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第二章 「メノの里」
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「何だ、お前か」
「昨日もまた行ってきたんだってな。物好きだな」
そこに立っていたのはウッドより十歳ほど歳下のヤナだった。アルタイ族にしてはやや細身だが充分に筋肉質で、里の大工連中の内でも結構評判が高い。ウッドが里に戻ってきてから何かと面倒を見に来てくれる、里の中では変わり者としても有名だった。
「俺の仕事だから」
「仕事ったってさ、今までの墓守は森に死体を投げ捨ててたぜ」
「それは知らない」
視線を逸らしたウッドに、少し長めの頭髪の襟首を弄びながらヤナは苦笑する。
「俺はお前の以前の様子を知らねえけどよ、一匹の鼠すらも生き延びることを許さないと云われたメノの狂剣と呼ばれた輩が、死体をわざわざ穴を掘って埋めてきちんと墓まで作ってやるほど、変わってしまう衝撃の出来事ってやつが、未だによく分からねえよ」
ウッドはあの戦闘の後、誰にも何も告げずにこっそりと里へ戻ってきた。
どうせ帝国に戻ったところで居場所が無いことは分かっていたし、殺された、という風に思い込ませておいた方が良いだろうという判断もあった。
だがそれ以上にもう「戦い」というアルタイ族の宿命から逃れたかったのだ。戦い過ぎたのかも知れない。
里に戻ってきたウッドは己だけで考え続けた。
かつては強きウッドを慕っていた者たちにも、何も言わず、戦わず、誰とも関わり合いになろうとしないウッドの有様を見て、近づいてくる者はいなかった。
そんな中、最初に声を掛けてきたのがこのヤナだった。
「前に話した通りだ」
だからウッドはヤナだけに事実をありのまま話した。帝国での成り上がり。帝王の勅命を受けての遠征。その先で襲われたこと。
そして、ペグ族に遭遇したことを。
彼は最初、それを話半分に聞いていたようだったが、ペグ族の名前が出た途端、表情を変えた。それは何もアルタイ族にとってペグ族が触れてはならない種族だ、というだけではなく、ヤナ自身にも身近でウッドと同じようにペグ族に出会った後で変貌してしまった者がいたからだった。
「歌……か。おっかねえもんだな」
「そうかもな」
ウッドは一瞬だけ薪の上に被せた布を見やったが、直ぐにヤナに向き直る。
「それよりこんな朝から一体」
「いや、それがな」
ヤナは言い辛そうに、狭い部屋の中を歩き回る。
「昨日、森で見たって言う輩がいるんだよ」
何をだ。ウッドは声に出さずにヤナを見返す。
「例の、だよ。歌虫だよ」
おそらくネモのことだ。
「そうなのか」
ウッドはさも関心が無いように振舞ったつもりだった。
「驚かねえのか?」
だが逆にその平静さが、ヤナに不信感を抱かせたようだ。ウッドは「驚いたよ」と答えたが、ヤナに一度降りてきた疑惑の空気は払拭出来なかった。
「お前なら真っ先に探しに行くと思ったがな」
「俺は、別に」
「そうか?」
「歌なんてどうだって」
「本当にか? 俺にはそうは思えねえがな」
ウッドはあの出来事以来、もう二度とペグ族には遭いたくないと思っていたことは事実だ。だがそれと同時に、あの「歌」というものにもう一度触れたい、そう思ったこともまた、事実だった。
このメノの里に戻ってきてからも、事あるごとにウッドは心のどこかでペグ族と再会することを望んでいた。ヤナにも気づかない内によく口にしていたものだ。
――歌というのは、あれは、何とも言えぬ。
と、何か崩れた。
薪同士が立てる軽妙な音は、遠のきかけていたウッドの意識を一瞬にして現実に連れ戻した。
見ればヤナの足が触れ、彼女を隠したことで危ういバランスを保っていた薪が雪崩れてしまったのだ。布がもごもごと蠢くが、ウッドとヤナが見ている前でそれは取れ、中から愛らしい羽つきの小人が姿を現した。ネモだ。
