夢の骨

戸禮

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7章 闇市八丁荒

91 墓標

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〇圏域外_穢れた参道

 薄暗い光が、不思議と不気味な程に森の輪郭を幽玄に揺らす。
 見覚えのない種類の背の高い木々が葉を落としており、歩く度にサクサクと決まった足音が耳に届いた。

 どこからか吹く風が木々を囁かせる。あるはずのない心臓が、自然と強く拍動していた。

 どれほど歩いたかはわからない。
 一日中進み続けたような気がするし、たった数分間の間の度だったようにも感じる。かと思っているうちにやっぱり途方もない間。それも何百年にも渡って歩き続けているような気になっている。

 荒れた道を進むほど、意識が焼却されていくようだった。
 すぐそこに在ったはずの記憶がどこかに行ってしまったり。浮ついた心地でいるうちに記憶が巡って返ってきたり。手足の感覚もそれに近い。すぐそこにあるようで、どこか目に見えない所に隠れてしまっているような気がする。
 ぼんやりと歩いていると、足元が疎かになる。

 千鳥足になりかけていた歩みを止めたのは、どこか記憶の淵で見覚えのある顔だった。


―――
―――
―――

 彼女は凛々しく立っていた。その足元は彼女の全身を称えるように煌びやかな金色の光に装飾されており、黄金を溶かして固めたような金属しつでありながらも艶やかなオブジェが彼女の周囲で微動していた。

「やぁ、スカンダ。こんな所で何してるんだい」

「やぁ、って言われてもねぇ」

 穢れた参道の淵に立っていたのは、唐土己が初めて言葉を交わしたボイジャーである彼女だった。
 ボイジャー:スカンダ号。その素体となってるのはまだまだ年若い娘である葛原梨沙という名の少女である。

「何をしてるも何も、私はアンタに呼ばれてここに居るわけ。アンタがボーっとしながら意識もそぞろに歩いてるもんだから、暇になって幻影でも呼び出したんじゃないの」

「ああ。なるほどね。そういうことか」

「私は反英雄戦で奴に身体を乗っ取られて、叢雨禍神の攻撃で肉体が完全に死亡するまで反英雄と一体化してたわけで……。その反英雄を食べたアンタが奴の中に残ってた私の夢の骨の情報を読み込んで、こうしてわざわざ私を固有冠域として生み出しているってカンジでしょ」

「そうかもしれない。……で、調子はどう?」

「悪くないけど、死んでるからね、最高ってわけじゃないよ」

「死んでからは元気にやってる?」

「まぁ、ぼちぼちかな。私は自分で思ってた以上に情熱に欠けててさ、悪霊になってまで何かを成し遂げるって程の熱量は無かったみたいなの。そう考えると、あそこまで自分の魂を燃え上がらせてたプリマヴェッラは凄いよ。自分を呪い殺してまで、人類に禍いを振り撒こうっていう執着がさ。もう、憑りつかれてた間はひしひしと感じたよね」

「スカンダは、どんな夢があったんだっけ?」

「私?……どうだろ。ずっと目標にしてたのは反英雄を殺すことだったよ。現実世界で私の足をチョンパした訳わからん不審者を、自分の成長の証として懲罰してやりたかった。……でも、夢っていったらさ。やっぱりもっと純粋で、自分の心の根っこにあるものだと思うわけ」

「うんうん」

「すっごい子供っぽいけどさ。私は"速く走りたかった"んだよね。誰にも負けないくらい。誰も追いつけないくらい。…反英雄を追い抜くくらいのさ」

「良いね。まさに韋駄天なわけだ」

「そうそう。スカンダの名もそこから貰ってる」

「じゃあ。その脚を。誰にも負けない駆けっこの強さを貰ってくよ」

「うん。それで良いよ。……生きて闘い続けるのは、やっぱり辛かった」

「私の楽園には、きっと何百年走っても見果てない広大な原っぱが広がってるはずさ」

「なにそれ、最高じゃん」


―――
―――
―――

 いつの間にか眼前からスカンダの姿は影も形もなく消えてしまっていた。
 足取りは少し前より若干軽い感じがする。だが、やはり途方もない旅路の中に自分だけがポツンと立たされているような心虚しさが湧いてきた。

