お客様はヤのつくご職業

古亜

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1章

15.若頭補佐は誤解を解かない

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『岩峰さんに好きなものとかありますか』
山野楓から届いた、監視はもういらないんじゃないか、という旨のメールに、まだしばらくは念のために、と心にもない返事を返した。
そのお礼の返信にくっ付いてきたのが、この疑問文。俺は持っていた缶コーヒーを落としてしまった。まだ中身入ってたんだが……いや、それどころではない。
なぜこんな質問を俺に送ってきたんだ?これをわざわざ俺に尋ねる意図はなんだ?
好きなものって、そりゃあんたの事だよと思いつつ、文面的にそういうことを聞いてきたわけではなさそうなので書くのはやめておく。
まあもし仮に、これがその確認として送られてきたものだとしても、俺が返信したら後々若頭に干される。俺は若頭の恋愛に巻き込まれて死にたくはない。

「どうした、大原」

なにやら作業をしていた若頭が俺の方をちらっと見る。そうだ、コーヒー零したんだった。

「失礼しました。すぐに片付けます」

掃除用具入れから雑巾を出して床に溢れたコーヒーを拭き取る。空になった缶と雑巾をゴミ箱に入れて、俺は若頭のデスクの前に立った。

「若頭、お尋ねしたいことが……」
「何だ?」
「若頭の好物は、牡蠣で間違いないですか?」
「なぜそんなことを聞く」

まあ、そうなりますよね。

「いえ、楓様に若頭の好物を尋ねられまして……間違ったことを教えては失礼かと思ったので」

楓の「か」の字が出た辺りで、若頭の肩がピクッと動いたのを俺は見逃さなかった。いや、見逃しても別によかったんだが、ここまでわかりやすいとは。

「そう、だが……」

若頭の歯切れが悪い。牡蠣が好物なのは間違っていないはずなんだが。

「肉まんだ」

はい?

「肉まんと伝えろ」

……そういえば、今朝部下から、事務所の冷蔵庫と冷凍庫の半分を冷蔵や冷凍の肉まんで占領してるやつがいる、というよくわからない苦情が入ったな。
この前、山野楓に肉まん貰ってたのは、若頭。そして最近、彼女がコンビニのシフトに入っている間に出かけて、戻ってくることが多い。おそらくコンビニに買い物に行ったはずなのに、手ぶらで帰ってくる。
うわぁ、マジか。
アプローチの仕方が絶対に間違っている気がする。このままでは完全に若頭がただの肉まん大好きな人になってしまう。
あれ?この方は裏社会で育った人、だよな?
彼女をスーパーに送った日に監禁だのヤバい事言ってた人と同一人物だよな?ヤクザと肉まんって、似合ってない。字面がシュールすぎる。
もう一度、彼女から来たメールを読み返す。好物が肉まんなのか確かめたい。そういうことだろうか。もしくは遠回しな苦情か?店にあんなプレッシャー放ちまくるヤクザが入り浸るのは確かに迷惑だ。
そう思って一応、やんわりと引き止めてはみたのだが、恋は盲目。聞いちゃいない。
若頭が彼女のこと大好きなのは俺からすれば丸わかりだが、それは彼女としてどうなのだろう。おそらく、かなり怯えているのではないだろうか。若頭としては、単に彼女に会いたいだけなんだろうがヤクザが自分のシフトの時に毎回来ては肉まんを買って帰る。普通に恐怖だ。
あんたのことが好きだから若頭はこんな事してるんですよ、と伝えるのが一番手っ取り早い気もするのだが、それしたら若頭が怒る。勝手に気持ちを伝えられるって、いい気はしないしな。
うーん、とりあえず今は若頭に肉まん大好きな人でいてもらうのがいい気がしてきた。多少恐怖は薄れるだろう。
『肉まんと牡蠣です』
そう、返答しておいた。
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