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第四章 「絶望の砂漠」
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翌朝、日が昇り始めると、ウッドたちは早々に廃墟と化したこの里を抜け出した。
自分の知らない内にどこまでやって来てしまったのか、それを知る為には何か目印になる大きな山や湖を見つけるか、小さなものでいいからアルタイ族の里などを探し出すしかない。
だが程なくして、自分たちがどこまでやってきてしまったか、知ることになった。
それを目にして、ウッドは言葉を失う。
「これは……」
見渡す限りが砂だった。
草が徐々に背が低く、疎らになってきたと思ったら、地面はどんどん砂に埋もれていった。遥か先はずっと靄がかったようになっていたが、その筈だ。この先はずっと砂漠なのだ。
ネモも頭陀袋から頭を出して、その光景を物珍しそうに眺め、口をぽかんと開けている。
「ここが、絶望の砂漠だ」
ウッドがかつて目にした時はもっとごつごつとした岩が周辺にあった気がする。それでも今目にしているような靄がかった地平線は変わらなかった。
この先は命を投げ捨てたアルタイ族だけが足を踏み入れる。ずっと砂漠が続いているとも、世界の果てに繋がっているとも、巨大な穴が待ち構えているとも云われているが、それを確かめた者は居ない。
一歩、踏み出した。ずっしりと砂にブーツが埋もれる。
もう一歩、踏み出す。砂の中にめり込んだ。
果たしてこの先に、本当にフロスという者が居るのだろうか。またそこまで無事にたどり着けるのだろうか。一歩踏み出す度に、不安が張り付いた。
水は水筒にしっかりと詰めてきたが、それでも四、五日もあればいい方だろう。ウッドだけなら飲まずにいても死ぬことは無い。だがネモはどうだ。本当にこの先、歩き続けられるのか。彼女はどこかで休ませておいた方がいいのではないか。
「なあ、ネモ」
そう提案しようと彼女を見たが、その目の強い光は決してウッドからは離れないという強い意志が込められていた。
「分かった」
ウッドはそんな彼女の頭を軽く撫で、それから覚悟を決めるかのように大きく息を吸い込むと、新しい一歩を大きく踏み出した。砂地は今までのように、ずんずんと歩いてはいけずに、それこそ一歩一歩を確かめるようにしながら進むしかない。
徐々に高く昇る太陽は地熱を上昇させ、またその強烈な光の反射で皮膚が焼けそうになるほど熱くなる。ネモはその頭に頭陀袋の中から取り出した小さな布を掛けていたが、それでも苦しそうに息をふうふうと吐き出している。
そんな中をウッドは黙々と歩く。
ネモは気がつけばウッドの肩でこくりと眠っていたり、気が向けば頭を振って楽しげにしていたりと、気ままにこの旅を楽しんでいるようだった。
どこまで歩いても、どこを見ても、砂漠しか無い。まるで世界そのものが砂漠と化してしまったかのようだ。遠くは砂煙で霞み、熱で空気は歪み、方向感覚も距離感も失われる。
思い出したかのように口に含ませる水は、体内に吸収されるまでに蒸発してしまうような気がした。汗は乾き、塩となって皮膚に張り付く。
体が幾ら疲労しようと、少し休めば直ぐに回復する。アルタイ族の筋肉はとてつもない持久力と回復力を秘めている。だが幾ら体が持とうと、精神的に辛くなってくる。変わらない景色は前進する気力を奪い、熱は正常な思考を奪う。ごく普通の砂漠であれば、もっと岩がごつごつとしていたり、風の影響で起伏に飛んでいる。オアシスに出くわすこともあれば、雑草の薄っすら生えた場所が唐突に現れたりもする。
けれどここにはそれが無い。ただ平坦な砂地が延々と続いている。もう帰る方向も分からない。たとえ数日前に通った場所を歩いていたとしても分からないだろう。唇は乾き、吐き出す息には砂が混ざっていた。ネモも最初の頃のような楽しげな雰囲気は無く、時々喉の渇きを癒し、後は殆ど眠っている。
ウッドは殆ど眠らずに歩いた。
何も考えず、ただ前へと。
「おい……おい!」
ネモの異変に気づいたのは、それから数日してからだった。絶望の砂漠に入ってから、既に十日以上になる。水も尽き、ウッドは肺が焼け付きそうになっていた。そんな状態だったから、ネモがずっと目を覚まさないことには気が回らなかったのだ。
「ネモ! どうした」
その小さな体を揺する。目はしっかりと閉じられたまま、口も動くことは無い。だがまだ微かに呼吸はしているようだ。
出来れば直ぐにどこか安静にしていられる場所で休ませた方がいい。
けれど見渡す限り同じ景色が続いている。まるで絶望で埋め尽くされたような視界だ。水は無い。食べ物も無い。雨は降らない。風は砂混じりで、夜になれば恐ろしく寒い闇がやってくる。その急激な温度変化で疲労は通常の旅の何倍も襲ってくる。
やはり彼女には無理だったのだ。
ウッドは剣を抜いた。もう他に、手段は無かった。ネモを横に寝かす。顔にかかった前髪を丁寧に退かし、その苦しげに皺を寄せる彼女の額を撫でた。
剣をゆっくりと構える。
それからウッドはおもむろに自分の左手首を斬り付けた。
血が筋となって滴る。
彼女の口元が赤く濡れたが、その口を拭うようにすると、喉が鳴った。
血には水分以外にも多くの栄養素が含まれている。水が無ければ獣を殺し、その血を啜ることもある。
これは彼がアルタイ族だからこそ出来る業だった。簡単には死なない。多少の血が流れたくらいでは、殺すことなど出来ないのだ。
ネモの表情が、少し落ち着いた。