 己の中の空虚さを紛らわすように、次なる客が顕れた。
 荒れた参道の中に開けた蓮の花が咲き誇る湖畔が姿を現し、一際目を引く大きな蓮の葉の上で、禅を組むように座っている一人の男が居た。
 
 ボイジャー:キンコル号。
 佐呑事変の首謀者であり、道を半ばにしてクラウンに命を奪われた稀代の賢者。かつては叢雨の会の一員として澐仙の元で研鑽を詰み、歴代最強のボイジャーであるプリマヴェッラがフィリピンから直接スカウトしてTD2Pに引き抜いてくるほどの逸材だった。
 自己犠牲精神の溢れる安寧の究明者たる彼は、いつか見せた貌と同様にどこか疲れたようにマーリンに微笑みかけた。

「すっかり見違えたじゃないか。唐土君」

「えぇ。まだまだ道半ばですが」

「うんうん。そうだろうね。どうだい?休憩がてら、少し話をしていくのは」

「…。貴方もまた私が反英雄の残滓から創り出した幻影なんですよね」

「そうだとも。僕は反英雄の能力で黒騎士として魂が使役されてしまったからね。伽藍洞な魂の抜け殻だとしても、反英雄の中には私の影形を投影するだけの情報が渡っていたようだ」

「……すみません。なんか、お茶でも飲みますか」

 マーリンは湖畔にずかずかと足を踏み入れ、ぐちゃぐちゃに濡れた下半身をそのまま水面に浮かぶ大きな蓮の葉の上に乗り上げた。思っていたよりは丈夫な葉だったが、水面に浮かんだそれの上でバランスを取るのは想像よりも難しく感じた。
 彼は想像力で生み出した茶をキンコルに渡すと、自身の手元にも同じものを精製した。

「旨いじゃないか。茶まで出せるなんて、すっかり万能人だね」

「どうなんですかね。……私は万能に成りたかったんでしょうか。
 …他者の者をアレもコレもと欲しがり、進化の名の元に体得し続けた。
 時間なんて腐る程あるはずなのに……私は何を急いでいるんだか」

「自らが夢を叶えんが為に前進している最中の人間なんて、誰しもが盲目的で独善的なものだと思うね」

「それは、自身の経験からですか?」

「ああ。世界平和を願い、人類の安寧を欲した。そのためには僕自身が全ての闘争を断絶する法になる必要があり、数ある選択肢の中から私は生き急いだ結果、己に足りないものを人造悪魔で満たそうとした。
 結果として私はあの時、あの一瞬。……新たな世界の神になった。五体を満たす万能感。正義を執行できる法としての大儀が僕の魂を奮い立たせた。夢の世界の管理者として、全てを手に入れた気になった私は、クラウンの仕掛けたくだらない罠にかかり、現実世界の脆く儚い肉を散らして死に晒した」

「ですね」

「結局。全人類の為にと思って盲目的に行動し、善意の為に悪意を利用したツケが回ってきた。いや、罰を受けるのが僕だけなら良かった。でも、人造悪魔はクラウンという真の悪魔の元に下り、この度の地獄絵図を織りなす大討伐の橋掛けとなってしまった」

「後悔してますか」

「……どうだろうね。結局、私は自分の価値観やスケールで人生を切り拓くしかなかった。同じようなことを澐仙もプリマヴェッラも、クラウンだってやってきた。僕は死に臥し敗北を喫したけど、だからといって自分の行いを恥じたりしない。といっても、崇高で志高い理想的な行いであったと美化したりもしないさ。
 僕らの目の前にあるのはあくまでも結果の連続であって、そこに至るまでの路はどこまでいっても過程だ。
 過程の瑕疵、彼我の運命を秤に乗せて何かを裁いたり、断罪するなんてのは傲慢だと思うね」

