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第二章 「十年ぶりの再会」
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「あの日、一番最後のペアとして私と安斉君はこの黒猫館の表玄関から中に入った」
そう言いながら美雪は一度みんなから離れ、入口のドアの前に立った。
「彼はドアを閉めると、私にこう言ったの」
――実は俺さ、前に一度、ここを見に来たことがあるんだ。
「どうしてそんなことを言ったのか、私にはよく分からなかったけれど、その時は彼が私を安心させる為に言ってくれたんだと、そう思っていた」
美雪は誰の相槌も待たずに、ゆっくりと歩き出す。既に彼女の頭の中では、十年前のあの日の情景がありありと蘇っているのだろう。
「でも彼は本当にこの建物の構造をよく知っていて、最初から向かって右手側の通路の奥に向かって進んで、まず食堂を見せてくれたわ」
先頭に立って歩く美雪に、みんな付いていく。友作は何か言いたそうだったが、加奈に腕を引かれ、黙り込んでいた。
「こうやって、怖がることなく自分の手でドアを開けて」
美雪が入口のドアノブを回し、開ける。まるで彼女自身があの日の安斉誠一郎を演じているかのように、良樹には見えた。
ただ食堂の中も十年前を再現している、とは言えなかった。前側の壁に飾られていた獣の剥製の頭部は落下して鼻の部分が欠けているし、椅子は半分程度が転がり、中には足の部分が破損しているものもあった。長机は流石に以前の形を留めていたが、それでもどこから生えてきたのか、蔦が脚に巻き付き、それがテーブルの端まで伸びていた。
唯一十年前と同じと言っていいのは、テーブルの上に置かれた玩具の黒電話だ。あの日は暗がりの中だったからか、もっと年代物の黒電話が置かれていたと感じたのに、今はそれがプラスチック製の貧相な玩具のそれだとはっきり分かる。しかも、くるくると回りながら伸びるコードはどこにも繋がっていない。
「彼は玩具だろ? と言って、受話器を上げてわざわざ私の耳に当てたわ。確かに何も聞こえないし、ツーツーとも言ってなかったから、それはそうなんだろうけど、あの日は流石にびっくりして、彼に悪趣味だと言ってしまったわ」
美雪はそう言いながら受話器を持ち上げると、良樹に見せる。一応受け取ったそれを耳に当てたが、当然何も聞こえるはずがない。
「この電話は本物を隠す為に置かれたダミーだと、彼は言ったわ。そして、それを置いたのは彼自身だとも」
「え? あいつの自作自演だったのかよ」
友作が思わず声に出していたが、その場の他のメンバーの思いもだいたい同じようなものだっただろう。
「私はだから、もう一度『それは流石に悪趣味じゃない?』と言ったの。でもね、彼はこのダミーによって本物がないと思わせることが大切だったと語ったわ。それから、部屋を出た」
美雪に続いて、みんな食堂を出る。
「この黒猫館が何故黒猫館と呼ばれているのか、それについては調べたけれど分からないと当初安斉君は言ってたわ。けれどね、ここに入った時に彼はこんな自説を披露してくれた」
この建物は明治末期に中東の小国から招いた建築家ジャミル・アジズ・ラショールにより考案され、建てられたことは資料からもはっきりしていた。彼、ラショールという人物については謎が多く、分かっていないことだらけだが、それでも彼の建てた建築物は何かと人が死んだり、事故が続いたりして、通称『呪いの建築家』と呼ばれていることは、その界隈で有名な話だった。
「そのラショールという作家に家族がいたかどうかは分からない。けれど、彼がある少女の為に考えたのがこの黒猫館だというの。彼はよく女性を猫に喩えていて、それは彼が芸術家として残した数点の絵画の中にも表れているわ。どの絵の中でも彼が描く女性は猫の部分を持っているの。尻尾があったり、耳が猫のものだったり、顔が猫そのものといったものも描いている。ただ、それだけ常に女性を猫として捉えるモチーフにしていたのにもかかわらず、建築では何故か一度として猫を使っていない。名前が付けられているものもこの黒猫館だけだ、と安斉君は言うのよ」
今美雪から聞いた話は桐生から貰った資料には書かれていなかった。そもそも彼が残した絵画というのも現存するものは殆どないそうだ。写真や資料に残されたイラストや記述からどういうものを描いていたかは分かるが、特に目立つものはないと、資料にはあった。それだけ芸術家としては注目を浴びなかったということだろう。
「だからね、彼は言うの。ここはラショールがある一人の少女の為に作った建物なんじゃないかと」
それにしては館そのものは入口の吹き抜けこそ特徴的だが、外観は明治期に造られた他の多くの外国建築家のものに比べて随分と簡素だし、猫の耳と呼ばれている三階部分の小さな尖塔にしても、それほど特別とは呼べない。
「桐生さんはこの建物の裏側まで、外で見て来られたんですよね?」
「ああ」
「何か奇妙なことに気づかれませんでしたか?」
美雪は台所に向かいながら、振り返って尋ねた。
「そういえば裏口がないな、とは思ったが、入口が表玄関しかない構造なのか?」
「彼は言ったんです。ここは黒猫館の体の部分だから、どこか別に尻尾の部分に当たる部屋が存在している、と」
良樹はその構造を頭に思い描いてみた。ちょうど玄関のところを猫の胸から前足と考えると、建物の裏側に尻尾に繋がる部分があるはずだ。ただ外から見て、出口はないと桐生は言っていた。
「やや後側に長い台形といった感じの建物で、特にそういう余計な出っ張りはなかったぞ」
「ここです」
そう言って彼女が入ったのは、台所の隣の部屋だった。暗く、窓もない。
