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5章 赫奕の迷子
79 火葬にて王を餫る
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〇第四圏
蠅の王は自身の背を撫でるような死の予感に不覚にも心が躍った。
己の血肉を分けて生み出した可愛い我が身の分身たる蠅の群れが、空を焦がす灼熱の波に攫われて待機に朱色の絵具を塗るようにして次から次へと燃え堕ちていく。視界に広がっていく死して散り行く蠅の残骸が舞い散る火花と共に膨れた空気に押し流され、それそのものが巨大な炎の壁のようにして強風と共に辺りに吹き荒れた。
「これはこれは……流石は"人類最高火力"と評されただけのことはある。これがバゼット・エヴァーコールの"寵愛の夢"。佐呑じゃあ拝めなかったが、こりゃあ馬鹿げた火達磨様だな」
「冠域延長:この手に収まらぬ程の祝福を」
ユーデンの前に現れた長身の男はその詠唱を経て全身を銀朱色の炎で包み込む。燃え盛る炎が鎧のように体にフィットし、彼が少し腕を振るだけで熱せられた空気が銀朱色の風となって空を統べていた蠅の嵐を焼き堕としていく。
「新生テンプル騎士団の死に損ない共が"生と死の逆転"の機構に勘づいたか、それとも案外近くで聞いていやがったか。…いずれにしろ、もっとも効果的なカードを選ぶだけの脳味噌は残ってたみたいだな。厄介な奴が再臨したもんだ」
「………………」
鐘笑の雷を受けてなお毅然としていたユーデンの余裕が明らかに失せた。蠅の王たる彼にとって灼熱の炎を無尽蔵の如く放出するバゼット・エヴァーコールとの相性不利は明瞭であり、彼の存在そんものが蠅の群れに対して与える影響の大きさを考慮した際、ユーデンの採る戦法は自然と決定した。
自身の夢の成れ果てである巨大な捕食怪物にエネルギーを送り、意思に呼応する傀儡として再起動を命じる。怪物が地に伏した状態から芋虫のような状態を起こすと、町を一つも二つも覆い尽くしてしまうような巨大な影に辺りが呑まれていく。マーリンが生み出した黒い太陽も怪物の咆哮によって消滅し、第四圏で殺戮の限りを尽くした怪物が再び戦闘態勢を整えた。
巨大な怪物が左右非対称の何本な腕を動員してバゼット・エヴァ―コールに襲い掛かる。その隙にユーデンは彼の熱から逃れるために怪物の背後に回ろうと移動を試みた。
「……一度は冥府に堕ちたこの身。反英雄の放った蠅を払うが如き一閃にて我が精神は夢の世界で限界を迎え、魂は無の世界へと迎え入れられた。死を恥ずべき結果だとは思わないが、こうして為されるがままに他者の願いによって再び夢の世界に降り立つことにはどこか惨めさを感じてならない」
銀朱色の炎の騎士の手に、これまた同じ色の炎で生み出された剣が握られる。
「剣を握るのは本当に久しい感覚だな。……反英雄相手には通じぬとわかっていた故、覚えがあるが使わずに死んだ技がある」
怪物に向けて騎士は一歩、また一歩と足を踏み出す。彼が動くたびに周囲の空気は揺らぎ、逆巻く炎の渦に彼方此方に生み出された。超高層ビルが丸ごと振ってくるような怪物の腕の襲来に対し、その莫大な間合いともとれる宙に身を投げたバゼット・エヴァーコールは、自らを覆う銀朱の炎を刃の腹に凝縮させ、宇宙を切り取ったような異質なエネルギーを鍛造した。
