お客様はヤのつくご職業

古亜

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1章

3.ヤクザさんは突然に2

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とりあえず白菜と豚肉、洗剤を買い物カゴに入れたところで、私はハッと気が付いた。
これ、帰りはどうするべきなんだろうか、と。
たかが女子大生の夕食の買い物のために拉致まがいのことをするだろうか。送るだけ送って彼らは帰るのだろうか。待ってる可能性は?いや、でも私なんかに構う理由がないし……
確認くらいするべきだろうか。でも聞きに行くのって厚かましくない?
そんなことを考えているうちに会計も終わり、私はスーパーの出入り口で買物袋片手に途方に暮れていた。
駐車場を見ると、車はまだそこに停まっていた。
やっぱりあれは待ってるよね。行くべき?でも行ってどうする?自力で帰りますからって言うべきかな……ていうかそもそも家に送ってもらうのはまずいよね!?あと送ってもらえるっていう確証もない。
……決めた。裏の出入り口からこそっと帰る!
関わっちゃいけない感じがするし、待ってるといっても私が頼んだんじゃないから!逃げるが勝ち!
そうと決まれば善は急げだ。私はスーパーの正面ではなく横にある小さい出入り口から外に出る。よし、この出入り口は駐車場からは見えない。あとは住宅地を抜けてアパートに向かえばオーケー。
角を曲がるたびにちょっと周囲を気にしながら進む。ちょっとしたスパイ気分だ。別に機密情報とか持ってないけど。
今日のことはきっと、たまたま道を歩いてたあの男がたまたま私の姿を見て、たまたま声をかける気分になって声をかけてみたけど、驚いた私がヤクザとかうっかり言ってしまわないように、たまたま近くにあった車に私を乗せたのかもしれない。きっとそうだ。そうに違いない。
だから気まぐれみたいなもので、私みたいなちんちくりん小娘のことなんて明日には忘れるでしょう。何のとは言わないし考えないけど、お仕事で忙しいだろうしね。
そう思うと少し気が楽だなぁ。ちょっと軽くなった足取りで私の住んでいるアパートに着いた。その瞬間、私は大慌てで電柱の陰に隠れた。

「何でいるのっ!?」

思わずそんな台詞が口をついて出てきた。
アパートの前の駐車場。ご丁寧にも来客用のスペースに見覚えのありすぎる黒塗りの車が駐車されていた。
逃げとく?でも下宿先バレてるのにどこに逃げろと?美香の下宿先とか申し訳なさすぎて行けない。
いや落ち着け私。あの車ちょっと年代物感あるけど、そんなに珍しい車じゃないはず。きっとアパートの誰かのお客さんだ。きっと……

「なぜ一人で帰った?」
「ヒョエッ!」

あれだ、美術の教科書とかでよく見たあの叫びみたいな顔になってたと思う。めちゃくちゃ間抜けな声を上げた私はその場に荷物を取り落とし、走った。

「おい、待てっ!」

呼び止める男のやや驚いた声がするけど、気にしない。気にしたくないっ!