良樹は手にしていたライトを点けると、そこが木箱や樽、戸棚が置かれた物置なのだと分かった。
そう言いながら美雪は一度みんなから離れ、入口のドアの前に立った。
「彼はドアを閉めると、私にこう言ったの」
――実は俺さ、前に一度、ここを見に来たことがあるんだ。
「どうしてそんなことを言ったのか、私にはよく分からなかったけれど、その時は彼が私を安心させる為に言ってくれたんだと、そう思っていた」
美雪は誰の相槌も待たずに、ゆっくりと歩き出す。既に彼女の頭の中では、十年前のあの日の情景がありありと蘇っているのだろう。
「でも彼は本当にこの建物の構造をよく知っていて、最初から向かって右手側の通路の奥に向かって進んで、まず食堂を見せてくれたわ」
先頭に立って歩く美雪に、みんな付いていく。友作は何か言いたそうだったが、加奈に腕を引かれ、黙り込んでいた。
「こうやって、怖がることなく自分の手でドアを開けて」
美雪が入口のドアノブを回し、開ける。まるで彼女自身があの日の安斉誠一郎を演じているかのように、良樹には見えた。
ただ食堂の中も十年前を再現している、とは言えなかった。前側の壁に飾られていた獣の剥製の頭部は落下して鼻の部分が欠けているし、椅子は半分程度が転がり、中には足の部分が破損しているものもあった。長机は流石に以前の形を留めていたが、それでもどこから生えてきたのか、蔦が脚に巻き付き、それがテーブルの端まで伸びていた。
唯一十年前と同じと言っていいのは、テーブルの上に置かれた玩具の黒電話だ。あの日は暗がりの中だったからか、もっと年代物の黒電話が置かれていたと感じたのに、今はそれがプラスチック製の貧相な玩具のそれだとはっきり分かる。しかも、くるくると回りながら伸びるコードはどこにも繋がっていない。
「彼は玩具だろ? と言って、受話器を上げてわざわざ私の耳に当てたわ。確かに何も聞こえないし、ツーツーとも言ってなかったから、それはそうなんだろうけど、あの日は流石にびっくりして、彼に悪趣味だと言ってしまったわ」
美雪はそう言いながら受話器を持ち上げると、良樹に見せる。一応受け取ったそれを耳に当てたが、当然何も聞こえるはずがない。
「この電話は本物を隠す為に置かれたダミーだと、彼は言ったわ。そして、それを置いたのは彼自身だとも」
「え? あいつの自作自演だったのかよ」
友作が思わず声に出していたが、その場の他のメンバーの思いもだいたい同じようなものだっただろう。
「私はだから、もう一度『それは流石に悪趣味じゃない?』と言ったの。でもね、彼はこのダミーによって本物がないと思わせることが大切だったと語ったわ。それから、部屋を出た」
美雪に続いて、みんな食堂を出る。
「この黒猫館が何故黒猫館と呼ばれているのか、それについては調べたけれど分からないと当初安斉君は言ってたわ。けれどね、ここに入った時に彼はこんな自説を披露してくれた」
この建物は明治末期に中東の小国から招いた建築家ジャミル・アジズ・ラショールにより考案され、建てられたことは資料からもはっきりしていた。彼、ラショールという人物については謎が多く、分かっていないことだらけだが、それでも彼の建てた建築物は何かと人が死んだり、事故が続いたりして、通称『呪いの建築家』と呼ばれていることは、その界隈で有名な話だった。
「そのラショールという作家に家族がいたかどうかは分からない。けれど、彼がある少女の為に考えたのがこの黒猫館だというの。彼はよく女性を猫に喩えていて、それは彼が芸術家として残した数点の絵画の中にも表れているわ。どの絵の中でも彼が描く女性は猫の部分を持っているの。尻尾があったり、耳が猫のものだったり、顔が猫そのものといったものも描いている。ただ、それだけ常に女性を猫として捉えるモチーフにしていたのにもかかわらず、建築では何故か一度として猫を使っていない。名前が付けられているものもこの黒猫館だけだ、と安斉君は言うのよ」
今美雪から聞いた話は桐生から貰った資料には書かれていなかった。そもそも彼が残した絵画というのも現存するものは殆どないそうだ。写真や資料に残されたイラストや記述からどういうものを描いていたかは分かるが、特に目立つものはないと、資料にはあった。それだけ芸術家としては注目を浴びなかったということだろう。
「だからね、彼は言うの。ここはラショールがある一人の少女の為に作った建物なんじゃないかと」
それにしては館そのものは入口の吹き抜けこそ特徴的だが、外観は明治期に造られた他の多くの外国建築家のものに比べて随分と簡素だし、猫の耳と呼ばれている三階部分の小さな尖塔にしても、それほど特別とは呼べない。
「桐生さんはこの建物の裏側まで、外で見て来られたんですよね?」
「ああ」
「何か奇妙なことに気づかれませんでしたか?」
美雪は台所に向かいながら、振り返って尋ねた。
「そういえば裏口がないな、とは思ったが、入口が表玄関しかない構造なのか?」
「彼は言ったんです。ここは黒猫館の体の部分だから、どこか別に尻尾の部分に当たる部屋が存在している、と」
良樹はその構造を頭に思い描いてみた。ちょうど玄関のところを猫の胸から前足と考えると、建物の裏側に尻尾に繋がる部分があるはずだ。ただ外から見て、出口はないと桐生は言っていた。
「やや後側に長い台形といった感じの建物で、特にそういう余計な出っ張りはなかったぞ」
「ここです」
そう言って彼女が入ったのは、台所の隣の部屋だった。暗く、窓もない。
良樹は手にしていたライトを点けると、そこが木箱や樽、戸棚が置かれた物置なのだと分かった。
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