「私は人類を滅ぼします。これは、悪ですか?」

「天地がいくらでも引っ繰り返る創世期において、善悪の区別なんて論じる意味はないさ」

「そうですか」

「僕の夢は"世界平和"と"人類の安寧"。君の望む楽園でそれが叶うかはわからない。
 でも、僕は君のやってきたこと、これからやることを肯定するよ」

「…ありがとうございます。励みになります。
 お返しといっては何ですが、キンコルさんの夢は私が確かに楽園に届けます。そこに人類は居ないでしょうが」

「ははっ。いいさ。最高だ。祈りなんて、その程度のもので良いんだ」

「では、お元気で」


―――
―――
―――


 鬱蒼とした森を抜け、霧の掛かった峡谷へと差し掛かった。
 
 ここも参道だろうかとマーリンは始めは疑問に思ってたが、辿り着かない道程はきっとその全てが参道なのだろうと己の中で適当に納得した。

 荒れた岩肌を進む足取りは、森の参道を進んでいた時よりも不思議と軽かった。
 とはいえ、やはり何十年も経った頃には、これまでと同様に身体よりも先に心に空虚さが覗き込んで来る。

 霧かがった道中、ボロボロになった吊り橋の前にマーリンは立った。
 その吊り橋を進まねば先にはいけないが、今にも壊れそうになった吊り橋を霧の満ちた視界不良の中で進むのは気が引けた。

 遠回りになっても迂回をするか、それとも何も考えずに突っ切ってみるか。
 これまでずっと歩き続けてきたというのに、ここにきて不思議と脚が動かなくなってしまった。

「何をしているんだ、こんなところで」

「ああ。グラトン。次は君か」

「わざわざ俺を呼び出してまで決めなきゃいけない程、この橋が怖いのか?」

「怖い?…………。…………。そういえば、なんだか怖いな。一緒に渡ってくれ」

「人遣いが粗いな。まぁ、いいぞ。迷惑かけた後輩への罪滅ぼしも兼ねて付き合うさ」

 ボイジャー:グラトン号。
 悪食の夢を持ち、己の欲望のままに世界すら喰らってしまわんばかりの悪の路に迷い込んだ怪物。

 他のボイジャーの事が詳しいというわけではないが、マーリンからしてみればグラトンは特に詳細不明のよくわからない存在だった。
 第四圏で大討伐軍を崩壊させた彼とは成り行き上対峙したが、マーリンから見れば彼はただの離反し、暴走状態に陥ったボイジャーに過ぎない。グラトンがその人生に科した数多の十字架に関しては、マーリンにとっては知る由もなければ興味もない話である。

「貴方は何者なんですか?グラトン号」

「止せよ。何だってそんなことを聞くんだ。わざわざこの期に及んでまで」

「いや……。なんででしょうね。私は貴方の事を何も知らないな、と思いまして」

「ハァ。なんだよ、それ。そんなの俺にだってわからないよ」

「そうなんですか?」

「そんなもんだろうよ。この世に存在する誰もがテメェの魂が何者であるかを意識して生きてるわけじゃない。俺みたいに、他者の持つ視点によって名前がいくらでもコロコロ変わる様な奴は特にな」

「他者の持つ視点……名前が、変わる…」

 お互いの歩みがボロボロの吊り橋を不気味に揺らす。覚束ない足元に注意を割かねば、身体がすぐにひっくり返ってしまいそうだった。


「善も悪も、万物の根源は名前に宿る。名前が無ければ俺たちは何者でもないし、反対に誰かから与えられた名は紛れもなく俺たち自身の姿を決定付ける。……いっそ、世界を全部リセットしてしまえば、俺たちは他者からの役割に縛られずに生きられたのかもな」

「……それは罪から目を背けるためですか?」

「お前が罪や罰を気にするタイプには見えなかったが、意外だな」

「いえ……なんというか、私が認識している"己"という概念は、どう足掻いても他者他人にとって都合が悪すぎる。私が在るがままに生きたいと願うことが……恋焦がれた道程に希望を掛けることが……私を取り巻く全てを否定して止まない」

