お客様はヤのつくご職業

古亜

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2章

小噺.ヤクザさんと雛鳥

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ヒロインが怪我をしているにも関わらず、入れることのできなかった看病イベントのお約束の小噺です。
本編に関わってくることはない、なんて事のない最終話の翌朝の出来事。やや甘め。

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妙にご機嫌な様子の大原さんが、お盆に何かを乗せてやってきた。

「おはようございます、楓様。いい朝ですね」

……外、梅雨らしく雨ですけど。なんなら音だけでわかるくらいどしゃ降りですけど。
なんとも微妙な顔をしてしまったのだけど、大原さんは気付いた様子もなく折り畳み式の机を立ち上げて、その上にお盆を置いた。
黒い小さな土鍋とスプーンが乗っていた。

「一応点滴で補ってはいましたが、食べる方がいいですからね。もちろん無理に全て召し上がる必要はありませんから」

そう言いながら大原さんは土鍋の蓋を開ける。
土鍋の中身は、ほのかに出汁の香るお粥だった。
細かく刻まれ柔らかく煮込まれた人参やほうれん草などの野菜の彩りが目に優しい。

「もう食べても大丈夫なんですか?」
「守谷医師にはむしろ食べさせるように言われています。寝ているだけでも生きている以上、エネルギーは消費しますから」

そう言われると、なんだかお腹が空いてきた気がする。右手はまだ動かすと痛いから、左手で食べなきゃ。
まあ、スプーンで食べるし、左手でも大丈夫でしょ。

「いただきます」

まだ熱そうなので、少しだけスプーンの先で掬って……う、慣れてないから意外と難しい。よし、掬え……あ、半分くらい落ちた。

「……楓様、ちょっと席を外しますね」
「あ、はい。どうぞ」

私が食べてるの見ていたところで別に楽しくないでしょう。大原さんも忙しいだろうし、ゆっくり食べるので私のことなどどうかお気になさらず。
大原さんはやってきた時と同じように上機嫌で部屋を出ていった。
それを見送った私は、スプーンを動かしてお粥を口に運んだ。
このところ水を飲むくらいしかしてなかったから、久しぶりの固形物!半固形物だけどそれは置いといて、見た目通りの優しい味。
お米も野菜もとろとろに溶けていて、舌で簡単に潰せてしまう。出汁の香りと色んな野菜の味が混じり合って美味しい。
もう一口……とスプーンで掬うけど、なんだか思うように動かせない。まあお粥は逃げないしゆっくりでいいかな、なんて思っていたら、部屋に誰かが入ってきた。
大原さんかな。何か忘れ物とか……

「え、昌治さん……?」

どうして昌治さんが今ここに?てっきりもう出かけたものだと思ってたけど。

「少し顔を見ていこうと思ってな。食べられそうか」
「はい。一応左手は使えるので」

そう言って掬ってみせようとしたけど、どうにもうまくいかない。半分くらい落ちてしまう。

「……貸せ」
「え?」

何を?と尋ねる間もなく、手にしていたスプーンが昌治さんに奪われていた。
昌治さんはお粥を掬って……無言で私の顔の前に差し出してくる。
これまさか……いや、昌治さんそんなことする方でしたっけ?あの、若頭ですよね昌治さん。ヤクザさんですよね昌治さん!

「ああ、このままじゃ熱いか」

どう対応すべきか悩んでいたら、昌治さんが違う方向に向かっていく。止める間もなく、お粥は程よく冷まされた。

「あ、ええと、その……」

どういう状況なんですかこれ。
いや、わかってます。食べづらそうにしているのを見かねてくださったんですよね。
でもその、なかなか怪我人にはハードルが高いと言いますか、精神的に?この歳で「あーん」って、色々辛い!

「……食欲がないのか?」

不安そうな表情。なぜか私が悪いみたいな気になるのでそれずるいです。
そう、私が勝手に恥ずかしがってるだけで、昌治さんは一切気にしてなさそうなんだよね。そういう人だってわかってるけど、うう……
諦めて私はちょっと口を開けた。
そこに昌治さんがスプーンを入れてくれる。自分の手を使っていないのにお粥が口の中に入ってくるって、なんか不思議な感じがする。そして、私を見つめてくる昌治さんのせいで、味が全くわからない。
気持ちは嬉しいのですが、あの、精神的によろしくないです。

「どうした?味が気に入らなかったか?」

もっと美味いもん作るよう言ってくる……って、やめてください!昌治さんがそれやったらただの脅し……?あの強面の料理人のおじさんが泣いてしまうっ!

