは、大悟の耳に直接話しかけられているような、そんな距離感で聞こえてくる。姉の思惑に乗っているみたいで面白くないが、それでも森ノ宮静華の声の魅力には抗えない。
こういう体験は一度や二度ではない。ただ姉がくだらない話をこうやって盗み聞きさせたことはなく、ひょっとするとまた面倒なことに巻き込まれる予兆なのかも知れないが、聞かないでおこうとしたところで勝手に耳に、いや直接脳の中に響いてくるようなものを防ぐ手立てを、大悟は知らなかった。
「放課後、誰もいない教室に入ると急に停電して、知らない間に誰かにドアを閉められるんですって。おまけに鍵まで掛かっていて、閉じ込められてしまうの。ドアを叩いても声を上げても誰も答えず、暗い中に閉じ込められ、途方にくれて涙なんて浮かべている間に、今度はひゅうっと首筋を何かが通っていくんですって」
よくある学校の怪談の類だろう。これを森ノ宮静華がどういう気持ちで聞いているのかは分からない。表情が見えないからだ。それでも「ええ」と相槌が聞こえることから、全然興味がない、という訳ではないらしい。
「けれど誰? って聞いても答えがなく、手を伸ばしても何もない。じっと暗闇の中で震えていると今度は明らかに誰かが耳元に口を当てているのが分かるんですって。その誰かがですね、こうささやくんです――あ・な・た・が・す・き・よ――って!」
きゃあっ――と三人衆は声を上げたが、そのボリュームが大悟の耳にとってはあまりにも大きく鼓膜が破れるかと思ったほどで、思わず大悟まで同じタイミングで声を上げそうになったところを口を押さえ込んで何とか堪える。続いて「こわーい」と三人はハモったが、それは明らかに恐がっていない人間のものだった。当然森ノ宮静華も「本当に恐いですね」と、やや苦笑を含んだ返事を三人に返しただけだ。
この手の怪談の類というのは話し手の技量に左右される部分が大きい。怪奇オタクの海螺貝なら、もっと上手く演出し、誰もがつい声を上げてしまうような話しぶりで今と全く同じ内容を披露するだろう。
しばらく耳を傾けていたが、それ以上そのささやき幽霊の怪とやらの情報はなかったし、数秒で三人衆も森ノ宮静華の声も大悟の耳から遠ざかってしまった。姉が場所を移動したのだ。
「なあ」
大悟は小さく呼びかける。
「おい、いるんだろ?」
周囲には海螺貝も他の生徒も立っていない。
「なぁに、弟君」
「今のアレ、噂の出所はあんたじゃないだろうな?」
ささやき幽霊なんてものがいるとすれば、大悟にとっては正に姉の存在こそささやき幽霊だ。
「いくらあたしが幽霊だからってそんな真似しないわよ。だいたいね、学校っていう場所は建っているところもそうだし、色んな人間が無理やり一緒に生活させられているからちょっとした出来事でもすぐに七不思議に昇格しちゃうのよ」
「ならいいけど。じゃあ、どうして今のを俺に聞かせたりしたんだ?」
「理由なんてないわよ。まあ森ノ宮静華にもう少し興味を持ってみたら、っていうだけ」
「森ノ宮さんがどうかしたのかよ」
「案外あんたにお似合いだと思うんだけど、どう?」
妖精にお似合いなのはどこか別の世界にいる王子様くらいなものだろう。
「でもさ、もしあんたが幽霊に告白されたら、どう? 幽霊になってまであんたのことを好きでいてくれるなんて何だかロマンチックじゃない?」
「その幽霊が森ノ宮さんだったらな」
「何さ! それじゃあお姉ちゃんじゃ駄目ってことかい?」
「そもそも姉弟じゃあ何も感じないだろ。それ以前だよ」
「何だか引っかかる言い方」
「俺は幽霊よりも普通の人間に告白されたいよ」
「かあー! 大悟! あんたそれ、幽霊差別だからね!」
はいはい。そうですか――と大悟は姉の抗議に対しては何も返さず、大きな欠伸を一つした。
それでも本来はこんな風に妙な声が聞こえたり、それに頭を悩ませながら授業を受けたり、不意に受け答えしないように気をつけたり、する必要がないのだ。
――たまにはこういう日もいいだろう。
顎を手で支えながらうたた寝を決め込もうとしていた大悟だったが、それでも何となく眠ることが出来ずに、その視線を一番前の廊下側の席へ、それとなく投げた。当然そこには森ノ宮静華がいる。彼女はいつもの取り巻き三人衆「森ノ宮親衛隊」のメンバーに囲まれ、何やらこそこそと雑談をしていた。木村真奈、林田瑞枝、金森美佳の三人は大悟からすると髪型以外で見分けるのが難しい、実に雰囲気のよく似た三人だ。しかも名字に「木」の字を使っているという、偶然にしては出来杉な共通点も持っている。それぞれ木の数に合わせて一号、二号、三号と呼ばれていたが、本人たちはその名称を気に入っていないようだった。まあ当然か。