「間に合ってますっ!!」

何がだ。と自分で自分に突っ込みつつも、私は全力で走った。
昨晩助けていただいたことに感謝はしていますが、お返しできるものなんてないですよ!わかりますでしょうそれくらいっ!
「ぶっ!」
私はそこで、勢いよく誰かにぶつかった。
ぶつかっておいて謝らないのは失礼すぎると思いこわごわ顔を上げる……黒い服の人だぁ。
ちょ……ま……ええっ!?
「ああ?なんや嬢ちゃん?」
ドスの効いた低い声。全力で謝り倒して土下座しときたいけど、正直この人より後ろから追いかけてきてる男の方が怖いっ!
「すみませ……っ!」
即座に謝って横を通り過ぎようとしたら、左手首を思い切り掴まれる。
振りほどこうにも、女の腕力でどうこうできるはずもなく、私は壁に叩き付けられた。
「グッ……」
肺の空気が一気に抜けていく感じがして、私はそのままぼんやり男の後ろから迫ってくるより恐ろしい方の男を見ていた。
「なんやワレ!どこ見とんねん!」
ひぃぃっ!なんで昨日からこんなツイてないのっ?いや、今日は逃げた私に非があるのだけども!
殴られる……咄嗟に目を閉じてグッと歯をくいしばったけれど、一向に殴られる感じはしない。むしろ……
「迫田……テメェ何してる?」
私を壁に押し付けている男の声もドスが効いてて迫力あったけど、こっちの声の方が何十倍も迫力があった。あっちは冷水。こっちはドライアイス。
背中の毛穴という毛穴から冷たい汗が流れている。すみません!なんかごめんなさいっ!!
ガタガタ震えていたら私の腕を掴んでいた力が突然緩んだ。
恐る恐る目を開けると、目の前で私がぶつかった男が、殴り飛ばされ尻餅をついていた。

「申し訳ありません若頭っ!」

殴られた頬を確かめることすらせず、迫田と呼ばれたその男はその場で地面に頭を擦り付け……土下座をしていた。
泣くんじゃない?と思ってしまうくらい悲壮感漂う迫田さんの頭を高級そうな革靴で踏みつける男……って若頭っ!?待ってなにそのいかにもな感じは!!

「言ったよなぁ?丁重に扱えって」
「いやまさかこんな普通のオンナだと思いませんで……」
「ああ?」

氷河期が始まる前触れのような声だった。たった二文字なのに。
めっちゃ怖い。悪寒がすごい。今すぐにでも逃げ出したいけど、でも、この場合悪いのはこの迫田さんじゃなくて私なわけで……

「すみませんっ!私が前を見ていなかったのが悪いんです!」

深々と頭を下げて謝る。視界の端に映った迫田さんは、強面が一瞬可愛く見えるレベルでポカーンと不思議そうにしていた。
男の方は怖くて見れない。目が合ったらメデューサよろしく石にされる。

「昨日助けていただいたことにはすっごく感謝しているんです!でもそれに対するお礼とか、対価とか私は持っていないので怖くて逃げちゃって……迫田さん?にはむしろ私が謝るべきと言いますか!ぶつかっていったのは私の方なのでっ……」

沈黙が恐ろしいので、とにかく謝る。許されるかは置いといてこの場はせめて、迫田さんは許して差し上げてほしい。
そう思ったのに。
ドカッという鈍い音と共に、迫田さんが転がって呻き声を上げる。脇腹を蹴られたのか、そこを抑えていた。

「え……ちょ……」

なぜこの流れで迫田さんがさらに痛めつけられることに?私、迫田さんの無罪を主張して自分の非を認めたつもりだったのだけど?
さすがに顔を上げて男の方を見る。迫田さんを睨み付ける目が、なんかギラギラしてるっ!?なんで?その方は無罪ですよっ!

「テメェ、俺を差し置いて名前呼ばれるって、何様だ?」
「申し訳ありませんっ!!」

いやいや!何事っ!?え、私が迫田さんって呼んだから?仕方なくない?だって迫田って呼ばれてるし、間違ったことしたっけ?
よくわからないけど、理不尽なのはわかった。
というかこの騒ぎなのに誰も来ない。普段なら犬の散歩してる人とかがいる時間帯なのに……
誰か冷静な人!第三者求むっ!

「……怯えてるじゃないですか。落ち着いてください!」

神よっ!
祈りが通じたのか、遠くから誰かが駆け寄ってきた。
巻き込んでしまって申し訳ないけど、この方々をなだめてください!私には無理でした!
そう喜べたのも束の間、その誰かは……黒スーツにスキンヘッド、明らかにあっち側の人間だった。
いや、きっとこの人はこの状況だったら一番冷静な常識人に違いない。頼むから迫田さんを、迫田さんを立たせてあげてっ……!