「美味しいですよ!美味しいです!食べさせて貰うって初めてなので」

料理人のおじさんは私が守る!いつもありがとうございます!安心してください、美味しいです!
若頭を厨房に突撃させまいと口を開こうとしたら……ん?なんだか昌治さんの様子がおかしい。
え、私何か踏んだでしょうか。変なこと言ってはいないと思うのですが。
それを隠すように、昌治さんはまたお粥を掬って私の前に持ってきた。一回食べたからか、さっきより抵抗はなく食べることができた。
それより問題は昌治さんだ。え、どういう表情ですかそれ。
嬉しいのを必死に堪えてて、それでいて戸惑ってるみたいな顔。

「……お前、間違っても大原にこれさせるんじゃねぇぞ」

なぜにここで大原さん。大原さんにこれさせるって、え?この「あーん」ってやつですか。

「さ、させませんよ!?なんなら昌治さんだから恥ずかしくてもできるわけで……って、何言わせるんですか!」

いや、言ったの私だけど。勝手に言ったの私の口だけど……

「自分で食べられますから!スプーン返してください!」

自分で食べればいい。そう、わかりきったことですよ!?別に、昌治さんが嫌とかそういうのじゃないですから!
左手を出して返してくださいとアピールしてみたけど、一向に返してくれそうな気配がない。
それどころか、またお粥を掬って私の前に。

「あの……」
「怪我人は怪我人らしくしてろ。俺がお前に食わせたいんだよ」

ひ、開き直ったこの人!

「正直、粥じゃなく果物とかだったら手から直で食べさせたい」

それ言う必要あります!?
しかし言い返すことはできず、昌治さんの眼力に負けた私は大人しく掬ってもらったお粥を食べた。
そのまま食べさせられ、土鍋は空になる。

「……鳥に餌付けしてる気分だった」

美味しいお粥を食べるだけなのに、なぜか疲れ切っていた私に対し、昌治さんはとても楽しそうだった。

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あんまりに食べにくそうにしている楓様を見て、思わず出てきてしまった。まだこのあたりの部屋に……ああ、いた。
若頭が部下になにやら指示を出している。一条との件の後始末に関してだろう。
にしても……上機嫌が滲み出ている。まあいい事ですが、程々にしてくださいよ。俺だってあんまり顔に出さないようにしてるんですから。
話を終えたらしい若頭が俺がいるのに気づいて、怪訝そうに眉を動かした。

「どうした」
「先程楓様に朝食をお持ちしました。食欲はありそうです」
「そうか……わざわざそれを言いに来たのか?」
「念のため報告をと思ったので。ですが、左手で食べるのには慣れていらっしゃらない様子でした」

ここまで言えば十分だろうか。まあ、慣れていない様子とはいえ、全くできていないわけではないから、仮に若頭が動かなくても問題はない。
仕事があるため楓様が一人でいることをやんわりと伝えて、俺はその場を離れる。若頭がどこかに向かうのが視界の端に見えた。


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すみません番外編です。黒幕が大原さんだったというだけの話です。
本編のどこかに入れようとしていましたが、入れるところの見極めを誤り番外編としてのお披露目となりました。
本編の更新については今週中にはしたいなと考えています。少々お待ちください……

昌治さんは好意と言いますか、手伝うかというノリで来てます。途中で客観視して自分のしてることに気付いて開き直りました。

その若頭について、全く関係ないのですが
岩峰って苗字の芸能人とかいたっけなーとなんとなく調べたら、この苗字の方は全国に70人ほどしかいないという衝撃の事実に行き着き驚きを隠せません。
何も考えずに岩……田?崎?野?とかやって決めただけなのですが(岩を入れるのはなんとなーく決めてました)まさかレアな苗字だったとは……
全国の岩峰さんに対し謝りにくくなりました。全国で70人に謝るって結構ピンポイントです。
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