夢の骨

戸禮

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6章 穢れた参道

84 三千世界

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〇第五圏_煉獄山の山腹


 崩落する山礫。巨大な大山の山腹にて、衝撃により放射状に抉れた山肌が一つ。
 中心点となる震源地には、少し遠のく意識の中でなおも闘気に燃えた反英雄の精悍な貌が浮かんでいた。
 全身を山にめり込ませた反英雄が鬼気迫る表情で力めば、埋め込まれた手足の先から山肌を引き裂く亀裂が奔った。

 澐仙の数ある固有冠域の一つ。
 "極点きょくてん飄風掻ひょうふうのかく"。非常に猛烈な台風の生み出す風力に匹敵する秒速50メートルの突風を自在に空間内に発生させる冠域効果に加え、恣意的に操作し、暴れ狂う風の流れを一極集中させて風の弾丸を放出することによる一撃は反英雄の一切の抵抗を許さなかった。反英雄はその身を山に激突させた末、五体を山肌に埋め込んでしまう不覚を取った。


「固有冠域展開:極点・熱砂急ねっさのきゅう

 煉獄の山を侵食するようにして新たな冠域が張り直される。急激に変容した空間により周辺一帯の深度が不安定になり、山の麓に屯していた人間たちは急性の精神汚染によって次々と命を落としていく。荒れた山肌が不自然に形成された砂漠に呑まれて行き、砂漠と隣接する空間の木々がたちまちに発火を始めた。
 反英雄の元にも熱波が到達する。そのあまりの熱により反英雄の指先は自然と火に包まれ、数秒と減るごとに脚や貌が次々に発火していった。

「チッ」

 反英雄は飛翔してその場から退避する。翅を持たない彼女は自身の持つ霊的なエネルギーを独自の回路により発火させ、力強い推進力と揚力を手に入れてジェット機並みの巡航速度を獲得していた。しかし、空には逃げ道を塞ぐように大量の白雷が飛び交っている。反英雄は自身の発動できる紫電を以て雷撃同士の消滅により軌道をずらして航路を確保しているが、それでは根本的な解決にならなかった。
 元より反英雄の扱う紫電は澐仙の使用する雷の模倣である。叢雨小春は自殺後、膨れ上がった悪霊としての霊的なエネルギーを疑似的な雷として転換し、それを指向性を有しながら放出する技術を獲得した。だが、澐仙の仕様する雷は彼女の持つ"天乞い"の能力により再現された自然現象の一部であり、そこに一切のエネルギーの転換や消費が発生していない。これは物量合戦となった対決状態では両者の優位性を如実に決定付けるだけの実力差の顕れであり、一切のデメリットが存在しない澐仙の雷撃は反英雄のそれとは一線を画した上位互換の性能を有していた。

「流石に強いな、仙ちゃんは」


「固有冠域展開:極点・驟雨戴しゅううのたい

 雨滴が反英雄を撃つ。史上最大の瞬間雨量を飛び越えてしまうような異常な驟雨が反英雄を空から地表まで叩き堕とした。重力に取って代わる程の水圧によって身動きが一挙に制限され、分厚い雨雲の生成を受けてさらに発生源の増えた落雷によって反英雄の落下地点には絶え間ない雷撃の猛襲が繰り出された。

「究極冠域展開:極点・三千世界等活さんぜんせかいとうかつ

 再度吹き荒れる暴風。雨、風、雷が周囲に破壊の限りを尽くした。煉獄の山は風力によって砕け散り、雷によって光と音が生命を精神を躊躇なく破壊する。雨によって土壌は崩落し、荒れた山肌にて蓄えられた雨滴が大規模な土砂崩れと大洪水を引き起こす。
 山の麓に居た人間たちは災害の極致たるその冠域内にて無力に死絶えていった。人間が死ねば死ぬほどに観懲三臣顕現の効果によって反英雄の能力は向上するが、澐仙は対戦相手の強化のリスクと自身の持つポテンシャルの解放を天秤に掛けた時、後者を選択した。思い切りのよい性分の神のこと、冠域そのものを自身の冠域に置き換えることが出来る圧倒的な実力を担保として、第五圏の崩壊すらも厭わない大胆不敵な大技の連発に踏み切ってみせたのだ。

 無敵と称される反英雄が恐れた神の力。
 大陸軍の日本への針路を阻み、ユーラシア大陸の一部地域を再興不能にまで破壊し尽くした世界最強の力は、共に戦場に立った反英雄こと叢雨小春が誰よりも知悉している。

