64 / 67
期待と求めるもの3
しおりを挟む
何度も角を曲がって駅からそれなりに離れた建物の前で吉崎さんはようやく足を止めた。
普段運動とかしないからそれだけで軽く息が上がって、まだ完治していない肋骨の骨折が痛んだ。
「大丈夫か?」
「はい。ちょっと痛いだけなので」
吉崎さんが申し訳なさそうに私を見る。むしろ助けてもらったのは私だ。それよりどうして吉崎さんが駅前にいたんだろう。それに私の面接のことも……
「……って、そうだ面接!」
慌ててスマホで時間を確認したら、12時はとっくに過ぎていた。
「すみません吉崎さん。私、駅前で面接のところに行かないと」
面接に遅刻なんて、せっかく有以子が色々してくれたのに。
「ああ、別にいいだろ」
「よくないですよ!まさかあんなことになるなんて思いませんでしたけど、事情説明して……でも説明って……うーん」
とても説明できる気がしないし、信じてもらえるのかとか色々難しいところが多すぎる。仮に説明できたとしても面接時間全部使い切っても終わらなさそう。
「すみません、とりあえず駅前に戻ります」
遅刻は確定だけど有以子の顔は潰したくない。そろそろ駅前も落ち着いてると信じてこっそり貸しオフィスの入ってるビルに入れれば……
吉崎さんに頭を下げて駅前に戻ろうとする。でも吉崎さんは私を掴んでいる手を離してくれなかった。
「あの、お礼は今度ちゃんとしますよ?」
「行く必要はねぇよ。面接官は俺だからな」
んん?
私は一瞬自分の耳を疑った。面接官は俺って言った?聞き間違えたとしたら面接官は折れた、とか?いや、でもそれだと意味がわからない。
「嬢ちゃんが受けようとしてんのはうちのフロントだ」
「えええっ!?」
自分でもびっくりする声が出た。だって有以子の紹介だよ?それが吉崎さんのところの会社って、どう言う冗談ですか。
「前から言ってたろ。うちの事務所で事務やればいいって」
「確かに言われましたけど、紹介してくれたの有以子ですよ?それに事務所って会社なんですか?」
このままいくと有以子がヤクザの事務所で経理をすることになるよ?さすがに止めるよそれは!
「新しく会社作るのは本当だ。嬢ちゃんのお友達をうちの事務所に出入りさせるわけねぇだろ。それに会社としてはちゃんとさせるし給料も嬢ちゃんの会社よりよっぽどいいぞ」
「まあうちの会社よりブラックだとは思いませんけど、大丈夫なんですか色々と」
違う意味で黒い気がする。むしろ真っ黒じゃないんですかそれ。
「業務内容は株取引だ。組の金を預けて増やす。投資信託ってやつだ」
「それは知ってますけど……」
果たしてそれはいいのか?グレーなのか、でも株で儲けるって合法だからなぁ。
「危ない目に遭うような事はねぇよ。知らずに働いていればいい。まあ嬢ちゃんの同僚、勘がよさそうだって呉田は言ってたな」
「どうしてそこで呉田さんが」
「表向きの代表は呉田だ。色んな意味で鼻がきくからな。それにあいつ外面はいいんだよ」
確かに、呉田さんには最初に会ったときに騙された。警察手帳見せられたっていうのもあるけど、警察官だって普通に信じてしまった。吉崎さんの料理を私なんぞが食べてるずるいという恨みを全く隠されず常に表情に出まくってるから忘れてた。
「それとも今から就職先探し直すか?言っとくがうちよりいい条件はそうそうねぇぞ」
確かにお給料も福利厚生もうちの会社よりよっぽどいい。それにヤクザのフロント企業とはいえ吉崎さんの会社だ。ブラックかどうかも未知数な知らない会社よりはよっぽど信用できる。
「嬢ちゃんがいいなら即採用だ。あと、貴重な職員に不摂生で倒れられても困るから食事がつく」
「お願いします」
しまった、反射的に……
いやだって、吉崎さんの口から食事って。私がずっと求めてたものがすぐ手の届くところにあったから。
けどいくらなんでもごはんに釣られるのは……と思って弁明の言葉を探したけど、何も見つからない。
吉崎さんはそんな私を見て楽しそうに笑っていた。
