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5章 赫奕の迷子
77 航海者の坩堝
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〇星屑の庭園
「え……?」
思わず口をついて出た困惑の声音。
見覚えのない奇妙奇天烈な花弁が咲き誇る花畑の最中において、記憶も虚ろなまま自分に似合わないパラソルテーブルに腰かけている我が身の在り方のあまりの不自然さに言葉に成らない不条理を感じた。
上向けば満点の星空。もはや宇宙そのものを切って張ったような深みを感じさせた。
星座が織りなす宇宙の神秘的な踊りが目と鼻の先で繰り広げられているようだった。
流れ星が時折、空を横切っている。願い事があるわけでもないが、鴇田裕田は思わず目を剥いて縋るように見入ってしまった。
「おや。もう少し荒れていると思いましたが、随分と落ち着いているんですね、先輩」
「アンブロシアか?」
「一応は、そうですね。今はマーリン。あまり名前に意味なんてありませんがね、どうせ私以外は全て滅ぶんです」
「ここはどこだ……あの世か?俺たちは死んだのか?」
「…………」
花畑を静かに掻き分けて近づいてきたそれ。マーリンは静かに椅子を曳き、腰を深々と下ろした。
腕を組み、足を組み、どこからともなく生成したティーカップの中を満たしていた紅茶のようなものを啜る。
「ここは……そうですね。試作品の"楽園"とでも言えるでしょうか。まぁ、私が用意した究極冠域のプレリリース版、みたいな」
「…………」
「我々は現在ニーズランド第四圏で殺し合いの最中です。と言っても、私が必ず勝つことは決まっているようなものなので、こうして余った精神の一部をニーズランドその外側で究極冠域そのものとして分離して、鴇田さんの精神性の核を一時的に誘致した形に成ります。というのも、少し、貴方とお話したいことがありまして」
「……」
裕田は深く息を吸い込んだ。
それからしばらく息を止め、僅かに顔が赤らんできた頃になってようやく盛大な溜息と共に息を吐きだした。
彼はいつの間にか自分の傍らに生成されていたティーポットに手を伸ばし、眼前のカップに注ぎ込んだ。
「可笑しな話だよな。……あれだけの好き勝手……殺したいだけ殺し、喰らいたいだけ喰らい、いっそ人間らしい部分なんて全部捨てちまえって気分で暴れてたのに、今じゃあ何とも言い難く食傷気味だ。
俺という存在が人類にとってどれだけ糞ったれな害悪であるかなんて、嫌という程に分かるのによ。それでもこうして人間らしく振舞ってしまう」
「楽園ですから。そんな些末な事を気に病む必要はありません」
「いいや。大事な事なんだよ。俺みたいな炙れ者には特に」
覗き込んだカップを満たす紅茶の色が変わっていく。裕田の瞳から零れ出した青色の靄を纏った涙が、カップの中の紅茶と混じって黒く濁っていった。
「多くを失った。それは、俺自身もそうだし、俺が奪ったという事実それ自体が持つ喪失感とも言える。ずっと抱えていたはずのモノから目を逸らし続けていた結果、ふとした瞬間に我に返り、仮初だったはずの自我がこうして楽園に招かれた頃にはこの様だ。
護るべきだった人類を鏖殺し、悪食の限りを尽くした。あろうことか大討伐軍に牙を剥き、旧友の貌すら忘れて一体どれほどの旧知の徒を屠ったことか」
「まさか、後悔しているんですか?」
「……この感覚を後悔とは呼ばないかもしれないな。言っただろう、少し食傷気味になってるだけさ」
鼻先を過ぎる鮮やかな蝶を前に、裕田は僅かに笑みを漏らした。
「何もかも、俺の思考と決断に基づいた結果に過ぎない。望んだものに責任があるなら、奪われた命の責任は俺が果たすべきだと断じて構わないだろう。とはいえ、俺のようなクズがどれほど正々堂々と向き合ったところで、失ったものと何一つ釣り合っていないがな」
「そうですか」
「だからこそ、俺は俺の在り方を変えるつもりはない。今ここにいるのが本当の鴇田裕田かどうかは知ったこっちゃないが、少なくともこうして食傷気味になってなお、俺はまだまだ人の命を奪う気は満々だし、悪食に節制なんぞ掛ける気はさらさらない」
「へぇ?」