「禁断の惑星:人は足ることを知るべきだ」
背を向けて退避していたユーデンは己の思い違いをそこで知ることになった。怪物を自らの矛として用いてバゼット・エヴァーコールの対処をさせようと考えていた彼であったが、その実、天を覆うような巨躯は肉壁としての役割すらも全うできなかった。
剣の横薙ぎ。言ってしまえばそれだけのバゼット・エヴァーコールの一撃が怪物の巨躯を両断した。剣は怪物に触れることなく刃から放出した熱だけで分厚い肉の壁を焼き切ってみせた。禁断の惑星の体現者はこの夢想世界の歴史上においても本当に限られたごく少数しか存在しないが、元は新生テンプル騎士団の団員として名を売っていた彼のこと、寧ろ彼が体現者でないことの方が不自然であった。
「隙の多い威力だけの大技。こんなものが反英雄相手に使えるはずもないが、身の丈だけを売りにした木偶を相手にするには都合が良い。かねてより空は我ら擲火戦略小隊の支配下。我が物顔で蠅や木偶が蔓延るようでは気分が悪い」
「人の事を言えた義理じゃないが、一度死んだ癖に図々しい奴だな。空から一方的に火を巻くだけのサディストが、俺の世界でデカい貌してんじゃねェよ。オルトリンデがいなきゃただの脳筋火達磨だろうがよ」
「……よもや、行き返ってまでお前と戦うことになるとは思わなかったぞ、グラトン号。どうせこの魂が再び現実世界に回帰することはないのだろう。ならば、せめて旧き所属の者らの願いに応え、貴様を討ち亡ぼそうぞ」
ユーデンの双眸が再び赤く燃える。灰燼と化した怪物の亡骸から、同じ形をした怪物が再構築されていく。
「どいつもこいつも舐めやがってッ‼‼俺の世界で貴様の炎が何もかも凌駕出来ると思ってんのかよッ
俺は蠅の王。悪食の大罪であり、悪魔の盗人の鴇田裕田だッ‼‼
俺の生み出すエネルギーを超えられるもんならやってみろッ‼‼‼」
ユーデンの背に虹色の翅が出現し、浮き上がった顔の皮膚の裡から蠅を縫い合わせたような新たな貌が生成される。夢想解像によって人蠅形態に移行した彼は、見せつけるように両の腕を拡げ、新たな冠域を生み出す。
「冠域展開:焱吸醜竜」
筐艦内でアンブロシア号やアーカマクナ軍団と対峙した際に繰り出した双頭のオオトカゲを用いた火炎放射が再現される。オオトカゲの噴き出す炎は青白い光を纏いながら銀朱色の炎と押し合い、それに乗じて更なる熱波が辺りを襲った。
それと並行してこれまでの竜の首頭を生成しての濃密な中距離攻撃を展開し、さらなる追い打ちをかける形で巨躯の怪物を複数体生み出して共振する咆哮を轟かせる。空間深度は絶え間なく上昇し続け、もはやその夢の世界は人の存在できる環境とは乖離した魔境と化していた。空間温度は三千度を超過し、揺れ動く大気の熱に充てられてユーデンの人蠅の身体が焦げ付き始める。
蠅の持つ素早い飛行能力で銀朱の騎士に飛び掛かった蠅の王は、空間を埋め尽くすような竜の首頭の大群を引き連れて一気に勝負を付けに仕掛けた。身に宿る全力を推進力と暴食の夢に乗せ、絶え間ない怪物たちの咆哮の衝撃に乗って大火の中に飛び込んだ。
無数の顎を引き連れてバゼット・エヴァーコールに挑むユーデン。数舜後、彼は自らが銀朱の騎士に対して与えるはずの手ごたえが明らかに想定より足りないことに違和感を覚える。その違和感の正体たちは自ら姿をユーデンの前に晒し、鬼気迫る気魄を宿しながら次々と竜の首頭を切り伏せていった。