 コプラサーによる無法な対戦者の無力化。
 隙を見せない濃密な精神汚染による空間掌握。
 発動を自由とする白雷の遠中近距離の迫撃。
 
 一個空間が己を最強と定義付ける固有冠域を文字通り桁違いの数所有することにより、澐仙が獲得した最強の概念の乗算とも言える無法の実力。
 多くの者が認識している"澐仙こそが世界最強"であるという感覚。今回の夢想世界の大立ち回りでそれが改めて証明された。彼女を崇め奉る宗教が誕生し、それを全面的に否定するものが顕れない程、"澐仙"という存在は概念レベルで神の域に在るのだ。
 
 反英雄:叢雨小春もまた列記とした世界最強格の一人。だが、反英雄と澐仙では共に究極反転を可能とする存在でありながら、平時から埋めがたい程の実力の隔たりが存在していた。

―――
―――
―――

「冠域延長:蒐集謄本ナイツ・ブック
 
 崩落する空間の狭間にて、怨霊の手に握られたレイピアの切先が赫赫とした光を帯びる。

「冠域固定:攫え、雷剣。生者も死人も焼き尽せ」

 より深みを帯びた紫電が切先から放たれる。急激な空間への負荷により周囲一帯の澐仙の冠域が焼け爛れ、光速で吹き荒ぶ雷の霰が澐仙に浴びせ掛かった。これまでのノーモーションの雷撃とは異なり、刃を通過してエネルギーを増幅させた"雷剣"は、命中と同時に斬撃に似た効果を攻撃対象へ付与するものだった。

「……昔は使わなかった技だな。小春」

「使えなかったんだよ。悪霊になってなお、己の在処を探し求めた末の絶技さ。…ま、仙ちゃんにはこんな攻撃効かないことはわかってんだけどね」

「降伏しろ。小春。わかっているだろう。お前じゃ私に敵わない」

「ァあ~~。ほんと、仙ちゃんは馬鹿みたいに優しいんだ。でも、それは単なる甘さに過ぎないんだよ」

 赤黒い靄が反英雄を包む。靄が暗雲のように内部で細かい紫電を発生させ、彼女の周囲に高濃度の霊的エネルギーの層を創り出した。

「全ては昏山羊という人類の病が生み出した悲劇と喜劇。大陸軍は己の役割を全うし、人類を窮地に追い込んだ結果、歴史的な大被害の中で幾人もの英雄を輩出した。大討伐を屠り去った私は勿論、新生テンプル騎士団の猛者たちの覚醒のきっかけを作った。それだけじゃない、次に大陸軍に匹敵する脅威が出現した時に備え、各国は画期的な兵器開発に獅子奮迅の様相で取り組み、TD2PもまたV計画を一挙に前進させるきっかけとした。
 大陸軍に圧倒的な"力"に憑りつかれ、海賊王のように奴を真似た能力者が続出した。物量、兵力、使役……数え上げればキリがない程に、TD2Pは大陸軍もどきの対処に苦慮させられる日々が続いた。元々が凡夫であり、烏合の衆であるそれら偽物は、どうしたって本物だけが到達できる境地には至れなかったけどね」

 層を成した靄が操られるようにして鎧の外郭を成していく。艶やかな手が指先から徐々に籠手に覆われていく。

「でも、仙ちゃんは違うよね。……君は最初から選ばれた者だった。
 世界の真理を理解し、昏山羊に祝福された真なる王者。誰一人として横に並ぶことは許さない絶対的な力を持ちながら、仙ちゃんはどこまでも人類に優しく、甘かった。仮に君が全力で人類を亡ぼそうとしたならば、それを阻める存在なんてどこにもいない。世界中のボイジャー、悪魔の僕を総動員したところで、仙ちゃんは歯牙にもかけずに鏖殺してのけるだけの実力を
 私の与えた名家の影響力を礎として叢雨の会を支配し、日本に留まらず世界中の人々の信仰の対象として支配した。だが、名声に対して具体的な行動は比例せず、やっていたことは叢雨の会の運営と、御殿に引き込まった隠居生活だけ。……人類を窮地に立たせる役目を与えられた悪魔の主君には、あるまじき振舞だ。ボイジャーとして見た時の仙ちゃんは、世界を脅かす魔王ではなく、友達に成り得る優しい一人の女性でしかなかったんだ」

 反英雄の貌が徐々に鎧に覆われ見えなくなっていく。

「私にはそれが役割に対する怠慢には見えなかった。……結局、仙ちゃんは際限がない程、人類に甘く優しい……ただの人間だったんだよ」

「小春よ。……私に友情を教えてくれたお前を…これ以上、傷つけたくはない」

「それが甘いっつってんだよ」

 澐仙の身体が爆発するように動いた。
 赤黒い靄を突っ切った彼女の全身は黒騎士の無敵甲冑に包まれ、世に名を馳せた反英雄の本来の姿を採る。

 手にしたレイピアを澐仙の首筋にまっすぐと突き立て、強力な推進力の突進から力強く刃を押し込む。
 だが、澐仙は構えることもせずに悠然とただ攻撃を受け止めるに留まった。
 震える程に力んだ反英雄の腕が、全身の鎧に伝わり、擦れ合う鎧が音を鳴らすほどだった。

