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3章
6.温泉のお一人様3
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窓際に置かれていた籐椅子に腰掛けながら、備え付けの冷蔵庫に入っていた茶を飲んでいた。
来た時はまだ外は明るかったけど、今はすっかり陽が傾いて西の空が鮮やかな茜色に染まっている。
そこでふと、このまま昌治さんが来なかったらと不安になった。昌治さんはこの頃は特に忙しそうにしている。どうやらまだ一条会の件が完全には片付いていないらしく、説明であったり鎮圧のためにあちこちに足を運んでいるのだとか。
お屋敷にいる時でも誰かと話していたり資料を読んだりしている。
ヤクザさんっててっきり借金取り立てたりどこかと戦ったりする以外はすることないんだと思ってたけど、全然そんなことなかった。
大原さんだってお屋敷でも基本的にパソコンと睨めっこしていて、そうじゃない時は部下の方々を引き連れて出かけていったりしている。
前々から思っていたけど、そんな方に私なんかのお守りをしてもらっていていいんだろうか。
お風呂上がりで火照っていたのが、風に当たっているうちにいくらか落ち着いてきた。
「……眠い」
お風呂に入った後だからかちょっぴり眠くなってきた。奥にあるベッドに移動して腰掛けると、程よいスプリングで体がちょっと跳ねた。
触感を楽しみつつ横たわると、そのまま心地よい眠りの世界に誘われる。
同時にうつ伏せになったからか、胸元にある指輪の感触が伝わってくる。このまま寝て起きて、朝になってたりしたら嫌だな……
忙しいのはわかってるし、そもそも今は気まずくて顔を合わせにくいのも事実だけど、このよく知らない広い部屋で一人で待ってるだけって、やっぱり寂しい。何もしないで待ってるだけって、いつもと変わらないよ。
そしてふっと目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。枕元にあった時計に目を向けると、もう夜の8時近い。
部屋には私以外いなくて、昌治さんがくる気配はなかった
忙しいんだよね。わかってるけど、それでもいないっていうのは寂しくて、じわっと涙が溢れてきた。
気付けば柔らかい枕に顔を埋めて、誰も聞いていないのに泣き声を堪えるみたいにして泣いていた。
わけもわからず連れてこられてこれはあんまりだと思う。
「うう、大原さんのつるつるっ!」
ここで大原さんのスキンヘッドは関係ないけど、何か言わずにはいられなかった。
「これで明日の朝まで誰も来なかったら、大原さんのすね毛もつるっつるにしてやる!」
巷で話題の除毛クリーム、確か美香が持ってるって言ってた。美香に対する当てつけはそれを拝借するのでいいや。
戦犯はここに連れてきた大原さんだから!
そうやってしばらく泣いて、疲れてまたベッドでぐったりしていたら、勢いよく扉が開く音がして、電灯が付いたのか部屋の中が急に明るくなった。
ずっと暗かったからそれが眩しくて、私は思わず顔をしかめる。
「待たせたな。腹減っただろ。女将に今から夕飯持ってくるように言っといたから……その目、どうした?」
入ってくるなり昌治さんは私の顔を見て目を見開いた。
よっぽど慌てて来たのか、途中で脱いだらしいスーツのジャケットは乱暴に折り畳まれて、腕をまくっている高さ片方だけ落ちてきていてバラバラだ。
和室のところにジャケットと荷物を投げ捨てて、昌治さんは足早に私がいるベッドに近付いてくる。
「み、見ないでください……」
恥ずかしい。来ないかもと思って寂しくて泣いてて、大原さんへのささやかな仕返しを考えていたなんて、言えるわけがない。
枕に再び顔を埋めて、私は昌治さんから必死に目をそらす。
でもそれが許されるわけもなく、私は昌治さんに抱き起こされて、枕からも引き剥がされた。
「一人にして悪かった。言い訳に聞こえるかもしれないが、俺もお前がここにいるとさっき聞いたばかりなんだ」
「……え?」
その言葉に私は顔を上げた。
昌治さんの氷を思わせる瞳と目が合った。
「用事を片付けて戻ったら柳の孫がいて、お前がここにいると教えてくれた。知ってたらもっと早く来れたんだが」
てっきり昌治さんは知ってるものだとばかり思ってた。
「……泣いてたのか」
昌治さんはそう言って目の縁に残っていた涙を指先で優しく拭う。
申し訳なさそうな、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべた昌治さんは、私の肩を優しく抱いた。そのままゆっくりと私をベッドに押し付けて、私は昌治さんに見下ろされる格好になる。
「昌治さんが来なかったらどうしようって……」
「行くに決まってんだろ。俺はお前を嫁にするんだから」
「でも、私疑ったんですよ?」
自分の声が勝手に震えているのがわかる。
そうだ、私はこの人と結婚するのに、避けられてるって勝手に思ったり、バイトしたいってわがまま言ったり、不安に思っていたのは私だけ?