剣聖の異名を持つクランプトン・バフェットがバゼット・エヴァーコールに迫る竜の首頭を踏み越えてユーデンに迫る。灼熱の大気によってすぐに燃やし尽くされてしまう蠅の群れを無理に出現させて肉壁を作り、剣聖からの攻撃を防ぐも、背後から突き刺すように飛び掛かってきた光の束に人蠅の肉が焼かれた。これは眩旗の通り名で知られる新生テンプル騎士団大幹部のベアトリーチェの能力による攻撃だった。
「蛆虫共がッ」
「偉大な戦士を死者の国から呼び戻して置いて、我らが敗走に興じるなど言語同断ッ‼」
「どっちが蛆虫か教えてやると蠅の王サマッ‼‼」
「ふざけるんじゃねぇッ‼‼」
何度切り伏せられようと竜の首頭は無限にユーデンの背や腹の肉を突き破って放出される。だが、匠な身体操作でそれを往なすクランプトン・バフェットはまたもやユーデンとの距離を詰め、両翼から挟撃するような形でベアトリーチェと共に迫る。オオトカゲの火炎放射と真上への飛行によって進撃をリセットしようとしたユーデンだが、逃げた先には宇宙柄の剣を掲げたバゼット・エヴァーコールが万全の戦闘準備を整えていた。
「禁断の惑星:人は足ることを知るべきだ」
熱線と光が視界に飛び込む。怪物を灰に変える程の凝縮された冠域の放出によってユーデンの身が天の炎に焼かれる。身に迫る圧倒的な危険の中に在って尚、ユーデンは冷静に思考を巡らせた。
「なんであの熱の中で奴らは動き回れる……ッ‼?
固有冠域の常識を超えた異常な火力の中で、身体能力の低下どころか精神汚染すら起こってない。いったいどんなレベルの精神汚染耐性があればここまで粘れる……」
ユーデンの瞼が熔け落ちて、一層強い眼光が大火の中で煌々と耀く。
禁断の惑星による攻撃が解かれ、炎の中からユーデンが姿を現す。圏域の統治者としての身体強化の恩恵を受けていても、禁断の惑星を正面から受けきった時、彼の中で残存する体力が底を尽きようとしているのを全身が予感していた。
「嗚呼、もう、やめだ。考えてる余裕は無ェ」
ユーデンは焼け爛れた貌を醜く歪め、これ以上ない程に顎を開いた。
バゼット・エヴァーコール、クランプトン・バフェット、ベアトリーチェの三名を周辺一帯を包み込む宇宙柄の特殊領域が発生し、三者の脳裏に悪寒が奔る。これはマーリンを虚構の空間へと引き摺り込んだユーデンの究極の惑星の前兆だった。この技は空間に宇宙柄の背景が出現した時点で既に攻撃準備が完了している回避不可の"必殺技"と呼べるものだった。
暴食の夢の完成系。絶対不変の食事象の再現。禁断の惑星の連続使用による自らに課す負荷よりも、ユーデンは迫り来る脅威を今この場で排斥することを優先させた。
ユーデンの大きく開いた口が閉じられ、攻撃が発生する。
だが、彼の口腔を満たすのは異空間を通じて送られてくる攻撃対象らの血の味ではなかった。
「固有冠域:最後の晩餐」
悪食の化身たるユーデンに突如として訪れた得体のしれない満腹感。
それは混沌に塗られたキャンバスが突如として純白の虚構に包まれたかのような喪失感を彼に産み落とす。
「あ……が…ぇ……」
「まだまだ成長の途上たる若人の腹を満たす。拙の役目は初めから何も変わっておりませぬぞ」
「……お…?ぉ……お…ぉ…」