そのうちの一人、木村真奈の声が突然耳元で響いた。
「ねえ、静華さま、知っていらして? ささやき幽霊の怪のこと」
大悟の耳は良い方だと思うが、流石にこの距離でそれぞれの体で隠すようにして小さな声で話しているそれがこれほど鮮明に聞き取れるほどではない。姉の仕業だ。何が目的か知らないが、大悟は片方の目を瞑り、その話し声に集中した。
「ささやき幽霊ですか。そもそも幽霊の声というものを、私は聞いたことがありませんけれど、ささやくんですね?」
「はい、そうなんです」
「その怪異、というのは?」
取り巻き三人衆の話を聞くだけならこんなに耳に意識を傾けない。だが大悟にはそうすべき必然性があった。森ノ宮静華の声も一緒に聞こえてくるからだ。それも近くに立って盗み聞きしている、というよりは、大悟の耳に直接話しかけられているような、そんな距離感で聞こえてくる。姉の思惑に乗っているみたいで面白くないが、それでも森ノ宮静華の声の魅力には抗えない。
こういう体験は一度や二度ではない。ただ姉がくだらない話をこうやって盗み聞きさせたことはなく、ひょっとするとまた面倒なことに巻き込まれる予兆なのかも知れないが、聞かないでおこうとしたところで勝手に耳に、いや直接脳の中に響いてくるようなものを防ぐ手立てを、大悟は知らなかった。
「放課後、誰もいない教室に入ると急に停電して、知らない間に誰かにドアを閉められるんですって。おまけに鍵まで掛かっていて、閉じ込められてしまうの。ドアを叩いても声を上げても誰も答えず、暗い中に閉じ込められ、途方にくれて涙なんて浮かべている間に、今度はひゅうっと首筋を何かが通っていくんですって」
よくある学校の怪談の類だろう。これを森ノ宮静華がどういう気持ちで聞いているのかは分からない。表情が見えないからだ。それでも「ええ」と相槌が聞こえることから、全然興味がない、という訳ではないらしい。
「けれど誰? って聞いても答えがなく、手を伸ばしても何もない。じっと暗闇の中で震えていると今度は明らかに誰かが耳元に口を当てているのが分かるんですって。その誰かがですね、こうささやくんです――あ・な・た・が・す・き・よ――って!」
きゃあっ――と三人衆は声を上げたが、そのボリュームが大悟の耳にとってはあまりにも大きく鼓膜が破れるかと思ったほどで、思わず大悟まで同じタイミングで声を上げそうになったところを口を押さえ込んで何とか堪える。続いて「こわーい」と三人はハモったが、それは明らかに恐がっていない人間のものだった。当然森ノ宮静華も「本当に恐いですね」と、やや苦笑を含んだ返事を三人に返しただけだ。
この手の怪談の類というのは話し手の技量に左右される部分が大きい。怪奇オタクの海螺貝なら、もっと上手く演出し、誰もがつい声を上げてしまうような話しぶりで今と全く同じ内容を披露するだろう。
しばらく耳を傾けていたが、それ以上そのささやき幽霊の怪とやらの情報はなかったし、数秒で三人衆も森ノ宮静華の声も大悟の耳から遠ざかってしまった。姉が場所を移動したのだ。
「なあ」
大悟は小さく呼びかける。
「おい、いるんだろ?」
周囲には海螺貝も他の生徒も立っていない。
「なぁに、弟君」
「今のアレ、噂の出所はあんたじゃないだろうな?」
ささやき幽霊なんてものがいるとすれば、大悟にとっては正に姉の存在こそささやき幽霊だ。
「いくらあたしが幽霊だからってそんな真似しないわよ。だいたいね、学校っていう場所は建っているところもそうだし、色んな人間が無理やり一緒に生活させられているからちょっとした出来事でもすぐに七不思議に昇格しちゃうのよ」
「ならいいけど。じゃあ、どうして今のを俺に聞かせたりしたんだ?」
「理由なんてないわよ。まあ森ノ宮静華にもう少し興味を持ってみたら、っていうだけ」
「森ノ宮さんがどうかしたのかよ」
「案外あんたにお似合いだと思うんだけど、どう?」
妖精にお似合いなのはどこか別の世界にいる王子様くらいなものだろう。
「でもさ、もしあんたが幽霊に告白されたら、どう? 幽霊になってまであんたのことを好きでいてくれるなんて何だかロマンチックじゃない?」
「その幽霊が森ノ宮さんだったらな」
「何さ! それじゃあお姉ちゃんじゃ駄目ってことかい?」
「そもそも姉弟じゃあ何も感じないだろ。それ以前だよ」
「何だか引っかかる言い方」
「俺は幽霊よりも普通の人間に告白されたいよ」
「かあー! 大悟! あんたそれ、幽霊差別だからね!」
はいはい。そうですか――と大悟は姉の抗議に対しては何も返さず、大きな欠伸を一つした。
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