「悪いな。アンブロシア。いや、マーリンだったか。俺に聞きたいことがあるんだったな」
「えぇ」
頭上で流れ星が瞬く。
満点の夜空に蔓延る闇が一層深まるようだった。
「真航海者についてです。この言葉について知っていることを教えてください」
「ほぉ」
裕田はどこか可笑しそうに今一度紅茶を啜った。
テーブルに止まっていた蝶を素早く指で摘まみとり、お茶請けと言わんばかりに貪った。
「なんでそれを俺に聞くんだ。わざわざこんな素敵な所に連れ込んでまで」
「知りたいことを知っていそうな人に聞くために二人きりで喋れる所に呼んだだけですよ。質問に答えるかどうかはお任せします。答える気がなかったり、反抗するようなら次を探すまでですから」
「まったく、おっかない男だな。君は」
「今は男でも女でもないですよ。地球の生命論からは期せずして外れてしまったもので。
で、答える気があるなら簡潔にお願いします」
毟り取った蝶の宇宙模様の翅を口に運ぶと、裕田は答えた。
「知らん。少なくともお前が知っている以上の事はな。俺が知ってる真航海者についての情報なんて、TD2P局員なら誰でも知っているような常識に終始するだろう」
「それでも構いません」
「現代社会に8体しか存在しないとされるカテゴリー5の悪魔の僕の一角。自分の存在を真なる航海者と名乗り、フリークス・ハウスを始めとしたV計画研究所の相次ぐ襲撃を行った"反転個体"の存在X。その正体は謎に包まれていて、真航海者に対して敢行された大討伐作戦の後、奴自身が持つ宇宙周遊の夢を叶えるために空に消えたとかいう……正直言ってよくわからん悪魔の僕だ。
宇宙に遊びに出かけてなお、人類にとって最大級の脅威認定されている事実を踏まえるに大陸軍に負けず劣らずの人類に対する敵意が認められているんだろうが、記録としては殆ど残っていない現状がそこに違和感を演出しているような気がしないでもない」
「………」
「俺だって記憶が正確に残っているのは丐甜神社に参拝するまでのことに限られるからな。それ以降はまさに夢心地の夢現。どのタイミングで大討伐が始まり、どれくらいの時間が立っているのかは知ったことじゃない。仄かに鏤められた自我が伝え聞く所じゃあ、ニーズランドにはカテゴリー5共が雁首揃えているようだが、その中に真航海者はいなかったのか?」
「ええ。叢雨禍神、反英雄、曲芸師、青い本、挑戦者
は最低限の存在確認は取れていますが、冥府王、五色徳豊、真航海者が不明です」
「まぁ、俺がこんな事を言うのも変な話だが……。精神汚染下にあった俺の群集体、要は蠅だが、アレは俺の意思に関係なくニーズランドの各地で飛び回ってる。言ってみれば精神感覚の触媒だな。受信機と発信機の性質を内在させた高度なセンサーだとでも思ってくれ。で、それは大討伐が始まって割とすぐにニーズランドに解き放たれている。筐艦内で俺が暴れまわるよりも先にだ」
「十四系の扉から送り込まれてくる以上、恐らくはニーズランド側に拉致されたのだろうとは思っていましたが、そんな速い段階から群集者としての能力を使用していたとは予想外ですね」
「で、だ。その蠅はこのニーズランドのどこかに存在するクラウンのテントにまで潜入している。まぁ、長くは持たなかったようだが、そこで感知した情報を元に言えば、恐らく五色徳豊はクラウンに殺害されている。…九罪の生き残りの殺意だけ濾して残ったようなジジイだが、腐ってもカテゴリー5の奴を単独でいなしてしまうクラウンの実力は相当なものだろうな」
「まぁ、そんな気はしていました。で、冥府王の方は鴇田さんが食べてしまったと」
「なんで知ってんだ?お前、第三圏で挑戦者と闘ってたんじゃねぇのかよ」
「何で先輩がそれを知っているのかも疑問ですよ。お互い様ですね」
「…………」
「…………」
二人のカップが空いた。
「叢雨禍神は棚上げしたとして、私にとって最終的に問題となりそうなのがその真航海者なのです。出来れば早めに手を打って迎え撃ちたい所存だったのですが、うまくいかないものですね」
「アンブ、マーリンの目的はなんだ?カテゴリー5の全員をぶちのめして、その先に何を望む?」
「強いて言えば、何も望んでいません。私は望むより先に与えられているべき存在です」
