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第三章 「ホテルのネオンサイン」

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 翌日、金森と待ち合わせたのは駅にほど近い場所にある珈琲のチェーン店だった。お酒がない場所で、と指定したからか、それとも彼の都合かは分からない。店内は賑わっていて、私は金森について二階へと上がっていき、窓際の二人掛けに座った。

「鳥井から聞きましたよ」

 アイスコーヒーを一口飲むなり、金森は笑顔でそう切り出す。
 何をですか、と言葉にしようとしたけれど、私を待たずにそのまま続けた。

「アンブレラで働き始めたんですって。マスターの雨守さんには、私も本当によくしてもらっていましてね。こうして今自分が店を持てたのだって、雨守さんに色々と迷惑掛けたからだし、ほんと、頭が上がらない人の一人なんです」

 彼は私にそう笑いかけてから、サイドメニューで頼んだ具でいっぱいにふくらむクラブハウスサンドを噛み千切る。下唇に付着したソースを指でなぞり、それを舐め取った。
 その笑顔の彼とは対称的な私は、とりあえず気持ちを落ち着けようと甘みが立ったチャイティーに口をつける。シナモンの風味を強く感じた。こんな時でもなければ、パイの美味しい店に通いたくなる。

「それが、用ですか」

 できるだけ冷静に、と努めた声だった。震えてはいなかったと思う。

「いやほら、この前、浅野さんはすぐ帰られてしまったじゃないですか。こういうことはきちんと説明をしておかないと、色々と後味が悪いでしょう。違いますか?」

 あくまで金森は紳士的に振る舞って見える。けれど私はホテルの部屋で起きがけに見た彼の、全てを支配しているかのような優越にあふれた笑みを、忘れることはできない。

「そんなに緊張しないで下さいよ。せっかく前進したと思ったのに、またふりだしに戻る、ですよ」
「何が、おかしいんですか」

 笑みを絶やさない彼に、少し苛立いらだちを覚えた。

「私は、何も楽しくありません」
「そう言われるだろうと覚悟はしていました」

 金森は急に真面目な表情になり、頭を下げる。

「あの日は、つい楽しくなってしまって。飲みすぎたと反省しています。ただ、浅野さん。あなたと一緒に過ごす時間が思いのほか、楽しすぎたんです。だから半分はあなたの所為なんですよ」
「確かに初めてのベトナム料理は美味しかったです。それは認めます。でも、お酒を飲ませてあんな……最初からそのつもりだったってことでしょう?」

 思わず声が大きくなり、周囲の人の目を確認してしまう。けど誰一人として私たちのことなんか、気にしていなかった。

「こんなこと言うと恥ずかしくなりますけど、タクシーで送ろうとしたんですよ。けどね、その時に向けられた浅野さんの顔が、久しぶりに自分の中の男を抑えきれなくなるくらいに、セクシィだったんです」

 私は彼の言葉に顔が熱くなるのを感じた。

「ほら、これ。見て下さい」

 そう言って金森は自分のスマートフォンの画面を見せる。そこには自分でブラジャーのホックを外す私の、少し照れた様子が映っていた。咄嗟に自分の肩紐の位置を確かめ、首元が涼しくなる。

「それに、これも」

 分厚い指が横に動く。それに従い、画面にはカメラから顔を背ける私が、何人も現れた。胸を露出し、写さないでと腕をクロスさせて、顔を赤くしている。けどその様子は、大学時代に保広とじゃれ合っていた時のそれを、思い出させるものだった。
 そこからの連想だと、思う。
 急に自分の下腹部にある金森の頭が想像され、彼の短く刈り揃えられた癖の強い黒髪をしっかりと両手で押さえた記憶が蘇った。
 むさぼられた。
 その事実は、私を泣かせるのに充分だった。
 バッグを持ち、立ち上がる。
 金森が何か言ったが、とても立ち止まって聞いている余裕なんてなく、私は逃げ出した。

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