夢の骨

戸禮

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6章 穢れた参道

82 拓いた者ら

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◯ニーズランド_第五圏


「私が最も許せない存在。仙ちゃんにはわかるかな?」


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 ニーズランド第五圏。
 六つに分割された広大な夢想世界区域の中で、大討伐軍勢力の進攻対象は残す所第五圏と第六圏となった。
 最終圏域に待つは史上最高の危険度レーティングを誇る人造悪魔の鯵ヶ沢露樹、通称”巌窟嬢”。
 オーバーカテゴリーに設定された脅威の程は人類にとっての最大級であり、地球上の人類を一様にニーズランドに強制送致した此度の昏睡魔法の効果を見れば、その実力は折り紙つきだった。

 第六圏にてニーズランドを支配するクラウンと併せて巌窟嬢を打倒することこそが大討伐軍、ひいては全人類にとっての至上命題であった。
 しかし、ニーズランド陣営における最強の刺客にして、大討伐軍の最大の障壁たる”戴冠”反英雄が空席だった第五圏の王として君臨した。

 過去に幾度の大討伐軍を退けた強豪中の強豪にして、その正体はかつて世界を大陸軍の悪魔から救い出した全人類にとっての英雄、ボイジャー:プリマヴェッラ号の怨霊。
 自らの運命に対する嘆きと人類に対する叛意の結晶と化した叢雨小春の霊体は、これまで世間の目から素性を隠してきた重厚な鎧の殻を脱ぎ捨てた。怨霊の持つ精神汚染の力は、屈強なボイジャーであるスカンダのボイジャーとしての非業な運命による鬱憤に対しての共振を呼び起こし、反英雄は葛原梨沙の夢想世界上の肉体に憑依した。
 よって生まれた新たなる脅威。受肉を経て新生したとも言える反英雄の貌は、以前までの梨沙の面影の残しつつも、拭れない憤怒と悲哀の感情が刻まれているようだった。

 第五圏。そこは白銀の台地。
 有限の虚無が拡がる欠番の支配圏。


「私を知らなかった人間。だよ」

 虚無の世界の無窮の天に風穴が穿たれる。
 拡張されるホールからは、虹色の煙に塗れた人類が降り注ぐ。その悲壮の表情、絶叫の様たるや、まさに阿鼻叫喚の風体だった。

「私は途方もない犠牲の末に人類を救った。
 私の五体には凡夫たちの賞賛と英雄の呼び声が浴びせかけられ、一部の者は私を陰謀により仕立て上げられた悪魔の象徴と揶揄した。
 だが、どれほどの賛辞や罵詈雑言よりも上回る圧倒的な呪いがこの世界には蔓延っていた。
 それは”無関心”という名の病気だよ。陸を覆う大陸軍という津波から我が身が何によって守られたのか……無力故に耳を塞ぎ、時代から目を背け、舞台袖で身を丸めているだけの…観衆にすらならなかった命の掃き溜め共。
 私を突き刺す不当な扱いや報復にはどれほど心を傷つけられたかはわからないが、それと同じかそれ以上に、私のことを認知しない無為に生きているだけの人間には絶望させられた」


「助けを求める行為を捨てたのは貴方自身です。
 受け入れられない、認められない。耐え難い苦痛があったことは察します。ですが、何にも頼らずに一人で突き進んだのは他ならぬ貴方が自ら選んだ道です」

「自己責任論は極論なんだよ、仙ちゃん。
 責任の所在を明確にしたところで、人間の感情は変わらない。むしろ、正論によって感化される悪意の方が多い……。人間は環境により絶えず影響を受け続ける。どれほどの鈍感を気取っていても魂に共振し続ける悪性は因果により肥大し、堪えがたい宿痾となって運命を歪めていくんだ。
 私はのべつ幕無しに英雄を演じ続けることができなかった。反英雄として堕ちたこの魂こそがあるべき己の姿であるという矜持を胸に、私は……


 赤く無骨なドレスが、彼女の裡より湧き上がる闘気の威風により翻る。禍禍しい黒い霧が内部で小規模の炸裂と発光を繰り返しながら、彼女の背面を起点として空間を新たな固有冠域に塗り替えていく。

蒐集謄本ナイツ・ブック。死後に残った私の残滓は、批判により醸成され、無関心により腐敗した。今一度、私は世界の全てを否定する。だって、ここは私の為だけの……私が最強であるためだけの世界なんだから」