究極の惑星の発動とほぼ同じタイミングでの固有冠域展開。攻撃対象として捉えていなかった料理王/ドナルド・グッドフェイスの齎した不可逆的な行動制限。自身のアイデンティティの喪失とも言える満腹感によるダメージはユーデンという存在そのものにバグと不和を発生させた。
ユーデンの顎は再び大きく開き、宇宙柄の吐瀉物を自身の足元に吐き散らかす。
これまで彼を支えていた闘志はそこで完全に削がれ、全身を包んでいた耐性が徐々に解かれて皮膚が発火を始めた。
そして何より、彼を絶望させたのは吐瀉物の中から立ち上がった好敵手の存在。夢想世界の虚構に堕としたマーリンの姿が大量の吐瀉物の中から悠々と立ち上がったのだ。
「なんだ。どうやって出ようかと考えあぐねていましたが、そちらから吐き出してくれるとは」
「お……ぉ……。ゲほっ……ぁあ。……悪ぃな………ちゃんと…食ってやれなくて」
「まだ、戦いますか?」
「へ……言うねぇ。…あとはもう殺すだけだろ……煮るなり…焼くなり……好きにしろ」
「…………」
マーリンの元にバゼット・エヴァーコール、鐘笑、ベアトリーチェ、クランプトン・バフェットが駆け寄った。
「私には夢がある。しかし、先輩にはもう何も残っていなかった。夢の果て、夢の力の限界点は、その者が既に自身の思い描く夢を叶えているかどうかに依存する。先輩は悪食の権化と成り果てる程に力を付けたが、その実、先輩はもはや力の行く末に意味を失ってしまっている。叶えるべきもの、追求するべきものが無い中でどこまでも闘い続けることなんて誰にもできやしない」
「そうか……。気付かなかったよ。………俺は………自分を……証明したかった………他人から夢を奪い…糞ったれな人生と…自分の……腹を満たしたかった…」
ユーデンの眼が涙に濡れる。
「俺が死ねば……冠域の統治者は消え……不安定になった空間の綻びが………十四系の扉の代わりになるだろう………そっから先は自由だ……第五圏でも……第六圏でも……好きに選べ」
ユーデンの身体が炎に包まれる。自然発火した体躯が徐々に崩れていく。
火炎の勢いは自然と増していき、最期には巨大な火柱となった。
彼の言葉通り空間は奇妙な軋みと共に歪み出し、第四圏は火柱と共に他圏域に繋がる特異点へと変化した。
蠅の王は自身の背を撫でるような死の予感に不覚にも心が躍った。
己の血肉を分けて生み出した可愛い我が身の分身たる蠅の群れが、空を焦がす灼熱の波に攫われて待機に朱色の絵具を塗るようにして次から次へと燃え堕ちていく。視界に広がっていく死して散り行く蠅の残骸が舞い散る火花と共に膨れた空気に押し流され、それそのものが巨大な炎の壁のようにして強風と共に辺りに吹き荒れた。
「これはこれは……流石は"人類最高火力"と評されただけのことはある。これがバゼット・エヴァーコールの"寵愛の夢"。佐呑じゃあ拝めなかったが、こりゃあ馬鹿げた火達磨様だな」
「冠域延長:この手に収まらぬ程の祝福を」
ユーデンの前に現れた長身の男はその詠唱を経て全身を銀朱色の炎で包み込む。燃え盛る炎が鎧のように体にフィットし、彼が少し腕を振るだけで熱せられた空気が銀朱色の風となって空を統べていた蠅の嵐を焼き堕としていく。
「新生テンプル騎士団の死に損ない共が"生と死の逆転"の機構に勘づいたか、それとも案外近くで聞いていやがったか。…いずれにしろ、もっとも効果的なカードを選ぶだけの脳味噌は残ってたみたいだな。厄介な奴が再臨したもんだ」