そういえば、吉崎さんがこうやって笑うの見たことないって小原さんは言っていた。けれど私はこっちの表情の吉崎さんをよく知っている。それに不摂生で倒れる職員って冗談っぽく言われてるけど、私だ。
思い出すと腹が立つから思い出さないようにしてたけど、あの美人は私が吉崎さんの特別だと言った。
「あっ……え?」
特別とはどういう事なのか。どうしてあの人は怒っていたのか。
ほんの少し考えただけでわからない方がおかしかった。
思い上がりだと何度も思った。そう決めつけ続けた。
「よ、吉崎さんが私に親切なのは、その……」
自分は何を訊いてるんだと恥ずかしくなって吉崎さんから目を逸らす。
頬と頭が熱を持っているのがわかった。
最初は勘違いだと言ってもらえる事を期待した。でもそれを想像したら悲しくて、じゃあ私は吉崎さんに何と言って欲しいのか。期待する言葉と求めている言葉が違う。
「隣人に不摂生で倒れられたら困る」
吉崎さんならそう言うんじゃないかな。それなら、これまで通りだ。今まで通り楽しくごはんを食べられれば。
「私が不健康だから……」
「好きだからだ。嬢ちゃん……いや、梓って女が」
心臓が大きく脈打った。それが合図だったように私の顔が上がって、吉崎さんと目が合う。
求めていた言葉だった。
「俺が嬢ちゃんの事を好きだからって、何も変わらねぇよ。ずっとそうだったんだ。梓の事が好きで俺はずっと飯を作ってきた」
「え……あう……」
「嬢ちゃんと飯食うのが楽しいんだよ。俺の飯で嬢ちゃんが健康だと嬉しいんだ。一生飯には困らせたくない」
い、いっしょう……
頭がふわふわして、まるで綿菓子が脳とすり替わったみたいだ。口から溢れる言葉は意味をなさない。
けど、自分が喜んでいるという事は確かにわかった。
一生吉崎さんのごはんが食べられるなら幸せだ。美味しいもの食べながら取り止めもない話をする。きっとずっと楽しい。
完全に停止してしまった私を見てふっと息を吐いた吉崎さんはゆっくりと私の手を離した。
「あんまり考えすぎるな。嬢ちゃんらしくねぇ。嬢ちゃんはいい感じにアホでいてくれればいい。そういうところも含めて嬢ちゃんだろ」
そう言われてもすっかり茹で上がってしまった頭はそう簡単に元には戻らない。
「今日は遅くなったが退院祝いと就職祝いだな。梓、手伝ってくれるか?」
祝われるやつに手伝わせるのもおかしな話だと吉崎さんは笑う。むしろ私が手伝えば余計な作業が増えるだけな気がするけど……
吉崎さんはそれもわかった上で言ってくれてるんだろう。
私は頷いて、それなら水炊きが食べたいと笑った。
普段運動とかしないからそれだけで軽く息が上がって、まだ完治していない肋骨の骨折が痛んだ。
「大丈夫か?」
「はい。ちょっと痛いだけなので」
吉崎さんが申し訳なさそうに私を見る。むしろ助けてもらったのは私だ。それよりどうして吉崎さんが駅前にいたんだろう。それに私の面接のことも……
「……って、そうだ面接!」
慌ててスマホで時間を確認したら、12時はとっくに過ぎていた。
「すみません吉崎さん。私、駅前で面接のところに行かないと」
面接に遅刻なんて、せっかく有以子が色々してくれたのに。
「ああ、別にいいだろ」
「よくないですよ!まさかあんなことになるなんて思いませんでしたけど、事情説明して……でも説明って……うーん」
とても説明できる気がしないし、信じてもらえるのかとか色々難しいところが多すぎる。仮に説明できたとしても面接時間全部使い切っても終わらなさそう。
「すみません、とりあえず駅前に戻ります」
遅刻は確定だけど有以子の顔は潰したくない。そろそろ駅前も落ち着いてると信じてこっそり貸しオフィスの入ってるビルに入れれば……
吉崎さんに頭を下げて駅前に戻ろうとする。でも吉崎さんは私を掴んでいる手を離してくれなかった。
「あの、お礼は今度ちゃんとしますよ?」
「行く必要はねぇよ。面接官は俺だからな」
んん?
