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1章
35.ヤクザさんの電話3
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側から見たら吸血鬼に襲われてるみたいなんだろうなと、私の中の客観的な部分が思った。
ずいぶんと長いこと首筋を甘噛みされていた。春斗さんの空いている手は優しく、私の頭を撫でる。
「そうやって大人しくしとき。怖いもんはなんもない」
ようやく離された首筋の一点は熱を帯び、空気に触れてひやりとするのが心地良かった。
叫んで暴れれば逃げられるかもしれない。それでも体は恐怖と混乱で金縛りにあったように動かなかった。
逆らえばなにをされるかわからない。助けに来る人もいない。昌治さんは私がいなくなったことに気付いてくれるだろうけど、それは明日だ。今日は会えないと伝えてしまったのだから。
「ふっ、んっ!」
散々弄んだはずの口に、春斗さんのものが再び入ってきた。まるで私が昌治さんのことをちらりとでも考えたことに対する罰のように。息苦しさのあまり意識が飛びそうになるまで、離してもらえなかった。
私が息を吸ったのを確認した春斗さんのなにかを含んだ微笑みが近付いて来た時、突然車が停まった。
春斗さんは起き上がって舌打ちをした。
ようやく自由になった両手はすっかり痺れている。
「会長、門の前に車が」
吉井さんがこちらの方は見ず、前方を示した。
シートに倒されている私には見ることができないけど、車がいて邪魔なようだ。
「急な来客は困るわ……ええとこやったのになぁ」
忌々しげに再び舌打ちをした春斗さんは、私を見下ろしてニッと笑う。
「逃げたりしたらアカンよ?怖いヤクザは追っ払ったるから、楓はここで大人しく待っとき」
それは春斗さんのことじゃないだろうか。そう思ったけど口に出せるはずもなく、特に返事はしなかった。
春斗さんはちょっと不満そうにしながらも、急いでいるのかそれ以上はなにもせずに車から出ていった。
しばらく呆然とシートに横たわっていたのだけど、突然聞き覚えのある発砲音がして私は飛び起きる。
慌てて窓の外を見ると、立派な門構えのお屋敷の前に車が何台も止まり、黒服の男たちが争っていた。
そしてその黒服の中にちらっと見えたのは大原さん。そして見覚えのある岩峰組の方々だった。
どうして大原さんたちが……私のため、なの?
居ても立っても居られず、私はドアに手をかける。
「楓様、よろしいのですか?」
それまで黙っていた吉井さんが低く、警告するように言った。
「今出て行かれれば、後で必ず後悔することになりますよ」
そう言って吉井さんは車の周囲を見回した。
私の乗っている車の周りを、一条会のヤクザと思われる方々が固めていた。
逃げたところでこのヤクザに捕まるのは目に見えている。出て行かない方が、春斗さんをこれ以上刺激せずにすむ。
それでも……
また、銃声が響いた。
「行かなくても、私は後悔します」
私はドアの鍵を開けて、思い切り開け放った。
まさか開くとは思っていなかったドアが開いて驚いているヤクザを開ける勢いで倒して、その隙に間を抜けた。
「大人しくしときって言うたやろ?悪い子やなぁ」
こちらを見た春斗さんの手には、黒く光る何かが握られている。
そしてその正面で真っ直ぐ彼を見据えていたのは、昌治さんだった。その手にも同じく、黒く光るものがあった。
「昌治さんっ!」
たぶんだけど、この人たちは私に向かって撃ってはこない。それだけを信じて私は掴まれた腕を無理矢理振りほどく。視界の端に、お屋敷の門の横の小さな扉が開いているのが見えた。
あそこに連れ込まれたら、もう逃げられない。
私は無我夢中で一条会のヤクザの手を振り払う。
岩峰組のヤクザのみなさんが間に入って引き剥がしてくださったので、私はなんとか二人の間に立つことができた。
「楓、こっち来や」
銃を下ろした春斗さんが、無害そうな笑顔を浮かべて手招きをする。
