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「え、お見合い……?結婚?副社長……?」
こんな状態で作業に集中できるはずもなく、私は無意識のうちにぶつぶつ何か呟きながら帰路に着き、気付けば部屋のベッドに倒れ込んでいた。
運が悪いと思ってたけど、人生がかかるレベルは初めてかもしれない。
なんか最近、不運の振れ幅が大きい気がする。もしかして厄年?常に厄年みたいなものなのに?
まさかこんな短期間で死の危機に巻き込まれたり、人生かけなきゃいけなくなったりするなんて。
ん?そういえば……
私は押入れを開けて、例の置き物と化していた高級鞄の入った紙袋を取り出す。
その中に入れていた茶封筒。
『何か困ったことがあれば連絡しろ』
今この状況以上に、困ることが今後の人生で出てくるだろうか。まあ私の運の無さを考えると、まだ何かありそうだけど、とりあえず今が人生で一番困ってることに変わりはない。
もしかすると、思いもよらない方向からのアドバイスをもらえるかもしれない。
そんな藁にも縋る思いで、私は気付けば電話のコール音を聞いていた。
5回、6回……なかなか出ない。その間にほんの少し冷静になりかけて、切った方がいいんじゃないかと理性が言う。
「……誰だ?」
7回目のコール音の直後、諦めて切ろうとした直前だった。
不機嫌そうな低い声が鼓膜を揺らす。
わざわざ出てくれたのに勢いでかけたせいで、咄嗟に言葉が浮かばない。
「悪戯か。切るぞ」
「あ、いや……待って、待ってください!」
思えばなぜここでやめなかったんだろう。でもこの時は、他に頼るものがなかった。
「……その声、あの時の女か」
男はどうやら私のことを思い出してくれたらしい。低い声の警戒の色が、僅かに緩む。
「この番号に電話してきたって事は、何かあったのか?」
「そ、そうなりますね……」
いやいや、何言ってるんだ私。男の落ち着いた低い声を聞いて、急に大したことがない気がしてきた。
そう。会社といっても1箇所じゃない。どうしても無理なら辞めたっていいのかもしれない。
「電話してくるなんてよっぽどだろ。どこにいるんだ?」
「家ですけど、いや、やっぱり……」
こんな事を一度会っただけの人に相談するのが恥ずかしくなってきた。けど、やっぱり結構ですと言い切る前に電話が切られてしまう。
やってしまった……と私は天井のシミを呆然と見上げる。
私、何してるんだろ。
たぶん、男は私のところに来てくれる。わざわざ。電話が切れて数分経ってるから、今頃運転とかしているのかもしれない。
今更来なくていいなんて失礼すぎて言えないよね。
あ……そうだ。鞄を返したいという名目にしよう。こんな高すぎる鞄、私の日常じゃ使えないし勿体無い。常に50万円の札束小脇に抱えて生活するなんて小市民の私には無理。
やがて電話がかかってきて、『着いたから出てこい』と言われてすぐに切れた。
私は鞄の入った紙袋を抱えて大きく深呼吸をする。アパートの階段を降りながら、開口一番何と言うべきか考えていた。
とりあえず謝ろう。そう思ったのに、男を前にして私の頭から言葉が消えてしまう。
闇に溶け込むような黒塗りの高級車の横に佇む男は、私とは住む世界が違う人にしか見えなかったから。
「久しぶりだな。なんだ、それ」
男は眉を顰める。その表情、声音、仕草の全てが、ヤクザとして洗練されたそれだった。
とんでもない人を呼びつけてしまった。後悔しても遅いけど。
「これ……お返しします」
「何だこれ」
「いただいた鞄です。その、私には勿体無いというか、貰いすぎで……」
「そんなことで今更俺を呼んだのか?」
今更、まさにその通りで、この鞄が届いたのは2週間以上前だ。しかも最初は違う意図があった手前、私はすぐに「そうです」と言えなかった。
「すみません。すごく、すっごく大したことない用事で呼びました……」
「は?」
「えっと、こちらお返しします」
「返事になってねぇんだが」
男は呆れた様子でため息をついた。
いや、本当にすみません。どうしよう、なんて説明すれば……素直に話す?アホだと思われるかもしれない。いや、既に思われてる……?
「とりあえず、その鞄については俺は受け取らねぇ。それはあんたに渡したもんだ。使わねぇなら売るなり捨てるなりしろ」
「え、捨て……?いやいや、貰いすぎなんですって」
「命の礼には安すぎるくらいだ。どうしても受け取れねぇって言うんなら、現金の方がよかったか?」
「それはなおさら結構です!」
ポンと札束を投げ渡されそうな雰囲気がある。絶対受け取れないよそんなの。
「とにかく、それはあんたにやったもんだ。そもそも女物だしな。あんたが持ってろ」
「でも……」
「じゃあ捨てといてやる」
「さ、さすがにそれはっ!」
それくらいなら貰う。いや、欲しいわけじゃないけど、捨てられるよりいいはず。
「無駄足だったか……?」
「すみません、本当にすみません」
「謝られるだけじゃわからねぇよ……あ、そうだ。あんた、飯食ったか?」
「いえ、まだですけど……」
どうしてそんなことを聞くんだろう。いや、時間帯的にも状況的にも、普通に察せるか。うーん、食べましたとか言えばよかった。
「なら、食いながら話すか。送る……いや、見ず知らずの男の車には乗れねぇか。タクシー呼ぶぞ」
止める間も無く、男はタクシー会社に電話をかけて、黒塗りの車の運転手に声をかける。
そして黒塗りの車はどこかに走り去っていき、アパートの前には私と男の2人が取り残された。
「それ、部屋にでも置いとけ」
タクシーを待つ間、男は私に出かける準備をするように言った。
今更後に引けなくなり、私は大人しくそれに従う。
鞄の入った紙袋を再び押入れの奥に戻して、とりあえず財布とか最低限は持っていこうと仕事用の鞄を掴む。
やがてタクシーが到着して、男に促されるまま私はタクシーに乗り込んだ。
こんな状態で作業に集中できるはずもなく、私は無意識のうちにぶつぶつ何か呟きながら帰路に着き、気付けば部屋のベッドに倒れ込んでいた。
運が悪いと思ってたけど、人生がかかるレベルは初めてかもしれない。
なんか最近、不運の振れ幅が大きい気がする。もしかして厄年?常に厄年みたいなものなのに?
まさかこんな短期間で死の危機に巻き込まれたり、人生かけなきゃいけなくなったりするなんて。
ん?そういえば……
私は押入れを開けて、例の置き物と化していた高級鞄の入った紙袋を取り出す。
その中に入れていた茶封筒。
『何か困ったことがあれば連絡しろ』
今この状況以上に、困ることが今後の人生で出てくるだろうか。まあ私の運の無さを考えると、まだ何かありそうだけど、とりあえず今が人生で一番困ってることに変わりはない。
もしかすると、思いもよらない方向からのアドバイスをもらえるかもしれない。
そんな藁にも縋る思いで、私は気付けば電話のコール音を聞いていた。
5回、6回……なかなか出ない。その間にほんの少し冷静になりかけて、切った方がいいんじゃないかと理性が言う。
「……誰だ?」
7回目のコール音の直後、諦めて切ろうとした直前だった。
不機嫌そうな低い声が鼓膜を揺らす。
わざわざ出てくれたのに勢いでかけたせいで、咄嗟に言葉が浮かばない。
「悪戯か。切るぞ」
「あ、いや……待って、待ってください!」
思えばなぜここでやめなかったんだろう。でもこの時は、他に頼るものがなかった。
「……その声、あの時の女か」
男はどうやら私のことを思い出してくれたらしい。低い声の警戒の色が、僅かに緩む。
「この番号に電話してきたって事は、何かあったのか?」
「そ、そうなりますね……」
いやいや、何言ってるんだ私。男の落ち着いた低い声を聞いて、急に大したことがない気がしてきた。
そう。会社といっても1箇所じゃない。どうしても無理なら辞めたっていいのかもしれない。
「電話してくるなんてよっぽどだろ。どこにいるんだ?」
「家ですけど、いや、やっぱり……」
こんな事を一度会っただけの人に相談するのが恥ずかしくなってきた。けど、やっぱり結構ですと言い切る前に電話が切られてしまう。
やってしまった……と私は天井のシミを呆然と見上げる。
私、何してるんだろ。
たぶん、男は私のところに来てくれる。わざわざ。電話が切れて数分経ってるから、今頃運転とかしているのかもしれない。
今更来なくていいなんて失礼すぎて言えないよね。
あ……そうだ。鞄を返したいという名目にしよう。こんな高すぎる鞄、私の日常じゃ使えないし勿体無い。常に50万円の札束小脇に抱えて生活するなんて小市民の私には無理。
やがて電話がかかってきて、『着いたから出てこい』と言われてすぐに切れた。
私は鞄の入った紙袋を抱えて大きく深呼吸をする。アパートの階段を降りながら、開口一番何と言うべきか考えていた。
とりあえず謝ろう。そう思ったのに、男を前にして私の頭から言葉が消えてしまう。
闇に溶け込むような黒塗りの高級車の横に佇む男は、私とは住む世界が違う人にしか見えなかったから。
「久しぶりだな。なんだ、それ」
男は眉を顰める。その表情、声音、仕草の全てが、ヤクザとして洗練されたそれだった。
とんでもない人を呼びつけてしまった。後悔しても遅いけど。
「これ……お返しします」
「何だこれ」
「いただいた鞄です。その、私には勿体無いというか、貰いすぎで……」
「そんなことで今更俺を呼んだのか?」
今更、まさにその通りで、この鞄が届いたのは2週間以上前だ。しかも最初は違う意図があった手前、私はすぐに「そうです」と言えなかった。
「すみません。すごく、すっごく大したことない用事で呼びました……」
「は?」
「えっと、こちらお返しします」
「返事になってねぇんだが」
男は呆れた様子でため息をついた。
いや、本当にすみません。どうしよう、なんて説明すれば……素直に話す?アホだと思われるかもしれない。いや、既に思われてる……?
「とりあえず、その鞄については俺は受け取らねぇ。それはあんたに渡したもんだ。使わねぇなら売るなり捨てるなりしろ」
「え、捨て……?いやいや、貰いすぎなんですって」
「命の礼には安すぎるくらいだ。どうしても受け取れねぇって言うんなら、現金の方がよかったか?」
「それはなおさら結構です!」
ポンと札束を投げ渡されそうな雰囲気がある。絶対受け取れないよそんなの。
「とにかく、それはあんたにやったもんだ。そもそも女物だしな。あんたが持ってろ」
「でも……」
「じゃあ捨てといてやる」
「さ、さすがにそれはっ!」
それくらいなら貰う。いや、欲しいわけじゃないけど、捨てられるよりいいはず。
「無駄足だったか……?」
「すみません、本当にすみません」
「謝られるだけじゃわからねぇよ……あ、そうだ。あんた、飯食ったか?」
「いえ、まだですけど……」
どうしてそんなことを聞くんだろう。いや、時間帯的にも状況的にも、普通に察せるか。うーん、食べましたとか言えばよかった。
「なら、食いながら話すか。送る……いや、見ず知らずの男の車には乗れねぇか。タクシー呼ぶぞ」
止める間も無く、男はタクシー会社に電話をかけて、黒塗りの車の運転手に声をかける。
そして黒塗りの車はどこかに走り去っていき、アパートの前には私と男の2人が取り残された。
「それ、部屋にでも置いとけ」
タクシーを待つ間、男は私に出かける準備をするように言った。
今更後に引けなくなり、私は大人しくそれに従う。
鞄の入った紙袋を再び押入れの奥に戻して、とりあえず財布とか最低限は持っていこうと仕事用の鞄を掴む。
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