「………………」
鐘笑の雷を受けてなお毅然としていたユーデンの余裕が明らかに失せた。蠅の王たる彼にとって灼熱の炎を無尽蔵の如く放出するバゼット・エヴァーコールとの相性不利は明瞭であり、彼の存在そんものが蠅の群れに対して与える影響の大きさを考慮した際、ユーデンの採る戦法は自然と決定した。
自身の夢の成れ果てである巨大な捕食怪物にエネルギーを送り、意思に呼応する傀儡として再起動を命じる。怪物が地に伏した状態から芋虫のような状態を起こすと、町を一つも二つも覆い尽くしてしまうような巨大な影に辺りが呑まれていく。マーリンが生み出した黒い太陽も怪物の咆哮によって消滅し、第四圏で殺戮の限りを尽くした怪物が再び戦闘態勢を整えた。
巨大な怪物が左右非対称の何本な腕を動員してバゼット・エヴァ―コールに襲い掛かる。その隙にユーデンは彼の熱から逃れるために怪物の背後に回ろうと移動を試みた。
「……一度は冥府に堕ちたこの身。反英雄の放った蠅を払うが如き一閃にて我が精神は夢の世界で限界を迎え、魂は無の世界へと迎え入れられた。死を恥ずべき結果だとは思わないが、こうして為されるがままに他者の願いによって再び夢の世界に降り立つことにはどこか惨めさを感じてならない」
銀朱色の炎の騎士の手に、これまた同じ色の炎で生み出された剣が握られる。
「剣を握るのは本当に久しい感覚だな。……反英雄相手には通じぬとわかっていた故、覚えがあるが使わずに死んだ技がある」
怪物に向けて騎士は一歩、また一歩と足を踏み出す。彼が動くたびに周囲の空気は揺らぎ、逆巻く炎の渦に彼方此方に生み出された。超高層ビルが丸ごと振ってくるような怪物の腕の襲来に対し、その莫大な間合いともとれる宙に身を投げたバゼット・エヴァーコールは、自らを覆う銀朱の炎を刃の腹に凝縮させ、宇宙を切り取ったような異質なエネルギーを鍛造した。
「禁断の惑星:人は足ることを知るべきだ」
背を向けて退避していたユーデンは己の思い違いをそこで知ることになった。怪物を自らの矛として用いてバゼット・エヴァーコールの対処をさせようと考えていた彼であったが、その実、天を覆うような巨躯は肉壁としての役割すらも全うできなかった。
剣の横薙ぎ。言ってしまえばそれだけのバゼット・エヴァーコールの一撃が怪物の巨躯を両断した。剣は怪物に触れることなく刃から放出した熱だけで分厚い肉の壁を焼き切ってみせた。禁断の惑星の体現者はこの夢想世界の歴史上においても本当に限られたごく少数しか存在しないが、元は新生テンプル騎士団の団員として名を売っていた彼のこと、寧ろ彼が体現者でないことの方が不自然であった。
「隙の多い威力だけの大技。こんなものが反英雄相手に使えるはずもないが、身の丈だけを売りにした木偶を相手にするには都合が良い。かねてより空は我ら擲火戦略小隊の支配下。我が物顔で蠅や木偶が蔓延るようでは気分が悪い」
「人の事を言えた義理じゃないが、一度死んだ癖に図々しい奴だな。空から一方的に火を巻くだけのサディストが、俺の世界でデカい貌してんじゃねェよ。オルトリンデがいなきゃただの脳筋火達磨だろうがよ」
「……よもや、行き返ってまでお前と戦うことになるとは思わなかったぞ、グラトン号。どうせこの魂が再び現実世界に回帰することはないのだろう。ならば、せめて旧き所属の者らの願いに応え、貴様を討ち亡ぼそうぞ」