ウッドはその唇を布で綺麗に拭い、彼女を再び頭陀袋に入れると、歩き出した。
自分の知らない内にどこまでやって来てしまったのか、それを知る為には何か目印になる大きな山や湖を見つけるか、小さなものでいいからアルタイ族の里などを探し出すしかない。
だが程なくして、自分たちがどこまでやってきてしまったか、知ることになった。
それを目にして、ウッドは言葉を失う。
「これは……」
見渡す限りが砂だった。
草が徐々に背が低く、疎らになってきたと思ったら、地面はどんどん砂に埋もれていった。遥か先はずっと靄がかったようになっていたが、その筈だ。この先はずっと砂漠なのだ。
ネモも頭陀袋から頭を出して、その光景を物珍しそうに眺め、口をぽかんと開けている。
「ここが、絶望の砂漠だ」
ウッドがかつて目にした時はもっとごつごつとした岩が周辺にあった気がする。それでも今目にしているような靄がかった地平線は変わらなかった。
この先は命を投げ捨てたアルタイ族だけが足を踏み入れる。ずっと砂漠が続いているとも、世界の果てに繋がっているとも、巨大な穴が待ち構えているとも云われているが、それを確かめた者は居ない。
一歩、踏み出した。ずっしりと砂にブーツが埋もれる。
もう一歩、踏み出す。砂の中にめり込んだ。
果たしてこの先に、本当にフロスという者が居るのだろうか。またそこまで無事にたどり着けるのだろうか。一歩踏み出す度に、不安が張り付いた。
水は水筒にしっかりと詰めてきたが、それでも四、五日もあればいい方だろう。ウッドだけなら飲まずにいても死ぬことは無い。だがネモはどうだ。本当にこの先、歩き続けられるのか。彼女はどこかで休ませておいた方がいいのではないか。
「なあ、ネモ」
そう提案しようと彼女を見たが、その目の強い光は決してウッドからは離れないという強い意志が込められていた。
「分かった」
ウッドはそんな彼女の頭を軽く撫で、それから覚悟を決めるかのように大きく息を吸い込むと、新しい一歩を大きく踏み出した。砂地は今までのように、ずんずんと歩いてはいけずに、それこそ一歩一歩を確かめるようにしながら進むしかない。
徐々に高く昇る太陽は地熱を上昇させ、またその強烈な光の反射で皮膚が焼けそうになるほど熱くなる。ネモはその頭に頭陀袋の中から取り出した小さな布を掛けていたが、それでも苦しそうに息をふうふうと吐き出している。
そんな中をウッドは黙々と歩く。
ネモは気がつけばウッドの肩でこくりと眠っていたり、気が向けば頭を振って楽しげにしていたりと、気ままにこの旅を楽しんでいるようだった。
どこまで歩いても、どこを見ても、砂漠しか無い。まるで世界そのものが砂漠と化してしまったかのようだ。遠くは砂煙で霞み、熱で空気は歪み、方向感覚も距離感も失われる。
思い出したかのように口に含ませる水は、体内に吸収されるまでに蒸発してしまうような気がした。汗は乾き、塩となって皮膚に張り付く。
体が幾ら疲労しようと、少し休めば直ぐに回復する。アルタイ族の筋肉はとてつもない持久力と回復力を秘めている。だが幾ら体が持とうと、精神的に辛くなってくる。変わらない景色は前進する気力を奪い、熱は正常な思考を奪う。ごく普通の砂漠であれば、もっと岩がごつごつとしていたり、風の影響で起伏に飛んでいる。オアシスに出くわすこともあれば、雑草の薄っすら生えた場所が唐突に現れたりもする。
けれどここにはそれが無い。ただ平坦な砂地が延々と続いている。もう帰る方向も分からない。たとえ数日前に通った場所を歩いていたとしても分からないだろう。唇は乾き、吐き出す息には砂が混ざっていた。ネモも最初の頃のような楽しげな雰囲気は無く、時々喉の渇きを癒し、後は殆ど眠っている。
ウッドは殆ど眠らずに歩いた。
何も考えず、ただ前へと。
「おい……おい!」
ネモの異変に気づいたのは、それから数日してからだった。絶望の砂漠に入ってから、既に十日以上になる。水も尽き、ウッドは肺が焼け付きそうになっていた。そんな状態だったから、ネモがずっと目を覚まさないことには気が回らなかったのだ。
「ネモ! どうした」
その小さな体を揺する。目はしっかりと閉じられたまま、口も動くことは無い。だがまだ微かに呼吸はしているようだ。
出来れば直ぐにどこか安静にしていられる場所で休ませた方がいい。
けれど見渡す限り同じ景色が続いている。まるで絶望で埋め尽くされたような視界だ。水は無い。食べ物も無い。雨は降らない。風は砂混じりで、夜になれば恐ろしく寒い闇がやってくる。その急激な温度変化で疲労は通常の旅の何倍も襲ってくる。
やはり彼女には無理だったのだ。
ウッドは剣を抜いた。もう他に、手段は無かった。ネモを横に寝かす。顔にかかった前髪を丁寧に退かし、その苦しげに皺を寄せる彼女の額を撫でた。
剣をゆっくりと構える。
それからウッドはおもむろに自分の左手首を斬り付けた。
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彼女の口元が赤く濡れたが、その口を拭うようにすると、喉が鳴った。
血には水分以外にも多くの栄養素が含まれている。水が無ければ獣を殺し、その血を啜ることもある。
これは彼がアルタイ族だからこそ出来る業だった。簡単には死なない。多少の血が流れたくらいでは、殺すことなど出来ないのだ。
ネモの表情が、少し落ち着いた。
ウッドはその唇を布で綺麗に拭い、彼女を再び頭陀袋に入れると、歩き出した。
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