「お前っ」
ヤナは驚きの目をウッドに向ける。
ウッドはそれに対して何も言えずに、ただ苦笑を返すしかない。彼女を見ると「ごめんなさい」と小さく口を動かして、それから俯きがちに肩を窄めて見せた。本人は大したことだとは思っていないのだろう。
ヤナは何度もウッドと視線を合わせ、それから一つ一つの言葉を搾り出すようにして何とかこう尋ねた。
「歌うのか」
「ああ」
「本物なんだな」
「ああ」
「ペグ族なんだな」
「だな」
そうやってウッドに散々彼女のことを確認した後で、ヤナは今までに見たことのないような俊敏さで部屋の壁に取り付いた。耳を塞ぎながらウッドに何度となく言う。
「歌わせるな。絶対にだ」
余程ペグ族の存在を恐れているようで、意味が分からずに小首を傾げているネモはウッドを見て助けを乞う。
「彼女は、大丈夫だ」
確信があった訳では無い。けれどウッドにはペグ族が、少なくとも彼女が、自分たちに危害を加えるような存在には思えなかったのだ。
じりじりと玄関の方に移動していくヤナを捕まえて、ウッドはその耳元で言い聞かせる。
「彼女は歌わないし、お前は大丈夫だ。ともかく俺の話を聞け。な」
「本当に、本当だな」
「ああ」
「彼女は安全なんだな?」
ウッドはネモを見る。彼女の方がこの状況を恐れて小さく震えている。そんな様を見て、ヤナも漸くウッドの言葉の幾らかを信じる気になったようだ。耳から恐る恐る手を離し、ウッドの体を盾にしながら彼女をじっくりと観察する。
「彼女は見世物じゃない」
「分かってる。だが……本物、なんだな」
「何度も言わせるな」
ヤナは彼女に小さく手を振ってみる。ネモは笑いを噛み殺しながら、それに手を振り返した。
ウッドには時々ヤナという奴のことがよく分からなくなる。それでもこの里で唯一信じることの出来る同族だった。ウッドは彼女の前に出ようとしないヤナに昨日の出来事の幾らかを話し、彼女がどうしてここに居るのかを何とか納得してもらった。
「昨日もまた行ってきたんだってな。物好きだな」
そこに立っていたのはウッドより十歳ほど歳下のヤナだった。アルタイ族にしてはやや細身だが充分に筋肉質で、里の大工連中の内でも結構評判が高い。ウッドが里に戻ってきてから何かと面倒を見に来てくれる、里の中では変わり者としても有名だった。
「俺の仕事だから」
「仕事ったってさ、今までの墓守は森に死体を投げ捨ててたぜ」
「それは知らない」
視線を逸らしたウッドに、少し長めの頭髪の襟首を弄びながらヤナは苦笑する。
「俺はお前の以前の様子を知らねえけどよ、一匹の鼠すらも生き延びることを許さないと云われたメノの狂剣と呼ばれた輩が、死体をわざわざ穴を掘って埋めてきちんと墓まで作ってやるほど、変わってしまう衝撃の出来事ってやつが、未だによく分からねえよ」
ウッドはあの戦闘の後、誰にも何も告げずにこっそりと里へ戻ってきた。
どうせ帝国に戻ったところで居場所が無いことは分かっていたし、殺された、という風に思い込ませておいた方が良いだろうという判断もあった。
だがそれ以上にもう「戦い」というアルタイ族の宿命から逃れたかったのだ。戦い過ぎたのかも知れない。
里に戻ってきたウッドは己だけで考え続けた。
かつては強きウッドを慕っていた者たちにも、何も言わず、戦わず、誰とも関わり合いになろうとしないウッドの有様を見て、近づいてくる者はいなかった。
そんな中、最初に声を掛けてきたのがこのヤナだった。
「前に話した通りだ」
だからウッドはヤナだけに事実をありのまま話した。帝国での成り上がり。帝王の勅命を受けての遠征。その先で襲われたこと。
そして、ペグ族に遭遇したことを。
彼は最初、それを話半分に聞いていたようだったが、ペグ族の名前が出た途端、表情を変えた。それは何もアルタイ族にとってペグ族が触れてはならない種族だ、というだけではなく、ヤナ自身にも身近でウッドと同じようにペグ族に出会った後で変貌してしまった者がいたからだった。