 マーリンは吊り橋の真ん中程の位置で脚を止めた。

「迷ってるのか?……まるで、これから自分がする行いを俺に止めて欲しがってるみたいだな」

「さぁ。…どうなんでしょうか。そうなのかもしれません。私はここにきて、自分の選択に恐怖しているのかもしれない。或いは、引き返せるものなら…などと爛れた欲望を抱いてしまっているのかも」

「何を選ぼうと俺の知ったこっちゃないが、一言云わせてもらうとすればだ。
 どれほど辛い空腹に後押しされた悪食であっても、喰ってる最中にはほんの少しは罪悪感を感じるものだ。
 お前の感じているそれがもし、罪悪感と名付けて良いものだとしたら、きっとそれはどんな選択をしようが、どんな悲願を成就しようが付きまとってくるだろう」

「………ありがとうございます。お陰で、橋を渡りきることが出来そうです」

「じゃあ、俺はここでお別れだ。お前がビビッて後戻りしてこないように睨んでてやるから、さっさと行ってこいよ」

「……。では、さようなら。私の行き着く楽園には、きっと飢えなんてものはないでしょう」

「最高だな」


―――
―――
―――

 橋を抜けた後、再び行き果てぬ歩みの旅を始めたマーリン。

 その面持ちはどこか晴れやかに、足取りはどこか軽やかだった。
 霧掛かった道を何年、何十年、何百年を進むうちに彼はやがて自分がなだらかな傾斜のある丘に差し掛かっていることに気が付いた。
 歩くペースが落ちてきたのは一重に集中力が切れたためか、身体が疲れてしまったからだと思ってたが、それは違った。
 彼が辿り着いた丘の上は、間違いなく行止りだった。

 眼前に拡がるのは、仰ぐにも難しい果てなき荒れ果てた虚構。闇に混じって焼燬された文明の痕跡が垣間見えるような終末世界がそこには在った。
 端々に高度な文明の痕跡が遺された遺産のような廃都市からは、思考を掻き乱すような煤けた臭いが充満している。

 
「破壊された機械文明。あんまり私の好みじゃないかな」

「君は……。ああ。そうか。ボイジャー:オルトリンデ号だね。こうして面と向かうのは初めてかな?」

「機嫌はどう?厄介な人類史の破壊者さん」

「どうだろう。少し前までは気分が良かったような気がするんだけど。…この景色を見るとどうにも胸がざわつくような……どこか物悲しい疎外感?いや、申し訳なさのようなものが心に堪っていくような気がするんだ」

「へぇ」

 宙に胡坐をかいた少女。浮遊しながらゆっくりと上下左右に回転している不思議なその娘は、マーリンと視線を躱してどこか不思議そうな表情を見せた。

「自分で選んだ道に後悔することなんてあるんだね。……まるで人間みたいだ」

「私は人間だよ。ボイジャーであり、機械であり、兵器であり、特異点でもある。私の定義は自己と他者の狭間にのみ存在し、私という存在はこの胸の裡の願い次第で何者にでも成り得るんだ」

「なるほどね。罪から目を背けるのも、運命を勝手に背負い込むのもお手の物ってわけだ」

「そうなるね。残念ながら、私の中には喜怒哀楽はおろか、希望も絶望も、悔恨も正当化も常に同居している状態なんだ。どうしてそんな私に説教が出来る?……私は君にとってどこか許し難い存在なんだろう。でもそれは、私の存在を他者の視点により定義付け出来ないものとしての背反的な立場を明確化させてしまうんだ」

「まぁ。何でも良いよ。私はさ、もうどうせ死んだ身なんだ。これからどうこう成りたいなんて思いは無いし、自分の生きてきた過程、その人生の道程に大した価値があったとは思えない。これまでこの世界に産み落とされてきた多くの人類と同じように、産まれ、生き、死に、ただ滅びゆく文化と歴史の中で消えていくだけなんだよ」