「若、もう十分でしょう。こいつが何をしたのかは見てたんで」

ありがとうスキンヘッドの人。そう、その人が最初私に対して怒ったのはごもっともな理由だから。悪いの私ですからっ!

「……とりあえずちょいと指を落とすってことででいいですか」

どこからか果物ナイフを取り出して、真顔で言った。
前言撤回!常識人じゃなかった!
不穏すぎる。いや、悪いの私ですから代わりに私が……なんて言えるわけないけど!止めないとまずいのはわかる。目の前で誰かの手と指がさよならするの見てられるわけがない。原因たぶん?私なだけに余計!
私は慌てて迫田さんとスキンヘッドの男の間に入って両腕を広げた。

「あのですね、この方は私がぶつかったせいでご立腹だったわけでして……この方に非はないんです!指飛ばさないでくださいっ!」

背中を冷たい汗が伝っていくのを感じる。脚はガクガク震えてるし、たぶん男にも私がガクブルしてるのは見えているはずだ。
スキンヘッドの男が不機嫌そうな男の顔を伺うように見る。
私も男の方を見て、全力で祈った。
正直なところ目を逸らしたいのだけど、逸らしたら迫田さんの指がさよならしちゃう気がしたし、何より男の刃物のような視線が刺さっているようで……
しばらく黙って私を見つめていた男は、重々しく口を開いた。

「それが、嬢ちゃんの望みか?」

目の前にピンピンに張られた糸があるみたいだ。少しでも間違えればプチッと切れてしまう。
私は震えながらゆっくり頷いた。男から目を逸らさず、首をちょっと縦に振っただけだけど。
これまでの人生で一番長い数秒間ののち、男はハァと息をはく。そして……

「迫田、立て」

その言葉に、私の後ろでうずくまっていた迫田さんが立ち上がる気配がした。すごく起き上がりにくそうな感じだったけど、そっちを向いたらこの男の機嫌がコロッと変わってしまう気がしてできなかった。

「ここはもういい。他の奴らと事務所戻ってろ」
「は、はいっ!」

ビシッと敬礼する迫田さんの姿が浮かんだ。
そしてバタバタという慌ただしい足音と共に、迫田さんはこの場からいなくなった。
と、とりあえず、私の目の前で迫田さんの指がバイバイするのを見ることはなさそうだ。
そう思ったら一気に気が抜けて、その場にへたり込んでしまった。目の前にこの元凶ともいえる男がいるのに。

「ウチのやつが迷惑かけたな。すまない」

いや、なんかそれは違う気がする……と思ったけど、口に出すのは全力で堪えた。

「ええと、いえ、こちらこそ逃げたりしてすみませんでした……」

差し出された手を取るべきか一瞬悩み、好意?を無下にするのはよくないとさんざん学んだ事を思い出してその手を取った。
引っ張り起こされていたときちらりと見えたスキンヘッドの男が、まるで宇宙人に会ったような驚愕の表情だったのはなぜだろう。

「いきなり誘拐のような事をしてしまったのは申し訳なく思っている。嬢ちゃんに少し話があったんだ」

話?昨日の夜のことだろうか。言わないで欲しいとかなら喜んでそうするけど……?命の恩人だし。

「ああ、はい。昨日のことですか?」
「……あのー、話をするのは構いませんが、目立ちますし車に戻りませんか?組のやつらは帰らせてしまいましたし」

それはごもっともだ。明らかにあっち側の世界の男二人に絡まれる女子大生の図。私なら見た瞬間通報している。
でも車は……勘弁願いたい。どっか連れてかれて売り飛ばされるんじゃないかという一抹の不安があった。

「狭いですけど、私の部屋でよろしければ……」

車よりはマシだ。10分……いや、3分でどうにか片付けるので。
二人の男は顔を見合わせ、どこか納得したように頷いた。
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