「いや、疑われるような真似をした俺も悪かった」
「でも……昌治さんは忙しかったんですよね?」
忙しくて時間がなかったから、なかなか会えなかったし、こうして遅くなってしまったんですよね。
「たしかに忙しかったのもあるが……避けてただろ、お前を」
言いづらそうに昌治さんは言う。
やっぱり、あれは避けられてたんだ。
「いいんです。忙しいのは仕方ないです」
「違う。そうじゃない。俺は……」
昌治さんが何か言いかけたところで、コンコンコンと扉がノックされた。
「岩峰様、お食事の用意が整いました」
女将さんの声がした。そうだ、さっき夕飯持って来てもらうって言ってたな。
言葉を遮られた昌治さんはちょっと不機嫌そうにしながらも私を離して部屋の入り口の方へ歩いていく。
私もこんな状態を見られるのはまずいので、慌ててベッドから起き上がってお膳を持って入ってきた女将さんの方を見る。
女将さんは私の方をちらりと見て微笑むと、何も言わずに黙々と食事の用意をしていなくなってしまった。
来た時はまだ外は明るかったけど、今はすっかり陽が傾いて西の空が鮮やかな茜色に染まっている。
そこでふと、このまま昌治さんが来なかったらと不安になった。昌治さんはこの頃は特に忙しそうにしている。どうやらまだ一条会の件が完全には片付いていないらしく、説明であったり鎮圧のためにあちこちに足を運んでいるのだとか。
お屋敷にいる時でも誰かと話していたり資料を読んだりしている。
ヤクザさんっててっきり借金取り立てたりどこかと戦ったりする以外はすることないんだと思ってたけど、全然そんなことなかった。
大原さんだってお屋敷でも基本的にパソコンと睨めっこしていて、そうじゃない時は部下の方々を引き連れて出かけていったりしている。
前々から思っていたけど、そんな方に私なんかのお守りをしてもらっていていいんだろうか。
お風呂上がりで火照っていたのが、風に当たっているうちにいくらか落ち着いてきた。
「……眠い」
お風呂に入った後だからかちょっぴり眠くなってきた。奥にあるベッドに移動して腰掛けると、程よいスプリングで体がちょっと跳ねた。
触感を楽しみつつ横たわると、そのまま心地よい眠りの世界に誘われる。
同時にうつ伏せになったからか、胸元にある指輪の感触が伝わってくる。このまま寝て起きて、朝になってたりしたら嫌だな……
忙しいのはわかってるし、そもそも今は気まずくて顔を合わせにくいのも事実だけど、このよく知らない広い部屋で一人で待ってるだけって、やっぱり寂しい。何もしないで待ってるだけって、いつもと変わらないよ。
そしてふっと目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。枕元にあった時計に目を向けると、もう夜の8時近い。
部屋には私以外いなくて、昌治さんがくる気配はなかった
忙しいんだよね。わかってるけど、それでもいないっていうのは寂しくて、じわっと涙が溢れてきた。
気付けば柔らかい枕に顔を埋めて、誰も聞いていないのに泣き声を堪えるみたいにして泣いていた。
わけもわからず連れてこられてこれはあんまりだと思う。
「うう、大原さんのつるつるっ!」
ここで大原さんのスキンヘッドは関係ないけど、何か言わずにはいられなかった。
「これで明日の朝まで誰も来なかったら、大原さんのすね毛もつるっつるにしてやる!」
巷で話題の除毛クリーム、確か美香が持ってるって言ってた。美香に対する当てつけはそれを拝借するのでいいや。
戦犯はここに連れてきた大原さんだから!