ユーデンの双眸が再び赤く燃える。灰燼と化した怪物の亡骸から、同じ形をした怪物が再構築されていく。
「どいつもこいつも舐めやがってッ‼‼俺の世界で貴様の炎が何もかも凌駕出来ると思ってんのかよッ
俺は蠅の王。悪食の大罪であり、悪魔の盗人の鴇田裕田だッ‼‼
俺の生み出すエネルギーを超えられるもんならやってみろッ‼‼‼」
ユーデンの背に虹色の翅が出現し、浮き上がった顔の皮膚の裡から蠅を縫い合わせたような新たな貌が生成される。夢想解像によって人蠅形態に移行した彼は、見せつけるように両の腕を拡げ、新たな冠域を生み出す。
「冠域展開:焱吸醜竜」
筐艦内でアンブロシア号やアーカマクナ軍団と対峙した際に繰り出した双頭のオオトカゲを用いた火炎放射が再現される。オオトカゲの噴き出す炎は青白い光を纏いながら銀朱色の炎と押し合い、それに乗じて更なる熱波が辺りを襲った。
それと並行してこれまでの竜の首頭を生成しての濃密な中距離攻撃を展開し、さらなる追い打ちをかける形で巨躯の怪物を複数体生み出して共振する咆哮を轟かせる。空間深度は絶え間なく上昇し続け、もはやその夢の世界は人の存在できる環境とは乖離した魔境と化していた。空間温度は三千度を超過し、揺れ動く大気の熱に充てられてユーデンの人蠅の身体が焦げ付き始める。
蠅の持つ素早い飛行能力で銀朱の騎士に飛び掛かった蠅の王は、空間を埋め尽くすような竜の首頭の大群を引き連れて一気に勝負を付けに仕掛けた。身に宿る全力を推進力と暴食の夢に乗せ、絶え間ない怪物たちの咆哮の衝撃に乗って大火の中に飛び込んだ。
無数の顎を引き連れてバゼット・エヴァーコールに挑むユーデン。数舜後、彼は自らが銀朱の騎士に対して与えるはずの手ごたえが明らかに想定より足りないことに違和感を覚える。その違和感の正体たちは自ら姿をユーデンの前に晒し、鬼気迫る気魄を宿しながら次々と竜の首頭を切り伏せていった。
剣聖の異名を持つクランプトン・バフェットがバゼット・エヴァーコールに迫る竜の首頭を踏み越えてユーデンに迫る。灼熱の大気によってすぐに燃やし尽くされてしまう蠅の群れを無理に出現させて肉壁を作り、剣聖からの攻撃を防ぐも、背後から突き刺すように飛び掛かってきた光の束に人蠅の肉が焼かれた。これは眩旗の通り名で知られる新生テンプル騎士団大幹部のベアトリーチェの能力による攻撃だった。
「蛆虫共がッ」
「偉大な戦士を死者の国から呼び戻して置いて、我らが敗走に興じるなど言語同断ッ‼」
「どっちが蛆虫か教えてやると蠅の王サマッ‼‼」
「ふざけるんじゃねぇッ‼‼」
何度切り伏せられようと竜の首頭は無限にユーデンの背や腹の肉を突き破って放出される。だが、匠な身体操作でそれを往なすクランプトン・バフェットはまたもやユーデンとの距離を詰め、両翼から挟撃するような形でベアトリーチェと共に迫る。オオトカゲの火炎放射と真上への飛行によって進撃をリセットしようとしたユーデンだが、逃げた先には宇宙柄の剣を掲げたバゼット・エヴァーコールが万全の戦闘準備を整えていた。
「禁断の惑星:人は足ることを知るべきだ」
熱線と光が視界に飛び込む。怪物を灰に変える程の凝縮された冠域の放出によってユーデンの身が天の炎に焼かれる。身に迫る圧倒的な危険の中に在って尚、ユーデンは冷静に思考を巡らせた。
「なんであの熱の中で奴らは動き回れる……ッ‼?