岩峰組のみなさんも一条会のヤクザも、全員が固唾を飲んで私たち三人を見ていた。
「俺が寛容なうちに、従っといた方がええよ?」
春斗さんの声の持つ強制力に屈しそうになったけど、私はなんとか首を横に振って昌治さんのいる後ろの方に下がった。
カチャっと、金属音が静かな通りに響く。それは連鎖して、二つの組織の間の緊張が一気に高まった。
「楓が怯える。やめろ」
「俺の楓が怯えるやろ。物騒なモンは下ろせや」
二人がほとんど同時にそう言って、互いに睨み合う。空気が肌を刺すようだった。
何か物音が立つだけでもパンと弾けてしまいそうで、誰も動けない。
「……楓、来い」
沈黙を破ったのは昌治さんだった。
その低く掠れた声と同時に、私は後ろから抱きしめられる。
こんな状況なのに、布越しの体温がとても優しくて、私はつい身を預けてしまった。
「大丈夫だ。行くぞ」
くるりとそこで昌治さんは踵を返す。
まるで私を守るように私の後ろに、昌治さんが立っていた。
「駄目です!私が後ろに……」
「お前に守ってもらえるのは嬉しいが、守るのは男の役目だろう」
視線の先で、大原さんが車の扉を開けて待っていた。
私はまた、昌治さんに助けられたのか。
「……楓」
通りが奇妙に静まり返ったその時、後ろから名前を呼ばれて振り向いていた。
昌治さんの背後で、春斗さんが無邪気な人懐っこい笑みを浮かべている。
振り向くべきじゃなかった、と直感した。でも春斗さんの声には、振り向かせる強制力があった。
「お前のこと、諦める気ないねん。また近々会ったら、後悔させたるわ。その選択」
その目はギラついていて、その笑みにそぐわない、不安定な表情だ。
「黙れ、詐欺師が」
怒気を含んだ声で昌治さんは言う。そう大きな声じゃないのに、私まで震えてしまった。
半ば昌治さんに押されるようにして車に乗り込んですぐ、車は走り出したけれど、春斗さんの最後の言葉と表情が脳裏にこびりついて離れなかった。
ずいぶんと長いこと首筋を甘噛みされていた。春斗さんの空いている手は優しく、私の頭を撫でる。
「そうやって大人しくしとき。怖いもんはなんもない」
ようやく離された首筋の一点は熱を帯び、空気に触れてひやりとするのが心地良かった。
叫んで暴れれば逃げられるかもしれない。それでも体は恐怖と混乱で金縛りにあったように動かなかった。
逆らえばなにをされるかわからない。助けに来る人もいない。昌治さんは私がいなくなったことに気付いてくれるだろうけど、それは明日だ。今日は会えないと伝えてしまったのだから。
「ふっ、んっ!」
散々弄んだはずの口に、春斗さんのものが再び入ってきた。まるで私が昌治さんのことをちらりとでも考えたことに対する罰のように。息苦しさのあまり意識が飛びそうになるまで、離してもらえなかった。
私が息を吸ったのを確認した春斗さんのなにかを含んだ微笑みが近付いて来た時、突然車が停まった。
春斗さんは起き上がって舌打ちをした。
ようやく自由になった両手はすっかり痺れている。
「会長、門の前に車が」
吉井さんがこちらの方は見ず、前方を示した。
シートに倒されている私には見ることができないけど、車がいて邪魔なようだ。
「急な来客は困るわ……ええとこやったのになぁ」
忌々しげに再び舌打ちをした春斗さんは、私を見下ろしてニッと笑う。
「逃げたりしたらアカンよ?怖いヤクザは追っ払ったるから、楓はここで大人しく待っとき」
それは春斗さんのことじゃないだろうか。そう思ったけど口に出せるはずもなく、特に返事はしなかった。
春斗さんはちょっと不満そうにしながらも、急いでいるのかそれ以上はなにもせずに車から出ていった。
しばらく呆然とシートに横たわっていたのだけど、突然聞き覚えのある発砲音がして私は飛び起きる。
慌てて窓の外を見ると、立派な門構えのお屋敷の前に車が何台も止まり、黒服の男たちが争っていた。
そしてその黒服の中にちらっと見えたのは大原さん。そして見覚えのある岩峰組の方々だった。
どうして大原さんたちが……私のため、なの?
