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第一章 「昼下がりの月」
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「相談? いいけど」
「実は女の人、苦手なんです」
「えっと、それは……」
所謂ゲイだというカミングアウトなのだろうかと一瞬考えた。
「あ、そうじゃなくて、何て言うか……あまり女の人のこと、信じられないんですよね」
「女性不信、てことかな?」
「そう。たぶんそれです。不信なんです」
これまで話してきて、彼が妙な冗談を口にする類の人間じゃないことは分かっていたので、真面目な相談だと思って考えようとしたけれど、
「でもそれ、女性の私に相談するの?」
「あぁ、そう言われてみれば……」
彼は苦笑を浮かべる。
「でも、浅野さんて、なんだか話しやすくて。店に来るお客さん、特に教室を受講されてる女性の人って、ちょっと恐いんですよ」
「この前参加した時はそんな風には思わなかったけど。いつもは違うの?」
「いや、この前も感じましたよ。何て言えばいいのかな。なんか値踏みされてるような、陰で笑われてるような、そんな感じを受けるんですよ」
過去に女性に対して何かあったのだろうけれど、それはおそらく鳥井君の被害妄想だと私には思えた。彼から受ける印象に対してそういう態度を取る女性はほとんどいないだろうし、寧ろ好印象を抱くのではないか。そう思える。
ただ、私のような同性では感じられない独特の視線というものがあるのなら、それはもう私の手には負えないものだ。
「今は、どうなの?」
もしそうだとしたら、私の目線も彼に対して何かを与えている筈だ。
「えっと……照れます」
「あ、ご、ごめんなさい……」
あまりにまじまじと彼を見つめてしまったからか、顔を真っ赤にして下を向いてしまう。ひょっとすると私の方も彼と同じくらい顔が赤いのだろうか。頬が熱を持っていた。
「その、良かったらでいいんだけど、何があったか、その……聞かせてくれる?」
「こんな話したらちょっと軽蔑されるかなって不安もあるんですけど、浅野さんなら、話しても大丈夫かなって。すんません。勝手な思い込みですけど」
「いいのよ。よくそんな風に言われる。あなたには何を話しても悪いことにならないって安心感があるって。それってただの人畜無害ってやつじゃないのかしらって思うけど」
「いいじゃないですか、人畜無害。俺はそういう人、いいと思いますよ」
「あ、うん。ありがとう」
息子のような年齢の男性に「いいと思う」なんて言われたことはなかったからか、中学の時に初めて好きな男子生徒と言葉を交わした時のことを思い出した。胸の奥がちりり、と絞られる。
「実は、昔、付き合ってた彼女がいたんです」
その昔、がどれくらい前のことなのか気になったけれど、私は相槌を返して先を促す。
「付き合ってたっていっても、その、ネット上でだけなんですけどね」
「……うん」
「高校の頃だから、もう十年も前の話になります。その当時、チャットルームって言って、ネット上でおしゃべりをすることができる場所があったんですけど、そこで出会ったある女性がいて、相手も高校生だってこともあってか、不思議と気が合ったんです。それで、そのうちにメールアドレスを交換して、普通にメールでやり取りをするようになったんです」
私は彼が説明するのを黙って聞いていた。
「互いにどこに住んでるとか、高校がどことか、そういったことは内緒にし合ってたんですけど、そうですね、毎日学校でこんなことがあったとか、今日食べた美味しいものとか、将来の夢とか、まあありきたりですけど、そんな話をだらだらとして、後は互いにおやすみって言って眠る、みたいな。そんな毎日が、ただ楽しかったんです」
今の時代、誰にだってそういう相手の一人や二人、いるのだろう。
「でも、ある日突然、連絡が取れなくなった」
「そうなんだ」
「別に喧嘩したとか、なんか妙なこと言ったとか、そんなことはなかったと思うんです。けど返事も何もなくなって、それでもずっとごめんとか、おはようとか、送り続けてて……今思うと、これって恐いですよね。なんか俺、ストーカーみたいだ」
「そんなことない」
「けど実際、彼女は二度と返事をしてくれなかった。俺、その子のこと、好きだったんです。好きになってたんです。それまでも、あまり女運なくて、ネットくらいの付き合いだったら大丈夫だったからって思ってたけど、彼女に対してはいつか本気になってた……。愛してたんです」
私は一つ大きな息をする。
「きっとその子にも、何か事情があったのよ。もう十年も前のことなんでしょ?」
「まだ、十年なんです。俺にとっては」
「その若さで十年も引きずっているのは長すぎる。あなたは顔もいいし、性格も真面目だし、他にもっと素敵な女性を探せると思うけど」
心の中で、歯を食いしばる。
「でもまた裏切られるし」
「今度は大丈夫かも知れないでしょ?」
「そう思えてたら、相談なんかしてませんよ」
彼は当時のことを思い出しているのか、終始俯いていた。皿に取り分けたリゾットがすっかり冷めてしまっている。
「あの、一つだけ教えてもらえるかな。その彼女の名前は、なんて言ったの?」
「ネット上だから、偽名だろうと思うんですが……ともり、って言いました」