「オルトリンデ号。君の夢は何?」

「……私の夢。ねぇ」

「私は楽園に辿り着く。それは私の存在意義そのものと呼んで良い程の夢の形であり、同時に呪いだ。
 君は何処に向かい、何を叶えたかったんだい?」

「私の能力は知ってるでしょ。それが全て。
 最初はね。ただ空を飛びたかったんだ。だってそれがこの世で一番の自由だって思うじゃん。子供なんてさ。
 でもね、この世界の空は意外と狭かった。寧ろ、世界を俯瞰できるようになればなるほど、私はこの世界の恐ろしさを痛感するようになっちゃったかな。まぁ、私は自分からボイジャー実験に応募した立候補生だったからさ、兵士としての運命を科されてそういう残酷な現実を目の当たりにするのも言って見れば仕方ないとは諦めてたんだ」

「……」

「ボイジャーになって叶えた大空に旅立てる夢。それは結局、私に空という戦場を与えただけだった。
 実際、才能もあったしね。…『擲火戦略』。あれ実は私が提案して実用化された軍略なんだ。私は高所から絶大な火力を大地に向けて投下させる神や天使みたいな自分に無理やり酔って、結果として身震いするような数の悪魔の僕を葬ってきた」

「楽しかったなら、良いじゃないか」

「ははっ。そうだね。そうなのかもしれない。私も結局、自分の齎した破壊と殺戮を悲劇的に語るエゴイストに過ぎないんだ。こんな子供でもそれが自覚できてしまうくらい、今の世界は分かり易く出来てる。この廃都市だって、貴方を待つ間にむしゃくしゃして滅ぼしちゃったもんだしね。子供の駄々に付き合わせてゴメンね」

「いいや。こちらこそ済まないね。数少ない旅の道連れに皮肉を言えるだけ私は偉いわけじゃなかった。思い上がりを詫びるよ」

「うん。私とこんなところでいつまでも喋っていても仕方ないよ。貴方は自分の行くべき所に行きな」

「ああ。そうするよ。会えて良かった、ボイジャー:オルトリンデ号。私の行き着く楽園には、きっとただ自由を保障するだけの青空が拡がっているはずだよ」

「いいね。それって、もしかしたら最高なのかもしれない」


―――
―――
―――

 果て亡き旅の末。

 とうとう長い道程の果てを肌で感じ取ったマーリンは、いつの間にか己の全身を包んでいた死装束をまじまじと見つめる。

 雨が降った後のような奇妙な香りが漂う森林。数千年前まで歩いていた廃都市を過ぎて久しく、自然が垣間見える仄々とした草原から、今度は鬱蒼と茂った自然の中に在る。

 この旅の終着点など、実の所は当の昔に見当がついていた。

 澐仙が仕掛けた穢れた参道への葬送。それは、今は無きボイジャーたちの墓標を辿る巡礼の旅だった。

 拳を突き上げたような妙な形状の山岳が視界の端々に聳えるようになってから、草木の茂る自然の中にどこか見覚えのある歪な道が姿を現した。

 そこから間もなく、マーリンは遥か昔に旅立った眩い白い光に包まれた丐甜神社の石畳を目に留めた。
 輝くような朱色の鳥居を過ぎ、大門に差し掛かった彼はあるものに視線を向ける。

 狛犬が座すような石台の上にしかめっ面で乗っかっている一人の女。
 赤黒いドレスのような瘴気を纏ったその様は、間違いない禍禍しさを感じさせつつも、それと同じくらいの寂しさのようなものを漂わせていた。

「遅かったね。この石の上に根っこが生えるところだった」

「なんと呼べば?」

「ボイジャー:プリマヴェッラ号で。この姿は私が自殺する直前の見た目で再現されてる。なんでアンタがそれを解像できるのかは知らないけどね。……この五体はボイジャーという穢れを背負った姿。だから、純粋に生きていた叢雨小春の名や、悪魔の側にたって人類を呪った反英雄の名で呼ばれるのは違うと思う」