私は一瞬自分の耳を疑った。面接官は俺って言った?聞き間違えたとしたら面接官は折れた、とか?いや、でもそれだと意味がわからない。
「嬢ちゃんが受けようとしてんのはうちのフロントだ」
「えええっ!?」
自分でもびっくりする声が出た。だって有以子の紹介だよ?それが吉崎さんのところの会社って、どう言う冗談ですか。
「前から言ってたろ。うちの事務所で事務やればいいって」
「確かに言われましたけど、紹介してくれたの有以子ですよ?それに事務所って会社なんですか?」
このままいくと有以子がヤクザの事務所で経理をすることになるよ?さすがに止めるよそれは!
「新しく会社作るのは本当だ。嬢ちゃんのお友達をうちの事務所に出入りさせるわけねぇだろ。それに会社としてはちゃんとさせるし給料も嬢ちゃんの会社よりよっぽどいいぞ」
「まあうちの会社よりブラックだとは思いませんけど、大丈夫なんですか色々と」
違う意味で黒い気がする。むしろ真っ黒じゃないんですかそれ。
「業務内容は株取引だ。組の金を預けて増やす。投資信託ってやつだ」
「それは知ってますけど……」
果たしてそれはいいのか?グレーなのか、でも株で儲けるって合法だからなぁ。
「危ない目に遭うような事はねぇよ。知らずに働いていればいい。まあ嬢ちゃんの同僚、勘がよさそうだって呉田は言ってたな」
「どうしてそこで呉田さんが」
「表向きの代表は呉田だ。色んな意味で鼻がきくからな。それにあいつ外面はいいんだよ」
確かに、呉田さんには最初に会ったときに騙された。警察手帳見せられたっていうのもあるけど、警察官だって普通に信じてしまった。吉崎さんの料理を私なんぞが食べてるずるいという恨みを全く隠されず常に表情に出まくってるから忘れてた。
「それとも今から就職先探し直すか?言っとくがうちよりいい条件はそうそうねぇぞ」
確かにお給料も福利厚生もうちの会社よりよっぽどいい。それにヤクザのフロント企業とはいえ吉崎さんの会社だ。ブラックかどうかも未知数な知らない会社よりはよっぽど信用できる。
「嬢ちゃんがいいなら即採用だ。あと、貴重な職員に不摂生で倒れられても困るから食事がつく」
「お願いします」
しまった、反射的に……
いやだって、吉崎さんの口から食事って。私がずっと求めてたものがすぐ手の届くところにあったから。
けどいくらなんでもごはんに釣られるのは……と思って弁明の言葉を探したけど、何も見つからない。
吉崎さんはそんな私を見て楽しそうに笑っていた。
そういえば、吉崎さんがこうやって笑うの見たことないって小原さんは言っていた。けれど私はこっちの表情の吉崎さんをよく知っている。それに不摂生で倒れる職員って冗談っぽく言われてるけど、私だ。
思い出すと腹が立つから思い出さないようにしてたけど、あの美人は私が吉崎さんの特別だと言った。
「あっ……え?」
特別とはどういう事なのか。どうしてあの人は怒っていたのか。
ほんの少し考えただけでわからない方がおかしかった。
思い上がりだと何度も思った。そう決めつけ続けた。
「よ、吉崎さんが私に親切なのは、その……」
自分は何を訊いてるんだと恥ずかしくなって吉崎さんから目を逸らす。
頬と頭が熱を持っているのがわかった。
最初は勘違いだと言ってもらえる事を期待した。でもそれを想像したら悲しくて、じゃあ私は吉崎さんに何と言って欲しいのか。期待する言葉と求めている言葉が違う。
「隣人に不摂生で倒れられたら困る」
吉崎さんならそう言うんじゃないかな。それなら、これまで通りだ。今まで通り楽しくごはんを食べられれば。
「私が不健康だから……」
「好きだからだ。嬢ちゃん……いや、梓って女が」
心臓が大きく脈打った。それが合図だったように私の顔が上がって、吉崎さんと目が合う。
求めていた言葉だった。
「俺が嬢ちゃんの事を好きだからって、何も変わらねぇよ。ずっとそうだったんだ。梓の事が好きで俺はずっと飯を作ってきた」
「え……あう……」
「嬢ちゃんと飯食うのが楽しいんだよ。俺の飯で嬢ちゃんが健康だと嬉しいんだ。一生飯には困らせたくない」
い、いっしょう……
頭がふわふわして、まるで綿菓子が脳とすり替わったみたいだ。口から溢れる言葉は意味をなさない。
けど、自分が喜んでいるという事は確かにわかった。
一生吉崎さんのごはんが食べられるなら幸せだ。美味しいもの食べながら取り止めもない話をする。きっとずっと楽しい。