固有冠域の常識を超えた異常な火力の中で、身体能力の低下どころか精神汚染すら起こってない。いったいどんなレベルの精神汚染耐性があればここまで粘れる……」
ユーデンの瞼が熔け落ちて、一層強い眼光が大火の中で煌々と耀く。
禁断の惑星による攻撃が解かれ、炎の中からユーデンが姿を現す。圏域の統治者としての身体強化の恩恵を受けていても、禁断の惑星を正面から受けきった時、彼の中で残存する体力が底を尽きようとしているのを全身が予感していた。
「嗚呼、もう、やめだ。考えてる余裕は無ェ」
ユーデンは焼け爛れた貌を醜く歪め、これ以上ない程に顎を開いた。
バゼット・エヴァーコール、クランプトン・バフェット、ベアトリーチェの三名を周辺一帯を包み込む宇宙柄の特殊領域が発生し、三者の脳裏に悪寒が奔る。これはマーリンを虚構の空間へと引き摺り込んだユーデンの究極の惑星の前兆だった。この技は空間に宇宙柄の背景が出現した時点で既に攻撃準備が完了している回避不可の"必殺技"と呼べるものだった。
暴食の夢の完成系。絶対不変の食事象の再現。禁断の惑星の連続使用による自らに課す負荷よりも、ユーデンは迫り来る脅威を今この場で排斥することを優先させた。
ユーデンの大きく開いた口が閉じられ、攻撃が発生する。
だが、彼の口腔を満たすのは異空間を通じて送られてくる攻撃対象らの血の味ではなかった。
「固有冠域:最後の晩餐」
悪食の化身たるユーデンに突如として訪れた得体のしれない満腹感。
それは混沌に塗られたキャンバスが突如として純白の虚構に包まれたかのような喪失感を彼に産み落とす。
「あ……が…ぇ……」
「まだまだ成長の途上たる若人の腹を満たす。拙の役目は初めから何も変わっておりませぬぞ」
「……お…?ぉ……お…ぉ…」
究極の惑星の発動とほぼ同じタイミングでの固有冠域展開。攻撃対象として捉えていなかった料理王/ドナルド・グッドフェイスの齎した不可逆的な行動制限。自身のアイデンティティの喪失とも言える満腹感によるダメージはユーデンという存在そのものにバグと不和を発生させた。
ユーデンの顎は再び大きく開き、宇宙柄の吐瀉物を自身の足元に吐き散らかす。
これまで彼を支えていた闘志はそこで完全に削がれ、全身を包んでいた耐性が徐々に解かれて皮膚が発火を始めた。
そして何より、彼を絶望させたのは吐瀉物の中から立ち上がった好敵手の存在。夢想世界の虚構に堕としたマーリンの姿が大量の吐瀉物の中から悠々と立ち上がったのだ。
「なんだ。どうやって出ようかと考えあぐねていましたが、そちらから吐き出してくれるとは」
「お……ぉ……。ゲほっ……ぁあ。……悪ぃな………ちゃんと…食ってやれなくて」
「まだ、戦いますか?」
「へ……言うねぇ。…あとはもう殺すだけだろ……煮るなり…焼くなり……好きにしろ」
「…………」
マーリンの元にバゼット・エヴァーコール、鐘笑、ベアトリーチェ、クランプトン・バフェットが駆け寄った。
「私には夢がある。しかし、先輩にはもう何も残っていなかった。夢の果て、夢の力の限界点は、その者が既に自身の思い描く夢を叶えているかどうかに依存する。先輩は悪食の権化と成り果てる程に力を付けたが、その実、先輩はもはや力の行く末に意味を失ってしまっている。叶えるべきもの、追求するべきものが無い中でどこまでも闘い続けることなんて誰にもできやしない」
「そうか……。気付かなかったよ。………俺は………自分を……証明したかった………他人から夢を奪い…糞ったれな人生と…自分の……腹を満たしたかった…」
ユーデンの眼が涙に濡れる。
「俺が死ねば……冠域の統治者は消え……不安定になった空間の綻びが………十四系の扉の代わりになるだろう………そっから先は自由だ……第五圏でも……第六圏でも……好きに選べ」
ユーデンの身体が炎に包まれる。自然発火した体躯が徐々に崩れていく。
火炎の勢いは自然と増していき、最期には巨大な火柱となった。
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