「はぁ」
「夢を見て、夢を叶える。夢を叶えて、夢に在る。……私の目的は楽園の誕生。技術的特異点である楽園製造プログラムである私は、蜂が巣に帰すが如く楽園に自ずと帰るだけです。ただしその楽園は人間に依るものでもなければ、人間の為に在るものでもない。それは私の為だけの楽園でなくてはならない。例えば、こんな星屑の庭園もそんな楽園の一端です」
「人間やめて、好き勝手生きたいですってことか。まぁ、それなら俺も同じようなものだろうな」
「えぇ。私が自分の足で楽園に帰るには邪魔なモノが実に多い。ニーズランド、大討伐軍、悪魔の主君。全部蹴散らしていかなくては、足踏みしているばかりで時間の無駄なわけです」
「そうかい。それなら申し訳ないことをした。こんな毒にも薬にもならない話のために俺なんかに時間を使わせてしまってよ」
「良いんです。さっきの話を聞く限り、先輩の蠅たちがニーズランドで真航海者を検知していない以上、ニーズランドに居ないという風に納得できたことは私にとって有意義な会話でした。鯵ヶ沢露樹の魔法が地球全土の人類の生活圏を満たしていたとしても、地球の外側を漫遊している真航海者には関与しない話ですからね」
「確かにそうかもな。で、この後は楽園製造のためにカテゴリー5たちを皆殺しに行くのか?」
「えぇ。そのつもりです」
「そうか」
裕田は厳かに立ち上がり、徐に花畑に身を放り投げた。
色鮮やかな蝶たちが狂い踊るように舞う中、芳醇で馥郁な香りが鼻腔を満たした。
「俺は見逃してくれないか。マーリン。……俺は弱者を貪り喰うのは否定しようがないくらい大好きだが、お前のような腹の座った強者と生存権を争うのは避けたい。何より、この花畑みたいな楽園がこの先の未来に広がっているのなら、俺としてもその楽園の拝んでみたい。
君の邪魔をする気は毛頭ないし、君を喰って腹を満たしたいという欲もなんだか湧いてこない。仲良くできるようなら、これまで迷惑をかけた分も含めて手を取り合っていくわけにはいかないだろうか?」
「……………………」
「芳しく無い反応だな」
「欲を抑えるには、貴方の自我は強すぎる。真航海者がどの程度のレベルかは知りませんが、真航海者と叢雨禍神を置いた時、この世で最も強い存在は他ならぬ先輩ですから」
「へぇ。そりゃあ、ありがたい評価だな。俺が反英雄よりも強いってのかい?」
「同じくらいか、それ以上だと評価しています。第一、私が反英雄に対して全くと言っていい程、興味がないんですよ。ホント、そこら辺の草花と同じくらいの関心です」
「なるほどねぇ……」
庭園の草花が揺れる。
空気そのものを枯らしてしまうような、凄まじい濃度の瘴気が解き放たれる。
「一つ。聞きたいんだが」
鴇田裕田の双眸が揺れる。
片方の瞳は青く燃え、残る瞳が紫光を迸らせる。
まるで悪魔の象徴と航海者の象徴が融和し、調和し、主張しているようだった。
「なんで俺に勝てると思ってるんだ。蜂野郎」
―――
―――
―――
世界が割れた。
甘ったるい馥郁が脳裏を満たす。
意識が扇動されるように闘志に満たされていく。
嗚呼。
なんて素敵な時間だったんだ。
あんな楽園が広がっているなら、人類が滅んだっていいと思うさ。
でも、残念だよなぁ。
―――
―――
―――
〇第四圏_巨竜の麓
「強情な……」
呆れたようにマーリンが口零した。
眼前には力なく横たわる超大な体躯の怪物の姿がある。マーリンの描く壮大な火力攻撃により撃破された悪食の王たる怪物であったが、その傍らにポツンと添えられている王座に腰の根を下した一人の亡骸にこそ、この戦いの核心が眠っていた。
大量の蠅の苗床となっているその亡骸は、王たる威厳の一つも感じさせないまでに朽ち果てた骸骨となっていた。
腐った肉を這いまわる蛆たちの蠢動も然り、噴き上げる煙のように解き放たれていく蠅の嵐を生み出す様はどこか機械染みていて、まるで命を蝕まれた儀式の触媒のような風体すら感じさせていた。
だが、ここにきて、その骸骨の双眸に光が宿る。
青い靄、紫の閃光。
己が楽園にて露わにしたその青年の闘志をそのままに。
「動く骸骨はキンコルさん以来ですね…」
「カカッ…どっチがッ…つェえか…な…?」
「え……?」
