幸薄女神は狙われる

古亜

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「痛ぁっ!」

出られたはいいけど、衝撃でバランスを崩し、転んで膝を打った。
じりじり痛むけど、動けないほどじゃない。
私は走りながらポケットからスマホを出して、目に入った番号、三島さんに電話をかけた。繋がるかはわからないけどとにかく祈りながらポケットに戻して、人がいそうな方へ走った。

「待てっ!」

当然、山本さんが追いかけてくる。足を痛めてしかもヒールなんて履いてる私との距離は、縮まる一方だ。
逃げた場所も悪い。ここは集合住宅の真横で、それを囲う塀の切れ目が見当たらない。辛うじてコンビニが遠くに見えるけど……

「どうして逃げるんです?」

そんな声と共に、私の身体が塀に押しつけられる。
塀のザラザラした感触が服越しに伝わってくる。抵抗するたびに擦れて痛い。

「本当に三島さんの知り合いなら、今ここ、フォレストヒルの西に三島さんを呼んでください」
「やっぱり疑ってたんですか?忙しい人ですからそんなすぐ来ていただけませんよ。だから送って差し上げようとしたまでです」
「だったら電話で伝えさせてください」
「そんなことしなくてもすぐにお会いできますよ」

山本さんは車に戻るよう言った。拒否権はない、と。
気付けば車がすぐ近くに止まっていた。その後に続く車からも、続々と屈強そうな男たちが出てきて私を囲むように立つ。
そのうちの1人に羽交締めにされる。私はなんとか抵抗しようとしたけど、コンクリートを相手にしてるみたいでピクリとも動かない。

「予定変更だ。先に久住の叔父貴のところに向かう」

運転手にそう指示しながら、山本さんはどこからか出してきたガムテープをちぎり、私の口元に当てようとする。
慌てて首を振って叫ぼうとしたところで、無意味だった。

「大人しくしておいていただければいいんです。まったく、手間をかけさせないでください」

山本さんはスマホを取り出してどこかにメッセージを送っていた。

「藤倉さんには蓮有楽会になんらかの形で入っていただく。それだけですよ」

先ほどまでよりもやや硬い声で山本さんは言う。そしてメッセージを送り終えて私の方を見た。

「というか藤倉さん、うちの誰を選ぶかなんて決めていないんでしょう?いきなり選ぶなんて無理でしょうから、いったん保護するために三島の名前を使わせていただいたんです」

保護ならここまでしなくても、最初からそう言えばいい。いや、まあそれはそれで警戒するけど。でもそれなら三島さんに連絡くらい取らせてくれるはず。
だからこの人の言う保護なんて名目は間違いなく嘘だ。

「あなたは何もしなくていいんです。大人しくしていてください。万一怪我でもされたら怒られるの自分なんで」

そう言って山本さんは私を捕まえている男にさっさと私を車に運ぶよう指示する。
咄嗟に抵抗しようとしたものの、私に何かできるはずもなく、発泡スチロールの箱でも運搬するように軽々と持ち上げられて、文字通り車へと運ばれた。

「んっ!」

シートに落とされた衝撃で一瞬息が詰まった。
けれどそれを特に気にする様子もなく、扉が閉まるのと同時に車が動き出した。
息苦しさに呻いている私を見下ろしながら、山本さんは私の両腕を掴む。

「逃げようとしても無駄です。まあ、逃げたところで別の派閥の連中に捕まって終わりでしょう。これでも俺ら、優しい方ですからね?」

確かにこの人たちは私に危害を加えるつもりはないんだろうけど、何かに利用する気でいるのは確かだ。

「まだ何かするつもりなら、到着するまでこのまま抑えさせていただきますけど。お互い疲れることはしたくありませんよね?」

大人しく従うなら手を離すし口のガムテープも取っていい、と山本さんは言う。
この状況では逃げられない。さっきのでわかったけど、後ろからついてきている車も、山本さんの仲間だ。

「……そういえばさっき、スマホを使っていましたね。鞄にはないようですがポケットですか?」

渡してくださいと言って山本さんは手を離す。車は真っ直ぐな道を猛スピードで駆け抜けていて、私が逃げないと踏んだんだろう。
けれど私が口元のテープは外したものの、すぐにスマホを渡すそぶりを見せないので、山本さんはスマホが入っているポケットに目を向けた。

「……録音でもしているんですか?」

その鋭い声音に、背筋が凍える。
正直なところ、三島さんが着信に気づいているのかもわからない。けれどもし、私が三島さんと連絡を取ろうとしていたこと、わざとかけっぱなしにしてポケットにしまっているとバレたら……

「渡してください。データはこちらで削除させていただきます」

催促されても渡せるわけがない。私は咄嗟にポケットの口をギュッと掴んだ。
何かを察した山本さんは一瞬目を見開くと、私の手をこじ開けようと腕を掴む。爪が食い込んで痛みが走った。

「大人しくしてください」

時間稼ぎにしかならないとわかっていても、抵抗するしかなかった。
その時、私に覆いかぶさるようにしていた山本さんの身体が大きく揺れる。私の身体も車の進行方向へ引っ張られた。

「どうした!?」
「いや、酔っ払いが……」

なんとか顔を上げて前方を見ると、道路のちょうど真ん中あたりに肩を組んでふらふら歩く2人組の影が見えた。
山本さんが舌打ちをする。

「邪魔だな。脇に寄せる。一発くらい殴っても喧嘩にしか見えねぇだろ」

運転手にそう言って山本さんは車を降りる。
自由にはなったけど、逃げたところでまたさっきと同じように捕まるだけ。それがわかっているから私は動くことはできなかった。
山本さんは酔っ払いに近付き、大きく振りかぶる。私のせいであの人たちはこれから殴られるんだと思うと、心臓がギュッと握られたように痛んだ。
反対車線を走ってくるバイクの灯りが、その様子を煌々と照らす。
あんなに足元がおぼつかない状態で殴られたら、大怪我にならないだろうか。
けれど、私が想像した光景になることはなかった。
酔っ払いがふらりと山本さんの拳を避けたから。もう一発と繰り出されるものも、全て軽々避ける。

「え?」

呆然としていると、ドンっという衝撃と共に車が揺れた。
外を見ると、バイクに乗った男が私が乗っている車を蹴っていた。
次から次に色々起こるせいで、全然頭が回らない。けど、そのときなぜか私は直感的に動いていた。
扉を開けて、そのバイクの後ろに飛び乗る。

「三島さん……!」

ヘルメットで顔は見えないけど、確信があった。
バイクは山本さんの怒声を無視して走り出す。車から飛び出してきた山本さんの仲間が立ち塞がろうとしたけれど、バイクは間を縫うようにしてそこを抜けた。
その後急加速したので咄嗟に大きな背中にしがみ付くと、低い怒った声が返ってきた。

「送るから連絡しろって言ったろ」
「す、すいません……」

申し訳ないと思いつつ、その声に安心している自分がいた。

「まあ、無事ならいい。とりあえず捕まってろ。メットが足りねぇから、絶対落ちるなよ」
「は、はい」

ちらりと後ろを振り返ると、山本さんたちの車が道路上で切り返して追いかけてこようとしているのが見えた。

「安心しろ。あの状態からじゃ追い付けねぇ」

そう言って三島さんはさらにアクセルを踏んで加速する。何か言っているみたいだけど、耳元の風がうるさくてよく聞こえなかった。
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