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番外編

4-5

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 夕焼けで紅く染まった海の上、遥か遠くに陸が黒く見える。点々と落ちている小さな影は漁船だろうか。
 本当ならもっと違う気分で、好きな人とこれを眺めていたはずなのに。
 私は金谷さんに渡された封筒片手に重い息を吐いた。
 曰く、この封筒の中に私が探す組のお金とやらのヒントが書かれているらしい。
 当の金谷さんはカジノが気になるからと船内の遊技場に行ったのでここにはいない。ここが船の上で、私には逃げ場がないからだろう。
 それにこれは金谷さんの考えた宝探しだから、居場所も大体見当がつく、ということか。
 手のひらの上で転がされているだけだとは思う。けど今はそれでもなんとか足掻くしかなかった。
 真新しい白い封筒の封を切って、中の紙を手に取る。
 触り心地のいい紙には大きく十番と書かれていて、その下には……

『たちゅたたうおうたほたーるふたんすたいのたたいたけがたき』

 文字の羅列と、いかにもインターネットのフリー素材を貼り付けました、という絵柄の狸のイラスト。
 一瞬、私の中の常識が間違っているのかと錯覚した。王道すぎて逆に騙されているんじゃないか、実は狸じゃなくてアライグマとか、そんな疑いを持った。でもこれはどう考えても答えは『中央ホール噴水の生垣』だ。
 狸だから「た」を抜く。幼稚園児とかならともかく、この暗号の解き方がわからない大人がいるだろうか。
 船内の案内図を見ると、確かに中央ホールには噴水のようなものがある。場所もすぐそこだ。
 とにかくこのゲームは早く終わらせよう。
 中央ホールに向かって、大きな噴水の前に立つ。円形の噴水と生垣の組み合わせは洒落た公園のようで、船の中とは思えないな。
 そんなことを思いながら生垣の周りを一周してみると、看板の後ろに封筒が挟まっているのに気付いた。
 白いシンプルな封筒は、私が今手に持っているものと同じだ。
 周りの目を気にしつつそれを取って封を切る。
 中身は九番と書かれた紙だ。どうやら暗号……とも呼び難いこれを解いていくたびに一つずつ数が減っていくんだろう。一番か、あるいは零番を解けば、そこに宝こと組のお金がある。
 まあ十番はあくまで一問目。お試し問題のようなものだろう。
 きっとここからが本番だ。
 封筒から紙を引き抜いて暗号を見る。

『124192110355129321』

 数字だ。こういうのって確か、一番よくあるのは五十音表にあてはめるパターンだよね。
 えっと、一文字目は「い」だから……『イタリアンのイルカ』か。
 ……どういうこと?
 イタリアにイルカが旅行……なわけないか。イタリアンレストランかな。そう思いつつ案内図を探してみると、確かにイタリアンレストランがあった。
 ここからだと少し遠いので早足でそのレストランに向かう。イルカの意味がわからないけど……と思っていたら、それはすぐにわかった。
 イタリアンレストランの前にいくつか彫像が並んでいて、そのうちの一つにイルカがある。周辺を探すと、像の正面にある椅子の裏に白い封筒が貼り付けられていた。
 今のところ順調だけど、簡単すぎて怖い。まあどうせ最後の問題は私の脳味噌で解けるようにできていないんだろう。
 そんな諦めを抱きながらも解いていくしかないのが悔しい。私はため息を吐きながら封筒を開けた。

 -----

「わかんない……」

 手元には五番の紙。予想通りと言うべきか、問題の難易度がじわじわ上がっている。
 噴水からイルカの像、その後は画廊の植木鉢、ランドリー、図書館の本の間と船内を行ったり来たりしてようやく半分。暗号の内容もたぬき暗号みたいな子供騙しではなくなってきて、脳内で解くには限界だったので途中から売店でペンとメモ帳を買った。
 ぐしゃぐしゃの文字を睨みながら私は近くのお店で買ったジュースを飲む。中の氷がすっかり溶けて、薄い味しかしない。そして机の上には破って丸められたメモも並んでいる。
『ぬはねろひれろんるろらーを』
 文字を五十音の前後左右にずらしたり無理やり並べ替えたりもしたけど何の単語にもならない。
 文字通り頭を抱えて唸っていると、机からゴミと封筒が落ちた。
 慌てて拾い上げたそれの中に、何かヒントはないものかとふと思い至り、私はビリビリと封筒を破る。

「あ……」

 封筒を広げてみると、単に口を開けて覗き込むだけでは見えない位置に『イロハ』と書かれていた。いろは歌のことだろうか。
 とりあえずうろ覚えのいろは歌を書いてみる。
 それだけだとただいろは歌を書き出しただけなので、とりあえず五文字に区切って五十音表みたいにしてみる。
 えーっと、『こうといれちいんさいにーし』?なにこれ。
 でもこれが答えなら……あ、そうか。逆か。
 この答えを逆から読むと『シーニイサンイチレイトウコ』……『C231冷凍庫』になる。
 部屋番号っぽいけど、そう思って自分のカードを見ると、C231の文字があった。
 私は氷が完全に溶けて薄味になったジュースを飲み干して立ち上がる。空になった容器を机の上のメモと一緒にゴミ箱に捨てて、私は客室に急いだ。
 すっかり外は暗くなって、早めの食事を終えた人たちがバーや遊技場に吸い込まれていく中、逆走するように歩く。
 船内の案内図は暗号の解読で穴が開くほど眺めたのでCの部屋がどの辺りにあるかもだいたいわかっていた。
 私は部屋の前に立ってカードをセンサーにかざす。
 カチャリと音がして、鍵が開いた。
 灯りをつけると、こじんまりとした客室に備え付けられた小型の冷蔵庫が見えたので近付いて扉を開ける。
 冷気が指に触れたその瞬間、突然顔を殴られたような衝撃を感じて私はその場に倒れた。
 起き上がろうにも指先に上手く力が入らない。

