お客様はヤのつくご職業

古亜

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2章

28.ヤクザさんの優しさ

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感覚も何もない暗い世界に私はいた。海中をふわふわ漂ってるみたいにただ自分の意識だけがそこにある。
私、何してたんだっけ。自分が何を思っていたのかももはやわからなくて、黒をただひたすら感じていた。

「……で、今ちょっと……った?」
「いずれ……醒め……まだ……」

黒一色の世界に突然音が入り込む。それは少しずつはっきりしてきて、同時にふらふら抜け出していった魂が体を得たみたいに、自分の手足の感覚が戻ってきた。
どこか柔らかい布団の上で寝かされている。口元はマスクみたいなのが付けられてて、指先は動かせないけど、とにかく戻ってきたんだとなぜかすごく安らかな気持ちになった。

「一瞬、鼻の穴が動いたみたいな気がしたんだけど」

ああこれ、美香の声だ。
……待って、鼻の穴ってどこ見てたの。
目を開けたいけど、瞼が接着剤でくっついてしまったみたいに開かない。瞼さえ自由にならないのだから、当然口が開くわけもなく。

「脈も安定していますし、いずれ目を醒ますでしょう。そろそろ休まれてはいかがですか。俺が見てますから」

大原さんもいる。そうか私、逃げられたんだ。
二人が心配しているのが伝わってくる。もう起きてるよと伝えたいのに、体が綿でできたぬいぐるみにでもなったみたいに動かなかった。

「起きたらびっくりしませんか。目覚めて目の前に大原さんみたいな人がいたら私多分再度気絶します。違う意味で」
「美香さんにそれ言われても説得力ないですから。慣れてるんでしょう、強面」
「好きで慣れたわけじゃないです。なんなら最近耐性がなくなってきた気がしてますよ」
「……よく言えますねそれ。ウチの連中に出迎えられても無反応だったじゃないですか。耐性ない人はそんな反応しません」

なんか、美香馴染んでませんか。いや、美香はヤクザさんの孫だしいいのかな。ああ、ちょっと考えるだけで頭がボヤっとする。

「でもそろそろ起きたっていいんじゃ……」
「1週間経っても目覚めないのなら考えますが、まだ2日ですからねぇ。麻酔も効いているでしょうし」
「よく絵本とかで王子様のキスで目を醒ますってありますけど、実践してみます?」
「王子様ってキャラじゃないでしょう若頭は。どちらかといえば海賊船の船長とか盗賊団の頭では」
「……確かに」
「というかそれで目が覚めるならとっくに……いえ、すみません忘れてください」
「なにそれ詳しく教えてください」

なにそれやめてください。
これ、動けなくてよかったかもしれない。変な反応するところだった。ん?待って、これ話されたら聞かないようにするという選択肢がないんですが。お願い美香、食いつかないで……

「大学はいいんですか」
「今日の授業昼からなので」

話を逸らそうと大原さんが頑張っている。すみませんよろしくお願いします。
私も頑張って動いてみようかな……うん、無理だ。ピクリとも動かせない。
むしろ、右腕がなんだか痛いというか、じんわり痺れてるみたいでなんだか感じが悪い……ああそうだ、私は撃たれたんだった。
昌治さんは、無事なのかな。春斗さんも、なんであんなことしたのかわからないけど、でも、私がこうして岩峰のお屋敷にいるってことは、きっと……

「岩峰さんはいつ戻ってくるんですか?」
「一条どころか柳狐組も巻き込みましたからね。ややこしいことになっているのでしばらくかかるでしょう。条野組も黙っていないでしょうから、いずれなにかしらの形で楽しい楽しい話し合いが催されるかと」
「うわ……楽しくなさそう」
「加えて派手に暴れたせいで手入れまで入った。まあ楓様は例外として民間人に被害がなかったのと、一条の方が目立ってウチはあんまり目を付けられなかったのは幸いですよ。叔父貴の口利きもありましたが」

昌治さんが無事そうなのはわかったけど、なんだかヤクザさんの小難しそうな話が始まってしまった。目は開いてないけど目は覚めてるこの微妙な状態、どうしよう。聞いてていいのかなこれ。

「岩峰組の叔父貴って、ウチの強面なだけのオッさんたちと違ってすごく有能そう」
「……まあ、さすがと言える方々ではありますよ。ですが本家に行く度に祝言の日取り聞いてくるのはやめてほしいんですよね」

あの、気が早くないですか。早すぎませんか。一度も会ったことないですよね。それに今の状況でなんでその話に……

「楓の逃げ道、あります?」
「ないです。楓様には本当に申し訳ないのですが、早々に諦めてこっちに来ていただけると、なにがとは言いませんが非常に助かります」
「無理矢理引き込むのはやめてあげてください」
「別に今すぐ姐になれとまでは言いませんよ。まとめ役になってほしいとも思っていませんし。とりあえず、卒業後すぐに祝言をあげられるように手配はしていますが」

え……?どういうことそれ。

「……しゅう、げん?」

やっと声が出たと思ったら、第一声はそれだった。
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