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それから一ヶ月後、ネットニュースの小さな記事に針元泰之が引退したという話が載った。彼の当時を知る人たちはそれなりに引退を悲しんだが、多くは一つくらい役を当ててもどうにもならない、現在の声優事情についてあれこれと考察だったり、非難だったり、勝手な持論が展開され、全く関係ない人たちで口論になっていた。
そのことを村井さんから聞いた後のレッスンは何も覚えていない。
以降、事務所で彼の姿を見かけることはなくなり、ツムギは二年という制限時間の間に何か芽を出すことが出来ずに養成所を退所した。
自分に才能があるとは思っていなかったけれど、女の子Cですら役をもらえないまま引退することになるとは思いもよらなかった。
その日は真っ直ぐ家に帰る気にもなれず、同じようにどこにも拾ってもらえないまま退所となった村井さんと別れた後、いつもみんなが声出しや演技の自主練習をしている公園に、足を運んだ。
自分よりもずっと若い才能が、まだ見ぬ未来に向かって努力している。そういう姿が眩しくて、何だか涙が滲んだ。
悔しいこと、辛いこと、悲しいことがあった時、ツムギはいつもここのベンチに座り、スマートフォンでボーカロイドの曲を聴く。それは単なる機械の合成音声なのに、こんなにも感情を揺さぶり、いつだってツムギを熱くさせてくれた。
どれくらい曲を聴いていただろう。隣に誰かが座ったのが分かった。見ると随分髪はさっぱりとしていたが、スーツ姿がよく似合う針元先輩だった。
「あ、どうも」
「成田ツムギさん、だったよね」
「ええ、そうです」
物覚えのいい人だとは思っていたけれど、まさかフルネームで呼ばれるとは思っていなかった。
「所属にはなれなかったか。先生たちの話では期待してるって声もあったんだけど」
そんな話は全くなかった。けれど針元さんがお世辞を言うとも思えない。
「ただ今回は結構小粒だけど有望株が揃ってるって評価だったから、人数的に漏れたのかもね。他はどこか受けた?」
「いいえ。ここだけですけど」
「声優、やる気はもうない?」
ない、とも、ある、とも言えない。正直今はまだ考えられないというのが本音だ。
ツムギは針元先輩の意図が見えず、困惑気味に苦笑を見せるだけにした。
「そういえば先輩は今、どんな仕事されてるんですか? また声優をやることは――」
声優という言葉を遮るように「これだよ」と先輩は名刺を取り出してツムギに渡した。そこには『夢幻堂』という社名と『マネージャー』という役職名が書かれ、背景に立方体のCGがいくつか転がっていた。ウェブデザインや広告の会社かと思ったのだけれど、次に先輩の口から出たのは意外な言葉だった。
「バーチャルアイドルって、聞いたことある?」
「え、ええ」
広義にはツムギが聞いていたボーカロイドも相当するだろう。ずっと以前はフルCGで作られた画面の中で歌ったり踊ったりするリアルな女性アイドルもいたらしいが、最近はもっとアニメや二次元寄りのモデルを動かして、喋ったり歌ったり踊ったり、というのが増えてきていた。
「今はまだごく一部の人間だけのものだが、そのうちにバーチャルな方が主流になる。けどいくら可愛い見た目のガワを用意してもやはり中身が伴っていないと人気は出ないんだ。それはアニメーションにとって声優が必要不可欠なのと同じで、素人がちょっと手を出してやっていけるものじゃなくなっていく。僕たちはね、バーチャルアイドルをバックアップする活動をしているんだよ。バーチャル事務所ってところかな」
「バーチャルアイドルが所属してる、ってことですか?」
「いや、実はまだ始めたばかりで、活動中の子たちにも声を掛けているんだけど、どうも事務所って聞くと抵抗感があるみたいでね」
「はあ」
針元さんは苦笑を浮かべているが、声優をしていた頃に比べると随分と表情が明るい。
「先輩がマネージメントするんですか?」
「そうだね。友人に誘われて始めたばかりでまだ社員も全然いないし、何でも自分たちでゼロからやらなきゃいけない。事務所だってマンションの一室にパソコンやら会議机やら持ち込んだだけだしね」
「でも、楽しそうですね」
「え? 興味、持ってくれたの?」
「先輩が、楽しそうだなって」
「ああ。僕の話か。そうだね。なんて言うか、誰かに選ばれる為に必死に演じていたあの頃より、何もかもが自分の力だけでどうにかしなきゃいけないけど、その全てが自分次第っていうのが性に合ってるみたいでさ。飯は食えてないけど、楽しんでるなあ」