思わず口をついて出た困惑の声音。
見覚えのない奇妙奇天烈な花弁が咲き誇る花畑の最中において、記憶も虚ろなまま自分に似合わないパラソルテーブルに腰かけている我が身の在り方のあまりの不自然さに言葉に成らない不条理を感じた。
上向けば満点の星空。もはや宇宙そのものを切って張ったような深みを感じさせた。
星座が織りなす宇宙の神秘的な踊りが目と鼻の先で繰り広げられているようだった。
流れ星が時折、空を横切っている。願い事があるわけでもないが、鴇田裕田は思わず目を剥いて縋るように見入ってしまった。
「おや。もう少し荒れていると思いましたが、随分と落ち着いているんですね、先輩」
「アンブロシアか?」
「一応は、そうですね。今はマーリン。あまり名前に意味なんてありませんがね、どうせ私以外は全て滅ぶんです」
「ここはどこだ……あの世か?俺たちは死んだのか?」
「…………」
花畑を静かに掻き分けて近づいてきたそれ。マーリンは静かに椅子を曳き、腰を深々と下ろした。
腕を組み、足を組み、どこからともなく生成したティーカップの中を満たしていた紅茶のようなものを啜る。
「ここは……そうですね。試作品の"楽園"とでも言えるでしょうか。まぁ、私が用意した究極冠域のプレリリース版、みたいな」
「…………」
「我々は現在ニーズランド第四圏で殺し合いの最中です。と言っても、私が必ず勝つことは決まっているようなものなので、こうして余った精神の一部をニーズランドその外側で究極冠域そのものとして分離して、鴇田さんの精神性の核を一時的に誘致した形に成ります。というのも、少し、貴方とお話したいことがありまして」
「……」
裕田は深く息を吸い込んだ。
それからしばらく息を止め、僅かに顔が赤らんできた頃になってようやく盛大な溜息と共に息を吐きだした。
彼はいつの間にか自分の傍らに生成されていたティーポットに手を伸ばし、眼前のカップに注ぎ込んだ。
「可笑しな話だよな。……あれだけの好き勝手……殺したいだけ殺し、喰らいたいだけ喰らい、いっそ人間らしい部分なんて全部捨てちまえって気分で暴れてたのに、今じゃあ何とも言い難く食傷気味だ。
俺という存在が人類にとってどれだけ糞ったれな害悪であるかなんて、嫌という程に分かるのによ。それでもこうして人間らしく振舞ってしまう」
「楽園ですから。そんな些末な事を気に病む必要はありません」
「いいや。大事な事なんだよ。俺みたいな炙れ者には特に」
覗き込んだカップを満たす紅茶の色が変わっていく。裕田の瞳から零れ出した青色の靄を纏った涙が、カップの中の紅茶と混じって黒く濁っていった。
「多くを失った。それは、俺自身もそうだし、俺が奪ったという事実それ自体が持つ喪失感とも言える。ずっと抱えていたはずのモノから目を逸らし続けていた結果、ふとした瞬間に我に返り、仮初だったはずの自我がこうして楽園に招かれた頃にはこの様だ。
護るべきだった人類を鏖殺し、悪食の限りを尽くした。あろうことか大討伐軍に牙を剥き、旧友の貌すら忘れて一体どれほどの旧知の徒を屠ったことか」
「まさか、後悔しているんですか?」
「……この感覚を後悔とは呼ばないかもしれないな。言っただろう、少し食傷気味になってるだけさ」
鼻先を過ぎる鮮やかな蝶を前に、裕田は僅かに笑みを漏らした。
「何もかも、俺の思考と決断に基づいた結果に過ぎない。望んだものに責任があるなら、奪われた命の責任は俺が果たすべきだと断じて構わないだろう。とはいえ、俺のようなクズがどれほど正々堂々と向き合ったところで、失ったものと何一つ釣り合っていないがな」
「そうですか」
「だからこそ、俺は俺の在り方を変えるつもりはない。今ここにいるのが本当の鴇田裕田かどうかは知ったこっちゃないが、少なくともこうして食傷気味になってなお、俺はまだまだ人の命を奪う気は満々だし、悪食に節制なんぞ掛ける気はさらさらない」
「へぇ?」
「悪いな。アンブロシア。いや、マーリンだったか。俺に聞きたいことがあるんだったな」
「えぇ」
頭上で流れ星が瞬く。
満点の夜空に蔓延る闇が一層深まるようだった。
「真航海者についてです。この言葉について知っていることを教えてください」
「ほぉ」
裕田はどこか可笑しそうに今一度紅茶を啜った。
