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そして来る対面の時。
蓮有楽会会長の自宅だという大きなお屋敷に到着すると、一礼に並んだ黒い服の方々が一斉に頭を下げた。
現実味のない光景に、緊張で心臓が割れそうなほどに鳴っていた。
「こちらへどうぞ。会長がお待ちです」
案内をしてくれるのは、一緒に車に乗ってきた伊崎さん。
伊崎さんという人は三島さんが「親父の懐刀」と言った通りの人だった。周囲に漂う研ぎ澄まされた雰囲気、和服を着たら歴戦の武将が現代にタイムスリップしてきたと勘違いされそうないぶし銀。
助手席から降りてきた三島さんは、静かに伊崎さんを見つめている。
お屋敷の玄関は車が駐車できそうなほど広く、周囲を囲む黒い服の厳つい方々がいなければ老舗旅館に来たようだ。
雰囲気に気圧されている私をよそに、伊崎さんは足早に廊下を進んでいく。
物珍しさもあってちらちらと視線を泳がせていると、壁や柱に刀傷や焼け焦げ、そしてそれを直したような跡が目についた。それは至る所に残っていて、廊下を進むにつれて、知らない世界に足を踏み入れようとしているのだという実感が湧いてくる。
やがて通された部屋は応接室らしく、落ち着いた雰囲気の和室だった。
そこに座布団が2枚、向かい合うようにして置かれている。
伊崎さんに勧められた座布団に正座をすると、床の間のいかにも高そうな日本刀や蓮の花の掛軸が目に入った。
……そういえば三島さんはどこに座るんだろう。私の後ろを歩いていたはずの三島さんの姿がこの部屋にない。この和室にいるのは私だけ、誰かが座るであろう座布団も、私の正面にあるものだけだ。
冷や汗が背中をじっとりと濡らす。あと正座なんて普段全然しないから、足が痺れそう。
奇妙なほど静まり返った部屋で待っていると、襖が開いて一人の老人が入ってきた。
その瞬間に、部屋の雰囲気が変わる。空気がピリピリ震えて、私は思わず立ち上がった。
見た目は厳しそうな和装のお爺さん……という感じだけど、年の功とかそんな理由では説明のつかない凄みがある。この人が、蓮有楽会の会長だ。
「よく来たなぁ。まあ、座れ」
「は、はい」
低い声なのにはっきりと聞き取りやすく、威圧感を感じる声。
私はただ言われるがままに座り直すことしかできなかった。
膝の上で無意識のうちに握りしめた手が震えている。
隣に三島さんが座ってくれていたら、この手を掴んでくれただろうか。
部屋には私と会長さん、そして伊崎さんだけ。それなのにどこからか視線を感じるのはなぜだろうか。
「悪いなぁ。いきなり呼びつけて」
全く悪いとは思っていなさそうだけど、そんなところを気にしている場合ではないので私はゆっくり顔を上げた。
「あの三島が惚れた女ってのが気になってなぁ。聞いたぞ、嫁に来てくれるんだって?」
会長さんは座布団の上で胡座をかく。
仕草の一つ一つが重々しくて、私は思わず居住まいを正した。
「そう緊張しなさんな。俺ぁ一度話してみたかったんだよ」
「こ、光栄です……」
「あいつは俺にとっちゃ孫同然だからな。そろそろ身を固める頃合いってところであんたが出てきてくれたわけだ」
にかっと笑うその表情で、ほんの少し気が抜ける。どうやら、認めていただけるっぽい……?
「このご時世あんまり派手に結婚式ができなくてなぁ。だが三島となりゃ話は別だ。あんたさえよけりゃ全面的に手配してやる。費用も気にする必要はねぇ」
え、結婚式?
出会って数分も経たないうちに話が飛躍しすぎて私の頭は見事に固まった。
今回って、三島さんに決めたので他のヤの方の紹介は結構ですと言いにきたくらいの思いで来たのですが。え、結婚式?早くありません?
「日取りも大体抑えてある。大安吉日、予定は空けさせるから安心しろ」
行動早くないですか。私自身、結婚式とか初めてで全然わかっていないのですが?
