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第三章 「旅立ち」

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「そう。もう随分と昔だ。どのくらい昔のことかは忘れてしまったな」

 穏やかだが、ウッドの足をその場に留めておく特別な力を、それは持っていた。

「フロスという名の若者がおった。他の誰のことも信じない。己の力のみを、強さのみを信頼していた、アルタイの中のアルタイだという者だった。だが帝国へ腕試しに向かった筈の彼は、血相を変えて数日後に里に戻ってきた」

 ウッドだけでなく、ネモも袋から頭だけ出してその話に耳を傾けていた。

「フロスは里に戻ってくるなり自宅に籠って、それきり誰とも顔を合わせようとはしなかった。困った里の者たちがわしのところにやってきた。何とかしてもらえないか、と。フロスが唯一認めていた相手がわしだったのだ」

 ならば長は、かつて同じように帝国に上ろうとしたのだろうか。

「奴はすっかり変わっておった。それはもう別の者になった、といってもよい。ああいう変わり方をする者もいるのだな」

 もうウッドはシーナに背を向けてはいなかった。彼の目を見て、何を言わんとしているのか理解した。

「それを直に目にしていた者もこの里にはまだ残っている。アルタイ族にとって、ペグ族の存在とは昔からそういうものだ」

 ウッドはそれで話は終わりなのかと思い、飛び出ているネモの頭を袋の中に押しやって出ていこうとする。

「この里の森を抜け、西の果てに『絶望の砂漠』と呼ばれる地がある。そこに、住んでいるらしい」

 帝国軍時代に一度だけ、遠征でその近くの里まで行ったことがある。そこは本当に見渡す限り何もない、砂の地平線が広がっている場所だ。生きることを諦めたアルタイ族が向かう場所と伝えられている。その場所に、居るのだろうか。

「フロスは昔から気難しい奴だった。だが奴が他のアルタイ族と違ったのは、決してそこに死ぬ為に向かったのではない、ということだ。奴は、ペグ族を探している」

 それはペグ族がそこに住んでいるということだろうか。
 だがそれ以上、シーナは何も語ろうとはしなかった。彼がウッドに伝えたことはそれだけだ。何をしろ、とも言ってはいない。けれど、今の彼に出来ることはこの里を出て行くことと、かつてペグ族に遭遇したアルタイ族のフロスという者を探し出すことだけだった。

 長の家から一歩出ると、そこには傷ついて捕らえられたヤナと、警備隊、その隊長が列を成して待っていた。

「歌虫をどうした?」

 警備隊長が喉に言葉が詰まったような声で訊ねる。

「もう出て行く」
「歌虫はどこだ?」

 ウッドは一度だけ長の家を振り返る。

「中か?」

 何も答えない。ウッドはただ最後になるかも知れないヤナと少しだけ視線を合わせ、それから長の家に雪崩れ込む警備隊たちを尻目に、ゆっくりとメノの里を抜け出した。

「また、逃げるのか」

 門番のオッグが訊ねたが、ウッドは首を振り、こう答えた。

「また旅立つだけだ」
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