「ともり、か」
それは私の娘の名前と同じ、だった。
「実は女の人、苦手なんです」
「えっと、それは……」
所謂ゲイだというカミングアウトなのだろうかと一瞬考えた。
「あ、そうじゃなくて、何て言うか……あまり女の人のこと、信じられないんですよね」
「女性不信、てことかな?」
「そう。たぶんそれです。不信なんです」
これまで話してきて、彼が妙な冗談を口にする類の人間じゃないことは分かっていたので、真面目な相談だと思って考えようとしたけれど、
「でもそれ、女性の私に相談するの?」
「あぁ、そう言われてみれば……」
彼は苦笑を浮かべる。
「でも、浅野さんて、なんだか話しやすくて。店に来るお客さん、特に教室を受講されてる女性の人って、ちょっと恐いんですよ」
「この前参加した時はそんな風には思わなかったけど。いつもは違うの?」
「いや、この前も感じましたよ。何て言えばいいのかな。なんか値踏みされてるような、陰で笑われてるような、そんな感じを受けるんですよ」
過去に女性に対して何かあったのだろうけれど、それはおそらく鳥井君の被害妄想だと私には思えた。彼から受ける印象に対してそういう態度を取る女性はほとんどいないだろうし、寧ろ好印象を抱くのではないか。そう思える。
ただ、私のような同性では感じられない独特の視線というものがあるのなら、それはもう私の手には負えないものだ。
「今は、どうなの?」
もしそうだとしたら、私の目線も彼に対して何かを与えている筈だ。
「えっと……照れます」
「あ、ご、ごめんなさい……」
あまりにまじまじと彼を見つめてしまったからか、顔を真っ赤にして下を向いてしまう。ひょっとすると私の方も彼と同じくらい顔が赤いのだろうか。頬が熱を持っていた。
「その、良かったらでいいんだけど、何があったか、その……聞かせてくれる?」
「こんな話したらちょっと軽蔑されるかなって不安もあるんですけど、浅野さんなら、話しても大丈夫かなって。すんません。勝手な思い込みですけど」
「いいのよ。よくそんな風に言われる。あなたには何を話しても悪いことにならないって安心感があるって。それってただの人畜無害ってやつじゃないのかしらって思うけど」
「いいじゃないですか、人畜無害。俺はそういう人、いいと思いますよ」
「あ、うん。ありがとう」
息子のような年齢の男性に「いいと思う」なんて言われたことはなかったからか、中学の時に初めて好きな男子生徒と言葉を交わした時のことを思い出した。胸の奥がちりり、と絞られる。
「実は、昔、付き合ってた彼女がいたんです」
その昔、がどれくらい前のことなのか気になったけれど、私は相槌を返して先を促す。
「付き合ってたっていっても、その、ネット上でだけなんですけどね」
「……うん」
「高校の頃だから、もう十年も前の話になります。その当時、チャットルームって言って、ネット上でおしゃべりをすることができる場所があったんですけど、そこで出会ったある女性がいて、相手も高校生だってこともあってか、不思議と気が合ったんです。それで、そのうちにメールアドレスを交換して、普通にメールでやり取りをするようになったんです」
私は彼が説明するのを黙って聞いていた。
「互いにどこに住んでるとか、高校がどことか、そういったことは内緒にし合ってたんですけど、そうですね、毎日学校でこんなことがあったとか、今日食べた美味しいものとか、将来の夢とか、まあありきたりですけど、そんな話をだらだらとして、後は互いにおやすみって言って眠る、みたいな。そんな毎日が、ただ楽しかったんです」
今の時代、誰にだってそういう相手の一人や二人、いるのだろう。
「でも、ある日突然、連絡が取れなくなった」
「そうなんだ」
「別に喧嘩したとか、なんか妙なこと言ったとか、そんなことはなかったと思うんです。けど返事も何もなくなって、それでもずっとごめんとか、おはようとか、送り続けてて……今思うと、これって恐いですよね。なんか俺、ストーカーみたいだ」
「そんなことない」
「けど実際、彼女は二度と返事をしてくれなかった。俺、その子のこと、好きだったんです。好きになってたんです。それまでも、あまり女運なくて、ネットくらいの付き合いだったら大丈夫だったからって思ってたけど、彼女に対してはいつか本気になってた……。愛してたんです」
私は一つ大きな息をする。
「きっとその子にも、何か事情があったのよ。もう十年も前のことなんでしょ?」
「まだ、十年なんです。俺にとっては」
「その若さで十年も引きずっているのは長すぎる。あなたは顔もいいし、性格も真面目だし、他にもっと素敵な女性を探せると思うけど」
心の中で、歯を食いしばる。
「でもまた裏切られるし」
「今度は大丈夫かも知れないでしょ?」
「そう思えてたら、相談なんかしてませんよ」
彼は当時のことを思い出しているのか、終始俯いていた。皿に取り分けたリゾットがすっかり冷めてしまっている。
「あの、一つだけ教えてもらえるかな。その彼女の名前は、なんて言ったの?」
「ネット上だから、偽名だろうと思うんですが……ともり、って言いました」
「ともり、か」
それは私の娘の名前と同じ、だった。
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