「仙ちゃんは最初から最強だった。だから、大討伐軍に加わってニーズランドに攻め込む時、決して自分が"挑む"という気持ちではなかったよね。第一圏で静観していたのは、海賊王なんてその気になればいつでも殺すことができたから。第二圏ではその気になって、簡単に怪獣王を殺してみせた。仙ちゃんにとっては、ニーズランドの戦力はたとえ鯵ヶ沢露樹であっても、敵と見做すまでもない烏合の衆だったんだ。
 ……でもね、私たちは……私は違うんだよ。
 澐仙が。叢雨禍神がどれほど強く、優しいかを知ってる。
 だから、こっちは遠慮なく対策するよ。煉獄の山で常に人類を観懲三臣への贄として与え続け、ボイジャーの魂を蒐集して生み出した三体の黒騎士と共に仙ちゃんを迎え撃つ。……悪いけど、付き合ってもらうよ。
 私は心から人類を憎み、滅ぼしてしまいたい。
 仙ちゃんはそんな私を止めたいと言う。
 なら、ぶつかるしかないッ‼‼‼」

 紫電が澐仙に降り注ぐ。反英雄の鎧が黒い炎に包まれて燃え上がり、上昇し続ける瘴気と霊気がレイピアの細い刀身を虹色に染め上げた。

「私はこう言ったはずだぞ。……お前を傷つけたくない、と」

 反英雄の振り被った拳が澐仙にぶつかる。意志の強さ故か、観懲三臣により増幅した身体機能故か、反英雄の拳は澐仙の身体を大きく吹き飛ばしてみせた。

「お前をここで殺すッ‼‼叢雨禍神ィ‼‼‼‼」

 極点・三千世界等活により既に半壊状態にある第五圏。
 岩窟嬢の魔法のホールより絶えず投入される人類は、澐仙の環境破壊攻撃の余波でその悉くが命を落とした。
 強化された観懲三臣により、命の損失により反英雄に与えられるギフト。本来、観懲三臣の副次的な効果であるはずの能力向上機能の効果量は、明確に澐仙と反英雄の実力差を埋めつつあった。

 そして、観懲三臣の本来の機能である恨戌、憎猴、寂翟の顕現と使役はなおも機能している。
 
 黒騎士の一体。憎猴が澐仙の元に飛び掛かる。獣のようにダイナミックに宙に身を預けた憎猴は、瞬く間に童話に語られるような巨人の姿にまで増長し、澐仙の全身を呑み込むような巨大な拳が暴力的に叩きつけられる。

(……巨人。ボイジャーの魂を元にこれらの黒騎士を作ったのなら、こいつはまさか)

 澐仙の直感は憎猴の素体を成す魂の正体を見抜いた。

「スルトか」


 ボイジャー:スルト。
 V計画にて生み出されたボイジャーのうち、実戦投入された最初の機体。
 "初号機"と呼称される、人類にとっての希望にして対悪魔の僕の先方たる高名なボイジャーだった。
 
 彼はボイジャーにして固有冠域を所有しない最初で最後の存在だった。そのため、攻撃面の能力を支えるのは夢想解像による身体の巨大化であり、他に一切の余念なく巨人化と肉体の制御にのみ特化したそのストイックさから得られる力は、決して悪魔の僕の強力な冠域に引けを取るものではなかったという。
 何より彼の秀でた点は、初期のボイジャー運用構想に強く表われていた"風除け"としての性能がずば抜けて優れていたことだった。彼は深度不問の夢想空間の無限潜航が可能であり、ボイジャーにして長期間の調査任務やスパイ活動が可能だった。また、悪魔の僕や別解犯罪者の持つ固有冠域による精神的不可を受けない風除けとしての優秀さから、初期のV計画を力強く支えた機体として名実共に優れた戦士であったことは間違いない。

 巨人の力と風除けの性能は別個の能力ではなく、共に性能を引き出し合うシナジー効果に優れた力だった。
 澐仙は巨人の姿を目に留めた瞬間に強力な精神汚染によってスルトに空間不可を仕掛けたが、そのあまりの巨体と堅牢な風除けとしての精神汚染耐性によって効果はほぼ発揮されなかった。巨大な拳を打ち付けられた際にも、やはり風除けとしての対固有冠域性能の高さから、一部のコプラサーの効果を無視して澐仙にダメージを与えることに成功していた。

「何度でも言うよ。……澐仙。
 私はお前をここで殺す」

 






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