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第十章 「私たちの篝火(かがりび)」

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 夜が訪れていた。
 旭川の夜は、特に冬のそれは、とても外になんて出ていられない。
 それなのに祐二君は外に出て、星空を見上げていた。

「風邪引くよ」
「一度見てみたかったんですよ。だって俺、ほとんど東京から出たことないんですから」

 まるで子供みたいだ。
 そんな彼を放っておいて私は中に戻り、ストーブで暖められた部屋の奥の寝室に、布団を準備する。彼氏が訪ねてきたと言ったら安枝さんが旦那さんの布団を貸してくれると言い出したのだけれど、流石にそれは断った。
 でも暫く一緒に住むのなら、彼の分も用意しないといけない。
 それとも、祐二君が言っていたようにそう遠くない未来に警察が訪ねてくるだろうか。
 未来は、分からない。
 私は枕を置くと、今度は浴室に向かう。とても二人一緒には入れない小さな湯船だけれど、お湯を張るとなると結構時間が掛かる。
 まだ半分ほどしか水位がなかったが、蛇口からどんどん湯船に落ちていくのを見ていると、初めて保広がマンションに泊まりに来た日のことを思い出した。こんなことを彼に言ったら、怒るだろうか。

「ねえ、海月さん」
「はーい」

 私は大声を上げて彼に答える。

「こっちか。あのさ」

 いきなり磨りガラスのドアを開けて入ってきたから、びっくりしてそのまま湯船に落ちてしまう。

「海月さん!」

 彼は慌てて手を伸ばしたけれど、当然間に合わず、思い切り跳ねたお湯が彼の上着まで濡らしてしまった。
 私を見て、彼は笑い出す。
 だから私もおかしくなって、笑った。

「一緒に入りましょうか」
「え? 本気?」

 顔を赤くしたのは、私よりも彼の方だった。

 私の背中を、彼が洗ってくれる。
 大きなスポンジがぬるぬるとして泡立ち、それが力強く擦られて、少し痛い。

「あ、ごめん。他の人の背中とか、洗ったことないから」
「貸してみて」

 私は振り向いてスポンジを受け取ると、彼の大きな胸の上に円を描く。
 くすぐったそうな声を漏らすから、楽しくなって、そのまま手に泡を付けて、彼の体を洗った。

「海月さん……」

 苦しそうな声を出すから何かと思ったら、泡に塗れた股間のものが大きくなっていて、それの先端に私の肘が触れてしまったのだ。

「ごめん」
「いえ、その……もう恥ずかしくて」
「……うん」

 そう答えたけれど、そっと大きくなった彼のものに手を伸ばす。

「海月さん?」
「綺麗に、しておかないとね」
「う、うん」

 洗う。
 沢山の毛があったけれど、男性一人一人違うのだろうか。保広のはもっとヘソの方まで伸びていた気がする。

「あ……」

 何だろう。

「ごめん」

 何故か彼が謝る。
 見ると私の胸に、白いものが掛かっていた。

「あぁ、そっか……ごめんなさい」
「ううん。俺の方こそ、その……ごめん」

 二人とも謝り合って、どうしようもなかったので、私は髪を洗うことにして、彼に先に湯船に浸かってもらった。

「海月さん」
「何?」
「本当に、いいんですか」

 ここに来て一ヶ月以上になる。その間に随分ずいぶんと髪が伸びてしまって、乳房に掛かる泡塗れの髪の毛を両手で持ち上げては、擦り合わせる。

「祐二君は、どういうつもりでここまで来たの?」
「俺は……安心したかったから、かな」
「安心?」
「海月さんが泣いてないっていう、安心」

 それなら沢山泣いていた。
 今だって目を開けば涙が滲んでいる。

「祐二君。私ね、本当は死んでもいい、って思ってたの。この家で、寒さに震えたまま、朝起きたら冷たくなっているような、そんな死に方だったとしても構わないって」
「海月さん……」
「けどね、目を閉じるとあなたの笑顔が浮かぶの。私を呼ぶ声が聴こえる。それを感じる度に、死ぬよりも苦しいことがまだあったんだって、分かったの」

 水音がして、彼が立ち上がったのが分かった。

「祐二君?」

 首筋から腕が回される。抱き締められて、胸が苦しくなった。

「泡塗れになるよ」
「海月さんが生きていてくれて、本当に良かった」
「うん」


 浴室を出ると、裸のまま二人で一つの布団に入った。
 彼は仰向きになった私の上に重なり、それから一つ、口づけをする。

「また、汗で汚れるよ?」
「それでもいい」

 私も同じ気持ちだった。

「祐二君」

 唇を吸う。

「海月さん」

 ついばむようにして応えてくれる。
 これが最後になるかも知れない。
 それなら、心に、体に、刻みつけておきたい。

「あぁ」

 声が漏れる。
 彼の吐息が、私の乳房を犯した。
 私は彼の頭に両手を当てて、その髪の毛を無茶苦茶にする。
 熱い。
 体が擦れ合い、体温を高めていく。
 逃げ出したくなるようなむずがゆさに、何度も声を上げる。
 その声をふさがれるようにして、彼の唇が合わさる。
 何度も、何度も、互いを求め合った。
 彼のそれも、私のあれも、もう、待ちきれなくなって、どちらからともなく、

「いい」
「うん」

 そんな合意があった。
 覚悟を決める。
 彼の体が一瞬静止して、それからゆっくりと腰が沈められる。

「ん」

 小さな声だった。

「ごめん、その」
「大丈夫」

 少しずつ開いて、私は彼を受け入れる。もっと奥、その奥までと彼の背中に腕を回した。

「あぁ」

 一番奥まった部分まで届いてしまうと、彼も一緒に声を上げる。

「いいよ」
「ごめん」

 それはすぐに大きくなり、私の中で暴れる。
 どちらの声なのか、分からなくなった。
 ただ一緒に愛し合っている。
 その感情だけが、心地良かった。
 祐二君で体の全てが埋め尽くされて、それだけを感じていた。
 感じていたかった。
 何度目かの閃きに、不思議な光景が見えた。
 空。
 真っ白な太陽が昇っている。
 そこに薄い円が、広がっていた。
 ああ、そうか。
 これは函館のペンションで見た、あの奇跡の虹だ。

 ――白虹しろにじ

 美しかった。
 自然が起こす奇跡。
 それを今、私は全身で感じていた。

「海月さん!」
「祐二君!」

 彼が、すぐ傍にいる。
 それが幸福でなくて、何なのだろう。
 どこまでも飛んでいける気がした。
 誰よりも幸せになれる気がした。
 私は、
 どこまでも届く祈りの声を、
 上げていた。
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