完全に停止してしまった私を見てふっと息を吐いた吉崎さんはゆっくりと私の手を離した。
「あんまり考えすぎるな。嬢ちゃんらしくねぇ。嬢ちゃんはいい感じにアホでいてくれればいい。そういうところも含めて嬢ちゃんだろ」
そう言われてもすっかり茹で上がってしまった頭はそう簡単に元には戻らない。
「今日は遅くなったが退院祝いと就職祝いだな。梓、手伝ってくれるか?」
祝われるやつに手伝わせるのもおかしな話だと吉崎さんは笑う。むしろ私が手伝えば余計な作業が増えるだけな気がするけど……
吉崎さんはそれもわかった上で言ってくれてるんだろう。
私は頷いて、それなら水炊きが食べたいと笑った。
10
お気に入りに追加
1,857
あなたにおすすめの小説
お客様はヤの付くご職業・裏
古亜
恋愛
お客様はヤの付くご職業のIf小説です。
もしヒロイン、山野楓が途中でヤンデレに屈していたら、という短編。
今後次第ではビターエンドなエンドと誰得エンドです。気が向いたらまた追加します。
分岐は
若頭の助けが間に合わなかった場合(1章34話周辺)
美香による救出が失敗した場合
ヒーロー?はただのヤンデレ。
作者による2次創作的なものです。短いです。閲覧はお好みで。
虚弱なヤクザの駆け込み寺
菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。
「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」
「脅してる場合ですか?」
ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。
※なろう、カクヨムでも投稿
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
お見合い相手は極道の天使様!?
愛月花音
恋愛
恋愛小説大賞にエントリー中。
勝ち気で手の早い性格が災いしてなかなか彼氏がいない歴数年。
そんな私にお見合い相手の話がきた。
見た目は、ドストライクな
クールビューティーなイケメン。
だが相手は、ヤクザの若頭だった。
騙された……そう思った。
しかし彼は、若頭なのに
極道の天使という異名を持っており……?
彼を知れば知るほど甘く胸キュンなギャップにハマっていく。
勝ち気なお嬢様&英語教師。
椎名上紗(24)
《しいな かずさ》
&
極道の天使&若頭
鬼龍院葵(26歳)
《きりゅういん あおい》
勝ち気女性教師&極道の天使の
甘キュンラブストーリー。
表紙は、素敵な絵師様。
紺野遥様です!
2022年12月18日エタニティ
投稿恋愛小説人気ランキング過去最高3位。
誤字、脱字あったら申し訳ないありません。
見つけ次第、修正します。
公開日・2022年11月29日。
【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?
おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。
『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』
※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。
そんな事言われても・・・女になっちゃったし
れぷ
恋愛
風見晴風(はるか)は高校最後の夏休みにTS病に罹り女の子になってしまった。
TS病の発症例はごく僅かだが、その特異性から認知度は高かった。
なので晴風は無事女性として社会に受け入れられた。のは良いのだが
疎遠になっていた幼馴染やら初恋だったけど振られた相手などが今更現れて晴風の方が良かったと元カレの愚痴を言いにやってくる。
今更晴風を彼氏にしたかったと言われても手遅れです?
全4話の短編です。毎日昼12時に予約投稿しております。
*****
この作品は思い付きでパパッと短時間で書いたので、誤字脱字や設定の食い違いがあるかもしれません。
修正箇所があればコメントいただけるとさいわいです。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる