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7章 闇市八丁荒
94 地球最期の晩餐会
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〇第六圏_昏山羊の大聖堂
火炎の墓壙から立ち上る虹色の煙が、鈍色の光を帯びた大聖堂を仄暗く蔽っている。
宇宙を切り取ったかのような荘厳で無窮な天蓋を仰ぐ者は、その自由を謡うような絶景と平仄を合わせない鈍重な鎖に目を奪われるはずだ。天から降りる蜘蛛の糸を思わず想起させてしまうようなそれは、大聖堂のあちらこちらからその者らの自由を奪っている。
腕が、首が、脚が。五体に繋がれたそれを疎ましく睨みつつも、拭いきれぬ閉塞感すらも掻き消してしまう程に、眼前の卓に並べられた贅を尽くされた馳走に目を奪われてしまう。
今ここに在る欲とは、まさに食欲に終始するのだろう。
この場に集う十人の猛者。一騎当千の夢想世界の八丁荒らし達が、今だけは自分が何者であるかを忘れて口の端から涎を垂らしている。
皆がどこまで、何を理解しているのかは定かではない。
今まさに殺し合わんという轟轟たる狂気が交わりながらも、鎖に繋がれたまま馳走に食らいつく。
腹が減っては戦は出来ぬと言わんばかりに、皆が必死に目の前に夢に食らいつく。
―――
―――
―――
「ガブナー雨宮。TD2P捜査部から軍部に転属。元は生身の人間だが、固有権能と呼んで差し支えないレベルの夢想世界上での精神負荷耐性・精神汚染耐性を誇る現代の異能。才覚を買われて準ボイジャー適合実験の末、見事にリーダー格として活躍。機体名は準ボイジャー:イージス号。大言壮語に感じてしまう程の"神の盾"という僭称も、ニーズランドでの数多の戦闘を経たことで順調に能力を名と同格の域まで昇華させた潜在能力・伸びしろ共に申し分ない確かな逸材。
強力な能力を持っている反面、口惜しいのが自身の精神性の未熟さ。ボイジャー:キンコル号を師事した信奉者としての側面は、本来ではあれば人類にとっての英雄、否、人類における神格化の境地まで辿りつける程のポテンシャルを封じ込めてしまった。復讐を動機とした動力源は強力だが、生命としての原点に立ち戻った際の生存競争の中に身を置いていれば、欠点でもある攻撃手段の乏しさを克服することも出来ただろう」
ーーー
「鐘笑。叢雨の会の大司卿にして、世界的権威を獲得した新興宗教における実質的な支配者。夢想世界における実力は世襲や系譜に左右されない個人依存の要素でありながら、彼がかの救世の英雄たるボイジャー:プリマヴェッラ号の実弟であるという事実は、表と裏の世界から世界へ絶大なる影響を与えた彼らの血の強さのようなものを感じてならない。
夢想世界上でプラズマを再現することによる澐仙の白い雷。
人類に対する恩讐の念。とりわけ澐仙への対抗心から霊的エネルギーを凝縮した反英雄の赤黒い雷。
彼が"蠅の王"ユーデンに放ってみせた緑色の雷は、叢雨の会の信者たちから立ち上る信仰心を独自の機構で増幅させて放出した澐仙と反英雄の良い取りのようなものだった。
運だけでここまで辿り着くことは出来ない。彼は間違いなくこの世界における指折りの強豪にして、生存競争の中で勝ち上がってきた猛者。
だが、澐仙も反英雄もいないこの世界で、一体何が彼を動かすモチベーションと成り得るのだろうか」
ーーー
「アレッシオ・カッターネオ。新生テンプル騎士団の大幹部。創立以来から組織の武力と知力の中核を担い、組織の成長と此度の終焉を見届けた一時代の生き証人。
騎士団相伝の”禁断の惑星”の技巧に始まり、洗練された闘争のためのステータスの高さは弱点という弱点が存在しないオールマイティな強豪としての立ち位置を確立させている。
人間でありながらボイジャーに並び立つ力量は騎士団の戦闘能力の高さをまさに体現していると言って良い。第三圏では反英雄に遅れをとったものの、逆を言えば無敵鎧の権能を持った反英雄を相手に戦いが成立するという人間側の怪物格。バゼット・エヴァーコールもそうだが、騎士団の持つ戦闘能力は純粋な人間の持てる最高水準である以上、このニーズランドでの生存競争で生き残ってくるのは必然と言えば必然。
しかし、腹持ちならないのはやはり組織として見た時のバックボーンと宿願の部分。叢雨の会という新興宗教が世界に幅を利かせたこともあり若干比較されがちだが、元を辿ればこのニーズランド大討伐はこの男と"青い本"こと東郷有正が仕組んだ戦いだ。この男が個人として世界に与えた影響はクラウンに負けずとも劣らないだろう」
ーーー
「白永淑。元TD2P軍部所属の若年将校にして、佐呑事変を期にクラウンの勢力に与したカテゴリー4の別解犯罪者。
高い精神性と高潔な魂、何より社会的な地位を有していながらも、夥しい死と邪悪な思惑が渦巻いた環境下における精神汚染を受け、自己防衛の為に悪の道に堕ちた悲劇の女戦士とでも言い表せようか。今日におけるニーズランド第六圏、かつての夢想世界闇市に対するTD2P軍部の大討伐作戦の中では華々しい戦果を挙げ、大物の討伐から残党狩りまでは幅広くアサイン可能な基礎戦闘能力の高さが売りであった。
元々が反社会性を有したサイコバスのきらいがありそれは自他ともに認めるところであった。周囲の環境に敏感に反応し適応する魂の形質故に、軍のような規律に縛られた環境下では軍人として大成するのもある意味で必然ではあったが、佐呑での悪への共振により存在としての魂の核は既に不可逆的なまでに悪に傾いてしまった。
自然悪の魔女たる鯵ヶ沢露樹、世紀の大犯罪者たるクラウンとの接触が彼女にとっての何よりの転機か。全く、人の心とはどうにも繊細微妙で計り知れないものだと痛感させられる」
ーーー
「鯵ヶ沢露樹。件の佐呑事件の首謀者たるボイジャー:キンコル号が故意に生み出した人造悪魔の成れの果て。キンコルの本懐たる人類の幸福と安寧を実現するための手段として、究極反転を人造悪魔との契約の末に獲得せんという博打の果てに生み出された唯一無二の怪物。
佐呑でキンコル号がクラウンに殺害された後、その身はキンコルの庇護下に置かれた。キンコルの能力により佐呑の夢想爆心地に封印されていた魂もクラウン、白英淑の強力の元で復活。人造悪魔としての力を取り戻した瞬間に地球全体に対する魔法攻撃によって全人類をニーズランドに強制送致するという異次元の力を振るって見せた。
カテゴリー5を超えたオーバーカテゴリーの位列にあるだけにその実力・脅威ともに本物だが、キンコルの企てたセーフティにより佐呑事変当時の能力は既に燃え尽きている。当時と今では存在そのものが別の生命体のような扱いになるだろうが、この猛者の集う最終戦場ではどれほど健闘できるものか興味がそそられる」
ーーー
「ボイジャー:クロノシア号。本名不明な現代最強のボイジャー。プリマヴェッラ亡き後の世界で対悪魔の僕の最前線で戦ってきた正義の執行人にして抑止力の象徴。その身一つで米国の長大な夢想世界をカバーし、悪魔の僕の排出、別解犯罪者の暗躍に対し、粛清の姿勢を続けてきた。
まさか、その力の由来が運命への干渉。時間と因果に対する操作権限であるとは考えが及ばなかった。ニーズランドでの彼の立ち回りはクラウンに対する単身の襲撃という勇気と行動力に彩られたものであったが、残念ながらクラウンが召還した鯵ヶ沢露樹に撃退されてしまい現実世界へ帰還した。
再度のニーズランドへの潜航により、戦局に出遅れた彼は第五圏で壊滅的被害を被った大討伐軍への帰属を捨て、技術的特異点であるマーリンへと接触。自分が彼の進化の糧となることでニーズランド勢力へ一矢報いようとしたのか。
何にせよ、ボイジャーの幸福を願う彼の望みは、既に悲しき結末を辿り果たされることはない。己の夢の結末を既に味わっている最強兵器がこれからどのような輝きを放つかは、これまた興味深いものには違いない」
ーーー
「唐土己。その正体はロッツ博士が創り出したボイジャー化実験を適用したアーカマクナ。ベースとなる躯体はカテゴリー5の悪魔の主君たる"挑戦者"の再発性因果を活用した複製体を使用し、数多のクローンを使い捨てることにより実現させた禁忌の技術的特異点。
恐るべきは他者の夢の骨を継承する収斂進化の権能。本来固有であるはずの冠域の能力を後天的に獲得する様は、まさに神へ通じる異形の進化の過程。それでいて活動の動機が楽園への到達という彼自身にしか理解できない曖昧な概念ときた。
傍迷惑な話だ。昏山羊の病を始め、世界は奴を中心に傾き続けてきたというのに。
極め付けは完全な怨霊と化した反英雄の捕食、全力を解放した澐仙の殺害。
彼女らのどちらかはこの最終圏域に必ず席があると思っていたが、まさか両名ともと永訣することになるとは」
ーーー
「ドナルド・グッドフェイス。元新生テンプル騎士団の初期メンバーにして、かつての夢想世界闇市の元締め的な立ち位置を確立していた"美食帝"の異名を持つ大物。そもそもの戦績が悪いとはいえ、過去には自身に向けられた討伐軍、夢想世界闇市を標的とした大討伐軍を退けた実績は本物。
クラウンに影響されてかどこか道化染みた立ち回りで腹の見えない態度を貫いているが、昔の彼から本質が変わっていなければ、この場の誰に劣ることもない残虐性と嗜虐性を持ち合わせた殺戮のプロ。大陸軍の時代の到来と共に息を潜めるようになったものの、純粋な強さを図る物差しがあれば、ドナルド・グッドフェイスは間違いなくこの十名の中で最強だろう。
クラウンもよくもこれほどの狂犬を手名付けたものだ」
ーーー
「イェンドル・ラーテン・クレプスリー。掛け値なしの大悪党。犯罪者ネットワークの心臓を担う男。
あの時、あの瞬間。お前が私に向けた目。今になっても忘れない。
決して英雄として大成する男だとは思わなかった。
しかし、歴史上の誰においても実現し得なかったことを既に達成した。
俺はお前に興味があった。
澐仙との約定によりこの世界を、文明を、歴史を、破壊し人類の未来を拓くことを誓ったあの日から、お前が約束の時までにどのように動き、何を私に見せるのか。
何にせよ。お前には感謝する。地球最期の晩餐会とはいえ、ここまで贅を尽くされた馳走を振舞われるとは思っていなかった」
ーーー
アガット色の肌。同色の瞳。宇宙を映したような立体的で忽然とした様相の分厚いローブをに身を埋める男。
その姿はまるで童話や神話に登場する大魔法使いや預言者の類を連想させる。
くっきりとした堀の深い顔立ちでありながら、その喉を通って出てくる言葉の奥ゆかしさは女性のそれ。
フードに埋めた頭部から零れた細く艶やかな白髪は、よく伸びた睫毛の合間を擦り抜けて右目を僅かに蔭していた。
派手に装飾された座椅子はまさに玉座。スラリとした姿勢から醸し出される品の高さとは裏腹に、アガット色の手で眼前の馳走を鷲掴みにして口に運ぶ様は、礼儀作法を欠片ほども感じさせない豪快さを見せつけていた。
「豚も牛も……これは、鰐か。当たり前だが地球以外ではお目に掛かれない贅沢品だ。
まぁ、夢想世界でたまに食べてたが……。手の込んだものは想像力が足りなくて生み出せなくてね、やはり料理人が付くと夢の世界にも豊かさというものが生まれるな」
魔法のテーブルから生み出される馳走の数々。ジャンクなハンバーガーから伝統的な懐石料理まで、自由で至高の料理の数々が出現する卓を前に、彼は声音からわかる上機嫌さを伺わせた。
「気に入っていただけたのならこちらも嬉しいよ。
アンタほどの来賓に粗相ができるほど、あっしも偉ぶっちゃいないからね」
「良い心がけだ」
手元に生み出したナプキンで口を拭く彼。クラウンの言葉を当然だと言わんばかりに受け流し、料理を生み出す冠域効果を発揮しているドナルド・グッドフェイスに一瞥をやる。
「これは実に良いものだ。お前は宇宙でも通用する腕利きだと保証する」
「いやはや。恐悦至極とはまさにこのこと」
ニーズランド陣営におけるクラウンに負けずとも劣らぬ道化たる"料理王"ことドナルド・グッドフェイス。その正体はかつての夢想世界における別解犯罪者と悪魔の僕の巣窟"夢想世界闇市"で幅を利かせた大悪党であり、その時期には大討伐すらも退けた腕利きである。
「"望まれた王国"。人類の適応進化の促進機構として用意された絶望のテーマパークか……。
海賊王、怪獣王、傀儡姫、冥府王、戴冠反英雄、そして岩窟嬢。効率良く人類を虐殺するにはバランスの良い布陣だが、ここに"料理王"の名をわざわざ与えられたドナルド・グッドフェイスが統治者として設定されていないのは傍から見ていて不自然だった。
まぁ、第六圏の仕様が旧夢想世界闇市の流用であると判った以上、ある意味でわざわざ単一の圏域の支配者とするよりも、既に構築済みの個別の既存冠域の底上げという意味合いであれば納得できなくはないが……。
せっかくここまでの顔ぶれが揃ったんだ。地球最期の晩餐会として、いろいろと話を聞かせてくれ」
各人を分断するかのような分厚い墓壙からの煙に遮られながら、クラウンは火の粉の僅かな間隙から姿を覗かせているその男に向けて言葉を紡いだ。
「そうだなァ、どっからどう話そうか。アンタほどのタマが一から十まで説明しなきゃわからないような阿呆ちゃんだとは思えないしなぁ。だいたいアンタこそ何か物知り顔で人物紹介してたが、そもそもニーズランドに居たのかい?
なぁ、真航海者」
クラウンは羊を丸ごと一匹焼き上げたような巨大な肉塊に齧り付く。
分厚い皮を食い破りながら、肉に顔を埋める。
「私か?まぁ、宇宙を周遊していた私には地球表面を対象とした鯵ヶ沢露樹の魔法は当たらないからな。
残念ながら私の現実世界の肉体は地球に向けて帰還中ということになる。無論、私は星を破壊するための十分なエネルギーを以て地球に到達し、終末というのを世界にプレゼントする。
だが、これは私以外知らなくて当たり前だが、夢想世界が地球上の座標に紐付いているとはいえ、外部からアクセスことは不可能ではない。それはパスを使った現実世界と夢想世界の接続や十四系の扉を用いた冠域同士の接続とは次元が違う。むしろ、地球の座標に影響されない外部宇宙からの潜航には恣意的な調整により夢想世界の特定の座標の選択性が高い程だ。
……あぁ。質問に答えようか。私は大討伐軍と同時。いや、澐仙と同時にニーズランドに潜航していた。
私はこれでも敬虔な叢雨の会の信徒なのでね。澐仙から付かず離れずで行動していたが、興味の向く戦いは基本的に見届けようと彼方此方に出張っていた。昏山羊のためのテーマパークとはいえ、私のような観客でも大いに楽しめた。感謝するよ、クラウン」
「観客ねぇ」
「そういえば、お前は傍観者廃絶主義だったな。そんなお前から見れば、夢想世界において戦いの中に身を投じることなく悠々自適に過ごしていた私は気に入らないか?」
「いや。良い。アンタだけはね。……アンタは誰よりも自分の"役割"に忠実に生きてる、そうだろ?
あっしはこの誰もが夢に貪欲になれる時代に舞台上がることもなく自らを傍観者の立ち位置に甘えさせているような奴らは根絶やしにしてやりたい。というか、それがあっしのクラウンとしての役割だった。
だからこそ、昏山羊に望まれたこの王国を生み出し、露樹ちゃんの力を使って全人類を強制的にこの世界に引き摺り込んだ。誰も彼もが否応なく夢の国の招待客であり出演者となり、自らの行く末を勝ち取るための進化の旅を強制される。
全てが命懸け。だからこそ、人は死を恐れて進化する。昏山羊が望むのは決して緩やかな進歩ではなく、窮鼠が猫を噛む程に追い詰められた末の生命の爆発だったのさ」
「悪くない」
真航海者が細瓶を満たすロゼワインを大胆に喉に流し込んでいく。
「ニーズランドは特殊な奥行きの構成によって現実世界と異なる時空を実現しているんだ。それこそ、時間を忘れて没頭するショーが各冠域のコンセプトだからね。わざわざ丐甜神社のパスを利用して現実世界への干渉権限を付与したことにより、一度でもニーズランドに足を踏み入れれば、もう二度と現実世界の適切な時間軸には対応できない。
大討伐が始まって体感時間では一日?二日?…いや、人によっては数時間とも数年間とも感じているだろうね。
全人類がニーズランドに堕とされてから、哀れな魂たちの進化の旅は始まっている。こちらの世界にいては気付かないが、現実世界は凄まじい速度で時間が進んでいる。とっくの昔に文明は退廃し、ニーズランドに乱立する冠域の影響から生まれた現実世界の空間の歪は、地球を生命の繁栄を許さない嵐の星へと変えてしまった。
意識を失った人類たちはたちまちに肉体を失い、帰る場所を失った精神体はニーズランドに取り残された。
精神と肉体の所在がかみ合わなくなった者らの末路は各圏域での早々のリタイアという結末だった」
そこでクラウンの貌が歪む。
「でも‼やはり進化は起こったッ‼‼
地上で昏睡している人間の中で、飢餓、病気、天候、老いからすら逃げ果せる大いなる変態が始まった。その人間は体表からこれまでこの世界に存在しなかった物質により新たな外皮を形成。それは全身を包み込む高硬度な水晶を形成し、肉体と外部世界を遮断した。虹色の水晶はありとあらゆる外的要因から生命を護り、きたるべき新たな世界が地球に形成されるまでの命の箱舟となったんだ‼
一度人体の水晶進化が発現したことにより、新たな可能性の存在を感知した人体のブラックボックスたる脳は立ちどころに世界中の人間に同様の変態を齎した。ニーズランドという篩に掛けられた人間たちの中で、今もなお生き続けている猛者たちは漏れなく現実世界で水晶進化を迎え、ニーズランドで精神が死を迎えた人間であっても中には同様に現実世界で水晶進化して植物状態で保存されている人間も存在するという程だ‼‼
この水晶人間たちの中には肉体の意識制御を離れ、半自動的に水晶内部の構成変化によって移動を可能としている個体も存在する。死に対する対抗手段としての人体保存とは別に、自らの在る環境を選択し、より生の確立が保障される空間を探すという習性すら有しているんだ。
これはもう、既存の人類を超越した新たな人間の形と呼んで差し支えないだろう。
話によれば、究極反転した青い本の攻撃を受けてなお、この水晶人間には傷一つ付かなかったという。
で、あれば‼それであるならばさ‼‼
真航海者の地球への帰還。大いなる彗星としての人類の終末イベントでさえも、この水晶人間たちなら耐えられるはずだ。つまり、これまでの地球が一度リセットされる澐仙とアンタの仕組んだ大仕掛けを前に、既に人類側の適応進化はこのニーズランドの存在により実現されているってことなんだよ‼‼」
「まぁ、私から見てもお前はよくやった。と、思う」
真航海者は指についた何かを舐めとる。
「ニーズランドのお陰で人類の全滅エンドのシナリオは潰せたんだ。そして、昏山羊が怖れた技術の異常発展は文明の崩壊と共に再興不能のレベルまで退廃する。歴史は繰り返すというけど、おそらく新たな地球を支配する新人類はこれまでとは次元の違う夢の力を持った強力な生物になる。生命の強靭さはテクノロジーの暴走を抑止し、真に文明的な人間と技術の共存を可能とするはずだ」
「そこ」
涎の付いた指で、真航海者はクラウンを指した。
「残念ながらそこだけが減点対象だ。ニーズランドが人類の適応進化の嚆矢となったことは間違いないが、それと同時に人類の進化に対する強烈なアンチテーゼを爆誕させてしまった。というか、完成させてしまった。
マッドサイエンティストのロッツ博士が遺した寓意の技術的特異点が皮肉にも"収斂進化"という権能を引っ提げて登場したわけだ。末恐ろしいことにこの怪物が夢見るは自分のためだけの楽園。人類の展望、未来への期待、進化の醸成などお構いなしにコイツは世界を壊しに来るぞ。私の百倍はタチが悪い。
しかも、ニーズランドの圏域統治のシステム。端的に言えばテーマパークの根幹の部分の統治者たちのボスラッシュのシステムは収斂進化の権能を持つマーリンに対しては悪手も悪手だ。コイツは各タイミングで死に掛けながらも、最終的に敵対者の決定打不足と自身の収斂進化による急激な成長によって相手を確実に自分の糧として進み続けている。
人類の進化に最も都合の悪い存在の超強化をニーズランドは許容した。この期に及んでこのシンギュラリティにニーズランド陣営が負けるようなことがあれば、恐らくは水晶人間と化したコイツは他人類に紛れて地球のリセットをやり過ごし、そのあとの世界で生き残った人類を排斥して自分の為だけの楽園に辿りつく。我々のやること成すことすべてが気泡となってしまうわけだ。このリスクをお前は許容しているのか?」
「いや。正直、挑戦者の動きから澐仙殺害までの実績は完全に想定外。予想の範疇を飛び越えた大暴れだね。
一応、リスクヘッジとして早めに筐艦内にユーデンを送り込んで殺そうとはしたよ。でも、自覚前の単なるボイジャーだった状態でもユーデンを返り討ちにしてきたし、地味に"青い本"がクレイジー・ナップを出してあっしが直接暴れるのを牽制してきてた。
それに……いくらこっちの最強のカードだった反英雄を澐仙に切る前提だったとはいえ、誰があの二人を踏み越えてくると予想できるんだ?今この場に居る猛者たちがどれほどのものかはやってみなきゃわからないけど、誰一人として体力万全でフルパワー出して向かってくる叢雨禍神や殺意マシマシで対策万全に待ち構えた反英雄に勝てる奴はいないよ」
「言い訳はダメだ。非常に気分が悪い。子供じゃないのだから、問題を掘り下げるのではなく解決策を提示するのが先だろう」
「勿論。アンタに退屈はさせない。地球をぶっ壊すっていう大仕事を控えたアンタには最高のショーの唯一の観客になってもらうさ」
「これから殺し合いを始めます。では、そこまで興が乗るとは思えないな。ニーズランドは最終圏域まで攻略され、必然的に生き残ってきた猛者たちと夢の国の最奥で待ち構えたニーズランド勢力との衝突。それはそれは激しい戦いになるだろう。
だが、観客が求めるのは刺激だけじゃない。戦う者らのモチベーション。願いを成就した末の対価にこそ人は固唾を飲んで見守るだけの価値を見出す。
ニーズランドは人類視点に立った時の脅威。平穏な暮らしを脅かす暗黒のテーマパークであり、それを打倒せんという正義は大討伐軍という形で戦いの火蓋を切った。しかし、第四圏での蠅の王の暴挙によって大討伐軍は崩壊。協賛していた叢雨の会と新生テンプル騎士団も組織として消滅の過程を辿った。
如何に大儀を背負った戦いであっても、これまで共に戦った者たち、所属していた組織、拓くべき未来、妥当な正義。……それらを失った戦士たちがこの場でそう都合よく獅子奮迅の活力を以て戦うものだろうか。もし仮に都合よく牙を剥けあったとて、それは私を愉しませるに足るものとなるだろうか?」
「なるよ」
「聞こう」
「反英雄じゃないけど……あっしはさ、まだ産まれてないんだよ」
「?」
「夢の世界の住人として、或いは稀代の大犯罪者として世界を股にかけて暗躍した。
犯罪者を唆し、敵対者を嘲笑い、人類を誑かし、人造悪魔を煽った。
でも、それはクラウンの役割であり、イェンドル・ラーテン・クレプスリーの夢じゃない。
むしろ、クラウンの役割はニーズランドを生み出すこと。そういう意味では、あっしはこの世界にまだ産まれてすらいない。ニーズランドが最終圏域まで攻略され、人類の新たな夜明けを前に地球最期の晩餐会を経た後だからこそ、ここで初めて……あっしは自分の夢を語ることができる」
「お前の夢、ね」
「あっしの夢は【主役】。
人生に一度きりで良い。
最初で最後の最高のステージで主役として舞台を仕上げる。
全てがあっしの為にある世界で、あっしの手を離れた台本のまだ見ぬシナリオをなぞる。
ここにいる者たちは全て役を与えられた演者たち。
誰がどういう経緯で戦うかなんて、観客のアンタが見て考えて感じ取ればいい‼‼
役者は揃ったッ‼‼誰もかれもが第六圏夢想世界闇市の八丁荒らし‼
全てを掛けた最終決戦を始めようか‼‼‼」
煙に燻された猛者たちの鎖が解き放たれる。
目の色が変わるとはまさにこのこと。
この場に集う全ての者ら眼に重瞳が宿り、燃え上がる光が各々の貌を不気味に照らし上げた。
火炎の墓壙から立ち上る虹色の煙が、鈍色の光を帯びた大聖堂を仄暗く蔽っている。
宇宙を切り取ったかのような荘厳で無窮な天蓋を仰ぐ者は、その自由を謡うような絶景と平仄を合わせない鈍重な鎖に目を奪われるはずだ。天から降りる蜘蛛の糸を思わず想起させてしまうようなそれは、大聖堂のあちらこちらからその者らの自由を奪っている。
腕が、首が、脚が。五体に繋がれたそれを疎ましく睨みつつも、拭いきれぬ閉塞感すらも掻き消してしまう程に、眼前の卓に並べられた贅を尽くされた馳走に目を奪われてしまう。
今ここに在る欲とは、まさに食欲に終始するのだろう。
この場に集う十人の猛者。一騎当千の夢想世界の八丁荒らし達が、今だけは自分が何者であるかを忘れて口の端から涎を垂らしている。
皆がどこまで、何を理解しているのかは定かではない。
今まさに殺し合わんという轟轟たる狂気が交わりながらも、鎖に繋がれたまま馳走に食らいつく。
腹が減っては戦は出来ぬと言わんばかりに、皆が必死に目の前に夢に食らいつく。
―――
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―――
「ガブナー雨宮。TD2P捜査部から軍部に転属。元は生身の人間だが、固有権能と呼んで差し支えないレベルの夢想世界上での精神負荷耐性・精神汚染耐性を誇る現代の異能。才覚を買われて準ボイジャー適合実験の末、見事にリーダー格として活躍。機体名は準ボイジャー:イージス号。大言壮語に感じてしまう程の"神の盾"という僭称も、ニーズランドでの数多の戦闘を経たことで順調に能力を名と同格の域まで昇華させた潜在能力・伸びしろ共に申し分ない確かな逸材。
強力な能力を持っている反面、口惜しいのが自身の精神性の未熟さ。ボイジャー:キンコル号を師事した信奉者としての側面は、本来ではあれば人類にとっての英雄、否、人類における神格化の境地まで辿りつける程のポテンシャルを封じ込めてしまった。復讐を動機とした動力源は強力だが、生命としての原点に立ち戻った際の生存競争の中に身を置いていれば、欠点でもある攻撃手段の乏しさを克服することも出来ただろう」
ーーー
「鐘笑。叢雨の会の大司卿にして、世界的権威を獲得した新興宗教における実質的な支配者。夢想世界における実力は世襲や系譜に左右されない個人依存の要素でありながら、彼がかの救世の英雄たるボイジャー:プリマヴェッラ号の実弟であるという事実は、表と裏の世界から世界へ絶大なる影響を与えた彼らの血の強さのようなものを感じてならない。
夢想世界上でプラズマを再現することによる澐仙の白い雷。
人類に対する恩讐の念。とりわけ澐仙への対抗心から霊的エネルギーを凝縮した反英雄の赤黒い雷。
彼が"蠅の王"ユーデンに放ってみせた緑色の雷は、叢雨の会の信者たちから立ち上る信仰心を独自の機構で増幅させて放出した澐仙と反英雄の良い取りのようなものだった。
運だけでここまで辿り着くことは出来ない。彼は間違いなくこの世界における指折りの強豪にして、生存競争の中で勝ち上がってきた猛者。
だが、澐仙も反英雄もいないこの世界で、一体何が彼を動かすモチベーションと成り得るのだろうか」
ーーー
「アレッシオ・カッターネオ。新生テンプル騎士団の大幹部。創立以来から組織の武力と知力の中核を担い、組織の成長と此度の終焉を見届けた一時代の生き証人。
騎士団相伝の”禁断の惑星”の技巧に始まり、洗練された闘争のためのステータスの高さは弱点という弱点が存在しないオールマイティな強豪としての立ち位置を確立させている。
人間でありながらボイジャーに並び立つ力量は騎士団の戦闘能力の高さをまさに体現していると言って良い。第三圏では反英雄に遅れをとったものの、逆を言えば無敵鎧の権能を持った反英雄を相手に戦いが成立するという人間側の怪物格。バゼット・エヴァーコールもそうだが、騎士団の持つ戦闘能力は純粋な人間の持てる最高水準である以上、このニーズランドでの生存競争で生き残ってくるのは必然と言えば必然。
しかし、腹持ちならないのはやはり組織として見た時のバックボーンと宿願の部分。叢雨の会という新興宗教が世界に幅を利かせたこともあり若干比較されがちだが、元を辿ればこのニーズランド大討伐はこの男と"青い本"こと東郷有正が仕組んだ戦いだ。この男が個人として世界に与えた影響はクラウンに負けずとも劣らないだろう」
ーーー
「白永淑。元TD2P軍部所属の若年将校にして、佐呑事変を期にクラウンの勢力に与したカテゴリー4の別解犯罪者。
高い精神性と高潔な魂、何より社会的な地位を有していながらも、夥しい死と邪悪な思惑が渦巻いた環境下における精神汚染を受け、自己防衛の為に悪の道に堕ちた悲劇の女戦士とでも言い表せようか。今日におけるニーズランド第六圏、かつての夢想世界闇市に対するTD2P軍部の大討伐作戦の中では華々しい戦果を挙げ、大物の討伐から残党狩りまでは幅広くアサイン可能な基礎戦闘能力の高さが売りであった。
元々が反社会性を有したサイコバスのきらいがありそれは自他ともに認めるところであった。周囲の環境に敏感に反応し適応する魂の形質故に、軍のような規律に縛られた環境下では軍人として大成するのもある意味で必然ではあったが、佐呑での悪への共振により存在としての魂の核は既に不可逆的なまでに悪に傾いてしまった。
自然悪の魔女たる鯵ヶ沢露樹、世紀の大犯罪者たるクラウンとの接触が彼女にとっての何よりの転機か。全く、人の心とはどうにも繊細微妙で計り知れないものだと痛感させられる」
ーーー
「鯵ヶ沢露樹。件の佐呑事件の首謀者たるボイジャー:キンコル号が故意に生み出した人造悪魔の成れの果て。キンコルの本懐たる人類の幸福と安寧を実現するための手段として、究極反転を人造悪魔との契約の末に獲得せんという博打の果てに生み出された唯一無二の怪物。
佐呑でキンコル号がクラウンに殺害された後、その身はキンコルの庇護下に置かれた。キンコルの能力により佐呑の夢想爆心地に封印されていた魂もクラウン、白英淑の強力の元で復活。人造悪魔としての力を取り戻した瞬間に地球全体に対する魔法攻撃によって全人類をニーズランドに強制送致するという異次元の力を振るって見せた。
カテゴリー5を超えたオーバーカテゴリーの位列にあるだけにその実力・脅威ともに本物だが、キンコルの企てたセーフティにより佐呑事変当時の能力は既に燃え尽きている。当時と今では存在そのものが別の生命体のような扱いになるだろうが、この猛者の集う最終戦場ではどれほど健闘できるものか興味がそそられる」
ーーー
「ボイジャー:クロノシア号。本名不明な現代最強のボイジャー。プリマヴェッラ亡き後の世界で対悪魔の僕の最前線で戦ってきた正義の執行人にして抑止力の象徴。その身一つで米国の長大な夢想世界をカバーし、悪魔の僕の排出、別解犯罪者の暗躍に対し、粛清の姿勢を続けてきた。
まさか、その力の由来が運命への干渉。時間と因果に対する操作権限であるとは考えが及ばなかった。ニーズランドでの彼の立ち回りはクラウンに対する単身の襲撃という勇気と行動力に彩られたものであったが、残念ながらクラウンが召還した鯵ヶ沢露樹に撃退されてしまい現実世界へ帰還した。
再度のニーズランドへの潜航により、戦局に出遅れた彼は第五圏で壊滅的被害を被った大討伐軍への帰属を捨て、技術的特異点であるマーリンへと接触。自分が彼の進化の糧となることでニーズランド勢力へ一矢報いようとしたのか。
何にせよ、ボイジャーの幸福を願う彼の望みは、既に悲しき結末を辿り果たされることはない。己の夢の結末を既に味わっている最強兵器がこれからどのような輝きを放つかは、これまた興味深いものには違いない」
ーーー
「唐土己。その正体はロッツ博士が創り出したボイジャー化実験を適用したアーカマクナ。ベースとなる躯体はカテゴリー5の悪魔の主君たる"挑戦者"の再発性因果を活用した複製体を使用し、数多のクローンを使い捨てることにより実現させた禁忌の技術的特異点。
恐るべきは他者の夢の骨を継承する収斂進化の権能。本来固有であるはずの冠域の能力を後天的に獲得する様は、まさに神へ通じる異形の進化の過程。それでいて活動の動機が楽園への到達という彼自身にしか理解できない曖昧な概念ときた。
傍迷惑な話だ。昏山羊の病を始め、世界は奴を中心に傾き続けてきたというのに。
極め付けは完全な怨霊と化した反英雄の捕食、全力を解放した澐仙の殺害。
彼女らのどちらかはこの最終圏域に必ず席があると思っていたが、まさか両名ともと永訣することになるとは」
ーーー
「ドナルド・グッドフェイス。元新生テンプル騎士団の初期メンバーにして、かつての夢想世界闇市の元締め的な立ち位置を確立していた"美食帝"の異名を持つ大物。そもそもの戦績が悪いとはいえ、過去には自身に向けられた討伐軍、夢想世界闇市を標的とした大討伐軍を退けた実績は本物。
クラウンに影響されてかどこか道化染みた立ち回りで腹の見えない態度を貫いているが、昔の彼から本質が変わっていなければ、この場の誰に劣ることもない残虐性と嗜虐性を持ち合わせた殺戮のプロ。大陸軍の時代の到来と共に息を潜めるようになったものの、純粋な強さを図る物差しがあれば、ドナルド・グッドフェイスは間違いなくこの十名の中で最強だろう。
クラウンもよくもこれほどの狂犬を手名付けたものだ」
ーーー
「イェンドル・ラーテン・クレプスリー。掛け値なしの大悪党。犯罪者ネットワークの心臓を担う男。
あの時、あの瞬間。お前が私に向けた目。今になっても忘れない。
決して英雄として大成する男だとは思わなかった。
しかし、歴史上の誰においても実現し得なかったことを既に達成した。
俺はお前に興味があった。
澐仙との約定によりこの世界を、文明を、歴史を、破壊し人類の未来を拓くことを誓ったあの日から、お前が約束の時までにどのように動き、何を私に見せるのか。
何にせよ。お前には感謝する。地球最期の晩餐会とはいえ、ここまで贅を尽くされた馳走を振舞われるとは思っていなかった」
ーーー
アガット色の肌。同色の瞳。宇宙を映したような立体的で忽然とした様相の分厚いローブをに身を埋める男。
その姿はまるで童話や神話に登場する大魔法使いや預言者の類を連想させる。
くっきりとした堀の深い顔立ちでありながら、その喉を通って出てくる言葉の奥ゆかしさは女性のそれ。
フードに埋めた頭部から零れた細く艶やかな白髪は、よく伸びた睫毛の合間を擦り抜けて右目を僅かに蔭していた。
派手に装飾された座椅子はまさに玉座。スラリとした姿勢から醸し出される品の高さとは裏腹に、アガット色の手で眼前の馳走を鷲掴みにして口に運ぶ様は、礼儀作法を欠片ほども感じさせない豪快さを見せつけていた。
「豚も牛も……これは、鰐か。当たり前だが地球以外ではお目に掛かれない贅沢品だ。
まぁ、夢想世界でたまに食べてたが……。手の込んだものは想像力が足りなくて生み出せなくてね、やはり料理人が付くと夢の世界にも豊かさというものが生まれるな」
魔法のテーブルから生み出される馳走の数々。ジャンクなハンバーガーから伝統的な懐石料理まで、自由で至高の料理の数々が出現する卓を前に、彼は声音からわかる上機嫌さを伺わせた。
「気に入っていただけたのならこちらも嬉しいよ。
アンタほどの来賓に粗相ができるほど、あっしも偉ぶっちゃいないからね」
「良い心がけだ」
手元に生み出したナプキンで口を拭く彼。クラウンの言葉を当然だと言わんばかりに受け流し、料理を生み出す冠域効果を発揮しているドナルド・グッドフェイスに一瞥をやる。
「これは実に良いものだ。お前は宇宙でも通用する腕利きだと保証する」
「いやはや。恐悦至極とはまさにこのこと」
ニーズランド陣営におけるクラウンに負けずとも劣らぬ道化たる"料理王"ことドナルド・グッドフェイス。その正体はかつての夢想世界における別解犯罪者と悪魔の僕の巣窟"夢想世界闇市"で幅を利かせた大悪党であり、その時期には大討伐すらも退けた腕利きである。
「"望まれた王国"。人類の適応進化の促進機構として用意された絶望のテーマパークか……。
海賊王、怪獣王、傀儡姫、冥府王、戴冠反英雄、そして岩窟嬢。効率良く人類を虐殺するにはバランスの良い布陣だが、ここに"料理王"の名をわざわざ与えられたドナルド・グッドフェイスが統治者として設定されていないのは傍から見ていて不自然だった。
まぁ、第六圏の仕様が旧夢想世界闇市の流用であると判った以上、ある意味でわざわざ単一の圏域の支配者とするよりも、既に構築済みの個別の既存冠域の底上げという意味合いであれば納得できなくはないが……。
せっかくここまでの顔ぶれが揃ったんだ。地球最期の晩餐会として、いろいろと話を聞かせてくれ」
各人を分断するかのような分厚い墓壙からの煙に遮られながら、クラウンは火の粉の僅かな間隙から姿を覗かせているその男に向けて言葉を紡いだ。
「そうだなァ、どっからどう話そうか。アンタほどのタマが一から十まで説明しなきゃわからないような阿呆ちゃんだとは思えないしなぁ。だいたいアンタこそ何か物知り顔で人物紹介してたが、そもそもニーズランドに居たのかい?
なぁ、真航海者」
クラウンは羊を丸ごと一匹焼き上げたような巨大な肉塊に齧り付く。
分厚い皮を食い破りながら、肉に顔を埋める。
「私か?まぁ、宇宙を周遊していた私には地球表面を対象とした鯵ヶ沢露樹の魔法は当たらないからな。
残念ながら私の現実世界の肉体は地球に向けて帰還中ということになる。無論、私は星を破壊するための十分なエネルギーを以て地球に到達し、終末というのを世界にプレゼントする。
だが、これは私以外知らなくて当たり前だが、夢想世界が地球上の座標に紐付いているとはいえ、外部からアクセスことは不可能ではない。それはパスを使った現実世界と夢想世界の接続や十四系の扉を用いた冠域同士の接続とは次元が違う。むしろ、地球の座標に影響されない外部宇宙からの潜航には恣意的な調整により夢想世界の特定の座標の選択性が高い程だ。
……あぁ。質問に答えようか。私は大討伐軍と同時。いや、澐仙と同時にニーズランドに潜航していた。
私はこれでも敬虔な叢雨の会の信徒なのでね。澐仙から付かず離れずで行動していたが、興味の向く戦いは基本的に見届けようと彼方此方に出張っていた。昏山羊のためのテーマパークとはいえ、私のような観客でも大いに楽しめた。感謝するよ、クラウン」
「観客ねぇ」
「そういえば、お前は傍観者廃絶主義だったな。そんなお前から見れば、夢想世界において戦いの中に身を投じることなく悠々自適に過ごしていた私は気に入らないか?」
「いや。良い。アンタだけはね。……アンタは誰よりも自分の"役割"に忠実に生きてる、そうだろ?
あっしはこの誰もが夢に貪欲になれる時代に舞台上がることもなく自らを傍観者の立ち位置に甘えさせているような奴らは根絶やしにしてやりたい。というか、それがあっしのクラウンとしての役割だった。
だからこそ、昏山羊に望まれたこの王国を生み出し、露樹ちゃんの力を使って全人類を強制的にこの世界に引き摺り込んだ。誰も彼もが否応なく夢の国の招待客であり出演者となり、自らの行く末を勝ち取るための進化の旅を強制される。
全てが命懸け。だからこそ、人は死を恐れて進化する。昏山羊が望むのは決して緩やかな進歩ではなく、窮鼠が猫を噛む程に追い詰められた末の生命の爆発だったのさ」
「悪くない」
真航海者が細瓶を満たすロゼワインを大胆に喉に流し込んでいく。
「ニーズランドは特殊な奥行きの構成によって現実世界と異なる時空を実現しているんだ。それこそ、時間を忘れて没頭するショーが各冠域のコンセプトだからね。わざわざ丐甜神社のパスを利用して現実世界への干渉権限を付与したことにより、一度でもニーズランドに足を踏み入れれば、もう二度と現実世界の適切な時間軸には対応できない。
大討伐が始まって体感時間では一日?二日?…いや、人によっては数時間とも数年間とも感じているだろうね。
全人類がニーズランドに堕とされてから、哀れな魂たちの進化の旅は始まっている。こちらの世界にいては気付かないが、現実世界は凄まじい速度で時間が進んでいる。とっくの昔に文明は退廃し、ニーズランドに乱立する冠域の影響から生まれた現実世界の空間の歪は、地球を生命の繁栄を許さない嵐の星へと変えてしまった。
意識を失った人類たちはたちまちに肉体を失い、帰る場所を失った精神体はニーズランドに取り残された。
精神と肉体の所在がかみ合わなくなった者らの末路は各圏域での早々のリタイアという結末だった」
そこでクラウンの貌が歪む。
「でも‼やはり進化は起こったッ‼‼
地上で昏睡している人間の中で、飢餓、病気、天候、老いからすら逃げ果せる大いなる変態が始まった。その人間は体表からこれまでこの世界に存在しなかった物質により新たな外皮を形成。それは全身を包み込む高硬度な水晶を形成し、肉体と外部世界を遮断した。虹色の水晶はありとあらゆる外的要因から生命を護り、きたるべき新たな世界が地球に形成されるまでの命の箱舟となったんだ‼
一度人体の水晶進化が発現したことにより、新たな可能性の存在を感知した人体のブラックボックスたる脳は立ちどころに世界中の人間に同様の変態を齎した。ニーズランドという篩に掛けられた人間たちの中で、今もなお生き続けている猛者たちは漏れなく現実世界で水晶進化を迎え、ニーズランドで精神が死を迎えた人間であっても中には同様に現実世界で水晶進化して植物状態で保存されている人間も存在するという程だ‼‼
この水晶人間たちの中には肉体の意識制御を離れ、半自動的に水晶内部の構成変化によって移動を可能としている個体も存在する。死に対する対抗手段としての人体保存とは別に、自らの在る環境を選択し、より生の確立が保障される空間を探すという習性すら有しているんだ。
これはもう、既存の人類を超越した新たな人間の形と呼んで差し支えないだろう。
話によれば、究極反転した青い本の攻撃を受けてなお、この水晶人間には傷一つ付かなかったという。
で、あれば‼それであるならばさ‼‼
真航海者の地球への帰還。大いなる彗星としての人類の終末イベントでさえも、この水晶人間たちなら耐えられるはずだ。つまり、これまでの地球が一度リセットされる澐仙とアンタの仕組んだ大仕掛けを前に、既に人類側の適応進化はこのニーズランドの存在により実現されているってことなんだよ‼‼」
「まぁ、私から見てもお前はよくやった。と、思う」
真航海者は指についた何かを舐めとる。
「ニーズランドのお陰で人類の全滅エンドのシナリオは潰せたんだ。そして、昏山羊が怖れた技術の異常発展は文明の崩壊と共に再興不能のレベルまで退廃する。歴史は繰り返すというけど、おそらく新たな地球を支配する新人類はこれまでとは次元の違う夢の力を持った強力な生物になる。生命の強靭さはテクノロジーの暴走を抑止し、真に文明的な人間と技術の共存を可能とするはずだ」
「そこ」
涎の付いた指で、真航海者はクラウンを指した。
「残念ながらそこだけが減点対象だ。ニーズランドが人類の適応進化の嚆矢となったことは間違いないが、それと同時に人類の進化に対する強烈なアンチテーゼを爆誕させてしまった。というか、完成させてしまった。
マッドサイエンティストのロッツ博士が遺した寓意の技術的特異点が皮肉にも"収斂進化"という権能を引っ提げて登場したわけだ。末恐ろしいことにこの怪物が夢見るは自分のためだけの楽園。人類の展望、未来への期待、進化の醸成などお構いなしにコイツは世界を壊しに来るぞ。私の百倍はタチが悪い。
しかも、ニーズランドの圏域統治のシステム。端的に言えばテーマパークの根幹の部分の統治者たちのボスラッシュのシステムは収斂進化の権能を持つマーリンに対しては悪手も悪手だ。コイツは各タイミングで死に掛けながらも、最終的に敵対者の決定打不足と自身の収斂進化による急激な成長によって相手を確実に自分の糧として進み続けている。
人類の進化に最も都合の悪い存在の超強化をニーズランドは許容した。この期に及んでこのシンギュラリティにニーズランド陣営が負けるようなことがあれば、恐らくは水晶人間と化したコイツは他人類に紛れて地球のリセットをやり過ごし、そのあとの世界で生き残った人類を排斥して自分の為だけの楽園に辿りつく。我々のやること成すことすべてが気泡となってしまうわけだ。このリスクをお前は許容しているのか?」
「いや。正直、挑戦者の動きから澐仙殺害までの実績は完全に想定外。予想の範疇を飛び越えた大暴れだね。
一応、リスクヘッジとして早めに筐艦内にユーデンを送り込んで殺そうとはしたよ。でも、自覚前の単なるボイジャーだった状態でもユーデンを返り討ちにしてきたし、地味に"青い本"がクレイジー・ナップを出してあっしが直接暴れるのを牽制してきてた。
それに……いくらこっちの最強のカードだった反英雄を澐仙に切る前提だったとはいえ、誰があの二人を踏み越えてくると予想できるんだ?今この場に居る猛者たちがどれほどのものかはやってみなきゃわからないけど、誰一人として体力万全でフルパワー出して向かってくる叢雨禍神や殺意マシマシで対策万全に待ち構えた反英雄に勝てる奴はいないよ」
「言い訳はダメだ。非常に気分が悪い。子供じゃないのだから、問題を掘り下げるのではなく解決策を提示するのが先だろう」
「勿論。アンタに退屈はさせない。地球をぶっ壊すっていう大仕事を控えたアンタには最高のショーの唯一の観客になってもらうさ」
「これから殺し合いを始めます。では、そこまで興が乗るとは思えないな。ニーズランドは最終圏域まで攻略され、必然的に生き残ってきた猛者たちと夢の国の最奥で待ち構えたニーズランド勢力との衝突。それはそれは激しい戦いになるだろう。
だが、観客が求めるのは刺激だけじゃない。戦う者らのモチベーション。願いを成就した末の対価にこそ人は固唾を飲んで見守るだけの価値を見出す。
ニーズランドは人類視点に立った時の脅威。平穏な暮らしを脅かす暗黒のテーマパークであり、それを打倒せんという正義は大討伐軍という形で戦いの火蓋を切った。しかし、第四圏での蠅の王の暴挙によって大討伐軍は崩壊。協賛していた叢雨の会と新生テンプル騎士団も組織として消滅の過程を辿った。
如何に大儀を背負った戦いであっても、これまで共に戦った者たち、所属していた組織、拓くべき未来、妥当な正義。……それらを失った戦士たちがこの場でそう都合よく獅子奮迅の活力を以て戦うものだろうか。もし仮に都合よく牙を剥けあったとて、それは私を愉しませるに足るものとなるだろうか?」
「なるよ」
「聞こう」
「反英雄じゃないけど……あっしはさ、まだ産まれてないんだよ」
「?」
「夢の世界の住人として、或いは稀代の大犯罪者として世界を股にかけて暗躍した。
犯罪者を唆し、敵対者を嘲笑い、人類を誑かし、人造悪魔を煽った。
でも、それはクラウンの役割であり、イェンドル・ラーテン・クレプスリーの夢じゃない。
むしろ、クラウンの役割はニーズランドを生み出すこと。そういう意味では、あっしはこの世界にまだ産まれてすらいない。ニーズランドが最終圏域まで攻略され、人類の新たな夜明けを前に地球最期の晩餐会を経た後だからこそ、ここで初めて……あっしは自分の夢を語ることができる」
「お前の夢、ね」
「あっしの夢は【主役】。
人生に一度きりで良い。
最初で最後の最高のステージで主役として舞台を仕上げる。
全てがあっしの為にある世界で、あっしの手を離れた台本のまだ見ぬシナリオをなぞる。
ここにいる者たちは全て役を与えられた演者たち。
誰がどういう経緯で戦うかなんて、観客のアンタが見て考えて感じ取ればいい‼‼
役者は揃ったッ‼‼誰もかれもが第六圏夢想世界闇市の八丁荒らし‼
全てを掛けた最終決戦を始めようか‼‼‼」
煙に燻された猛者たちの鎖が解き放たれる。
目の色が変わるとはまさにこのこと。
この場に集う全ての者ら眼に重瞳が宿り、燃え上がる光が各々の貌を不気味に照らし上げた。
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