 反英雄の剣が握られる。反英雄としてこれまで振るってきた巨大な大剣でなく、意匠の凝った装飾に彩られた絢爛華美なレイピアに換わっている。その刃はまるで鋭き鋼の踊り手。優雅さすら感じさせる直線が美を奏で、光を纏いながら風と歌っているようであった。
 彼女は右手に収めたレイピアの切先を高らかに掲げ、空を掻くようにして世界貼付の儀式を開始した。



「究極冠域、反転。平衡因果と接続。冠域固定:相対する煉獄プルがトリオ


 冠域の成立に伴い、元々存在していた白銀の台地が消滅する。
 瞬く間に周囲の環境は一変し、冠域の中央に天まで達するような巨大な一つの山のようなものが生成された。空に穿たれた鯵ヶ沢露樹の魔法によるホールはその山を避けるように冠域の端々に散らばり、未だなお大量の人間を第五圏へと強制送致している。
 第一圏は澐仙による氷獄の能力によって実質に封印され、第二圏も同じく澐仙の精神汚染能力の超過使用によって統治権が"怪獣王"漆原貴紳の手から離れ、圏域としての効能を削除されている。そして、次なる第三圏は覚醒したアーカマクナ:モデルマーリンの力によって圏域そのものが消滅してしまった。鯵ヶ沢露樹の魔法は圏域としての機能が残っているニーズランドの統治権に対して自動的に送致の宛先が決定されるため、現在進行形で蠅の王との交戦が行われている第四圏とこの第五圏、残る第六圏には必然的に人類が三割強ずつ絶えず送り込まれている状況にあった。
 仮に現実世界で肉体的な死を迎えた人間であっても、既に因果律が著しくかき乱された夢想世界の影響を受けた魂は霊的なエネルギーの触発を受けて、死後も夢想世界に魂が幽閉されてしまう。ニーズランドで感じた恐怖や苦しみが鮮明であればあるほど死後の夢想世界の肉体はより如実な形で元の姿を維持しようと自動的に補正が掛かってしまう。そのため、ニーズランドで死んだ人間の魂は消滅後に再度魔法のホールを通じてランダムに圏域内に排出され、円環を成すように再生成と死を繰り返している。
 しかし、鯵ヶ沢露樹はニーズランドに対する抵抗力や闘争力を有した存在をこのループの適用外とし、大討伐軍が圏域の王らによって殺害された場合、夢想世界上の肉体を再生成の対象としていない。代わりに行くあてのない魂が無窮の苦しみを抱えたままニーズランドの深層へと沈み続け、終わりのない魂の幽閉を強制してしまっていた。


「本来、大陸軍の出現によって人類はあの時代に滅んでいたはずだった。
 私たちは"英雄"或いは"神"を騙り、人類の未来を拓いてきた。
 拓いた者の正当な権利、いや、義務として、今度はこの手で人類の道を閉ざす」

 反英雄。叢雨小春の眼に赫赫とした光と炎が宿る。
 山の頂点から凄まじい衝撃とエネルギーが放出され、数拍置いて放たれた紫色の雷が、山の麓に屯する人類へと襲い掛かる。

「希望はあるよ。山頂の座標を改変して、現実世界の日本アルプスのどっかと接続した。現実世界がどんな有様かは知ったこっちゃないけど、亡霊ならば多少は娑婆を拝めるだろう」

 反英雄はレイピアを振る。指揮棒に操られた旋律のように、山の頂上からは一斉にある一点の人溜まりに向けて雷が放出され、一撃で大量の人間たちが跡形もなく滅殺させられてしまった。

「ま、出れたらの話だけどね。宣言通り、私は人類を亡ぼす。無限の死と恐怖によって須らく人類を亡霊に変えた後、私の贖罪の炎によって焼き尽してやろう」


―――
―――
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「もう、いい。小春」

 澐仙が動く。鉛色の露出の多い肌が真鍮色に染まっていく。五メートル近い巨躯は約百七十センチメートル程の一般人サイズに収縮し、色の染まった肌がひび割れるようにして人間然とした風貌へと徐々に変化を果たしていく。
 鬼気迫る威風を纏っていた荘厳さはそのままに鶯色の髪色と色白の肌を持った四十代程の人間の女性へと変貌した。また、全身は漆黒の地に金の刺繍が施された大きな五条袈裟を纏っている。どこか神主や禰宜の姿を思わせるその出で立ちは、自らを神を名乗る彼女の在り方とはどこか反しているように思われた。