テーブルに止まっていた蝶を素早く指で摘まみとり、お茶請けと言わんばかりに貪った。
「なんでそれを俺に聞くんだ。わざわざこんな素敵な所に連れ込んでまで」
「知りたいことを知っていそうな人に聞くために二人きりで喋れる所に呼んだだけですよ。質問に答えるかどうかはお任せします。答える気がなかったり、反抗するようなら次を探すまでですから」
「まったく、おっかない男だな。君は」
「今は男でも女でもないですよ。地球の生命論からは期せずして外れてしまったもので。
で、答える気があるなら簡潔にお願いします」
毟り取った蝶の宇宙模様の翅を口に運ぶと、裕田は答えた。
「知らん。少なくともお前が知っている以上の事はな。俺が知ってる真航海者についての情報なんて、TD2P局員なら誰でも知っているような常識に終始するだろう」
「それでも構いません」
「現代社会に8体しか存在しないとされるカテゴリー5の悪魔の僕の一角。自分の存在を真なる航海者と名乗り、フリークス・ハウスを始めとしたV計画研究所の相次ぐ襲撃を行った"反転個体"の存在X。その正体は謎に包まれていて、真航海者に対して敢行された大討伐作戦の後、奴自身が持つ宇宙周遊の夢を叶えるために空に消えたとかいう……正直言ってよくわからん悪魔の僕だ。
宇宙に遊びに出かけてなお、人類にとって最大級の脅威認定されている事実を踏まえるに大陸軍に負けず劣らずの人類に対する敵意が認められているんだろうが、記録としては殆ど残っていない現状がそこに違和感を演出しているような気がしないでもない」
「………」
「俺だって記憶が正確に残っているのは丐甜神社に参拝するまでのことに限られるからな。それ以降はまさに夢心地の夢現。どのタイミングで大討伐が始まり、どれくらいの時間が立っているのかは知ったことじゃない。仄かに鏤められた自我が伝え聞く所じゃあ、ニーズランドにはカテゴリー5共が雁首揃えているようだが、その中に真航海者はいなかったのか?」
「ええ。叢雨禍神、反英雄、曲芸師、青い本、挑戦者
は最低限の存在確認は取れていますが、冥府王、五色徳豊、真航海者が不明です」
「まぁ、俺がこんな事を言うのも変な話だが……。精神汚染下にあった俺の群集体、要は蠅だが、アレは俺の意思に関係なくニーズランドの各地で飛び回ってる。言ってみれば精神感覚の触媒だな。受信機と発信機の性質を内在させた高度なセンサーだとでも思ってくれ。で、それは大討伐が始まって割とすぐにニーズランドに解き放たれている。筐艦内で俺が暴れまわるよりも先にだ」
「十四系の扉から送り込まれてくる以上、恐らくはニーズランド側に拉致されたのだろうとは思っていましたが、そんな速い段階から群集者としての能力を使用していたとは予想外ですね」
「で、だ。その蠅はこのニーズランドのどこかに存在するクラウンのテントにまで潜入している。まぁ、長くは持たなかったようだが、そこで感知した情報を元に言えば、恐らく五色徳豊はクラウンに殺害されている。…九罪の生き残りの殺意だけ濾して残ったようなジジイだが、腐ってもカテゴリー5の奴を単独でいなしてしまうクラウンの実力は相当なものだろうな」
「まぁ、そんな気はしていました。で、冥府王の方は鴇田さんが食べてしまったと」
「なんで知ってんだ?お前、第三圏で挑戦者と闘ってたんじゃねぇのかよ」
「何で先輩がそれを知っているのかも疑問ですよ。お互い様ですね」
「…………」
「…………」
二人のカップが空いた。
「叢雨禍神は棚上げしたとして、私にとって最終的に問題となりそうなのがその真航海者なのです。出来れば早めに手を打って迎え撃ちたい所存だったのですが、うまくいかないものですね」
「アンブ、マーリンの目的はなんだ?カテゴリー5の全員をぶちのめして、その先に何を望む?」
「強いて言えば、何も望んでいません。私は望むより先に与えられているべき存在です」
「はぁ」
「夢を見て、夢を叶える。夢を叶えて、夢に在る。……私の目的は楽園の誕生。技術的特異点である楽園製造プログラムである私は、蜂が巣に帰すが如く楽園に自ずと帰るだけです。ただしその楽園は人間に依るものでもなければ、人間の為に在るものでもない。それは私の為だけの楽園でなくてはならない。例えば、こんな星屑の庭園もそんな楽園の一端です」