「歌……か。おっかねえもんだな」
「そうかもな」
ウッドは一瞬だけ薪の上に被せた布を見やったが、直ぐにヤナに向き直る。
「それよりこんな朝から一体」
「いや、それがな」
ヤナは言い辛そうに、狭い部屋の中を歩き回る。
「昨日、森で見たって言う輩がいるんだよ」
何をだ。ウッドは声に出さずにヤナを見返す。
「例の、だよ。歌虫だよ」
おそらくネモのことだ。
「そうなのか」
ウッドはさも関心が無いように振舞ったつもりだった。
「驚かねえのか?」
だが逆にその平静さが、ヤナに不信感を抱かせたようだ。ウッドは「驚いたよ」と答えたが、ヤナに一度降りてきた疑惑の空気は払拭出来なかった。
「お前なら真っ先に探しに行くと思ったがな」
「俺は、別に」
「そうか?」
「歌なんてどうだって」
「本当にか? 俺にはそうは思えねえがな」
ウッドはあの出来事以来、もう二度とペグ族には遭いたくないと思っていたことは事実だ。だがそれと同時に、あの「歌」というものにもう一度触れたい、そう思ったこともまた、事実だった。
このメノの里に戻ってきてからも、事あるごとにウッドは心のどこかでペグ族と再会することを望んでいた。ヤナにも気づかない内によく口にしていたものだ。
――歌というのは、あれは、何とも言えぬ。
と、何か崩れた。
薪同士が立てる軽妙な音は、遠のきかけていたウッドの意識を一瞬にして現実に連れ戻した。
見ればヤナの足が触れ、彼女を隠したことで危ういバランスを保っていた薪が雪崩れてしまったのだ。布がもごもごと蠢くが、ウッドとヤナが見ている前でそれは取れ、中から愛らしい羽つきの小人が姿を現した。ネモだ。
「お前っ」
ヤナは驚きの目をウッドに向ける。
ウッドはそれに対して何も言えずに、ただ苦笑を返すしかない。彼女を見ると「ごめんなさい」と小さく口を動かして、それから俯きがちに肩を窄めて見せた。本人は大したことだとは思っていないのだろう。
ヤナは何度もウッドと視線を合わせ、それから一つ一つの言葉を搾り出すようにして何とかこう尋ねた。
「歌うのか」
「ああ」
「本物なんだな」
「ああ」
「ペグ族なんだな」
「だな」
そうやってウッドに散々彼女のことを確認した後で、ヤナは今までに見たことのないような俊敏さで部屋の壁に取り付いた。耳を塞ぎながらウッドに何度となく言う。
「歌わせるな。絶対にだ」
余程ペグ族の存在を恐れているようで、意味が分からずに小首を傾げているネモはウッドを見て助けを乞う。
「彼女は、大丈夫だ」
確信があった訳では無い。けれどウッドにはペグ族が、少なくとも彼女が、自分たちに危害を加えるような存在には思えなかったのだ。
じりじりと玄関の方に移動していくヤナを捕まえて、ウッドはその耳元で言い聞かせる。
「彼女は歌わないし、お前は大丈夫だ。ともかく俺の話を聞け。な」
「本当に、本当だな」
「ああ」
「彼女は安全なんだな?」
ウッドはネモを見る。彼女の方がこの状況を恐れて小さく震えている。そんな様を見て、ヤナも漸くウッドの言葉の幾らかを信じる気になったようだ。耳から恐る恐る手を離し、ウッドの体を盾にしながら彼女をじっくりと観察する。
「彼女は見世物じゃない」
「分かってる。だが……本物、なんだな」
「何度も言わせるな」
ヤナは彼女に小さく手を振ってみる。ネモは笑いを噛み殺しながら、それに手を振り返した。
ウッドには時々ヤナという奴のことがよく分からなくなる。それでもこの里で唯一信じることの出来る同族だった。ウッドは彼女の前に出ようとしないヤナに昨日の出来事の幾らかを話し、彼女がどうしてここに居るのかを何とか納得してもらった。
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