それは演技の一切混ざっていない、純粋な針元泰之の声だった。
だからツムギは思わず「いいですよ」と答えたのだ。
それが良かったかどうかは、よく分からない。
そのことを村井さんから聞いた後のレッスンは何も覚えていない。
以降、事務所で彼の姿を見かけることはなくなり、ツムギは二年という制限時間の間に何か芽を出すことが出来ずに養成所を退所した。
自分に才能があるとは思っていなかったけれど、女の子Cですら役をもらえないまま引退することになるとは思いもよらなかった。
その日は真っ直ぐ家に帰る気にもなれず、同じようにどこにも拾ってもらえないまま退所となった村井さんと別れた後、いつもみんなが声出しや演技の自主練習をしている公園に、足を運んだ。
自分よりもずっと若い才能が、まだ見ぬ未来に向かって努力している。そういう姿が眩しくて、何だか涙が滲んだ。
悔しいこと、辛いこと、悲しいことがあった時、ツムギはいつもここのベンチに座り、スマートフォンでボーカロイドの曲を聴く。それは単なる機械の合成音声なのに、こんなにも感情を揺さぶり、いつだってツムギを熱くさせてくれた。
どれくらい曲を聴いていただろう。隣に誰かが座ったのが分かった。見ると随分髪はさっぱりとしていたが、スーツ姿がよく似合う針元先輩だった。
「あ、どうも」
「成田ツムギさん、だったよね」
「ええ、そうです」
物覚えのいい人だとは思っていたけれど、まさかフルネームで呼ばれるとは思っていなかった。
「所属にはなれなかったか。先生たちの話では期待してるって声もあったんだけど」
そんな話は全くなかった。けれど針元さんがお世辞を言うとも思えない。
「ただ今回は結構小粒だけど有望株が揃ってるって評価だったから、人数的に漏れたのかもね。他はどこか受けた?」
「いいえ。ここだけですけど」
「声優、やる気はもうない?」
ない、とも、ある、とも言えない。正直今はまだ考えられないというのが本音だ。
ツムギは針元先輩の意図が見えず、困惑気味に苦笑を見せるだけにした。
「そういえば先輩は今、どんな仕事されてるんですか? また声優をやることは――」
声優という言葉を遮るように「これだよ」と先輩は名刺を取り出してツムギに渡した。そこには『夢幻堂』という社名と『マネージャー』という役職名が書かれ、背景に立方体のCGがいくつか転がっていた。ウェブデザインや広告の会社かと思ったのだけれど、次に先輩の口から出たのは意外な言葉だった。
「バーチャルアイドルって、聞いたことある?」
「え、ええ」
広義にはツムギが聞いていたボーカロイドも相当するだろう。ずっと以前はフルCGで作られた画面の中で歌ったり踊ったりするリアルな女性アイドルもいたらしいが、最近はもっとアニメや二次元寄りのモデルを動かして、喋ったり歌ったり踊ったり、というのが増えてきていた。
「今はまだごく一部の人間だけのものだが、そのうちにバーチャルな方が主流になる。けどいくら可愛い見た目のガワを用意してもやはり中身が伴っていないと人気は出ないんだ。それはアニメーションにとって声優が必要不可欠なのと同じで、素人がちょっと手を出してやっていけるものじゃなくなっていく。僕たちはね、バーチャルアイドルをバックアップする活動をしているんだよ。バーチャル事務所ってところかな」
「バーチャルアイドルが所属してる、ってことですか?」
「いや、実はまだ始めたばかりで、活動中の子たちにも声を掛けているんだけど、どうも事務所って聞くと抵抗感があるみたいでね」
「はあ」
針元さんは苦笑を浮かべているが、声優をしていた頃に比べると随分と表情が明るい。
「先輩がマネージメントするんですか?」
「そうだね。友人に誘われて始めたばかりでまだ社員も全然いないし、何でも自分たちでゼロからやらなきゃいけない。事務所だってマンションの一室にパソコンやら会議机やら持ち込んだだけだしね」
「でも、楽しそうですね」
「え? 興味、持ってくれたの?」
「先輩が、楽しそうだなって」
「ああ。僕の話か。そうだね。なんて言うか、誰かに選ばれる為に必死に演じていたあの頃より、何もかもが自分の力だけでどうにかしなきゃいけないけど、その全てが自分次第っていうのが性に合ってるみたいでさ。飯は食えてないけど、楽しんでるなあ」
それは演技の一切混ざっていない、純粋な針元泰之の声だった。
だからツムギは思わず「いいですよ」と答えたのだ。
それが良かったかどうかは、よく分からない。
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