「私がお前を止める」

 澐仙の全身から立ち上る威風堂々たる風格。彼女の背の辺りに生じた叢雲から白雷が蛇のように戸愚呂を巻き、数度の循環を経てエネルギーを増大させた雷撃が第五圏の山に向けて差し向けられた。その威力たるやまさに世界を穿つ号砲の勢い。冷厳高く聳える山を一撃で玉砕して見せたその雷は既に山肌に蔓延る幾数千万の紫色の雷を蹴散らしながら、再度山に向けて突き立てられた。

 崩落する瓦礫の中に消えて行く反英雄の姿、その表情がどこか愉悦を滲ませるように微笑んでいるようだった。

 
「止めてみな」

 反英雄の姿が澐仙の眼前に飛び込む。ふわりと舞うようなドレスの靡き方に対し、レイピアを斬りこむその勢いの激しさからはやはり彼女がこれまで人類に対する脅威として名を挙げてきた所以が感じられた。
 斬撃に対して、澐仙は姿勢の一切を変えることなく攻撃を防いだ。その方法は自身の周囲に雷の柵を生み出して剣による攻撃の接触自体をシャットアウトしたことの他、彼女の持つとある特性が由来していた。

「コプラサー……。相変わらず厄介な」

 澐仙の持つ唯一無二の特性。それはコプラサーと呼ばれる彼女の外周八方の空間に敷き詰められた僕小規模の"固有冠域"の壁だった。澐仙と対峙するほぼ全ての対戦者は、殆どの場合の彼女の得意とする遠距離攻撃のあまりの苛烈さに即死を免れないが、極稀に近接戦闘に持ち込むまでに至る対戦者は、このコプラサーに苦しめられることになる。
 澐仙は体表から自身の身体一つ分程の距離に効果の異なる複数の固有冠域を常時並行展開させている。この固有冠域一つ一つに一般的な悪魔の僕一体分ほどの深度を持った特殊空間・能力が付与されているため、彼女に向けられた近接攻撃は須らくこの数多の障害による申し分ない威力減衰を被ることになる。
 コプラサーの影響は多岐に渡り、攻撃部位によっては攻撃者はコプラサーによる威力減衰の効果を知覚することが出来ない。また、固有冠域の同時成立による空間干渉がコプラサーには存在しないため、対戦者が独自の固有冠域を展開している際には、澐仙が複数の冠域を常時展開していることを自発的に知覚することは不可能だった。
 
 さらに、澐仙の近距離戦闘を力強く後押しするのは彼女の持つ世界最高水準の精神汚染能力だった。不可視の威圧に始まる精神汚染には複数の形態や種類があるが、澐仙はほぼ全てのタイプの精神攻撃をノーモーションから発動することが可能であり、その効果の程は第二圏の統治者であった"怪獣王"漆原貴紳との闘いで物語っている。寧ろ、闘いと呼ぶことすら烏滸がましいまでの一方的な精神侵略は、夢想世界上であれば余程の高い精神性を持たない限り対抗する事自体が不可能であり、一度綻んだ精神は弱みに付け込まれるように膨大な量の焦燥感・絶望感・閉塞感などに支配されてしまう。
 もはや澐仙は存在そのものが歩く精神破壊装置と呼んで差し支えないレベルであり、彼女がその気になれば大討伐軍の全員を数十分で精神破壊して殺害することも可能である。物質的な破壊を伴わない精神侵略はもはや攻撃手段として神業と呼べる領域に達しており、澐仙との戦闘には基本的に常に絶望的な量の精神攻撃が一方的に押し付けられている状態から始めなければならないという恐ろしい条件が付帯していた。

 そんな彼女の精神汚染を受けて、反英雄の身体が硬直する。
 
「へぇ……ッ……‼」

 反英雄はジェット機のような速度で大きく後退する。

「私にこのレベルの精神汚染を吹っ掛けてきたの、初めてだね。……成程、このレベルか」

 反英雄は葛原梨沙の貌で歪に笑んだ。
 そんな彼女の元に、澐仙の姿が飛び込んで来る。

「真剣勝負をするつもり、ありますか?」
 下駄を履いた澐仙が反英雄に蹴り込む。
 それを莫大な量の雷撃で受け止めた反英雄はレイピアを片手に踊るように詰め寄った。

「勝負?……私を止めたいんでしょ。ならそっちが勝手に真剣になってればいいじゃん」

「…………」

「まぁ、私は私で手を抜くつもりはないけどね……ッ‼」

 反英雄は再度レイピアで空を掻く。


「固有冠域展開:観懲三臣顕現。
 冠域延長:恨戌コンイ憎猴ゾウコウ寂翟ジャクテキ








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