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第四章 「ひび割れた白熱球」

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 保広やすひろだけが、夜遅くに帰ってきた。
 既に寝間着姿になっていた私は、いつもの調子で「また飲んできたんでしょ」と言いながら、夫が渡すスーツの上着を受け取って、ハンガーに掛ける。

灯里ともりは今日もお泊りか?」
「ええ。また友達の家ですって」
「男友達じゃないだろうな」
「あなたはうちの娘はよくモテるんだとか喜んでたじゃないですか」
「それとこれとは違うだろ。自分の体を大事に出来ない女は、いつか不幸になるんだよ。人生そういうもんなんだよ」
「少し飲みすぎだって」

 胸の奥が、げ付くようだった。
 私はリビングまで辿り着いて眠ってしまった保広を何とかソファに座らせて、毛布を持ってくる。
 ほおきながら、何とも幸せそうに笑って聞き取れない寝言を呟いている。その彼に毛布を掛けてあげると、目を閉じたまま私の腕を掴んで、思い切り抱き寄せた。あまりのことで私はそのまま彼の胸にダイブしてしまう。

海月みつきちゃん……」

 呼んでいたのは、私の名前だった。
 ここで浮気相手の名前でも言われたら、もっとこの人に対して冷めてあげられるのに、と思わないでもない。
 私は眠ったままの保広の首筋に、顔を突っ込んだ。彼の体温を感じる。それが安心する。知っている匂いが、包み込んでくれる。

「最近、全然だよね……」

 酒臭い唇に、自分の唇を重ねる。唾液がアルコールと混ざったみたいで、何だか体温が上がる。

「保広……」

 抱き締める。
 下腹部が、久しぶりにこじ開けられた女の部分が、切ない。
 なんか、自分が変だ。
 私はどうしていいか分からずに、声を押し殺して、彼のぬくもりに顔を埋めた。
 涙が全てのおりを、洗い流してくれればいいのに。


 カレンダーをめくり、八月にする。
 夏はどこかに旅行をしたい、なんて言っていたのに、結局何もしないまま終わってしまうんじゃないだろうか。けれどそうやって計画を立てたり、あれがしたいこれがしたいと妄想でもしている方が楽しかったりする。

 掃除機を掛け終えて、私は友理恵ゆりえから借りた恋愛小説の文庫本を開いた。最近の彼女はどうも小説より漫画の方が読むのが楽だから、専らコミックを、それこそ子供向けから大人向けまで気にせずに読み漁っていると言っていた。
 一緒に出かけている時の電車内とかでも友理恵はスマートフォンの漫画アプリを開いて読んだりしているけれど、私はどうにもそういったことは苦手みたいだ。紙の本の安心感が、恋しくなる。
 物語は自分と同年代くらいの男女のラブロマンスだった。どちらも既婚者で、世間的にはW不倫と呼ぶのだろうか。子育ても終えて、冷めきった夫婦関係から抜け出すように、どちらともなく互いを求める。でも読んでいると二人ともただ今の境遇から抜け出したいだけで、そこに愛情なんてないように思えた。

 ただ、互いの肉体を求めたいだけ。
 そんな関係もあるだろう。
 ひょっとすると金森もそうなのだろうか。
 あれからスマートフォンに彼の連絡は入らない。
 鳥井君からは、あれからも時々LINEが入った。大半は灯里とのデートがあるとか、そんな連絡だった。どうしてわざわざ寄越すのかを一度聞いてみたいと思うけれど、その質問をしてしまうことで、退屈な日々の中の小さなときめきの火を消してしまうようなことになったら、と思うとどうしても出来ない。
 幻でもいいから、すがっていたい優しさもある。
 そんなことを考えていたからか、彼からLINEが入る。

> 今日パート休みですよね? 俺も午後空いたんで、久々に会いませんか?

 どうして、私なんかを誘うのだろう。
 嬉しすぎてすぐ「いいよ」とだけ返信してしまった。

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