上 下
12 / 37
第二章 硝子の靴

1

しおりを挟む
 見上げると木れ日が差し込んでいる。
 そこは木々に囲まれた泉のほとりだった。
 チェルはあの辛気臭い場所から離れられただけで随分ずいぶんと気分が良くなっていたが、自分が妙に弾力のある椅子に座っていることに気づいて足元を見た。そこには大きく横たわる毛皮のもふもふが置かれている。

 ――あ。

 彼だ。
 チェルたちがいた世界ではヴァーンストル侯爵を名乗り、その傍若無人ぼうじゃくぶじん嗜虐しぎゃく趣味な暴君の有様から誰ともなく「オオカミ卿」と呼んでいた。
 しかし今や彼はただのオオカミである。自分の領土も持たず、臣下もなく、ましてや人ですらない。

「おい、小娘。いつまでわしの上に載っているつもりだ?」
「あら、もう起きていたの? 眠っていたから盗賊に大事なものを取られないよう、見張っていてあげたのよ」

 よいしょ、と彼女がその毛皮の塊から降りると、塊だったものは四肢を踏ん張り、一気に立ち上がる。かつての二メートル近い巨漢ではないものの、それでもチェルよりは頭二つほど大きい。頭部がオオカミで全身を触り心地の良い黒色の毛並みでおおわれているので、一瞬熊のように見えないこともない。

「小娘が、これさえ無ければ今直ぐにその首をひねってくれるものを」

 これ、と卿が呼んだのは自分の首に付けられた鎖の付いた首輪だ。その鎖の先端は二十センチほどで途切れているが、どこにもつながっていないという訳ではないらしい。
 その証拠にチェルに向けてその右腕の鋭い爪先を思い切り近づけて喉元を切り裂こうとすると、

「うげっ」

 首輪が締まり、更に背中の方へと引っ張られてしまう。

「あの女神女、儂に何てものを付けてくれたんだ。全く」
「あんたが誰彼構わずに殴りつけたり、ましてや殺そうとしないようにでしょ。あたしだって殺人犯の相棒を持ちたくはないわよ」

 相棒、という言葉を卿に使い、自分で言いながらもチェルは背筋がぞわぞわとしてしまう。
 しかしこの世界では唯一自分を知る人間(見た目はどう考えてもオオカミだったが)は、このクソオオカミ卿しかいない。それは同時に頼ることができるのも、このオオカミ面しかいないということだった。
 チェルたちがこの森に落とされる一時間ほど前、あの自称女神はチェルたちにこんな提案をした。

「あなたたちが、侵食され、物語のことわりが壊れてしまっているそれぞれの世界に行って物語を正しい方向に修正してくれたら、あなたたち赤ずきんの世界も元通りになるんじゃないかしら」
「そういうのは女神であるあんたがやればいいんじゃないの? そもそもあたしらはただの世界の欠片なんでしょう?」
「それがね、女神はそれぞれの世界に対して力の行使ができないのよ。世界独立の原則と言ってね」
「何故そんな面倒なことを儂がやらねばならんのだ?」
「だってあなたたち、元の世界に戻りたいでしょ? 」
「いや。儂は元の世界に戻りたい訳ではない。どこでも良い。ただ権力さえあれば。力を使い、多くの弱者をなぶる。それこそが至上のよろこびなのだ。その悦楽を得たいが為に苦労して領主となったのに、その世界がないだと? そんなバカな話があるか」
「この嗜虐フェチは置いといて、あたしは世界が元通りになるのなら、少しくらい付き合ってあげてもいいわよ。お母さんはどうでもいいけど、お祖母ちゃんにはもう少し生きててもらいたいし」
「そう。じゃあ決まりね」
「おい」

 こうしてオオカミ卿、ではなくただのオオカミの意思を無視し、チェルたちは崩壊する世界の世直しをすることとなった。
 そしてやってきたのが『シンデレラ』と呼ばれる世界である。

「で、ここどこよ?」

 泉を覗き込むと太陽が反射して煌いている。できれば日が高い内にそのシンデレラなる少女に出会いたい。
 チェルは自分の右腕にされた腕輪を見て、話しかけた。

「ねえ。聞こえる?」
「まだ……通信状況がよくない……みたい……一応、声は……わか……」

 チェルたちが他の世界の人や物を傷つけないように監視する不思議な首輪と腕輪は、一方で女神の部屋にいる彼女と連絡を取ることができるという機能も備えていた。ただ、どうも世界の状態が安定していないと上手く使えないらしく、さっきから何度か話しかけているが、ずっとこんな調子なのだ。
 女神がいくら自分を物語の神だ、世界を管理する者だと誇ったところで、どうにも頼りない姿しか見せてもらえない。
 チェルは連絡を取るのは諦め、彼女から事前に聞かされた情報を整理しつつ、歩き出す。

「おい。そちらで良いのか?」
「知らないわよ。そもそもここがどこか、まずそれを知らなきゃでしょ?」

 幸い、細くて背の高い、葉が鋭くなったアースヴェルトの森でもよく見かけた種類の樹木が立ち並んでいる。トウヒやモミと呼ばれている木だ。それが適度に間を保って生えていた。足元には茶色の羽を重ねて楕円状のボールのようになったそれらの実が落ちている。
 それが多く落ちている場所と、少ない場所があり、幾つかは明らかに何かが踏みつけた跡が見つかった。

「この泉に水を汲みに来ているのよ」
「誰が?」
「これからその人物に会いに行くわ。あんた、大人しくしてなさいよ」
「そりゃあ相手次第だ。無礼者なら四の五の言わずにこの爪で……あ痛たたた。クソ! この首輪が!」

 勝手に自分で苦しくなってゲホゲホとやっているオオカミは無視し、チェルは人が歩いて出来たらしい野道に沿って進んで行った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

異世界転生~チート魔法でスローライフ

リョンコ
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

天才女薬学者 聖徳晴子の異世界転生

西洋司
ファンタジー
妙齢の薬学者 聖徳晴子(せいとく・はるこ)は、絶世の美貌の持ち主だ。 彼女は思考の並列化作業を得意とする、いわゆる天才。 精力的にフィールドワークをこなし、ついにエリクサーの開発間際というところで、放火で殺されてしまった。 晴子は、権力者達から、その地位を脅かす存在、「敵」と見做されてしまったのだ。 死後、晴子は天界で女神様からこう提案された。 「あなたは生前7人分の活躍をしましたので、異世界行きのチケットが7枚もあるんですよ。もしよろしければ、一度に使い切ってみては如何ですか?」 晴子はその提案を受け容れ、異世界へと旅立った。

システムバグで輪廻の輪から外れましたが、便利グッズ詰め合わせ付きで他の星に転生しました。

大国 鹿児
ファンタジー
輪廻転生のシステムのバグで輪廻の輪から外れちゃった! でも神様から便利なチートグッズ(笑)の詰め合わせをもらって、 他の星に転生しました!特に使命も無いなら自由気ままに生きてみよう! 主人公はチート無双するのか!? それともハーレムか!? はたまた、壮大なファンタジーが始まるのか!? いえ、実は単なる趣味全開の主人公です。 色々な秘密がだんだん明らかになりますので、ゆっくりとお楽しみください。 *** 作品について *** この作品は、真面目なチート物ではありません。 コメディーやギャグ要素やネタの多い作品となっております 重厚な世界観や派手な戦闘描写、ざまあ展開などをお求めの方は、 この作品をスルーして下さい。 *カクヨム様,小説家になろう様でも、別PNで先行して投稿しております。

処理中です...