居ても立っても居られず、私はドアに手をかける。
「楓様、よろしいのですか?」
それまで黙っていた吉井さんが低く、警告するように言った。
「今出て行かれれば、後で必ず後悔することになりますよ」
そう言って吉井さんは車の周囲を見回した。
私の乗っている車の周りを、一条会のヤクザと思われる方々が固めていた。
逃げたところでこのヤクザに捕まるのは目に見えている。出て行かない方が、春斗さんをこれ以上刺激せずにすむ。
それでも……
また、銃声が響いた。
「行かなくても、私は後悔します」
私はドアの鍵を開けて、思い切り開け放った。
まさか開くとは思っていなかったドアが開いて驚いているヤクザを開ける勢いで倒して、その隙に間を抜けた。
「大人しくしときって言うたやろ?悪い子やなぁ」
こちらを見た春斗さんの手には、黒く光る何かが握られている。
そしてその正面で真っ直ぐ彼を見据えていたのは、昌治さんだった。その手にも同じく、黒く光るものがあった。
「昌治さんっ!」
たぶんだけど、この人たちは私に向かって撃ってはこない。それだけを信じて私は掴まれた腕を無理矢理振りほどく。視界の端に、お屋敷の門の横の小さな扉が開いているのが見えた。
あそこに連れ込まれたら、もう逃げられない。
私は無我夢中で一条会のヤクザの手を振り払う。
岩峰組のヤクザのみなさんが間に入って引き剥がしてくださったので、私はなんとか二人の間に立つことができた。
「楓、こっち来や」
銃を下ろした春斗さんが、無害そうな笑顔を浮かべて手招きをする。
岩峰組のみなさんも一条会のヤクザも、全員が固唾を飲んで私たち三人を見ていた。
「俺が寛容なうちに、従っといた方がええよ?」
春斗さんの声の持つ強制力に屈しそうになったけど、私はなんとか首を横に振って昌治さんのいる後ろの方に下がった。
カチャっと、金属音が静かな通りに響く。それは連鎖して、二つの組織の間の緊張が一気に高まった。
「楓が怯える。やめろ」
「俺の楓が怯えるやろ。物騒なモンは下ろせや」
二人がほとんど同時にそう言って、互いに睨み合う。空気が肌を刺すようだった。
何か物音が立つだけでもパンと弾けてしまいそうで、誰も動けない。
「……楓、来い」
沈黙を破ったのは昌治さんだった。
その低く掠れた声と同時に、私は後ろから抱きしめられる。
こんな状況なのに、布越しの体温がとても優しくて、私はつい身を預けてしまった。
「大丈夫だ。行くぞ」
くるりとそこで昌治さんは踵を返す。
まるで私を守るように私の後ろに、昌治さんが立っていた。
「駄目です!私が後ろに……」
「お前に守ってもらえるのは嬉しいが、守るのは男の役目だろう」
視線の先で、大原さんが車の扉を開けて待っていた。
私はまた、昌治さんに助けられたのか。
「……楓」
通りが奇妙に静まり返ったその時、後ろから名前を呼ばれて振り向いていた。
昌治さんの背後で、春斗さんが無邪気な人懐っこい笑みを浮かべている。
振り向くべきじゃなかった、と直感した。でも春斗さんの声には、振り向かせる強制力があった。
「お前のこと、諦める気ないねん。また近々会ったら、後悔させたるわ。その選択」
その目はギラついていて、その笑みにそぐわない、不安定な表情だ。
「黙れ、詐欺師が」
怒気を含んだ声で昌治さんは言う。そう大きな声じゃないのに、私まで震えてしまった。
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