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第八章 「壊れた非常灯」

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 翌日、私はドロシーズの前で肌寒さを我慢して待っていた。
 時間は待ち合わせの一時を回っていたが、まだその男は現れない。スマートフォンを確認しても何も通知がなかった。そもそも本当にそんな簡単に消費者ローンから借りたお金の保証人の件がどうにかなるものなのだろうか、という疑問があったから、祐二君には何も言わないでおいた。

「あのー」

 声を掛けてきたのは派手な開襟シャツの、以前彼のアパートを訪ねてきた東南アジア風の男だった。

「浅野海月さん、ですね?」

 目元に笑みを浮かべながら、男は梁と名乗った。在日三世なのだと言うが韓国系には見えない。

「それじゃあ、ちょっと付いてきて下さい」
「はい……」

 私は彼に続いて駅の方に歩き出した。

「あいつにこの辺を紹介したのは、私なんですよね。住宅が多くて、この時間帯になると少し静かでしょう。うるさい場所は苦手なんですよ。それに商売が忙しなくなる。ロウソク屋なんてものはこそっと日陰でやってるのが合ってるって思うんですよ。どうですか、海月さん」
「え、あ、はい」

 下の名前で呼ばれたけれど、その馴れ馴れしさを我慢して私は愛想笑いを返す。

「金森は割と良い奴なんですよ。うまく人を取り込む素質があるし、頭の回転も早い。何より私と違って人に怪しまれない。こういうのはね、人徳って言って、生まれた時から半分決まってるようなもんなんですよ」

 不思議なテンションの男だった。戸惑っている私に構わずに金森のことについてああだこうだと話しながら、路地を歩いていく。

「あ、こっちです」

 駅に向かうのかと思ったら、途中で曲がる。
 車が一台通れる程度の狭い道だ。両脇には雑居ビルが並んでいたが、その中にぽつぽつと派手な色の看板が見えた。

「金森とは、知り合いだったんですよね?」
「ええ。キャンドル教室に通っていたので」
「いやいや、そういうことじゃないでしょう。聞いてるんですよ。あいつと付き合ってたんでしょ?」

 彼は何を話したのだろう。
 私は急に喉が乾き始める。

「結婚したい女がいるって言われた時には驚きましたよ。あのホモ野郎が結婚? それも女性とだって。一体何考えてんのかって殴ってやりましたよ」

 ここまでずっと見てきたが、この男の笑顔は本心からのそれではないのだと分かった。

「まだ離婚してないんですよね?」
「まだとか、そんなのありません。これからだって」
「そうは言っても、人の関係なんてすぐ壊れますよ……あ、ここです。どうぞ」

 立ち止まって、梁は手をその建物の入り口へと向けた。
 ホテルシャンティ。
 どう見てもビジネスホテルではなかった。

「あの」
「ここで、話しましょう。最近は設備が本当に良くなってて、カラオケボックスなんかよりよっぽど会議に向くんですよ。ね?」

 背中に汗が吹き出す。
 それでも、これで祐二君を助けられるなら、という気持ちがその背を押した。

 部屋に入ると、梁は外で電話をしてくると言って少し待たされる。
 大きなベッドが中央にあり、天蓋てんがいが掛けられている。確かに大昔に保広に頼まれて何度か入った時に目にしたそれとは、随分様変わりしている。綺麗だし、枕元に置かれたグッズを見なければ、ちょっと値段の張るホテルだと思えた。

「すみませんね。ちょっと立て込んでまして……ああ、そのベッドに座って下さい」
「え?」
「そこです。その方が見栄えが良いんで」

 私は訳が分からないまま、ベッドに腰を下ろす。クッションがよく効いて、うまく座れずに背中から転んでしまった。

「ああ、いいですね。そういう慣れてないっぽいのが、一番ウケるんですよ」
「何なんですか?」

 体を起こすと、梁の手には小型のカメラが握られていた。

「何してるんですか!」
「交渉ですよ。だって海月さん、その為にここに来たんでしょう?」

 頭の中いっぱいに後悔が広がった。
 嘘だ、と叫び出したかった。
 遠くでドアの開閉音がして、知らない男が二人、入ってくる。

「……祐二君の件、本当に何とかしてくれるんですよね?」

 男たちが服を脱ぎ始めたのを横目に、私は梁をにらみつける。

「ええ。そういう約束です。ちゃんとここに書類も用意してありますよ」

 そう言って梁は足元に置いたバックパックから取り出した封筒を、テーブルの上に投げた。中を確かめると『鳥井祐二の保証人解除手続きについて』と書かれた書類が収められていた。

「本当、ですね?」
「ああ。いい覚悟の目だ。流石に金森をたらした女だ。あんた、好きだぜ」

 梁は舌なめずりすると、筋肉質な男二人に「はじめろ」と冷たく言い放った。
 私は自分を抱き締めたまま、目を閉じて息を止めた。
 どうなってもいい。
 それでもこれが彼の為になるのならば。
 その思いを胸に抱いて目を開けると、両隣に座った男たちが私の体をまさぐりはじめた。

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