そうやってしばらく泣いて、疲れてまたベッドでぐったりしていたら、勢いよく扉が開く音がして、電灯が付いたのか部屋の中が急に明るくなった。
ずっと暗かったからそれが眩しくて、私は思わず顔をしかめる。
「待たせたな。腹減っただろ。女将に今から夕飯持ってくるように言っといたから……その目、どうした?」
入ってくるなり昌治さんは私の顔を見て目を見開いた。
よっぽど慌てて来たのか、途中で脱いだらしいスーツのジャケットは乱暴に折り畳まれて、腕をまくっている高さ片方だけ落ちてきていてバラバラだ。
和室のところにジャケットと荷物を投げ捨てて、昌治さんは足早に私がいるベッドに近付いてくる。
「み、見ないでください……」
恥ずかしい。来ないかもと思って寂しくて泣いてて、大原さんへのささやかな仕返しを考えていたなんて、言えるわけがない。
枕に再び顔を埋めて、私は昌治さんから必死に目をそらす。
でもそれが許されるわけもなく、私は昌治さんに抱き起こされて、枕からも引き剥がされた。
「一人にして悪かった。言い訳に聞こえるかもしれないが、俺もお前がここにいるとさっき聞いたばかりなんだ」
「……え?」
その言葉に私は顔を上げた。
昌治さんの氷を思わせる瞳と目が合った。
「用事を片付けて戻ったら柳の孫がいて、お前がここにいると教えてくれた。知ってたらもっと早く来れたんだが」
てっきり昌治さんは知ってるものだとばかり思ってた。
「……泣いてたのか」
昌治さんはそう言って目の縁に残っていた涙を指先で優しく拭う。
申し訳なさそうな、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべた昌治さんは、私の肩を優しく抱いた。そのままゆっくりと私をベッドに押し付けて、私は昌治さんに見下ろされる格好になる。
「昌治さんが来なかったらどうしようって……」
「行くに決まってんだろ。俺はお前を嫁にするんだから」
「でも、私疑ったんですよ?」
自分の声が勝手に震えているのがわかる。
そうだ、私はこの人と結婚するのに、避けられてるって勝手に思ったり、バイトしたいってわがまま言ったり、不安に思っていたのは私だけ?
「いや、疑われるような真似をした俺も悪かった」
「でも……昌治さんは忙しかったんですよね?」
忙しくて時間がなかったから、なかなか会えなかったし、こうして遅くなってしまったんですよね。
「たしかに忙しかったのもあるが……避けてただろ、お前を」
言いづらそうに昌治さんは言う。
やっぱり、あれは避けられてたんだ。
「いいんです。忙しいのは仕方ないです」
「違う。そうじゃない。俺は……」
昌治さんが何か言いかけたところで、コンコンコンと扉がノックされた。
「岩峰様、お食事の用意が整いました」
女将さんの声がした。そうだ、さっき夕飯持って来てもらうって言ってたな。
言葉を遮られた昌治さんはちょっと不機嫌そうにしながらも私を離して部屋の入り口の方へ歩いていく。
私もこんな状態を見られるのはまずいので、慌ててベッドから起き上がってお膳を持って入ってきた女将さんの方を見る。
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