「人間やめて、好き勝手生きたいですってことか。まぁ、それなら俺も同じようなものだろうな」
「えぇ。私が自分の足で楽園に帰るには邪魔なモノが実に多い。ニーズランド、大討伐軍、悪魔の主君。全部蹴散らしていかなくては、足踏みしているばかりで時間の無駄なわけです」
「そうかい。それなら申し訳ないことをした。こんな毒にも薬にもならない話のために俺なんかに時間を使わせてしまってよ」
「良いんです。さっきの話を聞く限り、先輩の蠅たちがニーズランドで真航海者を検知していない以上、ニーズランドに居ないという風に納得できたことは私にとって有意義な会話でした。鯵ヶ沢露樹の魔法が地球全土の人類の生活圏を満たしていたとしても、地球の外側を漫遊している真航海者には関与しない話ですからね」
「確かにそうかもな。で、この後は楽園製造のためにカテゴリー5たちを皆殺しに行くのか?」
「えぇ。そのつもりです」
「そうか」
裕田は厳かに立ち上がり、徐に花畑に身を放り投げた。
色鮮やかな蝶たちが狂い踊るように舞う中、芳醇で馥郁な香りが鼻腔を満たした。
「俺は見逃してくれないか。マーリン。……俺は弱者を貪り喰うのは否定しようがないくらい大好きだが、お前のような腹の座った強者と生存権を争うのは避けたい。何より、この花畑みたいな楽園がこの先の未来に広がっているのなら、俺としてもその楽園の拝んでみたい。
君の邪魔をする気は毛頭ないし、君を喰って腹を満たしたいという欲もなんだか湧いてこない。仲良くできるようなら、これまで迷惑をかけた分も含めて手を取り合っていくわけにはいかないだろうか?」
「……………………」
「芳しく無い反応だな」
「欲を抑えるには、貴方の自我は強すぎる。真航海者がどの程度のレベルかは知りませんが、真航海者と叢雨禍神を置いた時、この世で最も強い存在は他ならぬ先輩ですから」
「へぇ。そりゃあ、ありがたい評価だな。俺が反英雄よりも強いってのかい?」
「同じくらいか、それ以上だと評価しています。第一、私が反英雄に対して全くと言っていい程、興味がないんですよ。ホント、そこら辺の草花と同じくらいの関心です」
「なるほどねぇ……」
庭園の草花が揺れる。
空気そのものを枯らしてしまうような、凄まじい濃度の瘴気が解き放たれる。
「一つ。聞きたいんだが」
鴇田裕田の双眸が揺れる。
片方の瞳は青く燃え、残る瞳が紫光を迸らせる。
まるで悪魔の象徴と航海者の象徴が融和し、調和し、主張しているようだった。
「なんで俺に勝てると思ってるんだ。蜂野郎」
―――
―――
―――
世界が割れた。
甘ったるい馥郁が脳裏を満たす。
意識が扇動されるように闘志に満たされていく。
嗚呼。
なんて素敵な時間だったんだ。
あんな楽園が広がっているなら、人類が滅んだっていいと思うさ。
でも、残念だよなぁ。
―――
―――
―――
〇第四圏_巨竜の麓
「強情な……」
呆れたようにマーリンが口零した。
眼前には力なく横たわる超大な体躯の怪物の姿がある。マーリンの描く壮大な火力攻撃により撃破された悪食の王たる怪物であったが、その傍らにポツンと添えられている王座に腰の根を下した一人の亡骸にこそ、この戦いの核心が眠っていた。
大量の蠅の苗床となっているその亡骸は、王たる威厳の一つも感じさせないまでに朽ち果てた骸骨となっていた。
腐った肉を這いまわる蛆たちの蠢動も然り、噴き上げる煙のように解き放たれていく蠅の嵐を生み出す様はどこか機械染みていて、まるで命を蝕まれた儀式の触媒のような風体すら感じさせていた。
だが、ここにきて、その骸骨の双眸に光が宿る。
青い靄、紫の閃光。
己が楽園にて露わにしたその青年の闘志をそのままに。
「動く骸骨はキンコルさん以来ですね…」
「カカッ…どっチがッ…つェえか…な…?」
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誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
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