21 / 80
第三章 「ホテルのネオンサイン」
8
しおりを挟む
駅前でタクシーを捕まえて、真っ直ぐに家まで戻るつもりだった。
けれどドアを閉めてもらったところで、スマートフォンに友里恵から着信が入る。
「あ、はい。もしもし」
「あれ? 海月、今外?」
「ちょっと買い物に出てて。何?」
「久しぶりに冷たくて甘いものとか欲しいなーって。どう?」
不規則に暴れる心臓を押さえながら、私は彼女に言われるまま、待ち合わせの約束をして、渋谷方面に向かった。
お店は前に一度友理恵に連れて行ってもらったことのあるスイーツカフェで、白を基調とした店内は女性客ばかりだった。彼女はどこかに出かけていたのか、大きめの真珠のネックレスを下げていて、私に訊かずに外がよく見える大きな窓ガラスの前の席に、横並びに座った。
友理恵は宣言していた通り、バナナとベリーのパルフェを注文し、私はソフトクリームを選んだ。スプーンで口に運んだクリームはひんやりと心地よく、熱に浮かされた私自身に冷静さを取り戻させてくれる。
「海月はさ、あんまり怒ったりしないじゃない? そういうお淑やかさを、私もそろそろ身につけた方がいいのかなって」
「何かあったの?」
本当はその言葉は私自身が欲しいものだった。
「何って訳じゃないけど、料理教室をやらないかって誘われてたんだけど、その打ち合わせの席で、相手の男が言った一言がカチンてきちゃってさ」
「へえ。料理教室するんだ」
知り合いを手伝ったり、という話は聞いていたけれど、自分で開くというのは初耳だ。私は取り繕って、必死に興味がある振りをする。
「料理は性欲と直結しているから、どうせなら性的な魅力を前面に押し出していきましょうとか、言われて。あの目。絶対に私とやろうって狙ってた」
「そういう冗談じゃなくて?」
クリームに伸ばしたスプーンが、僅かに震えた。
「冗談は会話の握手なのよ? それで手を握っちゃったら、もっとずかずかとこっちの領域に踏み込んでくる。勝手に心を許されたんだと思って、次は二人だけで食事になんて言い出すの。男なんてね、女を性器としてしか見てないの」
友理恵の黒いニットの膨らみは、同年代の女性から見ても魅力的に思えた。その体型を維持する為にジムやエステ通いをしているのよ、と彼女は言うけれど、お金を掛けただけで手に入れられるものには見えなかった。
「そりゃね、こっちだっていつ枯れるか分かったもんじゃないし、限りある女のうちに愉《たの》しみたいって気持ちもあるわよ。けどね、誰でもいいって訳じゃない。男と女は違うのよ。そう思うでしょ?」
「私は、友理恵みたいな情熱、もうないわよ」
そうだろうか。
自分の口から取り出しておいて、その嘘臭さに舌に乗せたクリームが不味くなる。
「何言ってるの。海月だって、ほら、鳥井君だっけ? あのキャンドル教室の。あの後どうなの? 何か進展とかあった?」
「何言ってるのよ。私と鳥井君はそんなんじゃないわよ。それに、鳥井君。今、娘といい感じみたいだし」
「え? 灯里ちゃんと? へえ。そうなんだ。何だか意外」
何が意外だったのだろう。
けど、そのことについて彼女は何も話さず、代わりに夏の間に旅行の一つも行きたいとか、そんな話題に移っていった。
けれどドアを閉めてもらったところで、スマートフォンに友里恵から着信が入る。
「あ、はい。もしもし」
「あれ? 海月、今外?」
「ちょっと買い物に出てて。何?」
「久しぶりに冷たくて甘いものとか欲しいなーって。どう?」
不規則に暴れる心臓を押さえながら、私は彼女に言われるまま、待ち合わせの約束をして、渋谷方面に向かった。
お店は前に一度友理恵に連れて行ってもらったことのあるスイーツカフェで、白を基調とした店内は女性客ばかりだった。彼女はどこかに出かけていたのか、大きめの真珠のネックレスを下げていて、私に訊かずに外がよく見える大きな窓ガラスの前の席に、横並びに座った。
友理恵は宣言していた通り、バナナとベリーのパルフェを注文し、私はソフトクリームを選んだ。スプーンで口に運んだクリームはひんやりと心地よく、熱に浮かされた私自身に冷静さを取り戻させてくれる。
「海月はさ、あんまり怒ったりしないじゃない? そういうお淑やかさを、私もそろそろ身につけた方がいいのかなって」
「何かあったの?」
本当はその言葉は私自身が欲しいものだった。
「何って訳じゃないけど、料理教室をやらないかって誘われてたんだけど、その打ち合わせの席で、相手の男が言った一言がカチンてきちゃってさ」
「へえ。料理教室するんだ」
知り合いを手伝ったり、という話は聞いていたけれど、自分で開くというのは初耳だ。私は取り繕って、必死に興味がある振りをする。
「料理は性欲と直結しているから、どうせなら性的な魅力を前面に押し出していきましょうとか、言われて。あの目。絶対に私とやろうって狙ってた」
「そういう冗談じゃなくて?」
クリームに伸ばしたスプーンが、僅かに震えた。
「冗談は会話の握手なのよ? それで手を握っちゃったら、もっとずかずかとこっちの領域に踏み込んでくる。勝手に心を許されたんだと思って、次は二人だけで食事になんて言い出すの。男なんてね、女を性器としてしか見てないの」
友理恵の黒いニットの膨らみは、同年代の女性から見ても魅力的に思えた。その体型を維持する為にジムやエステ通いをしているのよ、と彼女は言うけれど、お金を掛けただけで手に入れられるものには見えなかった。
「そりゃね、こっちだっていつ枯れるか分かったもんじゃないし、限りある女のうちに愉《たの》しみたいって気持ちもあるわよ。けどね、誰でもいいって訳じゃない。男と女は違うのよ。そう思うでしょ?」
「私は、友理恵みたいな情熱、もうないわよ」
そうだろうか。
自分の口から取り出しておいて、その嘘臭さに舌に乗せたクリームが不味くなる。
「何言ってるの。海月だって、ほら、鳥井君だっけ? あのキャンドル教室の。あの後どうなの? 何か進展とかあった?」
「何言ってるのよ。私と鳥井君はそんなんじゃないわよ。それに、鳥井君。今、娘といい感じみたいだし」
「え? 灯里ちゃんと? へえ。そうなんだ。何だか意外」
何が意外だったのだろう。
けど、そのことについて彼女は何も話さず、代わりに夏の間に旅行の一つも行きたいとか、そんな話題に移っていった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる