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第一章 「黒猫館と肝試し」
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黒井良樹がその奇妙な噂話を知ったのは、大学のサークルの仲間と夏の計画を練っていた時のことだった。
良樹はいくつかのサークルを掛け持ちしていたのだが、その一つ、地域文化研究会という集まりは地元の史跡を巡ったり、郷土資料館で調べものをしたり、時には展示や発表も行うというものだった。中にはただ集まって喋っているだけのものもあった中で、地文は比較的活動をしている部類のサークルだったと言える。
元々は先輩の一人が地元の企業の社長子息ということもあり、何か理由を付けて彼の別荘を利用しようというのが始まりだったと、何代か前の部長から聞いた。
名前だけを貸している数名を除けば、当時よく部室に姿を見せていたのは自分を入れた六名で、それ以外の人間の顔を良樹はあまり思い出せない。
「そういうの、よくある都市伝説だろ?」
半分に割いた袋からポテトチップスを鷲掴みにして口に投げ込み、生駒友作は扇風機の真ん前に陣取ったまま、つまらなさそうに言った。
「でもさあ、死んだ人と話せるって、なんだかロマンチックじゃない?」
話を持ってきた太田加奈は相変わらず胸元の大きく開いた上着で、そこを指で摘んでパタパタと空気を入れるようにするものだから、良樹も友作も共に視線を部室の窓へと投げやる。キャンパスに植わっている銀杏の木に一匹のアブラゼミが居座っていて、先程から十分事に悲鳴のような鳴き声を上げていた。
地域文化研究会の部室が入っている文化部棟は三階建てになっていて、その二階の一室の十メートル四方がサークルの領域として与えられている。部同士の間はセパレイタとしてホワイトボードや移動式黒板、パーテーションなどで区切られており、地文のエリアは窓際の一番端で窓越しに大学の中央棟が見えた。
覗き込むと、いつもなら講堂や中央棟に向かう学生たちの姿が沢山見えるところだが、夏休み期間ともあって今は殆どいない。ただ、良樹はその数名の歩行者の中によく知っている二人の姿を見つけた。
一人は綺麗に整えられた短い頭髪と、自信に満ちた歩き方でそれと分かる、安斉誠一郎だ。その隣で背中まである長い黒髪を揺らしながら右手で自分を仰いでいる女性は、深川美雪。共に地域文化研究会の一員だった。
何やら誠一郎が熱弁を奮っているようだが、美雪の方は相槌を打ちながらも少し距離を置いて聞いている雰囲気に見える。
二人の関係について、友作も加奈も「絶対に付き合っている」と言っていたが、尋ねてみたことはなく、よく一緒に歩いているところを見かけるものの、確実に恋人同士なのかどうかは良樹には分からなかった。
「そもそもあの黒猫館てさ、どこが黒猫なんだ?」
――黒猫館。
それは大学の裏手にある雑木林を抜けた先の、森の中にあった。良樹たちの通う大学は周辺を森や林に囲まれ、良く言えば自然豊かな環境で学問に打ち込むことができる、とパンフレットに書かれているが、実際に生活している学生側から言えば、繁華街までほど遠く、街灯も少なくて夜は危ないし、最寄りのコンビニですら走って十分も掛かるものだから、利便性はかなり悪い。
そんな場所だから妙な噂話も暇つぶしとして歓迎される風潮はあった。
その一つがこの黒猫館と呼ばれる古い西洋風の建物だ。一部では著名な建築家の作品らしく、時々取材に外部から人が訪れる。ただ外から見ても真っ白でのっぺりとした三階建てになっているだけで、バロック建築のような細かく荘厳な意匠はどこにもなされていない。唯一の特徴として正面から見た時に左右に小さな尖塔部分があり、それが猫の耳のように見えないこともない。
けれどそれなら白猫館と呼ぶ方が相応しいのだが、何故か黒猫館と呼ばれている。
その由縁についてはかつて誠一郎が調べていたことがあるが、建設される以前から黒猫館と呼称されていたという記録しか見つからなかった、と聞いた。
「夜に見ると真っ黒なんじゃないの?」
加奈はあまり色については関心がなさそうだ。
「それより、黒井君は誰か話してみたい人いる?」
「死んでる人で?」
「そう。あたしはねえ……尾崎雅彦」
「それって確か」
「生駒君、知ってるの!?」
「ああ。高校ん時によく聞いていた。あの早世した歌手か。太田は好きなの?」
「お母さんがさ、むっちゃファンで。小さい頃からずっと聞いていたから、話したいってよりは、一度でいいから生ライブ聞きたいなって」
確かにそういう話なら夢がある、と良樹は思った。対して自分が思い浮かべたのは、小学生の時に亡くなってしまった祖母だった。仕事で忙しい両親に変わってあれこれと世話をしてくれた。育ての親と言ってもいい。そんな祖母は自然には百八つの神様が宿っていて、常に畏れと感謝をもって接しなさい、と言っていたことを思い出す。
「だったら俺は松浦豊作だな。今でもブラッキーレインは伝説だよ」
「何か盛り上がってるけど、面白いネタでもあったのか?」
友作が立ち上がって刀を振り回す素振りをしたところに、誠一郎と美雪が入ってきた。
「ちょっと聞いてよ。黒猫館でさ」
「ああ、黒電話ね」
「知ってたの?」
「結構有名だよ」
「なーんだ」
がっかり、といった表情の加奈はパイプ椅子に座ると「つまんない」と唇を突き出す。
「深川とも、今ちょうどそれについて話していたところなんだ」
黒板の前に陣取った誠一郎に対し、美雪は窓際に背をもたれさせて立ち、一度、良樹を見て苦笑する。それに対して同じように苦笑を浮かべたが、
「みんな、聞いてくれ」
と、いつものように始めた誠一郎に、すぐ視線を戻してしまった。
良樹はいくつかのサークルを掛け持ちしていたのだが、その一つ、地域文化研究会という集まりは地元の史跡を巡ったり、郷土資料館で調べものをしたり、時には展示や発表も行うというものだった。中にはただ集まって喋っているだけのものもあった中で、地文は比較的活動をしている部類のサークルだったと言える。
元々は先輩の一人が地元の企業の社長子息ということもあり、何か理由を付けて彼の別荘を利用しようというのが始まりだったと、何代か前の部長から聞いた。
名前だけを貸している数名を除けば、当時よく部室に姿を見せていたのは自分を入れた六名で、それ以外の人間の顔を良樹はあまり思い出せない。
「そういうの、よくある都市伝説だろ?」
半分に割いた袋からポテトチップスを鷲掴みにして口に投げ込み、生駒友作は扇風機の真ん前に陣取ったまま、つまらなさそうに言った。
「でもさあ、死んだ人と話せるって、なんだかロマンチックじゃない?」
話を持ってきた太田加奈は相変わらず胸元の大きく開いた上着で、そこを指で摘んでパタパタと空気を入れるようにするものだから、良樹も友作も共に視線を部室の窓へと投げやる。キャンパスに植わっている銀杏の木に一匹のアブラゼミが居座っていて、先程から十分事に悲鳴のような鳴き声を上げていた。
地域文化研究会の部室が入っている文化部棟は三階建てになっていて、その二階の一室の十メートル四方がサークルの領域として与えられている。部同士の間はセパレイタとしてホワイトボードや移動式黒板、パーテーションなどで区切られており、地文のエリアは窓際の一番端で窓越しに大学の中央棟が見えた。
覗き込むと、いつもなら講堂や中央棟に向かう学生たちの姿が沢山見えるところだが、夏休み期間ともあって今は殆どいない。ただ、良樹はその数名の歩行者の中によく知っている二人の姿を見つけた。
一人は綺麗に整えられた短い頭髪と、自信に満ちた歩き方でそれと分かる、安斉誠一郎だ。その隣で背中まである長い黒髪を揺らしながら右手で自分を仰いでいる女性は、深川美雪。共に地域文化研究会の一員だった。
何やら誠一郎が熱弁を奮っているようだが、美雪の方は相槌を打ちながらも少し距離を置いて聞いている雰囲気に見える。
二人の関係について、友作も加奈も「絶対に付き合っている」と言っていたが、尋ねてみたことはなく、よく一緒に歩いているところを見かけるものの、確実に恋人同士なのかどうかは良樹には分からなかった。
「そもそもあの黒猫館てさ、どこが黒猫なんだ?」
――黒猫館。
それは大学の裏手にある雑木林を抜けた先の、森の中にあった。良樹たちの通う大学は周辺を森や林に囲まれ、良く言えば自然豊かな環境で学問に打ち込むことができる、とパンフレットに書かれているが、実際に生活している学生側から言えば、繁華街までほど遠く、街灯も少なくて夜は危ないし、最寄りのコンビニですら走って十分も掛かるものだから、利便性はかなり悪い。
そんな場所だから妙な噂話も暇つぶしとして歓迎される風潮はあった。
その一つがこの黒猫館と呼ばれる古い西洋風の建物だ。一部では著名な建築家の作品らしく、時々取材に外部から人が訪れる。ただ外から見ても真っ白でのっぺりとした三階建てになっているだけで、バロック建築のような細かく荘厳な意匠はどこにもなされていない。唯一の特徴として正面から見た時に左右に小さな尖塔部分があり、それが猫の耳のように見えないこともない。
けれどそれなら白猫館と呼ぶ方が相応しいのだが、何故か黒猫館と呼ばれている。
その由縁についてはかつて誠一郎が調べていたことがあるが、建設される以前から黒猫館と呼称されていたという記録しか見つからなかった、と聞いた。
「夜に見ると真っ黒なんじゃないの?」
加奈はあまり色については関心がなさそうだ。
「それより、黒井君は誰か話してみたい人いる?」
「死んでる人で?」
「そう。あたしはねえ……尾崎雅彦」
「それって確か」
「生駒君、知ってるの!?」
「ああ。高校ん時によく聞いていた。あの早世した歌手か。太田は好きなの?」
「お母さんがさ、むっちゃファンで。小さい頃からずっと聞いていたから、話したいってよりは、一度でいいから生ライブ聞きたいなって」
確かにそういう話なら夢がある、と良樹は思った。対して自分が思い浮かべたのは、小学生の時に亡くなってしまった祖母だった。仕事で忙しい両親に変わってあれこれと世話をしてくれた。育ての親と言ってもいい。そんな祖母は自然には百八つの神様が宿っていて、常に畏れと感謝をもって接しなさい、と言っていたことを思い出す。
「だったら俺は松浦豊作だな。今でもブラッキーレインは伝説だよ」
「何か盛り上がってるけど、面白いネタでもあったのか?」
友作が立ち上がって刀を振り回す素振りをしたところに、誠一郎と美雪が入ってきた。
「ちょっと聞いてよ。黒猫館でさ」
「ああ、黒電話ね」
「知ってたの?」
「結構有名だよ」
「なーんだ」
がっかり、といった表情の加奈はパイプ椅子に座ると「つまんない」と唇を突き出す。
「深川とも、今ちょうどそれについて話していたところなんだ」
黒板の前に陣取った誠一郎に対し、美雪は窓際に背をもたれさせて立ち、一度、良樹を見て苦笑する。それに対して同じように苦笑を浮かべたが、
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と、いつものように始めた誠一郎に、すぐ視線を戻してしまった。
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