「なるほど。道理で思ってたより若い訳だ……ま、そんなことは割とどうでも良いです。叢雨禍神はまだこの神社に居ますか?」

「いいや。もう居ないよ。私の神は死んだ。アンタが殺したんじゃないか」

「んん。そう言われてしまうと反論も何もないですね。…しかし、この世界は彼女の遺した冠域のはず。冠域が成立し続けているのなら、彼女の意識体はどれほど小さな単位であっても存在自体はしていると思うのですけども。その点について何か知ってますか?」

「ハァ……。違うでしょ。ここは"叢雨禍神"を崇めるための場所。"叢雨禍神"の固有冠域だよ。今、その神の立場にあるのは仙ちゃんじゃない。アーカマクナ:モデル・マーリン、アンタだよ。固有の冠域なんだから、それを成立させるファクターはこの世界に同時に複数存在するわけないでしょ」

「ほぉ。じゃあ、ここは私の神社ということですね」

「そう。だから仙ちゃんは居ない。私からしたら寂しいことだよ」

「今思えば、貴方には悪いことをしてしまったのかもしれませんね。プリマヴェッラ。
 空気を読めていないとはわかっていたんですが、あそこで割って入らなければ私は叢雨禍神を斃すことは出来なかった」

「そうだね。それを含めてアンタは強いってことなんじゃないの?」

「そんなものでしょうかね」

「そんなもんだよ」

 プリマヴェッラ号はむすっとした表情を崩さなかった。

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「何?」

「いやぁ、私に用は無いのかな、と思いまして」

「何でさ。別にアンタに用なんてないよ」

「でも、さっき言ってたじゃないですか。遅かったねって。私を待っていたわけではないのですか?」

「ぁあ。そういうことね。
 アンタが途方もない時間をかけて辿ってきた巡礼の路は、アンタ自身が所有権を持った丐甜神社に回帰するまでは終わらない。なぞるべき墓標は私で最期。アンタはさっさと私のこの形だけの魂と何ともない会話をしてこの冠域を出れば良い。
 そしたらあとは簡単。残ってる厄介者はクラウンと岩窟嬢だけ。サクッと殺して人類史を幕引きしちゃってよ」

「ほう。そういえば、貴方が抱いている夢は人類の鏖でしたっけ?」

「さぁね。今更アンタに言ったって仕方がないことでしょ」

「それはそうですが……。前任の叢雨禍神とは仲が良かったんですよね」

「親友だったよ。…殺したいくらいの親愛と、殺されたいくらいの信頼があった」

「ハァ……。まぁ、いいや。どうにも貴方はこれまでの方々とは違い、どうにも私に抵抗感が強いようだ」

「当たり前でしょ。馬鹿機械」

「では、私はこの辺で失礼しますよ。せっかく終えた長い旅路の最期に憎まれ口を聞き続けるのは楽しくない」

「あっそ。さっさと行ってきなよ。私だってアンタなんかと長々と喋ってなくないよ」

 反英雄の目が揺れる。分裂した瞳が複雑な重瞳を生み出し、瞳の奥で蠢く闇が丐甜神社の地を這うように蔓延していく。

 元から存在していた大門が徐々に堅牢で無骨な錆色の扉と変化していく。


「これは……十四系の扉」

「私が鍵だ。……その扉を開けたら、私はちゃんと死んで二度と出てこないから。あとは好きにしなよ」

「これはこれはご丁寧に。では、いざいざ最後の圏域へと飛び込みましょうかね」

「クラウンを殺せ。人外特異点。それで一旦は全てが片付く」

「まだ口を利く気ですか。変な気を張らずに仲良くすれば良かったものを」

「私に夢を語る資格も……アンタと仲良くする必要もないんだよ。
 私もアンタも結局は単なる事象に過ぎない。具現化された夢の果てなんて、結局はみすぼらしいもんさ」

「私の行き着く世界は、必ず私にとって都合が良く、何者にも揺るがすことのできない唯一無二の楽園ですよ」

「なんだそれ。……最悪だよ。そんな世界」



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