「えっと……」
「ああ、客に茶のひとつも出さねぇたぁ、困ったもんだ。おい、伊崎」
「すぐに用意させます」
そう言って伊崎さんは廊下で待機している誰かに指示を出しに行く。
「この年になると若いモンにあれこれしてやりたくなるんだよ。蓮有楽の名に恥ねぇ盛大な式にしてやるから、期待してくれや」
別に盛大じゃなくていいんですけど。
そう喉元まで出かかったのをなんとか堪えた。というかこれ、元々私に拒否権なんてなかったのでは。
「あの、私と三島さんがけ、結婚するというのは決定ということでいいんでしょうか」
「当たり前ぇだろ。なんだ、その報告に来たんじゃねぇのか?」
その声音に、背筋に冷たいものが走った。
びくりと肩が跳ねる。
「三島が嫌ならそうだな……水蓮グループんとこの副社長はどうだ?歳も近ぇし、実力もある」
水蓮グループ、聞いたことがある気がする。蓮有楽会の関連会社だったの?いや、そうじゃない。
三島さんがいい。三島さんだから、好きになった。
これを会長さんに伝えないと、禍根を残してしまうかもしれない。
口を開きかけたその時、お茶とお菓子の乗った盆を持った黒服の人が入ってきた。
会長さんの前にお茶とお菓子を並べて、私の前にもそれを置こうとしたとき……
「あ……」
黒服の人の手の中で、つるりと湯呑みが滑る。畳の上にお茶が溢れて、飛沫が私のスカートを濡らす。
「た、大変失礼いたしましたっ!お怪我は、お召し物に……申し訳ありませんっ!」
まだ若い人で、顔面は蒼白。ほんの少しスカートが濡れたくらいなのに可哀想なほど動揺している。
その辺の服屋で買った数千円のスカートよりも、この部屋の畳の方が心配なのに。
「お気になさらず。それより畳を……あっ」
片付けの邪魔にならないように移動しようと立ち上がったら、足が痺れて倒れてしまった。
身体を支えようとして伸ばした手は、運悪く自分の鞄の上に乗っかって、鞄の中の何かがバキリと壊れる感触がした。
和室の中にもその無残な音が響き渡り、静寂が訪れる。
「あーっと……」
何が壊れたのか、鞄の中を確認する。
壊れていたのはよりにもよってスマホだった。
本体がややくの字に曲がって、液晶が浮いてしまっている。
どうやら上に入っていたボールペンが思い切り押しつけられたらしい。
当然ながら電源ボタンを押しても画面が表示されるわけもなく、私は途方に暮れた。よりにもよってなぜこんな状況、こんなところでスマホが大破するのか。
「何事ですか!?」
慌てた様子で廊下にいた人がやってくる。
濡れた畳に無様な格好で転がりかけている私、壊れたスマホ。
「橙子?どうした」
あとから入ってきた三島さんが心配そうに私を見下ろしていた。
蓮有楽会会長の自宅だという大きなお屋敷に到着すると、一礼に並んだ黒い服の方々が一斉に頭を下げた。
現実味のない光景に、緊張で心臓が割れそうなほどに鳴っていた。
「こちらへどうぞ。会長がお待ちです」
案内をしてくれるのは、一緒に車に乗ってきた伊崎さん。
伊崎さんという人は三島さんが「親父の懐刀」と言った通りの人だった。周囲に漂う研ぎ澄まされた雰囲気、和服を着たら歴戦の武将が現代にタイムスリップしてきたと勘違いされそうないぶし銀。
助手席から降りてきた三島さんは、静かに伊崎さんを見つめている。
お屋敷の玄関は車が駐車できそうなほど広く、周囲を囲む黒い服の厳つい方々がいなければ老舗旅館に来たようだ。
雰囲気に気圧されている私をよそに、伊崎さんは足早に廊下を進んでいく。
物珍しさもあってちらちらと視線を泳がせていると、壁や柱に刀傷や焼け焦げ、そしてそれを直したような跡が目についた。それは至る所に残っていて、廊下を進むにつれて、知らない世界に足を踏み入れようとしているのだという実感が湧いてくる。
やがて通された部屋は応接室らしく、落ち着いた雰囲気の和室だった。
そこに座布団が2枚、向かい合うようにして置かれている。
伊崎さんに勧められた座布団に正座をすると、床の間のいかにも高そうな日本刀や蓮の花の掛軸が目に入った。
……そういえば三島さんはどこに座るんだろう。私の後ろを歩いていたはずの三島さんの姿がこの部屋にない。この和室にいるのは私だけ、誰かが座るであろう座布団も、私の正面にあるものだけだ。
冷や汗が背中をじっとりと濡らす。あと正座なんて普段全然しないから、足が痺れそう。
奇妙なほど静まり返った部屋で待っていると、襖が開いて一人の老人が入ってきた。
その瞬間に、部屋の雰囲気が変わる。空気がピリピリ震えて、私は思わず立ち上がった。
見た目は厳しそうな和装のお爺さん……という感じだけど、年の功とかそんな理由では説明のつかない凄みがある。この人が、蓮有楽会の会長だ。
「よく来たなぁ。まあ、座れ」
「は、はい」
低い声なのにはっきりと聞き取りやすく、威圧感を感じる声。
私はただ言われるがままに座り直すことしかできなかった。
膝の上で無意識のうちに握りしめた手が震えている。
隣に三島さんが座ってくれていたら、この手を掴んでくれただろうか。
部屋には私と会長さん、そして伊崎さんだけ。それなのにどこからか視線を感じるのはなぜだろうか。
「悪いなぁ。いきなり呼びつけて」
全く悪いとは思っていなさそうだけど、そんなところを気にしている場合ではないので私はゆっくり顔を上げた。
「あの三島が惚れた女ってのが気になってなぁ。聞いたぞ、嫁に来てくれるんだって?」
会長さんは座布団の上で胡座をかく。
仕草の一つ一つが重々しくて、私は思わず居住まいを正した。
「そう緊張しなさんな。俺ぁ一度話してみたかったんだよ」
「こ、光栄です……」
「あいつは俺にとっちゃ孫同然だからな。そろそろ身を固める頃合いってところであんたが出てきてくれたわけだ」
にかっと笑うその表情で、ほんの少し気が抜ける。どうやら、認めていただけるっぽい……?
