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第五章 「蕩けるロウソク」

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 お盆前の日曜日だった。

「よくお休みいただけたわね」
「ちょうど土日臨時休業するから、運が良かったんです」

 最近ドロシーズは休むことが多いらしい。キャンドル教室の予約は八割程度埋まっているそうだが、それも何度か延期になったりキャンセルしたりすることもあるらしい。ここ最近、金森から私への連絡もすっかり途絶えてしまっていた。

 会館の大ホールに入ると、客席の半分は既に埋まっていた。隣に座った祐二君はきょろきょろと舞台から客席から二階や三階席まで見回していたけれど、ブザーが鳴って照明が落とされるとすっかり黙り込んでステージ上に集中していた。
 パンフレットには出演キャストのプロフィールや白鳥の湖の簡単なあらすじが書かれていたけれど、学生時代にやっていた当時の知識しかない私には、あまり馴染なじみのない外国人演者ばかりだった。舞台は四幕構成で、白鳥に変えられたヒロインのオデットとジークフリード王子が出会い、悪魔ロットバルトを打ち破って結ばれる王道の物語だ。

「今回は普通のエンドなんですね」

 彼が体を傾け、小声で言った。

「ほら、白鳥の湖って悲劇的な終わりもあるじゃないですか。二人ともが湖に身を投げて死んでしまうという。あれとは違うんだと思って、ほっとしました」
「悲劇は嫌い?」
「そうじゃないですけど……」

 祐二君の目が私をちらりと見やってから微笑し、再びステージの方に戻っていった。
 チャイコフスキー作曲の交響曲が背景を彩る。オーボエの細く美しい音が響き、それが包み込まれるように金管楽器の波が広がる。
 ヒロインの演者は白鳥オデットの時には線の細い印象だったが、それが悪魔ロットバルトの手により生み出された偽のオデット、黒鳥オディール役になると、力強い踊りでジークフリードだけでなく、観客も魅了した。
 それは女性が本来持つ二面性のように思えて、私にもそんなオディールのような黒い面が備わっているのかも知れない、と少しだけ恐ろしくなる。
 そんな不安を気取られたのだろうか。
 そっと彼の手が私の左手を握り、体温を交換した。

 たっぷり二時間以上掛かった公演は、隣に祐二君がいたからか、思った以上に全身に疲労が伸し掛かっていた。
 彼に手を取ってもらって会館の外に出ながら、通りにあふれ出す人混みの列に引きずられそうになる。

「危ないですよ」
「ごめんなさい……」

 引っ張られて彼の胸元に顔が近づく。

「えっと、どこかで食べてから帰りますか?」

 時計を見ればまだ六時前だ。それでも家族のことを考えると晩ご飯の準備に戻った方がいい。

「そうしたいんだけど……」
「あ、いえ。無理にとかって訳じゃないんで。そうですよね」

 祐二君は苦笑したまま続けて何か言おうとしたが、口を開けただけでその言葉を呑み込んだ。きっと私も同じことを考えた。それに思い至って、私は彼に握られていた手を突き放してしまう。

「……ごめんね」
「謝ることないですよ。その……分かってますから」

 ――分かっている。

 その言葉が、罪悪感だった。
 私たちは最寄り駅まで、黙ったまま並んで歩いた。
 同じように駅を目指して歩いていた人たちは、私と彼の組み合わせをどんな風に見ているだろう。
 歳の離れたカップル。
 母と息子。
 何か訳ありの、男女。

「ねえ、祐二君」
「はい?」

 私はその思いを振り切り、一つだけ気になっていたことを訊く。

「あなたのお母様のことなんだけど……その、水商売をやられたとか、父親がヤクザだったとか」
「何ですかそれ? 誰がそんなこと言ってたんですか?」

 そう言って、祐二君は困惑していた。
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