「ヒント見つけるのに時間かかったみたいだね」

 イタズラが成功した子供のように嬉しそうな口調で、一番聞きたくない人の声が降ってきた。
 金谷さんは倒れている私の横を通り過ぎて窓を開ける。
 潮風が私の頬を撫でた。

「でもいろは歌ってわかったら簡単だったでしょ?梢チャンがいろは歌覚えてなかったらどうしようかと思ったけど」

 そんなことなら古典の内容なんて忘れた方がよかった。
 そう言いたいけど、言葉も上手く発せられない。

「よかった。暗号考えた甲斐があったよ。普通に部屋に来てって言っても梢チャン警戒するでしょ?」

 金谷さんは倒れている私の横にしゃがみ込むと、楽しそうに私の顔を覗き込んだ。
 私はまんまとこの人の策に嵌ったらしい。
 確かに警戒は薄れていた。問題を解くことに、最後の暗号までたどり着くことに気を取られて普通ならノコノコ入り込まない密室に自ら入って、次の暗号が入っているものだと疑わずに、何が入っているのかわからない箱を開けた。

「大丈夫。軽い麻酔みたいなものだからそのうち動けるようになるよ。ああでも、女の子を床に転がしておくのはまずいよね」

 そう言って金谷さんは私の身体をベッドの上に乗せる。その言葉の通り、手は軽く握ることができるくらいにはなっていたけど、力は入らない。
 してやられた。でもそれを恨んでいる時点でもう遅かった。
 ギシリとベッドが軋む音がする。

「いい顔だね、梢チャン」

 金谷さんは私の上に覆い被さる。金谷さんの身体が乗る下腹部に、昂った熱と質量を感じた。
 動かない身体に寒気が走る。何度も訪れる悪寒はいつしか身体の震えになっていた。

「やっと俺の番だ。ずっとこうしたかったんだよ、君が欲しかった」

 冷たい指先が私の頬を撫でた。そのまま顔を上に向けさせられて、私は金谷さんと目を合わせることになる。

「な、なんでわたしを……そこまで……」

 うまく動かない喉をなんとか震わせて、囁くような声で尋ねる。
 どうして私がここまでこの人に執着されているのか、全く心当たりが無い。
 気があるような素振りなんて見せていないし、なんなら常にこの人のことは拒絶していたはずだ。
 ここまで露骨に嫌いだと態度で示しているつもりなのに、そもそも私には貴也さんがいるのに、どうして諦めないのか。

「それは梢チャンが熊谷サンのものだからだよ」
「意味が……わかりません。だって……」

 貴也さんが私に興味を持ったから気になった、というのは理解できる。だからってここまでするだろうか。
 単に私を襲いたいんだったら、これまでに機会はあったはずだ。私が貴也さんと距離を取っていた時。実際、私はそこを狙われている。
 絞り出すような声でなんとかそう言うと、金谷さんは短く笑った。

「あの時の梢チャンは熊谷サンのものじゃなかったから」

 金谷さんは私の唇に親指を置いて、私の口をこじ開けながら微笑んだ。

「俺が欲しいのはの梢チャンなんだよ」
「だから意味が……」
「俺と同類のはずの熊谷サンを、どうやって満たしたのか。条件はできるだけ揃えないといけないからね」

 そんなことを言われても、私と貴也さんは本当にたまたま、身体の相性がよかっただけだ。そうじゃなければあの一夜限りの関係だっただろう。
 私は首を横に振ろうとした。でも、唇を掴まれているせいで動けない。

「梢チャンは覚えてない……というかそもそも知らないか。君と出会う前の熊谷サンのこと」

 そんなの知るわけがない。貴也さんはあまり自分のことを語るタイプじゃないから。
 知りたいという思いはあったけど、それを知ったところで何かが変わるわけでもない。そう思って私から聞くこともなかった。

「あの見た目に加えて腕も立つ。頭も悪くないとなれば出世するよね。親父にも気に入られて地位も金も、力も手に入れて何不自由ない生活を送ってるはずなのに、いっつもつまらなさそうにして、女を抱いて性欲だけ発散させる……タイプは違うけど、俺と同じだって思ったよ」

 金谷さんの顔から表情が消える。いつもの表情は作りものなんだろう。それくらい感情のない、けれどとても自然な顔だった。

「何をしても満たされない。割れたコップに水を注ぎ続けるみたいに。たまにお茶とか酒とかに変えてみても、割れてるんだから結局同じだよね。俺もあの人も、どこか壊れてたんだ。だからお互い、持ちつ持たれつやってこれたんだと思う。俺のこと気にかけてくれるの、あの人くらいだから」

 どうしてこんな変わった人に貴也さんが気に入られているのか、ずっと不思議だった。そして貴也さんも、金谷さんのことは嫌いつつも信用はしてるみたいだった。
 お互いに何か通じるところがあったのかもしれない。

「でもあの人は変わっちゃった……いや、『普通』になれた。直せたんだ」

 金谷さんの暗い瞳が真っ直ぐに私を見下ろしている。その深い穴の底のような目の中に、縋るような色が見えた気がした。

「……だから、俺の事も満たしてよ。梢

 
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