「このご時世あんまり派手に結婚式ができなくてなぁ。だが三島となりゃ話は別だ。あんたさえよけりゃ全面的に手配してやる。費用も気にする必要はねぇ」
え、結婚式?
出会って数分も経たないうちに話が飛躍しすぎて私の頭は見事に固まった。
今回って、三島さんに決めたので他のヤの方の紹介は結構ですと言いにきたくらいの思いで来たのですが。え、結婚式?早くありません?
「日取りも大体抑えてある。大安吉日、予定は空けさせるから安心しろ」
行動早くないですか。私自身、結婚式とか初めてで全然わかっていないのですが?
「えっと……」
「ああ、客に茶のひとつも出さねぇたぁ、困ったもんだ。おい、伊崎」
「すぐに用意させます」
そう言って伊崎さんは廊下で待機している誰かに指示を出しに行く。
「この年になると若いモンにあれこれしてやりたくなるんだよ。蓮有楽の名に恥ねぇ盛大な式にしてやるから、期待してくれや」
別に盛大じゃなくていいんですけど。
そう喉元まで出かかったのをなんとか堪えた。というかこれ、元々私に拒否権なんてなかったのでは。
「あの、私と三島さんがけ、結婚するというのは決定ということでいいんでしょうか」
「当たり前ぇだろ。なんだ、その報告に来たんじゃねぇのか?」
その声音に、背筋に冷たいものが走った。
びくりと肩が跳ねる。
「三島が嫌ならそうだな……水蓮グループんとこの副社長はどうだ?歳も近ぇし、実力もある」
水蓮グループ、聞いたことがある気がする。蓮有楽会の関連会社だったの?いや、そうじゃない。
三島さんがいい。三島さんだから、好きになった。
これを会長さんに伝えないと、禍根を残してしまうかもしれない。
口を開きかけたその時、お茶とお菓子の乗った盆を持った黒服の人が入ってきた。
会長さんの前にお茶とお菓子を並べて、私の前にもそれを置こうとしたとき……
「あ……」
黒服の人の手の中で、つるりと湯呑みが滑る。畳の上にお茶が溢れて、飛沫が私のスカートを濡らす。
「た、大変失礼いたしましたっ!お怪我は、お召し物に……申し訳ありませんっ!」
まだ若い人で、顔面は蒼白。ほんの少しスカートが濡れたくらいなのに可哀想なほど動揺している。
その辺の服屋で買った数千円のスカートよりも、この部屋の畳の方が心配なのに。
「お気になさらず。それより畳を……あっ」
片付けの邪魔にならないように移動しようと立ち上がったら、足が痺れて倒れてしまった。
身体を支えようとして伸ばした手は、運悪く自分の鞄の上に乗っかって、鞄の中の何かがバキリと壊れる感触がした。
和室の中にもその無残な音が響き渡り、静寂が訪れる。
「あーっと……」
何が壊れたのか、鞄の中を確認する。
壊れていたのはよりにもよってスマホだった。
本体がややくの字に曲がって、液晶が浮いてしまっている。
どうやら上に入っていたボールペンが思い切り押しつけられたらしい。
当然ながら電源ボタンを押しても画面が表示されるわけもなく、私は途方に暮れた。よりにもよってなぜこんな状況、こんなところでスマホが大破するのか。
「何事ですか!?」
慌てた様子で廊下にいた人がやってくる。
濡れた畳に無様な格好で転がりかけている私、壊れたスマホ。
「橙子?どうした」
あとから入ってきた三島さんが心配そうに私を見下ろしていた。
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